1965年ダイジェスト


ホンダのエンジンは,当時最高のパワーを持っていた. しかし,マシントラブルが頻発し,成績が伴わなかった. エンジン排気量1.5リットルのレギュレーションは,この年で終わる. 翌年からはエンジン排気量上限が,これまでの倍である3リットルとなる. 1.5リットル最後のレースで,ホンダは,是非とも結果が欲しかった.

予選では,猛暑と標高2200mでの気圧とから,他のチームはペースが上がらなかった. 一方のホンダは,チーム監督の中村良夫が航空機技術者出身で,気圧が低いときの混合比調整に経験があったため,燃料噴射システムのセッティングは順調に進んでいた. 予選結果は3位だったが,実力では他チームを大きく上回っていた.

1.5リットルフォーミュラ最後の決勝がスタートした. ホンダの加速がすばらしく,あっと言う間にトップに躍り出た. さらに,エンジン回転数を最大にあげなくとも,他チームを引き離すことができた. ホンダは完調だった. 後半,D.ガーニーが猛烈に追い上げてきたが,それまでマシンをセーブしてきたR.ギンサーは余裕で対応していた. そして,1周も抜かれることなく,R.ギンサーはチェッカーを受けた.

R.ギンサー初優勝!

ホンダ初優勝!

グッドイヤー初優勝!

D.ガーニーもグッドイヤーを履いていたため,グッドイヤーの1-2フィニッシュだった.

1965年はJ.クラークの時代であった. 有効得点では満点の54ポイント獲得し,さらにインディアナポリス500マイルレースでも優勝を遂げていた.

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