イチオシ映画・第二集

★其の壱・「自来也・忍術三妖伝」(1937・マキノ雅弘)
★其の弐・「緋牡丹博徒シリーズ」(1968〜1972)
★其の参・「暴れん坊兄弟」(1960・沢島忠)
★其の四・「東海道四谷怪談」(1959/中川信夫)
★其の五・「忘八武士道」(1973/石井輝男)
★其の六・「仮面の忍者・赤影」(1967〜1968・倉田準二、山内鉄也)
★其の七・「まらそん侍」(1956・森一生)
★其の八・「多羅尾伴内シリーズ」(1947〜1960)
★其の九・「天晴れ一番手柄・青春銭形平次」(1953・市川崑)
★其の拾・「狐の呉れた赤ん坊」(1945・丸根賛太郎)
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イチオシ映画・其の拾
終戦直後、占領下では刀を抜く時代劇が許されなかった。チャンバラスターは刀をピストルに持ち替えたり、チャンバラシーンのない時代劇が生まれた。
ーー苦しい時代だった。苦しい時代、慰めは我が子への愛、その成長。親たちは子供に未来の夢を託した。今も苦しい。終戦直後もド不況の現代もおんなじだ。

●「狐の呉れた赤ん坊」(1945・丸根賛太郎)
脚本も丸根賛太郎。オリジナルのお話を自分のテンポで語りたい監督だ。他人の脚本はノリが悪い。原作者は名前を連ねているだけで、この「狐の呉れた赤ん坊」は丸根本人のオリジナル作品。いまだに舞台などで上演される古典となった名作だ。
物語は独身男が赤ん坊を拾って育てるというパターン。それも酒と博打と喧嘩が三度の飯より好きな川越人足・張子の寅だ。最初は赤ん坊を厄介者のように扱うが、意地で育てているうちにだんだん情が移って、赤ん坊が可愛くなってくる。赤ん坊が病にかかったときに遠方の医者を肩車して連れてきたり、自分の命にかえても子供を守ろうとする。
人足達のの相談係役の質屋が、『子供を育てるのは大変なことだよ。まず自分のやりたいことを我慢しなきゃならねえ。おめえにそれが出来るか?』と寅を諭す。今で言う"親業"の入門ものにもなっている。

この主人公・張子の寅が阪東妻三郎。無邪気でいて、しかも下品でない庶民のスーパースターだ。
寅を叱りとばすしっかりもののヒロインが橘公子。丸根賛太郎は女性に幻想がないぶん物語がサクサク進む。ラストでしっかり親として人間として成長した寅と結ばれる。赤ん坊を育てるのに手を貸さず、じっと男が成長するのを待つところがいい(笑)
そして赤ん坊から成長した可愛い子供が、まだ5才の津川雅彦だ。
美しく上品でなまめかしい幼児の肢体で妻さんに甘えて寄りかかっている。めちゃくちゃ色っぽい(笑)ひょっとして津川雅彦が最も美しい作品ではないか?
脇に上田吉二郎など名優揃いで、役者の演技もリズミカルに丸根賛太郎の軽快なテンポで物語が進んでいく。
クライマックスは何度見ても泣けてくる。親も愛はいつの時代でも同じだ。赤ん坊が実は後落胤と言うことが発覚、迎えに来たお城の侍達に親子は引き裂かれようとする。俺が川越人足だから・・・貧しいから育てられねえから取り上げようっていうのか!?と、子供着ている綺麗な若様の着物を脱がせて寅は叫ぶ。
『見ろ!どっから見ても俺の子だ!!真っ裸になったって幸せはあるんだ!!』
ーーこれ以上言うことはない、何度見ても飽きない。何度見ても面白い。占領下時代の傑作。マニアも初心者もとにかく必見だ。

「狐の呉れた赤ん坊」はキネマ倶楽部(つぶれた!)から出ていました(2002年まで出ていました。現在は販売停止状態)。中古屋を探せばあるかも。
また、この名作は「無法者の虎」(1961第二東映/深田金之助。主演・近衛十四郎)、「狐のくれた赤ん坊」(1971大映/三隅研次。主演。勝新)でリメイクされています。
2002.9.11.更新。2004.5.5.再更新
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イチオシ映画・其の九
捕物ジャンルをまだ紹介していなかった。
捕物=類推もの。とかくトリックの賞味期限はスターの賞味期限より短い。すぐに古くなる。よって犯人を追いつめるスリルや、犯人に迫られる恐怖、キャラクターの面白さが映画の魅力になってくる。ただ、冒頭になにか事件が起こって、ラストにそれを解決するというノルマさえ果たせば良いし、お客は嫌でも最後まで付き合ってくれるから、作りやすいっちゃー作りやすい類のものだ。

●「天晴れ一番手柄・青春銭形平次」(1953・市川崑)
定番中の定番、銭形平次物である。
現代劇出身の市川崑が撮った初めての時代劇だ。脚本は公私共にコンビの和田夏十。銭形平次が贋金つくりの一味と対決する。が、これは類推ものではない。少なくとも平次は推理などしなかった。犯人を追いつめることも追いかけることもしなかった。おまけにやっつけることもしなかった。
では、いったい何か?というと、これは、若き独身の平次が一人前の岡っ引になろうと夢見る物語なのだ。
この平次、駆け出しの岡っ引では食えないから飴屋を営んでいる。几帳面だから捕物に出る時は飴屋を閉めていく。一度に二つのことは出来ない性分だから効率悪くて儲からない。子供が飴を買いに来ると、平次が御用御用と十手の練習をしている。
『♪おじちゃん、あめちょうだい』『♪あ〜とでおいで〜〜〜、いま忙しいからね〜〜〜』
この平次役が大谷友右衛門。「佐々木小次郎」(1950・稲垣浩)で映画初出演の初主演。佐々木小次郎役では白塗りの顔にしているが、はっきり言って美剣士でも何でもない。演技が特に上手いという訳でもないので、ぜんぜん私的にはノーマークだったのだが、この「天晴れ一番手柄・青春銭形平次」を見て考えを改めた。なんて素晴らしい!これがもう主演男優賞ものの熱演だ。役者はやはり適材適所だ、白塗り役よりずっと良い。さすが未来の人間国宝、中村雀右衛門!、と感心することしきり。歌舞伎役者が映画へ進出する先鞭をつけた。
ガラッパチ役の伊藤雄之助についてはもう私が誉めるまでもない。皆さん御存知レベルの名優だ。なんかやたら老けてるガラッパチで、生活に疲れ、栄養失調を感じさせる。
独身の平次を狙うのはおかみさん候補の娘三人。
『あんたなんか平次さんと結婚したら姑はいないし!小姑はいないし!飴屋で生活は困らないし!それで平次さんを狙っているんでしょう!?』
『それはあんたのことじゃないの!?』

と、さすがに女性の書くシナリオは女に幻想がない。結局、お静役の杉洋子がおかみさんになるのだが、三人そろって見てもちっとも美男美女じゃない(笑)
市川崑&和田夏十のギャグはたいてい大ハズレで寒くてしょうがないのだが、この作品では時代劇のせいかテンポも良く普遍的なコメディに仕上がっている。小国英雄だったら必ず後で使うために取っておくエピソードとキャラをばんばん使い捨てるところも、この後一体どうなるのだろう?、という予断を許さない雰囲気を醸し出しているのでよい。
役者よく、テンポよく、アイデアよく。映像の構図も撮影も照明もロケもセットも美しい。猫も良い。
市川崑の時代劇最高傑作である事は間違いない。捕物帖でない銭形平次物。ラストシーンも余韻ある90分だ。

「天晴れ一番手柄・青春銭形平次」はLDで出ています。LD発売元は東宝から。市川崑ファンも、市川嫌いも必見だ。
2002.4.1.更新。2004.5.5.再更新
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イチオシ映画・其の八
このコーナーではずっと娯楽映画について話している。日本映画の父・マキノ省三が撮り始めたサイレント映画の昔からチャンバラ映画は日本の大衆の娯楽だった。
御上に異議申し立てが出来ない貧しい庶民は、丹下左膳や鞍馬天狗らヒーロー達が理不尽な世の中を一刀両断するのに声援を送った。また、ヒロインのお姫様に憧れたり、美しい衣装にため息をつき、田舎にいては当時見ることの出来なかった能や歌舞伎を映画を通して知り、奇術や様々な芸能を楽しむことが出来たのだ。
が、チャンバラ映画が撮れない時期というのがあった。1945年、戦争に負けてしまい、GHQがやってきて『チャンバラは野蛮だ』と言ったのだ。
原爆なんか人の頭の上に落としておいて何が野蛮だと思うのだが、戦争に負けたので言うことを聞くしかなかった。剣が抜けないチャンバラ映画なんてしょうがない。剣戟スター達はしかたなく刀をピストルに持ち替えて、それでも娯楽映画を撮り続けたのだ。その時期の代表作が「多羅尾伴内シリーズ」である。

●「多羅尾伴内シリーズ」(1947〜1960)
ご存じ片岡千恵蔵の忘れようと思ったって忘れられない名セリフが悪人達の頭上に響き渡る。
『あるときは香港丸の船員、あるときは片目の運転手、あるときは手品好きのキザな紳士、またあるときはインドの魔術師ハッサン・カン、あるときは傀儡男、またあるときは私立探偵多羅尾伴内…そしてその実体は!?(ここで変装をベリッと剥ぐ!)正義と真実の使徒、藤村大造だ!』
そして二丁拳銃を撃ちまくり、難事件を解決する。ちなみにこのとき使用したピストルはすべて警察から借りた本物である。今日ではとても考えられないことだが、警察が協力するほど当時、庶民には娯楽映画というものが必要とされていたのだった。こうして作られた片岡千恵蔵主演・「多羅尾伴内」シリーズ
1947年の第一作「多羅尾伴内・七つの顔」(松田定次)から1960年の「七つの顔の男だぜ」(小沢茂弘)まで11本。チャンバラ映画解禁になっても作られたのだから人気のほどがわかるだろう。
松田定次監督はシリーズ11本のうち8本も撮っている。松田定次はマキノ省三の息子で娯楽映画の巨匠である。これらのアホなシーンをこの巨匠は大真面目に撮っているのだ。
多羅尾伴内は次々と変装を替えるのだが、もちろん片岡千恵蔵その人以外の誰にも見えない。しかし悪役の進藤英太郎にだけはわからない(笑)。
もちろん敵の弾は当たらない。3メートルの距離でライフル銃が火を吹くが、多羅尾伴内はさっとよける!(爆!)後ろの金魚鉢ががちゃんと割れる!――そんなアホな、手裏剣じゃあるまいし!
事件解決の後はどこに用意してあったのかカッコイイ(笑)スポーツカーに乗って去っていく。――白馬じゃあるまいし!

当時助監督だった平山亨はおそれながら松田定次先生に御注進した。
『松田先生。弾が発射されてから避けるというのはいくらなんでも…。せめてライフルを向けられたときに避けないと…』
東映NO.1監督にぺーぺーがこんなこと言ったら"馬鹿野郎!"と怒鳴られて当然であったが、松田監督はこの生意気な助監督に優しく答えた。
『平ちゃん、それではあかんのや。銃を向けられたときに避けたんではタダの人や。ボクは理屈を越えた強いヒーローを撮りたいんや』
理屈を越えた強さ!――それはまさに娯楽作品の神髄だった。
松田定次は常に"浅草東映でなけなしのお金をはたいて映画を見るお客さんに喜んでもらえる作品"を作ろうとした。
丸ノ内東映でも渋谷東映でも新宿東映でもない、浅草東映のお客さんは理屈でなく身体を使って働く人たちだった。その人達が一週間一生懸命働いて疲れを癒しに映画館へやって来る。そんなお客さんが心の底から楽しんでくれる映画――。それがピストルの弾をさっとよける理屈抜きの強さや、モロわかりの変装がばれない理屈抜きの面白さだったのだ。
昔の武士の強さというのはまさにそういう理屈抜きの強さだったそうだ。
合気道の名人は弾をしっかり避けたらしい。弾が来る前に飛んでくる光の玉を避けるのだ。そうすると実弾を避けることが出来る。白刃取りもそうだ。さきに光の刃が振り下ろされるという。それを取るのだ。あとはその手のあるところに白刃がやってくるだけだ。そうでなければ白刃を受けるなどと言うことが出来るはずもない。
そういう目に見えない強さが武士道にはあったのだ。それを松田定次は探偵アクションものに取り入れだろう。
チャンバラ映画が解禁になってから後は、松田定次は豪華絢爛な時代劇のセットを明るく照らしだし、白塗りのスターの美しい顔を正面から撮った。
最近の研究では、魅力的なスターに見つめられるだけで人間の脳は免疫機能がアップしてストレス解消するらしいが、当時から松田定次はスターの正面性を大切にして、観客がシネスコのスクリーンの真ん中を見ているだけで楽しめるようにアングルを決めた。豪華絢爛なセット(信じられないが屏風や襖絵は毎回新たに描いていた)。博物館に飾られるような綺麗な衣装(これも毎回西陣の問屋で新調される)を身にまとった魅力的なスタァ達(タレントではない!)が常にお客に向かって魅力的に微笑むのだ。
わかりやすく上品に面白く、松田定次の映像は進んでいく。もちろん撮影は名カメラマン・川崎新太郎だ。
世の中は暗い。サイレント映画の昔と同じようにみんな貧しい庶民になってしまった。そんなときこそ娯楽映画の荒唐無稽さ、時代劇黄金期の豪華絢爛さ、綺羅星のごとく輝くスタア達を楽しんでいただきたい。

松田定次監督の「多羅尾伴内」シリーズはキネマ倶楽部から「七つの顔」「十三の眼」「二十一の指紋」「三十三の足跡」が(2002年まで出ていました。現在は販売停止状態)。東映ビデオから「隼の魔王」「復讐の七仮面」「戦慄の七仮面」「十三の魔王」が発売されています。
2002.1.31.更新。2004.5.5.再更新
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イチオシ映画・其の七
さて2001年10月現在、いよいよ世の中が乱れに乱れてきた。やれ戦争だやれ不況だと、もはやストレスは飽和状態。頭使うテーマや物語はもう良いよ、ほっと一息つきたいときがあるもんだ。第一集で紹介した「鴛鴦歌合戦」が“いやし系”時代劇なら、この「まらそん侍」は“なごみ系”時代劇とでもいうのかな?

●「まらそん侍」(1956・森一生)
物語は武士道ものというよりサラリーマンもの。若いサラリーマン二人が上司の娘に惚れてしまってマラソンで競うというもの。主人公の若侍が勝新で、可愛いというか男の子っぽいというか粉ふきイモみたいな顔をしている。親友役は夏目俊二、生真面目で爽やかな二枚目だ。
サラリーマンものに定番なのは勝ち気なお嬢様。後年とげとげした悪女っぽい感じになってくる嵯峨三智子もここではお転婆な家老のお姫様で江戸育ち、人に何と言われようと『あら、へっちゃらよ』なんて可愛らしく自信ありげで適役だ。
その勝新達の恋路を邪魔するのが次席家老のアホ息子で、これが大泉滉。
なにがこの映画の見どころって、この大泉滉のシュールでライトな走りである!この放送コードぎりぎりの走りは、ひょっとしてこのキャラは脳に傷があるんじゃないか?と感じさせ、一見の価値がある。
お城の宝を狙う泥棒はトニー谷。高名なボードビリアンで、私はTV番組「アベック歌合戦」♪貴方のお名前なんてえの?♪をリアルタイムで見ていたときは何も感じなかったが、今日改めて見るととても珍しいタイプの芸人で、お笑い司会者の先駆である。
二人とも飄々としてしかも妙に色気があり、基本的には知的ないい男で、必要以上に騒がしくなく、しかも下品でない。この悪役(?)二人がこの作品に魅力的な味を醸し出し物語を引っ張っていく。
勝新も、お宝を取り返したあと背中にくくりつけ、『ハンデになるが致し方ない』などと言ってマラソンを続けていく。マラソンシーンが多いので屋外のロケが多く開放感を感じさせられぼんやり見ていても気持ちいい。もちろん見せ場のチャンバラシーンもしっかりある。
そして当然物語はハッピーエンド。しかし別に主人公が出世したわけでもないし、お嬢さんを手に入れたわけでもない。が、小市民的にハッピーエンドなとこがまたほっとさせられる。これで良いのだとつくづく思う。
もとネタは1955年11月5日にNHK第二ラジオで放送された「安政奇聞まらそん侍」で伊馬春部が書き下ろしたもの。1時間25分の長時間ラジオドラマで大谷友右衛門、金子信雄、森雅之、芥川比呂志、三木のり平ら、総勢40名が出演している新企画ドラマだ。
戦後の混乱が一区切りし、もはや戦後ではないと言われたこのころ。1958年に観客動員数が11億2千7百万人という、戦後映画界最高の黄金期を迎える。その上り坂の文化の中、肩の力をちょっと抜いて一休み一休みという感じだ。
映画史的にどうという作品ではないし、勝新の代表作でもない。が、「まらそん侍」は急ぎすぎたとき、くたびれたときちょっと見返したくなる、そんな側に置いておきたい愛すべき作品である。

「まらそん侍」は大映ビデオからずいぶん昔に発売されています。TSUTAYAにはあるからレンタルでどうぞ。DVDになってほしい。秋の運動会、マラソンシーズンに最適だ。
2001.10.1/更新。2003.1.12/追加更新。2004.5.5.再更新
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イチオシ映画・其の六
TV時代劇は専門外なのだが、今年リメイクされたことだし、あまりにも良くできた名作なので紹介することにした。お子さまものと馬鹿にする事なかれ。これこそまさにサムライファンタジーの名作だ!

●「仮面の忍者・赤影」(1967〜1968・倉田準二、山内鉄也、他)
いまさら私が「赤影」のストーリーについて話す必要もないだろう。ネット内で検索すれば山ほどヒットする。
ここでは「仮面の忍者・赤影」に至るまでの忍者物の変遷を述べることにする。
「自来也」(1937/マキノ雅弘)の項でも書いたように、尾上松之助のサイレント映画の昔から、忍術使いはドロドロドロンと煙と共に現れて、大蝦蟇を出したり大蜘蛛を出したり(怪物を召還)して戦った。印を結んではテレポートのようにえいと消え、雲に乗って空を飛んだ。映画は舞台劇とちがって、ぱっと消えるのは簡単だ。かくて忍術映画は始まった。「自来也」をはじめ近衛十四郎の「忍術千一夜」(1939/大伴龍三)など、ドロンパッと消える忍術映画が山ほど撮られた。
戦後の「笛吹童子」(1954/萩原遼)でも大友柳太朗の忍術使いは竜に乗って登場し、「里見八犬伝」(1954/河野寿一)でもぱっと消える忍術使いや妖術使いが登場する。

それが、戦後の時代小説や剣豪小説のブームでしだいに忍術使いにもリアルさが求められるようになった。劇画や漫画でも、「伊賀の影丸」でスポーツトーナメントのような闘いが描かれ、「忍術武芸帖」「サスケ」では忍者は戦乱の世を生き抜く生身の人間として描かれ、忍術を科学的に解明しようという試みがなされている。
映画も、忍者を戦乱の世の中を生き抜く生身の男として描いた「忍びの者」(1962・山本薩夫)などが生まれるようになった。ここではもはや忍者はテレポートなどしない。市川雷蔵演じるところの忍者は常人と同じように生活し、政治の流れの中で生き、悩み傷つき、恋をする。この作品は従来の忍者のイメージを刷新した。
すべての家庭に普及しだしたTVでは、宣弘社念願の時代劇「隠密剣士」(1962〜1965)がはじまり、子ども達の間でも忍者ブームが起こった。大瀬康一、牧冬吉、天津敏ら、TV時代劇スターが生まれた。主人公と大敵はワンクールごとに対決するのだが、けっして蛇や蝦蟇を召還しない。手裏剣や剣で勝負を争った。視聴者に対して忍者道具の解説などがあり、忍術を鍛えられた体術としてとらえていた。
おかしなもんで政治が不安定なときや不況の時は皆さん自由で強い忍者にあこがれるらしい。安保で揺れる日本中で、小説・漫画・映画・TVと、どちらを向いても忍者がいた。「梟の城」(1963/工藤栄一)「十七人の忍者」(1963/長谷川安人)などなど…。もはやどの忍者もぱっと消えなかった。
ーーーそして、そのリアルタイプの忍者物の頂点が「イチオシ映画」第一集でも紹介した「忍者狩り」(1964・山内鉄也)である。
従来の忍者ものはリアルタイプになったと言っても当然スターが演じていたので明るく顔が写っていたが、この作品ではそれもやめた。古典的な表現手法をやめたのだ。大敵役の忍者・闇の蔵人は闇の中に潜んでいて姿も顔も見えない。派手な術も使わない。
一方、主人公は今まで必ずヒロインがあてがわれていたのに、今回は女っ気はなし!しかも目的のためには無実の者を容赦なく殺戮する主人公だ。古典的な表現を避けたので、主役と大敵の対決シーンのチャンバラもない。(近衛十四郎VS天津敏なのにもったいない!)闇の中で後ろを取り合うだけだ。
リアル=古典的パターンの否定という、実験的でなおかつ劇画的な面白さに満ちたとても優れた作品になった。

が、リアルが行き着くと、原点に返るのか、この「忍者狩り」のあと山内監督は1966年に自来也物「怪竜大決戦」(脚本・伊上勝)を撮っている。大友柳太朗が見得を切る古典的な手法だ。同年始まった「ウルトラQ」の影響か、蝦蟇や竜を召還するのではなく、主人公達自身が怪物に変身するところが目新しい。
同じ年に白土三平の漫画を原作とした「ワタリ」(1966/船床定男、脚本・伊上勝)が撮られた。ワタリ・金子吉延、四貫目・牧冬吉、大敵役に大友柳太朗と天津敏だ。これはサイケデリックな当時流行のケバケバ色彩と荒唐無稽な面白さが加味された作品でサイボーグ忍者まで登場する。今日見るとたいへん面白い作品だが、リアルで思想的な原作とかけ離れていた。おかげで白土三平にはいたく不評で、TV化の話が消えてしまったという経過がある。
「ワタリ」のTV化の話がつぶれて、そこでやっと「仮面の忍者・赤影」の話になる。
白土三平がダメならもう一方の忍者漫画の雄・横山光輝だ、ということで急遽、横山光輝原作で「仮面の忍者・赤影」(1967〜1968・倉田準二・山内鉄也、脚本・伊上勝)が撮られることになった。赤影・坂口祐三郎、青影・金子吉延、白影・牧冬吉、甲賀幻妖斎・天津敏だ。
脚本家の伊上勝が、この二人は絶対だ!、と推薦したので白影は牧冬吉、大敵役の甲賀幻妖斎は天津敏になった。TV草創期の宣弘社時代からの仲間だ。伊上勝は二人の魅力を存分に知っていた。そして主役を引き立てるバイプレイヤーとして素晴らしいキャラクターを創りあげたのだ。
「仮面の忍者・赤影」は、ぱっと消えたり空を飛んだりする荒唐無稽なサイレント映画時代の面白さと、変身物や怪獣物などSFの面白さを併せ持った、とても実験的で斬新な作品になった。
面白いことに初回にやはり巨大蝦蟇が出てくるのだが、術で召還するのでもなく変身するのでもなく、蝦蟇法師が小さな蝦蟇から大切に育てて巨大蝦蟇にしたところがご愛敬だ。蝦蟇の術も変化し、とうとう怪物ではなくペット化してしまった(笑)。ちなみにこの蝦蟇は「怪竜大決戦」の蝦蟇がリフォームされて使われている。
メイン監督の倉田準二は次々アイデアを出しては実行していった。当時のスクリーンプロセスは時間と金がかかった。16ミリでは出来ないので特撮部分だけ35ミリで撮って合成した。たしかに不自然な合成や釣り糸が画面に見えるが、演出の面白さがそれを上回り、そんなものは気にならない。大胆な色使いも美しい。
役者も監督やスタッフと相談し、衣装合わせの段階からアイデアを出し合った。東映大部屋個性派総出演だ(なんて贅沢!)。昼はロケ、夜はセットと3日徹夜で撮り、アフレコでまた全員集合して丸一日。丁寧に、しかもスタッフも役者も熱く、のりにのって作られた作品だ。そのエネルギーは今日見ても伝わってくる。
第一部「金目教編」の最終話など、金目像(巨大ロボット)の中のエレベーターで上下しながらの殺陣があり、そのセンスは今見ても斬新だ。(スター・ウォーズまでまだ10年もあるのに!)
が、後半の三部・四部は忍者物を離れ、怪獣物になっていく。世の中はウルトラ一色に染まり、敵もヒーローも宇宙から飛んでくる時代になっていた。そして脚本家・伊上勝はこの3年後にとうとう「仮面ライダー」(1971・竹本弘一、山田稔)を書くことになるのだ。「人造人間キカイダー」も1972年から始まり、ヒーローは機械仕掛けになっていく。生身の人間である忍者がヒーローの時代は去っていったのだ。

「仮面の忍者・赤影」は忍者物の行き着いた果ての名作である。特撮物としても過渡期にあり、その凝縮された作品世界は一見に値する。特に第一部「金目教編」は、荒唐無稽なサイレント映画の流れを汲む忍者物の最高傑作である!!
DVDBOXが東映から発売中。「金目教編」は必見だ!
2001/9/1/更新。2004.5.5.再更新
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イチオシ映画・其の五
『色気の極意は禁欲である』と、このイチオシ映画コーナーでは何度も述べている。
が、世の中には『質より』と言う方も確かにいらっしゃることだし、べつにそれが悪いとは言わない。人の好みは様々だ。こういう方々のおかげであらゆるメディアは発展してきた。
で、今回はそういう『質より』の色気(?)の娯楽時代劇の傑作をおすすめする。

●「忘八武士道」(1973・石井輝男)
原作は小池一夫。こう聞いただけで爆笑する人はあきらかに業界人である。小池一夫はかの有名な娯楽時代劇小説の大家・山手樹一郎の最後の弟子である。で、そいでもって、昔はさいとうたかをのさいとうプロで原作書いてたりしてた。
さいとうセンセいわく、『小池の脚本は、前半はとても良くできているのだが、後半はなあ・・・っ』とか?まったくそのとおりである。小池一夫の原作の特徴は、設定は個性的で面白く、導入部もたいへん優れているのだが、連載を続けているうちに主人公の性格がでたらめになっていき、どんどん話が見えなくなって竜頭蛇尾に終わってしまうのだ。
それだから小池一夫の原作にはそれをカバーする優れた演出能力のある絵描きが必要なのだ。「子連れ狼」の小島剛夕、「拳神」の松森正、「フリーマン」の池上遼一などなど…優れた劇画家がつけばその欠点を修正して一見ものすごい名作のようなふりをしてお客さんを引っ張っていってくれるのだ。
で、この「忘八武士道」は欠点を修正するタイプの監督がついたかというと、全然そうではなく(笑)、石井輝男という爆笑&エネルギーが持ち味のカルトの鬼才が演出しているので、もう欠点を修正するどころか、とんでもねー×二乗で、爆笑もいいとこである。
「忘八武士道」、正確には「ポルノ時代劇・忘八武士道」である。原作はスポーツ新聞連載の小島剛夕描くところの劇画である。小池一夫はおそらく編集者の注文で裸をいっぱい出さなければならなかったんだろう、それで郭を舞台にした。主役はそこの用心棒。たいへんわかりやすい設定だ。丹波哲朗が大浴場の女風呂に入ったと思いねえ(笑)あとはその女風呂に次々刺客が襲ってくる。まさに質より量!のお色気シーンの連続だ。
なによりあの、ひし見ゆり子(アンヌ隊員!)が脱いでくれるというだけで喜ぶファンも多いはずだ。もっとも私はちっとも喜ばんが…(^^;
かくて女優たちは脱ぎまくり。だが、丹波哲朗や伊吹吾郎、内田良平など、男優たちはピクリとも脱がないので(丹波は脱いでもマグロ)、こちらは量よりでたいへん色っぽい。こっちのほうが私は喜ぶ。
これ以上書くこともない(笑)女のハダカが大量にあるだけだ。新宿TSUTAYAに大量に入荷してあるから見れば解る。せめて足袋くらい履かせて欲しい。
そして、このギャグ以外の何者でもないとんでもない原作を、みごとに印象的な娯楽時代劇として創りあげた石井輝男。石井監督と「忘八武士道」についてはワイズ出版の「映画魂・石井輝男」(3800円)が詳しいのでそちらのインタビューをおすすめするがーーー、とにかくその独創!そのエネルギー!お耽美のカケラもない演出!ラストシーンの殺陣もすばらしく、たとえレンタルビデオ屋のエロコーナーに並んでいるとしても、純粋に娯楽時代劇の傑作だと自信を持って私は言える。

「ポルノ時代劇・忘八武士道」は東映ビデオから出ています。ひし見ゆり子の裸を見たい人必見!
2001/8/1更新。2004.5.5.再更新

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イチオシ映画・其の四
世の中に変な映画はわんさかある。変な監督が撮った変な映画でファンがついているものは、カルトという名称でくくられる。時代劇映画でカルト!といえばこの人、中川信夫監督である。――いったい何考えてんだろホントに!?

●「東海道四谷怪談」(1959・中川信夫)
時代劇の怪談ものでイチオシは何か!?といえばこの「東海道四谷怪談」「怪談・お岩の亡霊」(1961・加藤泰)が人気を二分する。
後者は鶴屋南北の古典的な物語をリアルに再現し、若山富三郎・近衛十四郎・桜町弘子の熱演もあって見応えのある作品に仕上がっている。
そして前者の「東海道四谷怪談」はクライマックスではずしまくって(爆!)いるにもかかわらず、魅力があり、いまも映画ファンを引きつけて止まない。
異論はあろうが、とにかく私は中川信夫賛美はしないぞ。それはマニアファンにお任せする。はっきり言って誰もが賛美できる作風ではない。見ながら『ちがうんじゃないの!?』とか『なんでこーするの!?』とか思わず突っ込み入れたくなるからだ。
しかし、世評の高い(笑)亡霊シーンに突入するまでは、カラーは美しく、物語はテンポよく進み、飽きることはない。物語は皆さんご承知のとおり、伊右衛門がお岩を出世のために毒殺する。そして化けて出られる。伊右衛門は半狂乱で花嫁一家を惨殺!按摩を斬り、直助を斬り、もうそこらじゅう斬りちゃちゃくりで自滅していくのである。

何と言っても民谷伊右衛門役の天知茂が素晴らしい。天知茂に関しては私がいまさら言うまでもなく、これ全身色気の固まりで、これだけ色っぽく美しい民谷伊右衛門なら、惚れられて当然、裏切って当然、恨まれて当然、化けて出られて当然である。ルックスだけでなく、もちろん演技的にも文句無しだ。
お岩役は若杉嘉津子。これまた瞳に力があって、演技力もあり押し出しもある美しい化け物女優である。残念ながら(と言うべきか?)見せ場の亡霊シーンはとてもじゃないが恐がれない。中川の演出はお化け屋敷のような(一歩間違えばギャグの)驚きに満ちている。チープな見世物小屋のようにの飛び出るだけでは女優も演技のしようがない。が、ラストシーンで復讐成就した亡霊が聖母のような表情に戻るところが印象的で美しい。
中川信夫監督の亡霊ものは他に、丹波哲朗&若杉嘉津子の「怪談累ガ淵」(1957)がある。丹波も若杉も良いが、やはりちっとも怖くない(笑)
現代物では「地獄(1960)が日本映画史に燦然と輝くほど、変で有名。「憲兵と幽霊」(1958)は天知の悪の魅力満載で、女性ファンがキャーー!天知ィ!と叫ぶこと請け合い!もちろん私もしっかり叫んだ(笑)でもやはりちっとも怖くない。うう……(^^;
それでもとにかく一見の価値はある、この「東海道四谷怪談」。伊右衛門が直助を斬り倒した瞬間、畳が沼となり、スローモーションで倒れ込むシーンなどは忘れがたい。これらの撮影エピソードについては「若杉嘉津子」(ワイズ出版刊)に詳しく書かれている。

この夏、中川信夫のゲテモノ怪談で暑さをしのぐというのがカルトファンの王道だろう。
DVD「東海道四谷怪談」はBMEから発売中。他の中川作品もマニアの希望が高く(笑)、つぎつぎとDVDで出ています。マニアなら必見だ!!
2001/7/1更新。2004.5.5.再更新

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イチオシ映画・其の参
山本周五郎ものは時代劇映画名作文芸路線の定番となっている。
「冷飯とおさんとちゃん」「さぶ」「雨あがる」「どら平太」などなど数多く作られたが、最も楽しく最も傑作で、しかも山本周五郎本人イチオシが、この「暴れん坊兄弟」である。

●「暴れん坊兄弟」(1960・沢島忠)
周五郎物の主人公は、集団の中で常に疎まれている存在だ。
昼行灯とか腰抜けとか、無能で物笑いの種である。が、どっこいその主人公が実は並外れた才能を持っていて、ここ一番というときお家の大事に役に立つ。それをしっかり分かっている恋人や女房も登場する。
まことにサラリーマンに受けそうな話作りである。しかし、映画化されるとなぜかこのうえなくイヤミったらしい主人公になってしまうのが周五郎物のへんな特徴だ。
能ある鷹は爪を隠す状態も、やりすぎはざーとらしい。また、それを支えるしたり顔の女房など、夫に輪をかけていやみったらしく、私は内助の功をしている賢妻ですと言わんばかりである。こういうキャラはロコツに女性に嫌われる。

だが、この「暴れん坊兄弟」はそうではない。
ぼけーーっとしている主人公(東千代之介)は、根っからぼけーーとしている。能ある鷹でもないし隠す爪もない。その彼がいきなり殿様(中村錦之助)から汚職を暴けと命じられる。おまけにそのぽけ兄ちゃんにはせっかち弟(中村嘉津雄)がついていて、弟は弟で『私はいまだかつて慌てなかったことはありません!』と断言するほど騒がしい。
彼らの恋人もしたり顔のイヤミ女ではなく、お引きずりできゃあきゃあはしゃいで言いたい放題。まさに元気いっぱいの現代女性で、たまたまそういうタイプの男性が好みの女性として描かれている。
汚職の片棒を担ぐサラリーマン(田中春男)も悪事がばれそうになると『家に帰ると10人の子どもが待ってるんですぅ〜〜!』と上役に泣きつく。
キャンプファイヤーで気勢を上げ、汚職を暴くのだと威勢だけはよい青年隊の面々もロコツに体育系で、そのテンション高い脇役達がいっせいにシネスコ画面をところ狭しと暴れ出す。モブシーンの派手さも東映時代劇黄金期の見所の一つである。もちろん主人公も怒りの頂点に達するとウオーーーッッと奇声を上げて走り出す。丸太んぼうを振り回し汚職役人に投げつける。
主人公は無能とか有能とかではなく、ココロの温かさを持っているタイプに描かれている。人と争うわけでなく、見下すわけでもなく、責めるわけでない。そうして人々の心をつかんでいく。そこに押し付けの道徳感は感じられない。まさに温かき心は万能なりーーである。
東千代之介も美剣士役ではなく、本来の性格の(笑)ぽけーーとした役柄なのでのびのび演じ、これを東千代之介の代表作にしている。
この「暴れん坊兄弟」については「完本・チャンバラ時代劇講座」(橋本治著、徳間書店刊)で詳しく述べられている。
沢島忠のスピーディーでテンポの良い演出、鷹沢和善の元気いっぱいの脚本。スターの若々しさ、女優の華やかさ、個性的で芸達者な脇役達、エネルギッシュなモブシーン。面白く、暖かく、元気があって痛快で、まさに東映時代劇の青春まっただ中の作品だ。この面白さはぜひとも映画館で。

「暴れん坊兄弟」は東映ビデオから発売中。山本周五郎イチオシの娯楽時代劇の傑作だ!
2001/6/1/更新 。2004.5.5.再更新

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イチオシ映画・其の弐
第一集でも触れたが、色気の極意は禁欲である。己の性を否定すればするほど、それはセクシーな世界に突入していく。そのもっとも解りやすい例が東映任侠路線「緋牡丹博徒シリーズ」である。

●「緋牡丹博徒シリーズ」(1968〜1972)
戦後、日本は高度成長時代に入った。チャンバラが遠い世界になり、正義の味方が遠い存在になってしまった時、東映は任侠路線という準・時代劇を創り出した。
これは『ちょんまげのない時代劇』だった。
時代は明治〜昭和初期。昔ながらの義理と人情の世界である。古い親分さんが仕切る町を新興ヤクザが乗っ取ろうとする、あるいはあこぎな博打で村の人々を苦しめている。それを主人公が町の人に代わってドスを抜き悪徳ヤクザをやっつけるという、勧善懲悪の物語である。
なにせ東映だから、役者は全員主役から端役に至るまで個性的でテンション高いの何の!東映任侠ものを見慣れてしまうと他の会社の役者がすべてチンピラに見えるほどだ(笑)。
そのヤクザな男ばかりの仁侠映画に咲いた一輪の華――、それが藤純子演ずる緋牡丹のお竜である。矢野一家の二代目・矢野竜子、人呼んで緋牡丹のお竜。父の仇を討つ一作目から八作目まで作られた大ヒット作である。
いずれもあくどいヤクザのやり方に毅然とした態度で立ち向かう。とにかく女の目から見ても絶対に美しい。きりっとして強くてかっこいい。(しかも設定では処女!)
誰も手を出せないお竜さんは時代劇の流れを汲む、男装の美剣士の役なのである。それでいて決して女に戻ることのない禁欲の美剣士なのだ。

シリーズ8本の中では加藤泰監督の「緋牡丹博徒・花札勝負」(1969)が傑作だと評判が高い。が、名作は早い時期にビデオ化されてしっかりTVサイズに切られている。
そこで今回はTVサイズに切られていないものの中から「緋牡丹博徒・二代目襲名」(1969/小沢茂弘)をお奨めする。この作品は北九州に陸蒸気を引くために奮闘した実在の女侠客がモデルになっているので、ヤクザ映画が好きでない人にも楽しめる作品になっている。
商売敵のあくどいヤクザ(天津敏)の嫌がらせに我慢に我慢を重ねるお竜。そして事業をやり遂げ、陸蒸気を走らせた暁には決闘状を叩き付け、命を懸けた決闘にお竜は赴く。♪娘ざかりを〜渡世にかけて〜張った身体に緋牡丹燃ゆる〜〜♪とヒロイン自ら唄うテーマソングが流れる。
死地に赴く道行きの連れは大スター高倉健と待田京介。彼らは決してお竜さんに手をださない。異常なほどの禁欲。恋心を表すために男達は皆、お竜さんと死地に赴くのだ。このストイックな道行きこそ、仁侠映画の美学なのだ。
すると決闘場所には、これまた笑っちゃうほど女っ気のない大敵役――ごつくてでかくて強い、ヤクザのお仕事一筋の(笑)天津敏が待っている。その天津敏が決闘にやってきたお竜さんに『いっぺんかた抱いちみたかったのう』と性を意識させるセリフを吐く。お竜の中の女を抱きたいのか、男の部分を抱きたいのか、この辺が微妙である。
藤純子が不世出の女任侠スタアなら、天津敏も不世出の悪役スタアだ。とにかくたたっ斬るなら強い悪役が良いに決まってる。しかも助っ人に高倉健。東映任侠映画で禁欲な色気においては、この健&敏&純子のトリオが最高である。
敏は健をたたっ斬る!そしてもちろん藤純子は天津敏をたたっ斬るのだ。
シリーズ8作とも『わいは女じゃなか、男たい!』とお竜は主張する。が、お竜を取り巻く男達は認めない。敵はお竜を女のくせにと笑い、味方はこんな世界から足を洗って幸せな家庭を築くように薦める。
そして、なんと、お竜はそのとおりにした。東映のテンション高い連中と正反対の梨園の御曹司といきなり結婚し、人気絶頂にも関わらず寿退職してしまったのだ!
「関東緋桜一家」(1973/マキノ雅弘)を引退映画として時代劇最後の美剣士・藤純子は去っていった。
純子の代わりは誰も出来なかった。残った男優スター達ががんばっても人気を盛り返すことは出来なかった。東映の準時代劇路線はちょうど10年で幕を閉じ、このあと「仁義なき戦い」路線や「実録シリーズ」路線に突入していくのだ。それは戦後の広域暴力団の実録物語で、当然、禁欲も正義も何もなかった。
――時代劇の美学は最後の美剣士の引退とともに終わったのだった。さらば藤純子!さらば仁侠映画!さらば!さらば時代劇!
純子は時代劇最後の仇華だったのだ。

「緋牡丹博徒シリーズ」は東映ビデオから出ています。もんくなくかっこいい、時代劇の流れを汲む最後の美剣士をぜひご覧あれ。
2001/4/1更新・6/1改稿。2004.5.5.再更新

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イチオシ映画・其の壱
さて、「イチオシ映画」もおかげさまで第二集目となった。
ここでは「イチオシ映画」第一集で紹介されている作品を見ている方、もしくは時代劇映画ファンを対象に話していく。
今回は「イチオシ映画」のトップを飾る妻さんの「血煙高田馬場」と同時期に公開された正月映画、「自来也・忍術三妖伝」を紹介する。二本ともマキノ雅弘監督作品で、二本とも大入り満員大盛況だ!マキノ雅弘えらいっ!

●「自来也・忍術三妖伝」(1937・マキノ雅弘)
忍術映画は日本映画草創期のマキノ省三の時代から作られた。
据え置きカメラのフィルムが取り替えられている間に役者が一人トイレに行って居なくなった。マキノ省三はそれに気づかず撮影。現像して見て驚いた、役者が一人ぱっといきなり消えたのだ。かくて忍術映画は始まった。
目玉の松っちゃんが印を結んで唱えると、ドロンドロンと煙とともに巨大蝦蟇が現れる。その蝦蟇の上に乗って敵を睨み付ける自来也小僧。講談の主人公である。当時の少年達は狂喜し、映画は大・大・大ヒット!マキノ省三は道行く子どもから石を投げられ、『うそつき!印を結んでもちっとも消えへんわ!』とののしられ、『かんにんなぁ、かんにんなぁ』と謝ったという。
その後、ででんでんでんの歌舞伎調の殺陣から離れてリアルな殺陣をマキノは追求していくのだが、それでも講談物は人気が高く、自来也の物語はサイレント時代からトーキー、シネスコ、カラー、TVに時代になってまで時代劇映画史の中で繰り返し作られていったのだ。
「児雷也」(1937・山内英三)「忍術児雷也」(1955・萩原遼・加藤泰)「妖蛇の魔殿」(1956・松田定次)「怪竜大決戦」(1966・山内鉄也)…。はてはTVの「仮面の忍者赤影」(1967〜1968)にも巨大蝦蟇が登場する。「世界忍者戦ジライヤ」(1988〜1989)なんてのもある。
さまざまな役者、さまざまな監督がこの自来也物を撮ったが、何と言ってもこの「自来也・忍術三妖伝」(1937・マキノ雅弘)である。

とにかく面白い。主演は片岡千恵蔵。まだ細かった。素晴らしく速いテンポで物語が進んでいく。勧善懲悪の単純な物語で説明シーンは極力少なく、映像表現は忍術映画の楽しさに満ちている。今日のスポーツマン的な忍者ではなく、印を結び、すうっと現われ、すうっと消える。超能力者のテレポートのようだ。巨大蝦蟇の使い方もその他大勢の侍の動かし方もマンガ的な演出で理屈抜きに楽しめる。
これ以上の説明は要らない。問答無用。この楽しさは見れば分かる。
綱手姫とともに仇を討って『泣け!叫べ!喚け!吼えろ!ぐわあははははは!!』と高笑いする千恵蔵のアップで完!56分のシンプルな傑作である。
これがメチャ受けしたのか、20年後、千恵蔵はやはり同じ自来也役をやっている。「妖蛇の魔殿」(1956・松田定次)初のカラー忍術映画だ。さすがに年を取っていて忍術使いの爽快感がない。が、そのぶんライバル役のおろち丸が早く登場する。この月形が物語りの興味を引っ張っていく。二人のライバル対決は見ごたえ十分!クライマックスはおろちが火を噴き、それを一瞬にして千恵蔵が焼き払うという特撮シーンなのだが、何度見ても合成ではない(笑)
「妖蛇の魔殿」は千恵蔵と月形の対決が楽しめるが、忍術映画としての楽しさに満ちているのは「自来也・忍術三妖伝」である。マキノ雅弘も松田定次もマキノの撮影所で育ったマキノ省三の息子である。この兄弟監督の作風の違いを比べてみるのも面白い。

「妖蛇の魔殿」は東映ビデオから出ています。
ちなみに「忍術児雷也」(1937・加藤泰、萩原遼)と「続・忍術児雷也・逆襲大蛇丸」(1937・加藤泰)はDVDで発売で発売中です。加藤泰ファンはどうぞ。蝦蟇の肩もみはマニア必見もの。
そして、「自来也・忍術三妖伝」はキネマ倶楽部から(2002年まで出ていました。現在は販売停止状態)。千恵蔵ファンは必見。マキノ雅弘ファン必見!戦前の特撮に興味のある方必見。すべての忍術映画の原点がここにある。
2001・3・3・更新。2004.5.5.再更新
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