コラム『一八九三年のダルマパーラ 野口復堂の回想録より』
・釈雲照の珍談
・牛を食う奴は手を挙げろ!
・牛肉食反対運動とシンハラ仏教ナショナリズム
《注釈》
さて、前号では明治二十六(1893)年のダルマパーラ二度目の訪日(十月末〜十二月半ば)について駆け足で触れました。アジ活第一部でたびたび引用した野口復堂の回想録「四十年前の印度旅行」には、シカゴ万国宗教会議にも出席した復堂がダルマパーラの通訳として彼に付き添った際の思い出話がいくつか載っております。例によって漫談調なのでどこまで信頼できる資料かはわかりませぬが、ここでちょっと紹介してみたいと思います。
▼釈雲照の珍談
日本滞在中、ダルマパーラは日本におけるブダガヤ復興運動の旗振り役、釈雲照を何度か訪れた。そこに通訳として同行した野口復堂は、後にこんなこぼれ話を語っている。ある日、雲照より「ちょっと本堂まで来てくれ」と誘われたダルマパーラと復堂だったが…
「…何か珍しいものでも見せてくれられるのかと往って見れば、怖ろしや火生三昧の大日大聖不動明王右手に智慧の利剣、左手には四攝の宝索を握り、矜羯羅制托迦の両童子を率いて予等を待ち受けられ、律師は許多の弟子を後へに従え、不動経を唱えつつ、不動尊の周囲をグルグル幾回となく回り、最後に律師は高座に上らるると、我等両人の前へ紙包みを小僧さんが持ってくる。これは何の事かと思えば、我々に十善誡【*1】を授けらるるので、律師が『不偸盗(ふちゅうとう)』と言わるると、こちらも鸚鵡返しに『不偸盗』と言わねばならぬのである。
隣りのダルマパラが『不偸盗』とはなんだと訊くから『泥棒しない』と云う事であると通訳すれば、ダルマパラは笑って、『今頃律師の前でそんな事誓わなくても、このダルマパラは生れ落ちてから泥棒した覚はない』と紙包を開いてみれば、お経と珠数と砂一包み。『砂はなんだ』と聞くから、効能書を読んでみると、『之は土砂加持の砂で、死人が固くなった時、この砂をかけると柔らかくなる』とあったので、其趣きを説明するとダルマパラは大笑い、『日本は死体を小さい棺へ腰を折って入れるから、その必要もあろうが、我輩の国では寝棺であるから屍体が固くなろうが柔らかくなろうが、そんな事は頓着ない。この砂は君に献上する』と言ったような有様。
しかるに律師の崇拝者澤柳博士が受持って居らるる十善宝窟という同寺の機関雑誌に、『インドの仏教家ダルマパラ、万国宗教大会評議員野口復堂の両氏は今回我が雲照律師より十善誡を授けられたり』と麗々しく載せてある。授戒を願い出ず、従って授戒料も納めざる者を、無理強いに授戒の形を取って、右のごとき広告をなすは余り十善でも無い。おしなべて宗教家にはこの弊害は通有であるが、これでは、営利専門の商売人を決して笑う事はできない。」(「四十年前の印度旅行」より)
▼牛を食う奴は手を挙げろ!
なんと論評したものか困ってしまうエピソードですが、ダルマパーラはこのあと一九〇二年に来日した際にも、国柱会の田中智学によって法華経の本門受戒を授けられることになるのです。さて、お次も復堂がダルマパーラの講演通訳をした際のお話。東京は伝馬町の大師堂でのこと。インドで聖獣として大切に扱われる牛について、話題が及んだときに…
「ダ氏が講演中に『仏教には不殺生という戒がある。獰猛な欧米人はこの有益無害の温順なる牛を殺して食うが、仏教国の日本人がこれに習うとは何事ぞ。この獰猛なる欧米人すらその屍体だけなりとも人眼に触れさしめぬよう厨房深く蔵するに、日本へ来て見ればいづれの店々にも血の滴るその肉を骨のまま店頭高く鈎るして恥を万目に曝さしめて居る。この聖牛がかくまで悔辱(ママ)を人より受くべきものであるか。この聴衆の中に牛を食う人があるか。あるならば手を挙げよ』と命じたから、復堂はダ氏に向い、
『手を挙げよだけは余計なこと、これだけは僕は通訳しない。何故かと言えば牛を食う事は善い事であると言って後、牛を食う人手を挙げよは妥(おだや)かで、手を挙げもしようが、かく牛食の悪事たる事を演べて置いて後に手を挙げよは、君が妄語の破戒者を製造する事になって食う者でも手を挙げない、もし手を挙る者あれば、君への反対者で議論の必要が生じる、すれば挙げざるも悪るし挙ぐるも悪しである』と説いた処、同氏は大に復堂に感謝して、
『迂闊と言葉が滑って余計な事を言い、幸い君の注意により妄語の罪人を作るの罪は免れたが、見渡すところ聴衆は皆変な感じを懐て居るらしいから、この事実を明瞭に説明してくれ給え』とあったので、復堂は右の事実を詳細に説明した処、聴衆は多大の感に打たれ、『両君万歳』の響きで堂を震撼した事がある。」(同上)
▼牛肉食反対運動とシンハラ仏教ナショナリズム
さて復堂先生のお話はここから延々と「牛糞談義」に脱線してゆくのであるが、それは略してちょっとマジメなウンチクを…
ダルマパーラが日本での牛さんの扱いに対して憤慨したことを、伝統的な仏教の「不殺生」思想やインドの聖牛崇拝の観点から説明することも可能でしょう。しかしいくらスリランカがインド文化圏とはいえ、上座仏教には本来肉食へのタブーはありません。彼の牛肉食忌避の主張は、もっと政治的な色彩の濃いものでした。かつて筆者はオルコット大佐のスリランカ来訪に関連して、「伝統的な“シンハラ王権による保護”を失った仏教が近代社会でサバイバルするためには、宗教倫理を内面化し、(マックス・ヴェーバー流に言えば)世俗内禁欲を遂行する“自覚的な仏教徒”の成立が不可欠だった」(アジ活第一部第六章)と記しました。スリランカのシンハラ族を“自覚的な仏教徒”として再編成しようとしたオルコット大佐の活動をより先鋭化した形で継承したダルマパーラ。彼は一八九八年に『信者規則』というパンフレットを発行し、仏教徒の細かい日常生活の指針を明文化します。“ランカーの獅子”は牛車や馬車、のちにはフォスター夫人に買ってもらった自動車に乗ってセイロン各地を巡回し、「酒を飲むな」「牛肉を食うな」という単純なスローガンを掲げて民衆を啓蒙し扇動しました。
自動車でスリランカ島内を巡回するダルマパーラ。車体にはシンハラ語で“DO NOT EAT BEEF”(牛肉を食うなかれ)と書かれている。
「忌まわしい牛肉食も、精神を堕落させる飲酒の悪習も、ヨーロッパのキリスト教徒たちがセイロンに持ち込んだものである」という一点において、ダルマパーラの“生活改善運動”は、シンハラ仏教徒のアイデンティティを生活習慣という底辺から明確化し、イギリス人支配層やひいてはセイロン島内の異なる民族集団(彼が“ハンバヤ”と呼んで蔑んだイスラム教徒やヨーロッパ人との混血“バーガー”、それにタミル人…)への敵対意識を、“生理的嫌悪感”のレベルで育んでいったのです。やがて彼の反飲酒・反牛肉食運動は、植民地当局から強い警戒の眼差しをむけられるようになるのですが…
その辺の業の深い話は、これから追々に語ってゆかなければならないと思います。とりあえず、今週はこの辺で。あなかしこ、あなかしこ。
■注釈
【*1】 ふつう「十善戒」と書く。江戸後期に戒律復興運動につとめた真言僧、慈雲飲光(1718-1804 近世サンスクリット文献学の大家で国学研究にも影響を与えた)が宣揚した在家戒律。<不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不貪欲・不邪見>四つめまでは、一般的な在家戒律である五戒と同じ。禁酒規定である「不飲酒」戒のみ抜け落ち、六つの抽象的な訓戒にすりかえられている。日本の僧俗はよほど酒が好きだったのか…