Web diary 抜粋版
ここでは今まで「Web diary」で綴ってきた日記のうち、福祉に関係した内容について「切り抜き」の形で載せたいと思います。
というのは・・・改めて自分の書いたことを読んでいるうちに、「この日記の内容については、ちょっと多くの人に読んでほしいな」というものがあるのにもかかわらず、日記を書くために流れていってしまうために「過去の記事」扱いになってしまうのが惜しいと感じたため、こうやって切り抜き版を作ることにしました。あくまでも「私見」に過ぎませんか、何か感じてもらえれば幸いです。
| ●2004/01/15 Thu 同世代(編集談:仕事をしながらふと思ったこと。) |
ようやく正月気分もぬぐい始め、毎日コツコツと仕事をこなす。 今日は利用者のアセスメント(簡単に言えば、作業・生活評価)も行って、ここにきて「あぁ、仕事しているなぁ・・・」と実感。 もちろんいつもの仕事もやっているけど、アセスメントを見て、通常の作業に戻るときにしみじみ実感したこと、それは「自分とタメの利用者が意外といる」と言うこと。自分が担当している利用者の1人は自分と同い年だし、辺りを見回してみると自分と同い年の利用者が5・6人ぐらい居る。あくまで彼ら・彼女ら(こう表現はあまりよくないけど・・・)と自分との関係は「職員と利用者」であるため、決して友達になることはない。だけどもし彼らに「障害」がなかったら、彼らはどんな人生を歩んでいるのかなぁ・・・と思うことがある。もしかしたら自分みたいな職業についている人もいるかもしれないし、フリーターをやっている人がいるかもしれない。または渋谷や新宿に屯していたり遊んでいたりするかもしれない。 こんなことを考えると、なんだか妙な感じがする。表向きには「利用者と職員は対等」といいながらも実際の現場では少なからずとも「職員と利用者」という「上下関係」が生まれている。同い年でありながら利用者に対して「○○しなさい」といっている自分に違和感を覚えているのも事実である。きっとこのことはずーと考え続けることなのかもしれない。
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| ●2004/01/11 Sun ユニバーサルデザイン・バリアフリー(編集談:テレビを見ていて改めて感じたこと、それがこれ。) |
今日の報道特集で「ユニバーサルデザインの旅行」が紹介されていた。もっともテーマの主題は「障害者と健常者が差別なく・・・」と言うところに重きがあったかな、との印象。 だけどテレビを見ていて「やっぱり日本は遅れているなぁ・・・」とつくづく実感。何が遅れているかって、「心」や「考え方」の部分が違うと感じた。ただ、このことを「遅れている」と言ってしまうのは、若干問題があるかなぁ・・・とも思う。と言うのは、こういったことを「遅れている」と言う言葉で片付けられるものであるのかが疑問だから。また今回取り上げられていたのは主に身体に障害がある人であり、知的に障害がある人に関しては触れられていなかった。私自身は知的障害に関する部分に接している人間なので、「見えない障害」についてももっと取り上げてほしかった。 同じことは、一昨日の読売新聞夕刊に掲載された「安心の設計−障害者の就職」でも言える。この記事で紹介されたのはやはり「見える障害」であって「見えない障害」については触れられていなかった。もちろんこの記事で紹介された仲介企業は「見えない障害」に対しても対応をしている企業であるが、記事としてかかれていないと言うことは、やはり難しい現状があるのかもしれない。 もちろん身体だろうが知的だろうが、その障害の軽重や内容に差があっても、本質的には相違はないはずである。しかしながら実際は身体の方が「障害者雇用」「障害者サービス」と言う面は進んでおり、その理由が「わかりやすい」と言うのがあるかもしれない。自分が専門学校で勉強したときは「バリアフリーをさらに進めた考え方がユニバーサルデザイン」と勉強していたが、本当は「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」は考え方そのものが違うのかなぁとも感じる。いわゆる「見える」ものは「ユニバーサルデザイン」であり、「見えない」ものは「バリアフリーの考えが大事なのかなぁ・・・とも思う。 でもこれを話すと長くなりそうだから、もう少し考えがまとまってから話そう。
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| ●2003/07/01 Tue この仕事に就いているからこそ(編集談:この子は今でも駅で見かけますが、この日以降私の近くには寄ってきません・・・笑) |
今日から7月。働き始めてからは丸2ヶ月が経ったけど、暦の上ではもう半分を終えたんですね。現場に立っている自分にとっては「まだ2ヶ月しか経っていない」という思いが歩けど、暦で考えると「もう1年のうちの半分が終わったんだな」という、相反する思いを抱く今日この頃。 そんな中、自分の考え方や行動に関しても若干の変化が。 特に最近は「マナー」に関してかなり厳しく考えている自分がいる。ケース会議のときはこのことを取り上げて撃沈したが、それでもなお、自分の中では「社会で生活をしていくためには、ある程度のマナーは身に着けなければならない」という考えを持っている。だからこそ、マナーに関しては人一倍厳しくなっている気がする。 今日の帰り道、(知的)障害者らしき人が電車に乗っていた。その人は周囲の人に話しかけており、話しかけられた人はまったく面識がない様子であった。まぁ自分のところに話しかけてきたら一言言おうかなぁ・・・と思う程度であったが、これだけは言わなきゃいけないことがあった。それは「順番を守らない」ということ。話しかけるのを夢中になって、その人は電車を待っている人の列の最前列までやってきた。そしてその最前列にいたのは、俺。やがて電車がホーム到着し、その人が電車に乗ろうとしたところで、俺が一言。 「ちゃんと順番に並びなさい」 さすがにこれだけは見放すことはできない。順番関係なく乗ろうとしているのは、明らかにマナー違反であり、社会で生活していくためには必要なこと。恐らく周りの人はあまり係わり合いを持ちたくない、という理由から何も言わなかったかもしれないが、俺は違った。やはり今の仕事に就いているからこそ、こうやってはっきりと言うことができるのかもしれない。 たとえ障害を持っていたとしても、その障害が免罪符になることはまずありえない。知的障害を理由にマナーを守らないでも良い、そんな理由はどこにもない。だからこそ、間違っていることをしたらちゃんと指摘すべきであろう。 ただ・・・今の世の中、障害者でなくともマナーを守れる人が少ないのだから、「ちゃんと指摘する」ことを要求するのは難しいのかもしれない・・・
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| ●2003/02/15 Sat 理想か、現実か・・・(編集談:就職活動を続けながらも悩みぬいていた時期に書いた日記) |
昨日は老健の面接。まぁ面接と言っても「話を聞きながら」って感じのもの。面接時間は占めて1時間、お茶まで出てきて・・・やっぱり学校の「求人票」で行くのとハローワークの「紹介状」で行くのでは違うのかなぁ。だけど面接の内容はかなり現実的。 だけどやっぱり気になる点もあったのは事実。その中で一番気になったのが「業務内容」について。仕事の内容について「利用者を入所させること。入所させた人数で評価する」とのこと。別に「入所させる」ことについて文句があるわけじゃない。言いたいこともわかるし、何故そういうことが必要なのかと言うことも面接の話の中で理解できた。仕事の厳しさや辛さも十分に承知している。実際に面接をした担当の人の話を聞いていても、その人の考え方から決して悪い(?)ところばかりの施設ではないことはわかった。考え方も共感できる。特に不満はないと思う。 だけど・・・1つだけ違うと言えば、自分は「在宅」志向の人間。できる限り生活をしている在宅で、地域の中で支援をしていきたいという考えを持っている。だからと言って施設の存在を否定することはない。当然、施設を必要としている人がいるのだから、施設への「入所」は当然必要だし、入所待機している人の数も多いと思う。だけど、だからと言って「入れればいい」という問題ではない。施設は在宅での支援に馴染まないとき、限界があるときに初めて登場するものであると思うし、はじめから「施設ありき」という考えはちょっと持てない。つまり「入所をさせる」というのと「在宅の支援」というのは、相反していること。「仕事」と割り切れば問題ないのだろう・・・でも「自分の福祉観」ということであれば、やはりそれは「違う」と言わざるを得ないのかもしれない・・・ たしかにいくら福祉の世界であっても「奇麗ごと」だけでは済まされない世界。それゆえ、どこまで「奇麗ごと」を自分の中で消化していけるかがとても重要なこと。今回面接に行った施設の待遇は、決して悪いものではない。だけどその待遇と引き換えに自分の福祉観を曲げてしまうのは・・・とちょっと考えてしまう。正直、かなり難しい問題。就職先は何とかして・・・いや、早く決めたいと思っているはず。だけど福祉観を曲げてまでその施設に就職するものなのか?しばらくの間、悩める日々は続く・・・
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| ●2003/02/01 Sat 少数かもしれないけど。(編集談:福祉とはちょっと関係ないけど、社会福祉士受験後の一節) |
ようやく忙殺の日々が徐々に終わろうとしており、最近は僅かながら気持ちの余裕が持て始めた今日この頃。まだ「就職」と言う大きな問題が待ち構えているけど、今はマイペースに自分のやりたいことを思う存分やろうかなぁ・・・ もちろん国家試験の結果は気になるところ。色んなところで解答速報が流れており、解答訂正があるたびに一喜一憂。そりゃ、2年間の思いが実るか否かの問題だから、当然と言えば当然のこと。だけど、この文章を読んだらちょっと考えないと・・・ 昨年の12月に本課程一期生で皆さんの先輩に当たるTさんが亡くなられました。まだ20代の若さでしたが、長い間難病と闘ってこられ、本校で学んでいらっしゃったときも松葉杖でスクーリング、実習に参加していました。なんとか課程修了までは保った健康も卒後は入退院の繰り返しでついに国家試験を一度を受験できずに亡くなられてしまいました。自分より年下の方が亡くなるのは辛いことでした。今回国家試験を受験できたことに感謝すると共に、受験を見送られた方も元気であればまた何度でもチャンスはあります。 これは私の学校の機関誌に書かれた一節(既に引用許可済み)で、私もちょっとだけ知っていること。だけど短い文章の中から、色んな思いが自分には伝わってくる。たしかにこういう状況って言うのはごくごく少数かもしれない。だけど「受けたくても受けられなかった人」と言うのは必ずいるはずであり、そのような人の思いもちゃんと汲み取らなくちゃいけない。多くは無事に国家試験を受験し、そして今は正解に一喜一憂をしている。もちろん自分を含めてのことだけど・・・でも一方でこういう人がいるってことも考えなくちゃいけないのかなぁ・・・とちょっと痛感。もちろん「奇麗事」じゃすまない事もたくさんあるけど・・・たまには足を止めて考えなくちゃ・・・
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| ●2002/09/10 Tue 告知の難しさ(編集談:これは社会福祉士の現場実習でのこと) |
何らかの予定が入ってしまうとどうしても留守勝ちになるこの日記。実習期間中だから、少しは実習のことも書かないとね。 このことはいづれ更新する「現場実習」でも触れるつもりだけど、今行っている施設は法的には「身体障害者福祉法」に規定される施設。身体障害者・知的障害者関係については来年度から「支援費制度」(障害者の介護保険版みたいなもの)が始まるが今はまだ「措置制度」で様々なサービスが提供されている状態。また費用負担に関しても応能負担で、無料で利用できる方もいる。ところが実際は利用している人の半数以上はいわゆる「介護保険」相当の年齢であり、介護保険を利用してもおかしくない状態。そして現実に、この施設を利用するよりも介護保険法の施設を利用する方がふさわしい人がいることも事実。ただしそこで問題になるのが「どうやって、介護保険法の施設に移行させるか」ということ。介護保険法の施設を利用することになれば、所得に関わらず一定の費用負担が求められるようになり、今まで無料で施設を使っていた人にとっては理解できないこと。かといって、今の施設にそのままいることは施設運営上や法律などの趣旨からしても決して適切ではないこと。 ソーシャルワーカーは「施設職員」としての立場と「利用者のアドボカシー機能」としての立場の「2面性」を持っているため、「職務として次の施設に移行させていかなければならない」と「利用者の気持ち・考え・意見・決定を最大限尊重し、利用者の意に沿った援助を展開していくべき」の2つの側面に板ばさみされる状況になる。多分この気持ちは、医者ががん患者に「告知」するときの心境と似ているのではないかと思う。ソーシャルワーカーもまた同様にこの立場に立つわけで、別の施設を進めたら「追い出し」と捉えられ、何もしなければ「怠慢」にもなる。この「ジレンマ」にどうやって対処していくかが、ソーシャルワーカーとしての力量なのかもしれない・・・
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| ●2002/06/09 Sun 疑問を持たないと・・・(編集談:これ、ワールドカップ期間中に書いたんですね・・・懐かしい。) |
祝!日本代表W杯初勝利! ちょっと取り乱してしまいました・・・(笑)いや、でもやっぱり初勝利はウレシイものですねぇ。欲を言えばFKや決定的な場面もあったから、もう1・2点は取れたかもしれなかったけど・・・でも勝利して「勝ち点3」を取ることの意気がとても大きい。これで、決勝T進出への可能性も一気にふくらみ、予選リーグ最終戦がとっても楽しみに。 さて・・・話は変わって、福祉関係の掲示板の内容から。 福祉施設への現場実習に行くに際してアドバイスを求めた人に対しての返信で、実習をするにあたっては「どんなことも受け入れ、疑問に思わず、どんなことにも従うこと」という内容のスレが書かれていた。もし本当に現場の職員がこういうことを言っているのであれば、私はその施設の本質を疑ってしまう。たしかに施設の批判をするのは実習生としてはあってはならないことだし、施設の利用者に対してそのような態度を見せることがあってもならない。ただ「疑うこと」をしなければ、実習の意義がないものと思う。無論、現場の職員が現状に満足しているようでは施設の質の向上には程遠いし、実習生に対してそんなことを言う施設であれば、実習には適さない施設だと思う。私は今までに4つの施設で現場実習をしてきたが、そのうち3つの施設での実習では実習で感じたことを記録として提出しても、それを批判されることはなかった。むしろ、その意見・考えを受け入れ、職員の方も実習生を受け入れることで「外部の目」から見た施設を客観的に感じ、職員自らも「勉強」として捉えている印象を受けた。またそのうち1つの施設ではガイダンスの時点で「疑問に思ったら、遠慮なく言って欲しい」と話してくれた。 その反面で「疑問に思わず」と言っている施設職員がいる現実に、施設におけるギャップも感じた。質の高いものを求めるのであれば、「外部の声」を聞き入れる姿勢が必要であろう。「命令に従い」なんていっている施設なんて、正直実習をする施設としては良くない、と個人的には思う。これ、学生の意見。
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| ●2002/05/15 Wed ブチギレ(編集談:これは本当に恥ずかしいことですが・・・現実なんです。) |
誠に勝手ながら、今日は身内事について。(若干、福祉的なことも含んでいるが・・・) 私の母親が障害者であることは「我思」の中でも話している。母が障害者になって、今年で6年目を迎えようとしている。ただ残念なことに、ここにきて若干体調的な面で問題が発生し、状況によっては外科的な医療処置が必要になりかねない事態になっている。ところが、そういった状況をきちんと把握し理解しているのは、福祉の勉強をしている自分のみである。これは、大変な情けないことである。本来であれば、障害を背負った本人だけでなく家族全体で支え理解していくべきだが、私の家庭にはそれが無い。とりわけ、親父に関しては・・・ そして今日、外科的処置の必要性について母親が親父に話したところ、親父がこう言った。 「それは、お前の健康管理ができていないから、仕方ないことだろう。」 はっきり言って、かなり頭にきた。しばらく母親に対する説教を聞いていたが、話させたらきりがないと判断し、母親に対して「寝な」と言った後、今度は俺が親父に説教。 「障害のことを理解しようとしないくせいに、偉そうな、わかったようなことを言うんじゃないよ!」 「人工透析のことについて、わかってるの?」と聞くと、「知らねーよ」と当然のごとく言い放つ態度に、完全にブチギレ。本当に腹が立った。今でも言い足りないくらい。 たしかに、障害になる前の生活態度については問題があったかもしれない。ただ詳しいことはわからないからなんとも言えない。けど、障害になってしまった後にゴタゴタ「だから〜なんだ」と言っても埒が明かない。何の問題解決にもつながらない。そんなことを言ってしまえば、加齢で介護が必要になったしまった人に対して「何でお前は介護が必要になったんだ?」と言っているようなもの。こんなことを平気で言えるのは、何もわかっていない証拠。 本来「介護」や「障害」というのは当事者1人で抱える問題ではなく周囲の支援が必要。とりわけ、家族の理解は絶対的なもの。家族の理解なくして、健やかな生活が営めるわけがない。障害になる前の生活に問題があったとしても、障害になってしまった以上は仕方ない。今度は、その先のことを考え、支えていく体制が必要なのに・・・本当にうちの親父は、バカ親父だ。
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| ●2002/05/01 Wed 「バリアフリー」が「バリア」になる。(編集談:これは大変勉強になりました。考えなければならないことです。) |
今日は珍しく日記でも福祉ネタを。 現在学校の課題で「福祉マップ作り」をしており、そのための材料として各自で写真を撮ってくることになっている。なので最近は常にデジカメを携帯して外出するようにしている。今日、偶然にも今回の目的の写真として良い光景を目にすることができた。それはバリアフリーを実際に使用している場面、車椅子の方が駅に設置してある車椅子リフトを使う場面だった。ただ無断で撮影するのは絶対にあってはならないこと。だからその方に許可を頂いてから撮影することに。そして私の質問にもいやな顔をせずに答えてくださった。とても感謝すべきことである。そして今の現状について色々と話してくださった。お話の内容を要約すると以下の通りである。 利用者の立場から見れば、今の社会はまだまだ使いにくい。 特にバスなどは、段差があって乗れない。周りに人がいても、見ているだけで、誰も手伝ってもらえない。だから自分たちが積極的に外に出て行くことで、周りの環境を変えていくしか方法は無い。 そしてバリアフリー、道を広くしても自転車などが駐輪してしまえば不便で意味が無いし、かえって危険である。 私の基本スタンスは「理論よりも実践、現場の生の声を聞く」である。その意味で、直接声を聞けたことは大変自分にとってプラスになった。そして新たな問題も見つかり、考えていかなければいけないこともわかった。「バリアフリー」をうたい積極的に道の拡幅等を行っているところがあるが、実はそれによって新たな「バリア」を生み出す結果にもなっている。「バリアフリー」にしたのにもかかわらず、そのことが「バリア」を生み出す・・・はっきり言って矛盾している。結局、私たちは「当事者」のことをしっかりと考えていないため、「道を広げる」=「住みやすい社会」と誤解をしているのかもしれない・・・「本当のバリアフリーとは何か?」を改めて考えていきたい。 今日、私の勉強のために協力をしてくださった利用者の方、本当にありがとうございました。恐らくこのページを見られてはいないと思いますが、感謝の意を表します。
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| ●2002/04/12 Fri ちょっと印象的(編集談:ちょっと福祉とは逸れるかも・・・でも、大事なことです。) |
昨日から本格的な授業開始。とはいえ、やっぱり最初の授業だと新しく授業を受ける先生も多いこともあり、やはり定番の「自己紹介」から始まる授業が多い。1年の時はお互い手探り&探りあいの状態からの自己紹介が多かった気がするが、2年となるとやはり慣れがあるのか半分「ウケ狙い」の自己紹介もあり、それに対して適切な「ツッコミ」もあり、なんとなくクラスの雰囲気はいい感じ。ただその中でもちょっと印象的なことが・・・ クラスメートの1人が自己紹介で「専門学校に入学し、近頃思うこと」について話すときに話した言葉。 春休み期間中に実習に行ったけど、実習に行って「勉強が出来なくても福祉の仕事はやっていける」と思った。 うん、たしかにその通り。そうだと思う。どんな世界でも同じだと思うけど、いくら学生時代に勉強が出来ても、学校でいい成績を残しても、結局「今」が大事なんだと思う。もちろん勉強が出来るにこしたことはないし、出来ないよりは出来たほうがいい。だけど、最終的には自分の持っているもの=「心・考え」が重要ではないだろうか?もしかしたら彼(またはうちのクラスでこのHPを知っている人)が見ているかもしれないが、この発言をした彼はいかにも「イマドキ」の子で授業も欠席することが多々ある子。でも、彼が言ったことは決して間違っていないと思う。みんなは結構笑ってた(俺も笑ったけど・・・) けど、内心は「おっ、なかなか良いこと言うじゃん。」とちょっと尊敬。 でも今は「春」だからねぇ・・・(笑)
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| ●2002/01/22 Tue まさにそのとおり。(編集談:やっぱり民間、って感じ。だけどコラムは納得。福祉の「理想」と「現実」かも。) |
昨日で学校の授業は終了。ただ「補講」があるため今日と明日は学校に行くことに。今日の場合は「補講」と言うより「オリエンテーション」。 春休みに実習に行くということは周知の事実。で2月にホームヘルパー関係で、3月に社会福祉主事任用資格関係でそれぞれ行く予定。で今日は前者のホームヘルパー関係の実習のオリエンテーション。2月の実習は1日だけで、在宅系の実習。そのことについて実習でお世話になる事業者の方のお話と諸注意についてが今日の内容。でも正直言って、あんまり良い印象はない。自己判断をしちゃいけないのはわかる。むしろそれは当然の話。ただ「利用者の方と必要以上に話さない」って言うのはどうかと思う。利用者とはなさい=声掛けが少なくなることを示す。声掛けは介護をする上で大事な要素の一つ。その声掛けを制限されると言うことは、実習の意義そのものを考えてしまう。なんかちょっと憂鬱な気分で実習に行きそう・・・ でもう一つ。ネットをうろついていたら実習のことに関するコラムを発見。実習についてはこのHPでも現場の実際を取り上げているけど、今回発見したコラムは、まさに介護の現実そのもの。まさにそのとおり。「実習生」と言う立場上なかなか本音をこぼすことができないが、多分福祉施設で現場実習をした実習生(学生)はほとんどが同じ感想を抱いていると思う。どうしても「実習させていただいてる」「勉強させていただいてる」と言う感じなので、必然的に立場はかなり弱くなっている。だから「それはちょっと・・・」とは「それはおかしいんじゃないの?」と思っても言うことができない。もし下手に言ってしまえばこの先の実習に響いたり、実習先と学校との関係が悪くなる・・・とかの下らない考えが先行してしまい、結局どこにもはけ口がないまま終わる。たしかに現場実習では現場でしか経験できない、多くのことを学ぶことができる。しかしその反面、現場の実情や現実、そして見たくはない場面に遭遇することが多い。このHPに書いたことも、実習に関するコラムも、全部現実。全部の実習施設がそうだ!とは言わないけど、これが実習施設(福祉施設)の現実ではないかと思う。
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| ●2001/05/24 Thu 勉強するが故の歯がゆさ・・・(編集談:これは婆ちゃんが救急車で緊急入院した時のこと。) |
専門学校で勉強するようになり、もうすぐ2ヶ月が経とうとしている。その間、色んなことを学んできた。社会福祉の経緯・概要からレクリエーションの意味、介護技術など大学の時とはまた違った内容でそれなりに福祉の面白さを感じるものであった。 しかしそれとは裏腹に、考えることもあった。今日、祖母の見舞に行ったときに周りの患者さんとうまく話すことが出来なかった。HPでも何度も公表しているように、俺が目指しているのは社会福祉士、福祉関係のエキスパートを目指している。特に就職した時のメインとなるのは相談援助業務であって、人と話すことができなければ話にならない。ましてや、医療ソーシアルワーカーを目指しているのにもかかわらず病院の中でほかの患者さんと話せないなんて、そんな奴に相談できる訳がないと感じてしまう。別に社会福祉士になろうと思わなかったり、福祉の勉強をしなければこんなことは考えないだろう。しかし、これから自分が携わっていくために、知識を身につけるために勉強しているが為に、こういった考えを抱いてしまう。たしかに、まだまだ勉強が足りないのは事実。勉強中の人間がパーフェクトにできる訳がないと言えばそうなのだが、それでも積極的にいく姿勢が重要であることにはかわりない。勉強しているために、変に自分が構えてしまっているのかもしれない。勉強をしているが為に、自分自身の中で「葛藤」が生じ、そしてその歯がゆさに悩まされてしまう。これから、自分はどうあるべきなのか?もうしばらく、考えてみたい・・・
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