Someday
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| 「ここだ」 準竜師に促されて、来須はその後にゆっくりと続いた。気はせいていても、傷ついた身体を動かすのは、たやすくない。それでも下半身にけがはないから、それがせめてもの救いではある。 その白い部屋の奥――、はめ殺しになっている、大きなガラス窓の向こう側に、舞はいた。横たわっている身体にはさまざまなコードらしきものが付けられていて、いずれも周囲に置かれている機器へ繋がれている。自発呼吸が不可能なのか、顔は大きなマスクのようなもので被われていた。 「……」 呆然とその姿を眺める来須の隣りに立って、準竜師が言う。 「かなりひどいありさまだったようだ。戦場で、止めをさしてやるほうがいいと言われたらしいからな」 それは、田辺の報告書にあったから、来須もすでに知っていた。今こうして、治療体制の整ったところに舞がいられるのは、田辺のおかげなのだ。 右手をガラスに向かってゆるゆると伸ばし、それで身体を支えるようにしながら、来須はそっと瞳を閉じた。耳を澄ませば、舞のか細い心音が聞こえるような気がする。もちろん、そのようなことはあり得ない。が、機器へ向かって頼りなげに打ち出される振動が描く波形は、守りたいと思ったものに対して、自らが無力であったことを十分に見せつけるものだった。 「しかし、まあ……。昨日よりは、だいぶいいらしい。医師たちの説明によればな」 抑揚のない声でつぶやく準竜師の言葉を聞いて、来須はそっと息を吐き出した。おそらく、見通しは明るいのだろう。不確かなことを伝えてよしとするほど、今わきに立っている人物は甘くはないはずである。芝村一族が治療を依頼――命令かもしれないが――したからには、請け負った医師団の技術レベルもそれなりなものだと想像できる。しかし、だからと言って、舞が重傷を負った事実が目の前から消えるわけでもなかった。 「舞は――、助かると……?」 正面を見つめながら来須が聞くと、準竜師はわずかな沈黙の後で答えた。 「……。今回は、な」 その声は、来須の内部をえぐるように突き刺すものだった。こういうことは、これから際限なく繰り返される可能性があるのだと、目の前に突きつけられる。それは、互いが軍という組織に在籍し続ける限り、避けようがないことではあるのだ。 人類の天敵と呼ばれる幻獣相手に戦争をしている状況下、組織というものは、個人の思惑を無視した上に存在している。また、そうでなければ、この戦いに勝つことは難しいのかもしれない。が、たとえそうだとしても、この状況を甘んじて受け入れるのは堪えがたかった。 「今の俺では、おまえを守ることができない――」 来須は、右手を握り締めながら低くつぶやいた。すると、傍らから準竜師が言う。 「では――、どうするのだ?」 「……?」 何を言うつもりかと思いながら、隣を振り返った来須が見たのは、無表情な瞳だった。 「ここで立ち話は無理だろう。おまえの病室へ行くか」 そうして、来須の返事を待たずに、準竜師は先に歩き出した。 来須の病室へ戻って来ると、「けが人は座っておれ」と、準竜師は、室内の外れにあるゆったりとした椅子を指差した。促されるまま腰を降ろすと、病院の備品とは思えないような優雅な家具が、静かに来須の身体を受け止める。その姿を眺めてから、準竜師は向かい側に座った。 「以前、おまえに言ったことがあったな。望みがあれば、言うがいい……と。今一度、聞こう。おまえの望みはなんだ?」 来須の返事は、即答に近かった。相手が上官であるという配慮をする余裕もなく、それは口から漏れた。 「舞を守ること、それだけだ」 すると、準竜師は、「ふむ」と頷いてから、「が――、それができないときもあるな」と続ける。そして、来須が辛そうに顔をゆがめたのを見て取ると、さらに言った。 「あのとき、俺はこうも言ったはずだ。困ったら頼るがいいとも、な。芝村に連なるものとして、協力は惜しまぬ」 来須は、今度はすぐには応えず、黙って瞳を閉じた。 脳裏に浮かぶ少女は、華奢な身体をしているくせに、戦いには一歩も引かない、炎のような意思の持ち主だった。たとえ、それが彼女の本質ではないにしろ、纏っている甲冑を脱ぐことを潔しとしない――。多分、これから先もずっとそうなのだと思える。その相手を守りたいと望むからには、今のままでは無理なのだと、先程見た姿が教えていた。 「軍部での力を、立場を……。舞を守れるだけのものが、あれば――」 目を閉じたままつぶやいた来須に向かって、準竜師が言う。 「ならば……、関東へ行って来い」 唐突に告げられて、来須は瞳を開いて見つめ返した。 「関東……?」 すると、準竜師はそれが当然であるかのごとくに言った。 「驚くことはないだろう。一番手っ取り早いと思うがな。今なら、チャンスがある。おまえも、もう知っているのだろうが――。今回の作戦は、我らの大敗で決着がついている。膨大な人員を失い……、軍部は、その後始末に追われているわけだな。遠からず、内部部局は再編成される。だから――」 その声は、自らが在籍する組織のことを案じているとは思えないような、冷たい響きを持っていた。 「……」 黙って続きを待つ来須に対し、準竜師は告げた。 「入り込むことが可能というわけだ。後は、おまえしだいではあるが。その気があるなら、援助はしよう。もちろん、おまえが戻れるまでの間、舞のことはフォローする。一族として、な」 「それで、舞を守れるなら――」 ――どんなことでもすると、来須は思った。 実際のところ、それは一つの可能性を考えずにはいられないことではある。 関東は、今回の作戦で互いが立つことになった戦場よりも、遥かに離れている。傍らに居られない間に何かが起きても、すぐ駆けつけることすらできない点では、暁作戦よりも始末が悪いかもしれない。しかし、それを考えて現状のままでいては、いつまでたっても無力なままで終ってしまう。だから、この際、たとえしばらくの間、側から離れることになっても仕方がない。そうして、自分が不在の間に舞にもしものことがあれば――。 来須はこのとき、一つの決心をした。 準竜師は、しばしの間、来須の瞳を見つめた後で言った。 「ふむ。よかろう。では、まずは、けがを治すことだな。それから言っておくが――。おまえは現在行方不明だ」 「……」 言われるまで、自分の今の境遇のことなど、頭の中から抜け落ちていた来須は、何を言い出すつもりかと思って、準竜師を見返した。 「誰とも連絡を取らぬことだ。出歩くこともやめておけ。おまえの望みに応えるには、それ相応の準備が必要なのだ。だから――、俺の指示に対する拒否は認めぬ。よいな!?」 その意図するところはつかめなかったが、来須は黙って頷いた。すでに、決断したのだ。今さら、意思を翻す気にはなれない。 「では、いずれ連絡を入れる」 言い置いて、準竜師は出て行った。 それからの2週間あまりというもの、来須は、治療とリハビリに日々を費やして過ごしていた。 入院している部屋は、病室とは思えないほどの広さがあったから、けがの治療がほぼ終った段階で、看護婦に頼んで鉄アレイを持ってきてもらい、当座の訓練代わり程度のことはできた。そうやって身体を動かしていれば、気がまぎれたということもある。5121小隊のその後についても気にはなったが、今さらそれを知ったからといって、何かができるわけでもなかった。 舞はずっと面会謝絶とされていて、会うことはできなかったが、その容態については、定時報告のようにして、看護婦が伝えてくれていた。それによれば、日増しによくなりつつあり、遠からず集中治療室を出られるとのことだった。ならば、逢える日も近いかもしれないと思っていたある日、準竜師から指示が届いた。多目的結晶が伝えるその文面は、とても簡潔なものだった。 ――明後日の飛行機を手配した。迎えの車を回すからそれに乗れ 眺めて、熊本を発つ前に、舞に逢える機会はないかもしれないと、来須は考えた。が、それでは、この先いつ顔を見れるかわからない。そこで、たとえガラス越しであってもかまわない、もう一度舞の姿が見たいと思い、次に看護婦が来た時には頼んでみようと決めた。 ところが、その翌日、いつもの時間に看護婦は病室へは来なかった。どうしたのかと思い、ナースコールをしようかと考えているうちに、ようやく看護婦が室内に入ってきた。 「舞に会わせてくれ」 いきなり頼んだ来須のことを、驚いたような顔をしながら見返した相手は、「あ、あの……っ。ちょっと待ってもらえます? 聞いて来ますから」と言いつつ出て行く。 それから待つこと、小一時間――。来須がしびれを切らす寸前に戻って来た看護婦は、「許可が出ましたから、こちらへどうぞ」と、促した。 その行き先が、以前とは違っている。この前は、エレベーターを使って移動したのに、今回は同じ階の、建物内の位置としてはちょうど反対側になる場所だった。 「居る場所が変わった……?」 来須がたずねると、看護婦は、「今朝、集中治療室を出られましたから」と応えた。聞いて、来須の肩から力が抜ける。そうして、通路の最奥左側にあるその病室の前に立ったとき、看護婦が言った。 「実は――、少し、ショック状態になられたのです。治療は万全だということなのですが……。それで、現在は鎮静剤でお休み中です」 治療が万全だという状況で、ショック状態になどなるものなのだろうかといぶかしみつつ、来須は室内に入った。 容態が変わるようなことがあったにせよ、今こうして、面会が許されるからには、現在は落ち着いた状態ではあるのだろうと思えた。寝ていると聞かされて、音を立てないようにしてそっと歩く。 静かな室内に置かれたベッドの上に横たわっている舞は、ゆるやかな寝息を立てていた。 その額へと伸ばした来須の手が、わずかに震えた。髪の毛をゆっくり梳いた後で、上掛けから飛び出ていた舞の片手をつかみ、静かに中へと戻してやる。それから、ベッドに向かって屈み込んで、舞に口づけようとしてやめた。 「いつか……、必ず戻る」 ささやいてから、額に唇を寄せる。 身体を離し、もう一度さらりと髪の毛を撫でてから、来須は室外へ出た。 |
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