1980年ダイジェスト


かつては各チームが個別にグランプリレースを開催している主催者と様々な交渉を行っていた. FOCA(F1コンストラクター協会)が設立されると,FOCAは各チームからの様々な交渉事を引き受け,主催者はFOCAと交渉するようになった.

また,70年代になってスポンサーマネーがグランプリの世界に大量に流れ込んできた. グランプリの,媒体としての価値が高まってきた. TVの国際中継が始まり放映地域も広がっていき,F1は国際スポーツイベントとして大きく生まれ変わろうとしていた. TV放映権を握ったのは,FOCAだった.

FOCAはどの主催者とグランプリレースの開催を行うかの決定力を持つようになり,F1の主導権を握り始めた.

イギリス人のB.エクレストンがFOCAを取り仕切っていた. FOCAはイギリス系のチームが所属していた.

F1世界選手権の統括団体はFIA-CSI(国際自動車連盟スポーツ委員会)である. 1978年にJ.M.バレストルがFIA-CSI会長に就任するとFIA-CSIをFISA(国際自動車スポーツ連盟)に改めた. そして,F1GPの運営に口出しするようになった.

6月1日. スペインGPが世界選手権のひとつとして開催されるはずだった.

FISAはフェラーリやルノー,アルファ・ロメオといった,ヨーロッパ大陸の自動車メーカー系チームに支持されている. FISA系チームがスペインGP参戦を取りやめた. 一方のFOCA系チームはレースを強行した. レースはA.ジョーンズが優勝した. しかし,レース後にFISAはスペインGPは違法レースとし世界選手権戦としてカウントしないと表明した.

FOCAとFISAの,F1GPをめぐっての主導権争いが始まった.

この年のチャンピオン争いは終盤までもつれた.

N.ピケは第4戦で初優勝し,後半戦に勢いをつけてチャンピオン争いに加わった. それに対抗するのは,前年後半に勢いをつけてきたウィリアムズチームである. ブラバムのN.ピケ54点に対してウィリアムズのA.ジョーンズ53点で第13戦カナダGPを迎えた.

ポールポジションはN.ピケが取った.

しかし決勝前のウォームアップ走行はA.ジョーンズが速かった.

どちらがレースを制するのか.

スタート.

スタート直後の緩い右コーナーで,チャンピオン争いを演じているN.ピケとA.ジョーンズが接触! このアクシデントに後続車10台以上が巻き込まれた. レースは赤旗中断となる.

1時間半後に再スタートを迎えた. ピケはスペアカーに乗りかえる.

3周目に首位にたったN.ピケはA.ジョーンズを徐々に引きはなしていく. このままの順位で終わるとN.ピケ61点,A.ジョーンズ59点となりチャンピオン争いは最終戦にもち込まれる. しかし不運にもN.ピケのブラバムのエンジンがブローしてしまう. 首位はA.ジョーンズに変わった. A.ジョーンズがレースを制しタイトルを制した.

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