1983年ダイジェスト


1982年のG.ビルニューブやD.ピローニなどの事故やガチガチに固くなっていくサスペンションによる負傷への対策のためベンチュリーカーは禁止になった. 前後アクスル間は平面でなければならないなどフラットボトム規制が始まった.

1983年のシーズンは全部で15戦ある. 第11戦終了時点でA.プロストは4勝してランキングトップだった. たった一度しか優勝していないN.ピケがランキング2位である. 1位と2位との差は14点で,タイトル争いはA.プロストに優位に進んでいた.

第12戦オランダGP.

N.ピケを先頭にレースが始まった. 2位はA.プロストである. A.プロストは42周目のタルザンコーナーで,N.ピケのインへ飛び込んだ. しかしブレーキを遅らせすぎたか減速しきれなかった. 結果としてN.ピケをタイヤバリアへ押し出してしまった. A.プロストは再走できた. 一方のN.ピケはそのままリタイアしてしまった.

N.ピケの王座はなくなったかに見えた.

しかしすぐにプロストがクラッシュする. N.ピケとの接触の影響からかフロントウィングが破損してしまい,コースアウトを喫した.

二人の運命はこのレースを境に変わった.

続くイタリアGP,ヨーロッパGPでN.ピケは連勝するが,A.プロストはリタイアと2位という結果しか残せず,ランキング1位と2位との差が小さくなってきた. プロストはルノーの開発ペースに対し不満を募らせ,ルノーはそういうA.プロストを快く思っていなかった. A.プロストとルノーとの間は良好ではなくなった.

最終戦南アフリカGP.

A.プロストとN.ピケとの得点差はたったの2点しかない. 大事な一戦で,3位からピットインしたA.プロストはそのままリタイアしてしまう. ターボトラブル. レースの首位はN.ピケだ. N.ピケはペースを落とし,同僚のR.パトレーゼを前に出し,自身は3位でチェッカーを受けた.

A.プロストを2点上回りN.ピケが逆転してタイトルを獲得した. これはまた,ターボマシン初のチャンプでもあった.

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