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永録四年・11月。あの川中島の激戦から僅か2ヶ月後、早くも信玄は本格的に上野の攻略に着手する。関東は、関東管領上杉家が北条の侵略を受け、衰退の一途をたどる状態。関東の旧勢力は謙信(永録四年管領を継ぎ、長尾景虎から上杉政虎・輝虎と名乗る)に援軍を乞い、一方北条と同盟を結んだ武田は、援軍と言う形で出兵。永録四年からほぼ毎年のように上野に出向いている。そんな中、永録7年には遂に倉賀野城も落城。謙信を背後から牽制する為、本願寺顕如と謀って、越後で一向一揆を起こさせ、隙をついて急襲したという。上野は信玄がやっと手に入れた信濃に隣接している。謙信が関東管領になったことで、その勢力が強まることを恐れたのかもしれない。 ←倉賀野城址碑。川縁の小さな公園の中に立っています。ちょっとわかりにくいかも…城の遺構らしきものは残ってなさそうでした。すぐ背後に新築の家が並んでいます; |
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前橋城とも。上杉謙信が、関東の拠点とした城で、配下の北条(きたじょう)高広が守っていたが、後に北条氏に通じたため、謙信の関東平定は更に暗礁に乗り上げた状態になってしまう。 +++++++++++++++++++ 現在は群馬県の官庁街で、本丸跡に県庁が建っています。遺構は一部に土塁などが残るのみ。写真は『前橋城碑』の建つ、県警前の土塁。ただしここは通行禁止です。捕まっちゃうよ〜(笑) |