||||||||||上野の城||||||||||



安中城
ANNAKA

安中市安中
信玄は永禄4年からの西上野侵攻に伴い、永禄5年、松井田城に続きこの安中城を攻撃している。城主・安中景繁は箕輪城主・長野業正の娘婿。安中城は箕輪を守る牙城だった。しかし永禄7年には降伏、以後安中衆は武田に属す。天正3年の長篠の合戦にも参戦するが城主以下安中衆は全滅、城も廃城となり城跡は農地に返る。その後江戸時代になって元和元年に井伊直勝が初代安中藩主として安中に移り、安中城を再建した。
現在は町中の所々にわずかな遺構を残すのみとなっている。

安中城址の碑

旧安中藩郡奉行役宅・武家長屋が
復元されています。

安中小学校がかつての二の丸。校舎の辺りが本丸御殿跡。




倉賀野城
KURAGANO

高崎市倉賀野町
倉賀野城址碑
永録四年・11月。あの川中島の激戦から僅か2ヶ月後、早くも信玄は本格的に上野の攻略に着手する。関東は、関東管領上杉家が北条の侵略を受け、衰退の一途をたどる状態。関東の旧勢力は謙信(永録四年管領を継ぎ、長尾景虎から上杉政虎・輝虎と名乗る)に援軍を乞い、一方北条と同盟を結んだ武田は、援軍と言う形で出兵。永録四年からほぼ毎年のように上野に出向いている。そんな中、永録7年には遂に倉賀野城も落城。謙信を背後から牽制する為、本願寺顕如と謀って、越後で一向一揆を起こさせ、隙をついて急襲したという。上野は信玄がやっと手に入れた信濃に隣接している。謙信が関東管領になったことで、その勢力が強まることを恐れたのかもしれない。

←倉賀野城址碑。川縁の小さな公園の中に立っています。ちょっとわかりにくいかも…城の遺構らしきものは残ってなさそうでした。すぐ背後に新築の家が並んでいます;




厩橋城
UMAYABASHI
前橋市大手町
厩橋城の土塁
前橋城とも。上杉謙信が、関東の拠点とした城で、配下の北条(きたじょう)高広が守っていたが、後に北条氏に通じたため、謙信の関東平定は更に暗礁に乗り上げた状態になってしまう。
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現在は群馬県の官庁街で、本丸跡に県庁が建っています。遺構は一部に土塁などが残るのみ。写真は『前橋城碑』の建つ、県警前の土塁。ただしここは通行禁止です。捕まっちゃうよ〜(笑)