第十三章 長名話の縁起
 ・笑福亭 梅香 バッシヤチャリヤ
 ・長名話の系譜
 ・桂米朝と長名話
 ・ダラニの由縁と法華経『陀羅尼品』について
 ・長名話の盛衰に関する考察
 ・スペシャル・デレゲート野口復堂
《注釈》
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笑福亭 梅香 バッシヤチャリヤ

 長名話の縁起を説く前に、多少考証めいたことも書いておこう。まづは復堂が書生時代に「長名話」を聞いた「新京極六角の笑福亭」という木戸銭四銭の落語の定席について。この「笑福亭」は京都でも有名な寄席だったらしく、菊池真一先生(甲南女子大学文学部)の研究によれば、『京都日出新聞』明治二十一年八月一日に「新京極通り六角下る笑福亭」の記事があり、その後もたびたび新聞紙上に登場する。【*1】長名を話した「煙草を輪に吹く事の名人で梅香」という落語家だが、こちらは明治四十年七月の桂派・三遊派合併落語相撲見立番付の西前頭として「梅香」の名がみえる。【*2】少々時期が下っているので、復堂が聴いたのは先代やもしれぬが、実在した落語家に間違いない。

 そして復堂先生に木戸銭四銭の落語で泣されてしまった梵語学者バッシヤチャリヤであるが、彼についてはバッタチャリヤ(Bhattacharya)姓のバラモン階級で、ベンガル州出身のパンディット(サンスクリット文法学者)であったという事しか分らない。マックス・ミューラーの師匠云々はまぁ言葉のアヤだとしても、野口復堂のインド旅行を裏付けるインド側の資料としてたびたび参照しているオルコットの手記『OLD DIARY LEAVES』シリーズにもバッタチャリヤの名は現われないし、長名話についても触れられていない。ただ復堂がアディヤールを去るにあたって取られたという神智学協会メインホールでの記念写真(十二月二十八日撮影)には、「オルコットの隣にターバンを冠り白の肩掛を斜めに、頂に白と赤の婆羅門章を畫ける」バッタチャリヤの姿がある。実在の人物だと信じたいところだ。
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長名話の系譜

 さて肝心かなめの長名話である。やたら長い名前を持った人物が登場するオハナシというのは落語以前に民間説話として広く日本全土に分布しており、咄の筋は大同小異である。鎌倉時代に無住(アナガーリカ!)法師(1226-1312)が記した『沙石集』にも長名の尼僧の説話が収録されている。元禄時代の噺本『軽口御前男』巻二(元禄十六年大坂板)には、如是我聞(にょぜがもん)と阿耨多羅三百(貘)三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)とそれぞれ名前を付けられた兄弟が川に流されるドタバタ話が載っており、阿耨多羅…は長名ゆえ助からなかったという下げがついているあたり、復堂先生の語った「長名話」に近づいている。(『落語三百題 -落語の戸籍調べ-』下巻 武藤禎夫 s44.10 p116参照)

 民間説話としてポピュラーだった長名話だが、これが落語に取り入れられたのは上方の方が早かったらしい。宇井無愁氏の『落語の原話』(角川書店 s45.8)によれば、現行の「寿限無」は西日本型に伝えられた「長名」の唱えかたに近いことから、上方からの移植だと推測できるそうだ。曰く、「大坂にはこれとは別の唱え方があったが、大正中期に東京から逆輸入した「寿限無」に圧倒され消滅した。」

 宇井氏のいう「大坂で消滅した長名の唱え方」こそ、陀羅尼品から名前をとった「長名話」であったと考えられる。故・三遊亭金馬師匠の『浮世断語』(有信堂 s34.2)には、「大坂にもこの寿限無という咄はありますが、大坂は(八っつあんが御隠居に頼むのでなく)お寺の和尚さんにつけてもらうのです。『陀羅尼品』というお経のなかから撰ってつけるのです。(中略)大坂のは無理のない自然な仕込みですが、落げが悪い。この寿限無がいたずらで、井戸へ落ちて、かわり番こに「寿限無寿限無」と呼んで、終いに和尚がお経の文句みたいな節をつけて呼んで、「だだぶだぶだぶ」と死んでしまうのです。」とある。これだ!
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桂米朝と長名話

 現在もなお、この長名話の記憶を伝えている落語家がいる。上方落語中興の祖、桂米朝師匠その人である。師匠の『続・上方落語ノート』(s60.2 青蛙房)収録「長名について」より一文を引きたい。曰く、「東京の「寿限無」に対して、上方には「長名(ながな)」という古いネタがある。(中略)戦後、ともかくこれを覚えていた人は、桂南天、桂文吾の両師であった。」

 米朝師匠が南天・文吾両師から伝えられた「長名」では、「ソギヤネクシヤネ・バシヤバシヤシユダイマンダラー」という陀羅尼品のフレーズが、「しょきゃねぐしゃ、ねばしゃばしゃ、しゅうたい万太郎」と訛って最後は万太郎とどうやら名前らしくこじつけてある。米朝師匠はもとより、このネタを守ってきた南天・文吾両師も、長名が法華経の陀羅尼品に由来することまではすでに知らなかった。米朝師匠はこのエッセイを発表したのち、読者のひとりからこの文句が陀羅尼品に似ていることを指摘されたという。【*3】なにせ上方の「長名」には、名前の由来を説明するくだりが一切省かれていたそうだ。曰く、

「東京の「寿限無」との大きな違いは、東京の方は「五劫のすり切れ」にしろ「ポンポコナー」にしろ、いちいち有難そうな説明がなされる。こちらはその理屈がまるでないのである。ただ、長生きして長者になる有難い名前がある。少し長いが覚えられるかな……というようなことで親に教えるのである。
「はじめが“あに”じゃ」
「さよさよ、はじめが兄で、つぎができたら弟になる」
「そやないがな、“あに”から始まる」
 などという件りがあった。
 こんな話はまず、再び陽の目を見ることはあるまい。」
 (桂米朝「長名について」より)
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ダラニの由縁と法華経『陀羅尼品』について

 陀羅尼(ダラニ)とは仏教経典に取り込まれたインド古来の呪文である。バッタチャリヤ博士は「印度最古の梵語」だと感激したそうだが、実際はインドの経典語サンスクリットに俗語のフレーズや意味不明のオノマトペなどを盛り込んだ文字通りの呪文(つまり寿限無)である。短いことで日本人に親しまれてもいる般若心経の締めくくりにでてくる「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」という文句を思い出していただければ良い。釈迦の時代には、呪術的な迷信でしかないダラニ・真言(マントラ)のたぐいは教団内で使用が禁止されていたが、病気直しなどの効用が認められていた手前、用途を限って許可されるようになった。それが大乗仏教の時代には教義の深遠さを演出する小道具として経典にも侵入しはじめ、密教が全盛期を迎えると経典全体が意味不明の呪文に覆い尽くされてしまうのである。

 代表的な大乗仏教教典として知られ、日本でも熱狂的信者を輩出した法華経にも、わざわざ一章を割いてダラニで埋め尽くされた章がある。それがすなわち『陀羅尼品』で。法華経の行者や修験者はこの陀羅尼品を読誦して加持祈祷を執り行い、民衆の前で験力を競った。筆者の身内が大病をした際にも、法華経信者である親類が、熱心に病気平癒の祈祷をして下さった。恐らくこの陀羅尼品も読誦されたのだろう。
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長名話の盛衰に関する考察

 しかし呪術的な力が備わっているとされるダラニを落語のネタにして、しかも「長生して長者になる」どころか井戸に落ちて死んでしまうというオチはちょっと「悪趣味」である。じっさいこのネタが高座でどの程度受けたかは分らないが、後味悪いネタに有難いダラニを使うことへの禁忌意識から、長名の由来を説明しない暗黙の了解が出来、しだいに由来そのものがわからなくなってしまったのではないか。

 そして長名話が上方から東京に移植された際に、陀羅尼品という特定の経典に依拠した「長名」がすたれた代わりに、「寿限無寿限無…」響きの滑稽さを楽しむ長名が創作された。【*4】陀羅尼品の長名をつけたのは町の坊さんだったが、「寿限無」の名付け親は長屋の御隠居。前者のバックボーンは伝統的な仏教であり、後者のそれは町人に実践道徳を説くパッチワーク的「石門心学」であったろう。ひとつの「長名」から、そんな差違までも想像できるところが面白い。とまれ、上方へと逆輸入された「寿限無」によって、バッタチャリヤ博士を泣かせた「長名話」も風前の灯火だ。嗚呼。
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スペシャル・デレゲート野口復堂

 明治時代に上方で演じられた「長名話」のネタは、仏教という意匠が日本人の教養に深く浸透していた時代の最後の名残であった。その名残が、明治二十一年にあってインド随一のサンスクリット学者を涙させ、マドラスのインド人たちに感銘を与えたのである。『仏教国日本』あるいは古きよきインド文化を継承する日本という甘ったるい幻想の一端は、このとき復堂先生の口上によって形成されたのかもしれぬ。それにしても、日印友好の記念として、いま一度「長名話」を演じてくれる噺家さんが出てこないかしら。

 木戸銭四銭の「長名話」で大いに株を上げた復堂先生、少々舌が滑りすぎている感もあるが、マドラスでは一事が万事この調子で、インド人の間に極東の独立国日本への好奇心を駆り立てつつ、大いに歓待されたようだ。明治二十一年十二月二十八日、復堂の送別会の席で撮られた神智協会大会の集合写真には、羽織袴を着込んだ復堂が、会長のオルコットと並んで写真の中央に堂々と収まっている。まさに彼は極東からの「スペシアル・デレゲート」と呼ぶにふさわしかった。しかし野口復堂の武勇談は、「長名話」だけでは終わらない。続きは次号を待て。
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注釈

【*1】 『明治期京都の講談 −京都日出新聞に見る−』菊池真一(甲南女子大学研究紀要創立三十周年記念 1995.3.10)今回、長名話の背景につきまして、菊池先生より詳細な御教示を頂きました。どうもありがとうございました。菊池先生の御研究につきましては、「菊池真一研究室 日本文学・講談・漢字」HPをご覧ください。

【*2】 『三集・上方落語ノート』桂米朝(h3.12 青蛙房)写真ページに掲載。また渡辺均『落語の研究』(S18.1.15駸々堂 大阪)掲載の関西各派寄席芸人人名簿(大正10年11月調べ)に吉本派の落語家の部にも「梅香」の名が見える。

【*3】 『四集・上方落語ノート』(h10.1 青蛙房)収録の「「長名」の原典」にその経緯が載っている。

【*4】 「寿限無」は浄土系経典『無量寿経』が典拠だとの指摘もある。
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