わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん

合祀反対論抜粋



 先の文章のみを読めば、熊楠を三島由紀夫ばりの憂国の士に錯覚しかねないだろう。しかし実際の『南方二書』などに見られる語り口は、悲壮感のなかにも自由奔放な思索の拡がりと、つんのめった愛嬌とが漂っている。参考までに一部を引用したい。

(1)『南方二書』より

「わが邦の人は、由来一種欧人に見得ざる優雅謹慎の風ありとは、小生が二十四、五年前米国に留学せし時毎度聞きしところなり。その後十年ばかり前に英国にありて、わが国に古く往来せし人士より荐(しき)りに聞きしは、わが邦人は年々にこの美風を失い行くとのことなり。こは、わが邦由来封建の制にて君主藩候なき土地とてはなく、したがって長上に対して生来敬慎(けいしん)の美風を養生せし遺風多きにおこること勿論なり。今日は昔とかわり、われらごとき素町人の子も時を得れば才次第で男爵くらいには成り得る世なれば、大臣や次官くらいを見ても何とも思わず。すでに心底から何とも思わぬものに、上述のごとき謹啓欽仰(きんこう)の念起こらぬは知れきったことなり。いわんや、その長上なる人、多くは敗徳不名誉の行いあり、狼に冕冠せしめたるに過ぎざるにおいてをや。しかるに、ただ一つ封建の制より一層古く邦民一汎に粛敬謹慎の念を銘心せしめおるものあり。何ぞや。最寄り最寄りの古神社これなり。いわゆる何ごとのあるかを知らねど有難さに涙こぼるるもこれなり。神道は宗教に相違なきも、高語論議をもって人を屈従させる顕教にあらず。言詞杜絶、李白も賦する能わず、公孫竜も弁ずる能わざるの間に、心底からわが邦万古不変の国体を一度に感じ、白石が秋田氏の譜(『藩翰譜』)にいえるごとく(たとい有史前は多種の人種混雑せりとするも)、有史以後、啻(ただ)に皇族の万世一系たるのみならず、非人、えたに至るまでも、みな本邦の原人より統を引きたるものたることを不可言不可説の間に感ぜしむるの道なり。故にその教は、古え多大繁雑の斎忌 taboo system をもって成れる慣習条々(不成分律)を具したるのみ、外に何というむつかしき道義論、心理論なし。

 時かわり世移りて、その神主というもの、斎忌どころか、今日この国第一の神官の頭取奥五十鈴という老爺は、『和歌山新報』によると、「たとい天鈿女(あまのうずめ)の命のごとき醜女になりとも、三日ほど真にほれられたいものだ」など県庁で放言して、すぱすぱと煙草を官房で環に吹き、その主張とては、どんな植物があろうがなかろうが、詮ずるところは金銭なき社や存置の価値なしと公言し、また合祀大主張紀国造紀俊は、芸妓を妻にし樟の木などきりちらし、その銭で遊郭に籠城し、二上り新内などを作り、新聞へ投じて自慢しおる。こんな人物がいかにして説教したりとて、その感化力はとても小学教員には及ばず、実は教育の害物なり。現に従来祭日にのみ神官に接せし諸村民は、神官なしに毎朝夕最寄りの神社に詣して国恩を謝し、一家安寧を祈り、楽に基本金なしにそれぞれに醸金して今日まで立派に維持し来たり、神主はそれぞれより補助されて祭典を挙行し、何不足なく自分もそれぞれ内職に教員なり百姓なり営み来たれること、上述、欧州また古回教国の例のごとし。されば、神官はほんの扶助物 accessory にして、国民に愛郷愛国の念、謙譲恭慎の美風を浸潤せしむるは、一に神社その物の存立によることなり。

 プラトンは、ちょっとしたギリシアの母を犯したり、妹を強姦したり、ガニメデスの肛門を掘ったり、アフロジテに夜這いしたり、そんな卑猥な伝話ある諸神を、心底から崇めし人にあらず。しかれども、秘密儀 mystery を讃して秘密儀なるかな、秘密儀なるかな、といえり。秘密とてむりに物をかくすということにあらざるべく、すなわち何の教にも顕密の二事ありて、言語文章論議もて言いあらわし伝え化し得ぬところを、在来の威儀によって不言不筆、たちまちにして頭から足の底まで感化忘るる能わざらしむるものをいいしなるべし。小山健三氏かつて、もっとも精神を爽快ならしむるものは、休暇日に古神社に詣り社殿の前に立つにあり、といえりと聞く。かくのごときは、今日合祀後の南無帰命稲荷祇園金比羅大明権現というような、混雑錯操(さくそう)せる、大入りで半札をも出さにゃならぬようにぎっしりつまり、樹林も清泉もなく、落葉飛花見たくてもなく、掃除のために土は乾き切り、ペンキで白塗りの鳥居や、セメントで砥石を堅めた手水鉢多き俗神社に望むべきにあらざるなり。」(松村任三宛書簡 明治四十四年八月二十九日)

(2)わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん

「定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅なりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。前にもいえるごとく、至道は言語筆舌の必ず説き勧め喩(さと)し解せしめ得べきにあらず。その人善心なくんば、いかに多く物事を知り理窟を明らめたりとて何の益あらん。されば上智の人は特別として、凡人には、景色でも眺めて彼処(かしこ)が気に入れり、此処が面白いという処より案じ入りて、人に言い得ず、みずからも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、すでに善を思わず、いずくんぞ悪を思わんやの域にあらしめんこと、学校教育などの及ぶべからざる大教育ならん。かかる境涯に毎々到り得なば、その人三十一字を綴り得ずとも、その趣きは歌人なり。日夜悪念去らず、妄執に繋縛さるる者の企て及ぶべからざる、いわゆる不言(いわず)して名教中の楽土に安心し得る者なり。無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし。」(白井光太郎宛 明治四十五年二月九日)


 ここに引用した書簡の全文は、平凡社版『南方熊楠全集』第七巻および、『南方熊楠コレクションV 森の思想』(河出文庫)で全文を読むことができる。

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