★敏ちゃんてどんな人?★
■天津敏(1921〜1979)あまつ びん
1921年2月16日生まれ。魚座に近い水瓶座のA型。
宮城県の生まれ。佐藤敏。父親が校長、母親も兄弟も教師の教職一家で育つ。水泳が得意、歌が得意な少年だった。宮城県立師範学校卒業後、教職に就く。戦時中は海軍に。海軍一賢優秀で美しい、少年水兵達の教官となる。
1944年、かね子夫人と結婚。天都敏となる。戦後は教職に戻らず、夫人の鎌倉の実家の工場を手伝う。三浦半島中の水道工事をし、三浦半島一もてる男となる。
1953年、32才で東宝のニューフェースとして初めて映画界入りし、天津敏となる。初出演は「北海の虎」(1953)の船員役。1964年まで「あんみつ姫」「おトラさん」「愛の歴史」「三十六人の乗客」など東京映画にド端役で出演。1955年にはKR(現・TBS)のオーディションに受かり、初のTV連続時代劇「江戸の影法師」、「鞍馬天狗」「鳴門秘帖」などの生放送時代劇に出演し、最も美しく色っぽいド端役役者となる。
1959年に、西村俊一企画の「豹の眼」、「怪傑ハリマオ」など、宣弘社制作の国産ヒーローもの連続TVドラマにレギュラー出演。やっとまともな役が付く。と、いっても豹のかぶりものをしているのだが・・・(^^;
1962〜1965年の宣弘社念願の時代劇「隠密剣士」が大ヒット!忍者ブームが起こり、天津敏演ずるところの大敵役・風魔小太郎(必見!)が当たり役となる。これが天津敏のTV・映画への本格的デビュー作で出世作となり、敵役・天津敏の名を世間に知らしめた。が、このときすでに43才だった。
1964年、「隠密剣士」のヒットで、天津敏はTVのブラウン管から映画の銀幕に逆輸入され、「忍者狩り」(1964)の闇の蔵人役で東映初出演。集団抗争忍者物の代表作とする。
でかい!強い!恐い!、しかも182センチの長身で渋いマスクという、申し分ない敵役ぶりをマキノ雅弘監督と俊藤浩滋プロデューサーに買われて東京映画から東映へ。「日本侠客伝」(1964)以来10年間、高倉健、鶴田浩二、藤純子、若山富三郎、菅原文太など大スターを向こうにまわし徹底的な悪人(客観的に見れば近代産業の担い手)を演じて、準時代劇と呼ばれる東映任侠路線を代表する悪役スターとなる。
が、東映専属にはならず、松竹大船の「土方歳三・燃えよ剣」(1966)などにも出演。TV出演も多く、1967〜1968年の「仮面の忍者赤影」の甲賀幻妖斎役はあまりにも有名である。
東映任侠路線の後も千葉真一の「激突!殺人拳」(1974)や志穂美悦子の「必殺女拳士」(1976)など、一貫してアクション物の敵役を務める。
1976年、NHKの朝の連ドラ「火の国に」で、これでもかと言うほどの善役もこなし、こののち最も美しく色っぽい善役老人になろう・・・というとき、1979年6月、脳内出血で倒れ、7月24日、心不全で死亡した。58才だった。
ーーーいまどきの悪役はサイコや訳ありばっかりだ。これでは主役は引き立たない。天津敏の悪役は純粋に私利私欲のために生きる悪役だった。知的で男らしく、責めて恐く、受けて色っぽい、とてもリバーシブルな敵役。
43才から亡くなるまで、たった15年間、悪役一筋に賭けたオヤジの星。
そういう意味でも天津敏は不世出の悪役である。
■映画代表作
「隠密剣士」(1964)、「続隠密剣士」「忍者狩り」(1964)、「日本侠客伝シリーズ」(1964〜1970)、「緋牡丹博徒シリーズ」(1968〜1972)、「日本女侠伝シリーズ」(1970〜1971)など。
■TV代表作
「隠密剣士」(1962〜1965)、「仮面の忍者・赤影」(1967〜1968)など。