||||||||||山梨の城||||||||||

若神子城
WAKAMIKO
山梨県須玉町若神子

近くの公園にあるのろし台
若神子城は信玄が信州攻略の中継点として度々陣立を行ったところだそうです。狼煙台が復元されていることでも有名で城址公園の山には『のろしの里へようこそ!」の看板が。残念ながらこの狼煙台には昇れませんので近くの公園にある遊具で気分を満喫しましょう。(笑)

こっちののろし台は上れません〜


新府城
SHINPU
韮崎市中田町中条
新府城入口 本丸の碑。普請奉行・真田昌幸、原昌胤・
城主・勝頼の名が書かれている

天正9年春、織田の甲斐侵攻を防ぐため、勝頼が真田昌幸に命じて作らせた平山城。昼夜兼行で着工から8ヶ月で完成、12月にはここに移り、新府とするがわずか3ヶ月後の天正10年3月には織田の侵攻を待たずに新府城に火を放ち逃げ出さなくてはならなくなった。左の写真は本丸跡にある『長篠戦没者の供養塔』。今整備中で城址公園になるという噂ですが…


←設楽ヶ原から土を持ってきて作ったという供養塔。
左から高坂昌澄・山県昌景・馬場信春。
当時の新聞には『武田の諸士380年ぶりに故郷へ帰る』と載った。(;_;)


要害城
YOUGAI
甲府市上積翠寺町
躑躅ヶ崎の館の裏にそびえる要害の城。いくら『人は石垣、人は城』って言ったっていざと言う時の備えくらいはしてあるもの。永正17年(1520)武田信虎が躑躅が崎に館を移した翌年に普請。更に翌年、信玄公の母・大井夫人は信虎公が戦の最中にここ要害の城に篭って信玄を生んだ。本丸跡には誕生の碑が建っていますが要害山の麓の積翠寺にも産湯の井戸があり、おそらくこの寺の近くで誕生したのではないかと。要害山、かなり険しい山でした(T_T)勝頼が何故無傷のこの城に篭らなかったのか、惜しい気もします。

あちこちに残る石積みの跡。徳川時代の改修によるものか?

山頂までがエラく時間がかかる。武田の罠にはまったカンジ…(T_T)
甲府盆地を眺めて一休み。

上野城
UENO
山梨県三珠町
上野城址碑
上野城址碑(蹴裂神社)
一条信龍の祠
[一条信龍の祠]
天正10年3月11日。甲州に進軍してきた家康軍約1万とわずか300の兵で戦った一条軍の最後の決戦地。一条信龍・信就親子は篭城して戦うが結局信龍は自刃・息子・信就も捕らえられ、家康に臣従を促されるが敵に屈するを潔しとせず首を刎ねられた。…もっとも信龍の最期については裏付けがなく、『信長公記』にはこれより前、古府中で殺されたことになっており、甲斐国志にはもっと以前に病死したのでは、という見解が述べられている。上野城の決戦はあくまでひとつの説でしかないが、城跡に立ってみるとここが最後の砦だったのだという思いがする。
歌舞伎文化公園
身延線甲斐上野駅から『歌舞伎文化公園』方面へ。文化公園に天守閣がそびえていますがその隣にひっそりと建つ『蹴裂(けさき)神社』がかつての上野城跡です。
[文化公園の天守閣(資料館)⇒]