戦前,エンツォ・フェラーリはアルファ・ロメオと共に活動していた. アルファ・ロメオのレース活動はエンツォ率いるスクーデリア・フェラーリに任されていたのだ. しかし,後にエンツォはアルファ・ロメオから追い出された.
1951年,アルファ・ロメオは前半戦は勝利を重ねていたが,背後には常にフェラーリがつけていた. 前年の圧倒的なアルファ・ロメオの勢いは完全に落ちていた. 時代はアルファ・ロメオを突き放そうとしていた.
第5戦イギリスグランプリ. アルファ・ロメオのエース,J.M.ファンジオとフェラーリのセカンドドライバー,J.F.ゴンザレスとの一騎打ちとなった. ピットインを多く必要とするアルファ・ロメオのJ.M.ファンジオは,J.F.ゴンザレスを大きく引き離すことができずに苦戦していた.
レース中盤に,J.F.ゴンザレスが予定のピットインを行った. そのとき,既にリタイアしていたファーストドライバーのA.アスカリを見つけた. セカンドドライバーはマシンを降りてファーストドライバーと交代しようとした. しかし,A.アスカリは首を横に振った. 「ゴンザレス,今日はお前の日だ.」
アルファ・ロメオはピットインを多く要する,その遅れを取り戻そうとJ.M.ファンジオは懸命に走るが,期待を背負ったJ.F.ゴンザレスも負けられない. 結局アルファ・ロメオはフェラーリに届かなかった. フェラーリ,J.F.ゴンザレス優勝! 1950年世界選手権開始以来常勝のアルファ・ロメオがついに破れた.
タイトル争いは,最終戦までもつれ込んだ. フェラーリはある作戦を計画した. 燃料を満タンにしてノンストップで走りきる. そしてタイヤは,従来より小さいタイヤを使用する. この作戦が大失敗する. タイヤが耐えられなかったのだ. 全く耐久性がなく,頻繁なピットインを強いられた. タイトルはフェラーリに助けられたアルファ・ロメオのJ.M.ファンジオが獲得した.
競争力を失ったアルファ・ロメオは,この年限りでグランプリから去っていった. イギリスグランプリの後,エンツォはこう言ったと伝えられている.
「私は母親を殺してしまった・・・」