1984年ダイジェスト


もはやノンターボ勢はティレルのみになった.

デトロイトGPでティレルのM.ブランドルがN.ピケに次ぐ2位を獲得した. ノンターボでも市街地では善戦している レース後の車検で規則違反が発覚した. エンジン内部に水を噴射するウォーター・インジェクション用の水の中からハイドロカーボンが見つかった. これは燃料と見なされ,違反とされた. また,タンクの中に粒状の亜鉛玉が見つかった. チームはバラストだと主張したが,バラストは固定されていなければならないとのことでこれも違反とされた.

この件に関し,FISAはイギリスGP直前にティレルの出場禁止を表明したがティレル側は提訴した. 最終決定が出るまでは出場できることになったが,結局オランダGP直後に正式に出場禁止が決定した. さらに10月半ばにはティレルは獲得していた全ポイントを無効にするという決定がなされた.

第6戦モナコGPは大雨のためスピンやクラッシュが続出していた. レースの予定周回数の半ばにはA.プロストがトップを走っていた. A.プロストよりさらに速いペースで追い上げていたのがA.セナで,彼よりさらに速いペースで追い上げていたのがS.ベロフだった. そういう状況の中,J.イクス競技長は77周予定のレースを32周で赤旗中断にする決定をした. 赤旗がもう数周遅かったら,順位は変わっていたかもしれない. A.プロストはトップを守ったままレースを終えることができた.

規定により,通常での獲得ポイントの半分を各入賞者に与えるというハーフポイント制が適用された. 1位のA.プロストには4.5点が与えられた. これが後のチャンピオン争いに大きな意味を持ってくる.

タイトル争いは最終戦に持ち込まれた. 争っているのはN.ラウダとA.プロストというマクラーレン・TAGの二人だった. それまでN.ラウダは5勝し66点を獲得していた. それに対してA.プロストは6勝し62.5点を獲得していた. 優勝回数ではA.プロストの方が多いのだが,N.ラウダの方がポイントは上だった. N.ラウダはしぶとい.

予選ではN.ピケがポールを取った. 2位がA.プロストで,N.ラウダはトラブルが発生したこともあり11位と低迷していた.

レースはK.ロズベルグを先頭に始まった. 9周目,A.プロストが彼をパスしトップを奪う. そのままフィニッシュを果たし,タイトル獲得のためにできることは完了した. あとはN.ラウダの順位次第でA.プロストのタイトルが決まる. N.ラウダが3位以下ならタイトルは獲得できる.

一方のN.ラウダは11位から追い上げていた. 33周目にはA.セナを抜いて3位までやってきた. N.ラウダがタイトルを獲得するまで後一台を抜けばよい.

2位を走っているのはN.マンセルだった. 彼はN.ラウダよりも30秒ほど前を走っていた. N.ラウダはN.マンセルに追いつき抜くことができるのか?

レースは思わぬ展開を見せた. 52周目N.マンセルがスピンし脱落してしまった. これでN.ラウダは2位でフィニッシュすることができ,タイトルを獲得した. シリーズ2位のA.プロストとの差はたったの0.5点だった.

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