九八年の九月末、某PR誌に南方熊楠をテーマにした紀行文を書くという企画で南紀へ取材旅行に出かけた。筆者の意気込みはそれなりのものがあって、出発前に平凡社の全集に目を通した。かつて中沢新一やら荒俣宏やらに担がれまくった熊楠だけに、過去は主要著書を斜め読みしつつなんとなく抵抗感を持っていた部分もあったが、そのようなバイアスを取り払って読み出すと、やはりその圧倒的な「大きさ」(それは柳田国男や折口信夫に比した「分りやすさ」でもある)にかぶりつきになった。特に書簡集の面白さは半端ではない。理不尽な神社合祀に激しい怒りをぶつけた『南方ニ書』に心動かされ、または現地で入手した補遺書簡集(「増補南方熊楠書簡集」紀南文化財研究会編)を、寝不足のホテルの枕辺に眺め嘆息するもしばしばだった。
旅行中は三日間ともに雨に祟られ、取材そのものはまったく不調だったし、現地は台風七号の被害の跡は生々しく残っており、宿泊地の白浜でもあちこちで屋根がわらが吹っ飛んだり木造倉庫が倒壊していたり。田辺にある南方熊楠旧邸も屋根に被害が出ており、青いビニールシートに被われ痛ましい有り様だった。いろいろな意味で、短く駆け足の気遣いと制約多き旅行ではあった。しかし南紀白浜に建つ熊楠記念館や上述の田辺の旧宅、闘鶏神社の社叢、或いは高山寺の質素な墓石、彼の神社合祀反対運動によって辛うじて残った熊野古道の一方杉、そして昭和四年、裕仁天皇と熊楠とを結んだ神島のミクロコスモス(遠景のみ)といった熊楠ゆかりの地に望み、感慨迫るものも少なくない旅でもあった。以下にその記録を印す。
佐藤哲朗