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![]() ![]() 野田城の近くの法性寺の中にある。信玄が狙撃されたという場所 |
![]() 城址に残る内堀跡。 詳しくは『古戦場』のページもどうぞ! |
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| 信濃・三河・遠江の要路である奥三河の土豪・田峰城の菅沼氏・長篠城の菅沼氏・作手城の奥平氏は『山家三方衆』と呼ばれ、代々時の侵攻権力者に去就を繰り返し家門の存続をはかっていた。元亀二年秋山信友が侵攻して以来、山家三方衆は武田に属し、三方ヶ原にも参戦している。しかし信玄死後徳川家康は長篠城を奪還すると奥平貞能・貞昌を一族から離反させ貞昌を長篠城番にすえる。その後勝頼がこの城を攻めたことから『長篠の合戦』に発展して行くのである。 | |
![]() 岩村城本丸
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![]() 藤坂。険しい急坂で岩村城の前衛の役目を持ち、 一の門に至る約300メートルの間をいう。 |
![]() 石垣は殆どが江戸期に修復されたものらしいですが中にはかなり古いと思われるものもあるそうです。地元の小学生がキャンプに行ったりするような規模の大きな山城。(笑)岩村町は『女城主の里』がウリですが秋山信友の知名度はイマイチ…。後の城主森蘭丸は有名ですが残虐行為を行った織田信長の評判は悪いようですね… |
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| 別名霧ヶ城。日本三大山城のひとつ。鎌倉期に加藤景廉が構築して以来、子孫の遠山氏が代々城主であった。元亀元年、武田の秋山信友は兵三千を率いて遠山軍五千余を上村で撃破、その後岩村城主遠山景任は元亀三年に死亡。(戦で負傷したせいだとも病死だとも言われている。)景任未亡人(名はつや・ふくなど諸説アリ)は織田信長の叔母にあたる絶世の美女。信長の五男・御坊丸を養子として迎えたがまだ8歳だったため実質彼女が女城主となり篭城して抵抗を続ける。しかし秋山信友の出した城兵の命を助けることと景任未亡人を妻として迎えるという条件をのんで開城。御坊丸は人質として甲斐に送られる。その後、信玄が死去、設楽原で勝頼が大敗を喫し、岩村城は孤立無援となってしまう。信長はこの機を逃さず嫡男・信忠を総大将に据え三万の兵で岩村城を包囲。援軍も得られず、約半年ほどの篭城の末、城兵の命は助けると言う条件で降伏。秋山夫妻・大島・座光寺など主従五人が長良川で逆さ磔と言う戦陣の作法を無視したやり方で処刑される。信長がいかに武田に対して憎悪の念を燃やしていたかがわかる。助けると約束していた城兵も城を出て木の実峠に差し掛かったところで織田の待ち伏せに遭い皆殺しにされてしまう。なお、甲斐に送られた御坊丸は後に織田に返され、本能寺の変で死亡する。 | |