Someday





 ――翌日、早朝。
 来須は、作戦会議室の扉を叩いた。
 定刻にはまだかなりの間があったから、自衛軍総本部内は静かで、ここへ来るまでの間、士官とすれ違うことはほとんどなかった。昨日、善行は視察に出ていて、話をする機会がなく、今日のアポイントだけを半ば一方的に伝言として残してきていた。強引なやり方ではあったが、一刻でも早くという想いが先に立っている。
「どうぞ」
 内側から声が聞こえ、来須は室内へ足を踏み入れた。
 ふと、来須の脳裏に、2年前初めてこの部屋へ来たときのことが浮かんだ。そのときと同じように、善行は窓を背にして座りながら大きな机に向かい、書類を眺めている。来須が近づくと、顔を上げる様子も変わりがなかった。
 その顔に穏やかな微笑を浮かべながら、善行がたずねる。
「あらたまって、話というのはなんです?」
 来須は、まっすぐな視線を善行に向けて答えた。
「熊本へ戻る」
 すると、善行はゆっくりとまばたきをしてから聞いた。
「何か……、あったんですね? でなければ、突然そのようなことを言うはずがない――」
「……」
 善行の言葉に対して、来須は無言をもって肯定した。誰が何と言おうとも、決心を変える気はない。
「そうですか……」
 つぶやいて、善行は机の上に手を伸ばし、広げられたままの書類束を閉じた。紙の動きが生み出す音が、室内に軽く響く。
「止めても無駄でしょうね。人は誰でも、己の信じるところで戦うしかない……。それが、自分にとって最善であると考えた上のことなら、なおさらです」
「今まで……、感謝する」
 来須が言うと、善行は軽く笑った。
「ふ……っ、別に、私は特別なことは何もしていませんよ」
「そんなことはない」
 すぐさま否定した来須に向かって、善行は表情をあらためた。その瞳には、真摯な光が浮かんでいる。
「あなたは、味方にすれば頼もしい人間です。そんなあなたの強さの源は、芝村さんなのでしょうが……。同時に、彼女はあなたの――」
 言いかけて、善行は口を閉じた。それから目線を落とし、つぶやく。
「あ、いえ。なんでもありません」
 しばしの沈黙が、室内を支配した。
 窓から差し込む光は、徐々にその長さを短くしつつあった。そうした中、善行がゆっくりと椅子から立ち上がり、机の端を回り込むようにして、来須へ近付いた。
「武運を――。いつか、再びともに戦うことがあったら、そのときにはまたあらためてよろしく」
 穏やかな微笑とともに差し出された手を、来須は静かに握り返した。





 来須が室内を出て行った後で、善行は椅子には戻らず、窓辺に立って外を眺めた。そうして、しばらくすると、眼下を真っ白な軍服が通り過ぎて行くのが見える。
「芝村さんは、あなたの最大の弱点なんですよ? わかっているんですか?」
 つぶやく声を聞くものは、誰一人いない。
 先程、それを言おうとして止めたのは、口にしたからといって、それで来須が行動を変えるとは思えなかったせいだった。たった一人の誰かを、自らにとって特別な存在として抱え込んでしまうようなことは、善行にはできない。たとえそのように想う相手がいたとしても、他の大勢を差し置いた行動をすることには、二の足を踏んでしまう。そうしたものから見れば、来須の行動には潔さを感じたりもする。が、しかし――。
「軍部には、芝村一族を快く思わないどころか、はっきりと敵対するものもいますからね」
 すでに、芝村舞の名は、軍部に響き渡っている。関東軍の中で、来須が芝村に連なるものということに気づいても、そこですぐさま、舞との間柄を推測するものはいなかったし、善行自身も、そのことを誰かに向かって口にしたことはなかった。が、それでも、いつかは必ずそれと知れると思われた。遠く離れた生活を送っていたからこそ、結びつけて考えるものがいなかったそれに――。
 敵を探り、弱点を見つければ、それを叩こうとするのは、戦いの常套手段である。それは、幻獣相手であっても、人間相手であっても変わることはない。
「できれば……、私の気の回し過ぎであって欲しいですが。あなたがた二人の、未来のために――」
 わずかと言えども、自らがその上官として過ごした人間のことを想い、善行がつぶやいたとき、視界の中から人影が完全に消えた――。



*****



 ――5日後、阿蘇山麓。
「美しいな」
 空を見上げながら、舞はつぶやいた。
 冷たく澄んだ外気の中、頭上に浮かぶ星々は、降るような輝きを地上に落としている。冬は、一年中でもっとも星がきれいな季節だが、すでにその訪れが間近いことを、夜空が教えていた。
「やはり、プラネタリウムとは違う」
 言いつつ、舞が脇を振り返ると、来須は軽く微笑んだ。
「ああ」
 舞が、再び頭上へと視線を向ける。
「星は変わらぬな。あの日……、暁作戦が行われたときも、今と同じように輝いていたのであろう。見る余裕など、なかったが――」
 それから、ゆっくりと顔を戻し、来須を見つめながら続ける。
「大勢の兵士が無駄に死んだ。もちろん、どうあっても救えなかったものも、中にはいよう。それでも、私には許せぬ。あれは……、あんな指揮官は――。そのような存在を配備した軍部もだ」
 その声には、震えが混じっていた。2年という時間が過ぎ、そして、死んだと信じていた来須が傍らに戻って来たとしても、脳裏に深く刻まれた出来事が消えるわけではない。
「いつか必ず、軍のあり方を変えてみせよう」
「好きにしろ」
 来須が軽く言うと、舞は眉をつり上げた。
「なんだ、その言い方はっ!? そなたは、これがどうでもよいことだとでも思っているのか?」
「そうは言ってない」
「いや、そのように聞こえた」
 にらみつけるように言う舞の姿を見て、来須は黙ったまま目を細めた。
「……」
「もうよい。そなたなど、あてにはしておらぬ」
 むっすりとしたつぶやきを漏らした小さな身体は、その頭へ伸ばされた大きな手の動きによって、びくりと動いた。
「おまえが戦うと言うのなら、俺も戦うだろう。おまえの敵は、俺の敵でもある。おまえの困難は、俺たち二人で立ち向かうものだ。決めるのはおまえだ、舞――。俺は、必ずおまえを守る」
「――っ」
 あからさまに告げられてしまい、返事に困った舞を、来須がそっと抱き寄せる。その腕の中に納まった身体は細く、華奢だった。
「おまえのあるところが、俺の居場所だ。俺には……、それがすべてだ」





 やがて、来須はそっと舞を促した。
「戻るか」
「えっ!? も、もう少しこの場にいても――。う――っ」
 言いかけた舞が、小さなくしゃみを漏らした。それを見て、来須が言う。
「これ以上ここにいたら、身体を冷やす」
 そうして、舞が応える前に、その肩を抱いたまま歩き出した。
「ちょ、ちょっと、ま、待てっ。えーい、待てと言うのにっ」
 いくら抗議しても、来須はまったく耳を貸さない。引きずられるようにして、舞は歩かされてしまう。
「決めるのは、私なのであろうっ!? 嘘をつく気かっ!?」
 舞がそう言ったとき、二人はコテージの前にたどり着いていた。
「おまえの身に関することは別だ」
「か、勝手なことを言うなっ」
 憤る舞に向かって、来須が低い声でささやく。
「星なら、これからいくらでも見る機会があるだろう。今は――」
 言いながらドアを開け、さらに続けた。
「おまえと過ごしたい」
「……っ」
 頬を赤らめて下を向いた舞の身体を抱き上げて、来須はコテージの中へ足を踏み入れた。





 遙か上空で輝く星々が、静かな光を地上へと注いでいる。
 そうした中、あたりを包む空気は冷たい。
 果てしなく続く防衛戦争の終りは、いまだ見えていなかった。





(了)
BACK/あとがき

書物一覧へ戻る