時代はターボ化していた.
ノンターボ勢は急激に競争力を失っていた. 少しでも優位に立つことを考えていたノンターボ勢は,レース後の再車検前に水の補給が可能であることに目を付けた. レース前に規定重量をクリアした後にこの水を流し捨て規定重量以下で走れば問題がない. FOCAは,明確に禁じられた行為でないために有効であると判断していた. しかしFISAはこれを許さなかった.
第2戦ブラジルGP.
ノンターボ勢であるブラバムのN.ピケとウィリアムズのK.ロズベルグが1-2を取った. しかしこの2台は規定重量違反ということでFISAから失格を言い渡された. 繰り上げ優勝となったのは,FISA系チームであるルノーのA.プロストだった. これにFOCA系チームが猛反発し,サンマリノGPのボイコットを決めた.
こうした状況の下で第4戦サンマリノGPが始まった.
R.アルヌーを先頭にレースは始まった. 序盤のR.アルヌーは速かったが,次第に2台のフェラーリがR.アルヌーの背後に迫ってきた. レース中盤になると,ルノーのR.アルヌーと,フェラーリのG.ビルニューブ,D.ピローニの戦いになった. 44周目,ルノーの背後から白煙が出始め,やがてR.アルヌーはエンジントラブルでリタイアとなった.
フェラーリがレース中盤に1-2態勢となった.
45周目,G.ビルニューブがトップ.
46周目,D.ピローニがG.ビルニューブを抜いた.
3周後,G.ビルニューブがD.ピローニを抜いた.
ここでピットから“スロー”のサインが二人に示された. 燃費のことを気にして,無用な争いを避け,このままでチェッカーを受けろというサインだった. 現在のトップはG.ビルニューブであり,彼に優勝の権利があった.
G.ビルニューブはサインに従い,ペースを落とした.
D.ピローニは別のことを考えていた. 1981年にフェラーリに移籍してからのD.ピローニには優勝がなかった. いまフェラーリの地元で優勝する可能性がある. ピットからのサインはブレーキ・タイヤ・燃料などを気にして走りさえすればよい. 優勝するなという意味ではないと取っていた.
53周目,D.ピローニがG.ビルニューブを抜いた. 優勝の権利があると考えていたG.ビルニューブは困惑した. D.ピローニは観客を楽しませるために抜きつ抜かれつをやっているのか?
59周目,若干ペースを落としたD.ピローニをG.ビルニューブがパスした. 残りわずか. これで勝負は終わったとG.ビルニューブは考えた.
最終ラップ. トサコーナー手前の高速コーナーの進入で,D.ピローニがスリップストリームから抜け出てG.ビルニューブの右に並び強引にG.ビルニューブの前に出た. 直後,トサコーナーのインにマシンを寄せ,G.ビルニューブをブロックした.
G.ビルニューブはチームメイトが自分を裏切ったと気づいた.
チェッカーフラッグまでもう一周も残されていない. G.ビルニューブはD.ピローニを激しく攻めたが,もはや手遅れだった.
D.ピローニ優勝!
表彰台の上で,フェラーリでの初優勝をようやく決めることができて喜んでいるD.ピローニの横には,笑顔の全くないG.ビルニューブの姿があった.
2人の間に亀裂が入った. 2人はもうチームメイトではなかった.
2週間後のベルギーGP.
予選も終わりを迎えようとしていた.
D.ピローニの方が,G.ビルニューブよりも速いタイムを出していた. G.ビルニューブは,それが気に入らなかった. タイヤはすでにボロボロだった. ピットからはインのサインが出ていた. しかしD.ピローニのタイムを破ろうと,渾身のタイムアタックを開始した.
彼の前には,スロー走行中のJ.マスがいた. J.マスは後ろからフェラーリが来たことに気づいた. ターラメンボイヒトコーナー手前の左コーナーで,G.ビルニューブは左からパスすると考え,コースの右側に寄った.
これが悲劇につながった. G.ビルニューブもそのラインに車線変更してきたのだ.
G.ビルニューブはJ.マスのマーチに激しく追突し,100メートル以上宙を舞った後,ノーズから着地した. マシンは横転を繰り返した. ドライバーはマシンから投げ出された. マシンは粉々になった.
G.ビルニューブは死亡した.
フェラーリの悲劇はなおも続く.
第12戦,雨のドイツGP予選.
いまやポイントリーダーとなったD.ピローニは,ホッケンハイムのスタジアムセクションに入ろうとしていた. 水しぶきで視界が極端に悪くなっていた. そのために前方にマシンがいることを確認できなかったのか,D.ピローニはA.プロストのマシンに激しく追突した. フェラーリは宙高く飛びあがった.
D.ピローニは両足複雑骨折で再起不能の重傷を負ってしまった.
G.ビルニューブの後任としてフェラーリに来たのがP.タンベイだった. 彼はドイツGPで初優勝を飾った. その後も好走を続けた. しかしベンチュリーカーのサスペンションが異常なまでに固かったために背骨を痛め,首と腕が麻痺し,2戦を欠場する事態になった.
16戦中2勝が5人で1勝が6人. この年のタイトルを取ったのは,一勝しかしていないK.ロズベルグだった.