2002年ダイジェスト


旧車投入

フェラーリは新たに開発した2002年型の新車は、速いが信頼性の確保が不十分という理由から、開幕戦投入を見送った。 開幕戦に投入したのは2001年シーズンを圧倒したマシンだった。 そのマシンでライバルを蹴散らしていった。

開幕戦オーストラリアGPのスタート直後の1コーナーで、R.シューマッハがR.バリチェロのに乗り上げた。 R.シューマッハのマシンは空中に飛び上がり大クラッシュ、後続も大混乱になり、ここで一気に8台が姿を消した。 完走8台という大荒れの開幕戦を制したのは、結局、M.シューマッハだった。

第2戦マレーシアGPで、またしても大波乱が起きた。 スタート直後にM.シューマッハとJ.モントーヤが接触、M.シューマッハのフロントウィングが壊れピットインを余儀なくされた。 一方のJ.モントーヤはこれによりペナルティを受けることになった。 これでトップに立ったのはR.バリチェロであった。 R.バリチェロは2回ピットストップを取っていた。 しかし、最後のピットストップまでに1回ピットストップ作戦を取る2位のR.シューマッハに十分なリードを築くことができなかったためR.シューマッハにトップを譲ることになった。

新車投入

新車はヨーロッパラウンドに入ってからという予定を変更し、第3戦ブラジルGPでフェラーリはついに新車を投入してきた。 ただし新車を使用できるのはM.シューマッハのみだった。 予選では新車のポテンシャルを引き出すことができずポールポジションを逃すことになったが、決勝では速さを示し優勝した。

第4戦からはR.バリチェロにも新車を投入する。 2002年型のマシンは他に対し異常な速さを示し、また、信頼性も十分であるため、数多くの優勝、それも1位-2位フィニッシュを重ねていった。

チームオーダー

2002年シーズンのフェラーリマシンは速い、そして壊れない。 他チームに圧倒的優勢を誇っていた。 そしてフェラーリには厳格なチームオーダーが存在している。

第6戦、シーズンはまだ序盤のオーストリアGPで、フェラーリはチームオーダーを発令した。 最終周の最終コーナーまでR.バリチェロがM.シューマッハを圧倒していた。 ここでR.バリチェロはアクセルをゆるめ、M.シューマッハに勝ちを譲った。 フェラーリが1位-2位フィニッシュを飾ったが、観客は彼らに対し強烈なブーイングを浴びせた。 勝者のM.シューマッハにも笑顔はない。 M.シューマッハは、表彰台の真ん中をR.バリチェロに譲り、優勝トロフィーも譲った。 優勝記者会見の、勝者が座る席もM.シューマッハはR.バリチェロに譲った。 この行為にFIAから事情聴取があり両ドライバーとフェラーリに100万ドルの罰金が課せられた。

第11戦フランスGPでM.シューマッハは史上最速の王座に輝いた。 その後のフェラーリの関心はチームタイトルの獲得とR.バリチェロのシーズン2位獲得であった。 そのためにM.シューマッハは自分の優勝よりR.バリチェロの優勝を優先させた。 第13戦ハンガリーGPではR.バリチェロの後ろにぴたりと付け、優勝することはなかった。 第16戦アメリカGPではM.シューマッハが最終コーナーでスローダウンしR.バリチェロと並んでフィニッシュラインを通った。 勝者はR.バリチェロ、2位のM.シューマッハとの差はわずか0.011秒差だった。 もっともアメリカGPの場合は、R.バリチェロと並んでゴールするつもりではあったが、優勝はM.シューマッハが取るつもりだったようだ。 フィニッシュラインを間違えたために結果的にR.バリチェロに勝ちを譲ってしまったようだ。

2003年からチームオーダーは禁止されることになった。 これからフェラーリはどのようにしてチームオーダーを発令していくのだろうか。

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