Promise





「う……ん」
 舞は、シートに座ったまま両手を伸ばし、身体をほぐした。左手の多目的結晶を見れば、時刻は午後10時過ぎ――。すでに8時間近くの間、コックピット内に納まっていたことになる。
 前部シートを眺めると、田辺はいまだに一心不乱に調整と取り組んでいた。が、複座型の状態は満足できるレベルにあり、これ以上やってもやらなくても、さほど変わりがないと思える。あとは、実戦でその成果が引き出せるよう、乗り手の状態を万全にしておくだけだ。
「真紀……。そろそろ、上がらぬか?」
 舞が声をかければ、田辺は手を休めて振り返った。
「う、うん……。どうしよう。え、えっと……。あっ!?」
 即答をせずに、開かれたままのコックピットの外へ視線をさまよわせた田辺が、小さな声を上げた。自ずとその目線の先を見て、舞の頬が染まる。
「――っ。な、なんだ……。し、仕事は……、お、終ったのか?」
 相手は、低い声で言った。
「ああ。これ以上は、疲れを明日に持ち越すだけだ」
「そ、そうか」
 うなずいたものの、シートから動こうとしない舞に向かって、田辺が声をかける。
「舞――、私、上がってもいい?」
 こういうとき、自分はまだ取り組んで行くから、舞だけは先に帰ればいいと言うと、まず、それは逆効果にしかならないということを、田辺はすでに学んでいた。




 相方が仕事をしているのに、自分だけ恋人と帰宅するなどということは、舞は絶対にしないのだ。たとえ、心は相手の上にあったとしても――。今も、来須が来たことで、舞の心ははずんでいるに違いないのだが、コックピットから出ようともしない。
 後少し、調整をしたいような気もしたが、それは一人でもできることだった。そこで、田辺はコックピットの外へいったん出ることにした。
「もう……、終りにしようと言っていたところだったんです。それじゃ、私はこれで――。あ、そうそう。舞……、これ、原さんに渡しておくわ」
 来須に軽く頭を下げたあと、舞に向かって、途中の小休止のときに二人で相談した結果を書き連ねた紙を見せてから、田辺はハンガーの階段を駆け降りて行く。
 その背中を見ながら、来須が言った。
「帰るか?」
「そ、そうだな。まあ、最良の状態にはなっているから」
 言いながら、舞はコックピットの外へ出た。狭いコックピット内に長時間納まっていたせいで、肢体を伸ばせることが心地よい。
「帰るなら、家まで送る」
 静かな声で言う姿に向かって舞がうなずくと、来須は黙って先を歩き出した。
 階段を降りる二人の足音が、夜のハンガーの中で静かに響いた。







 裏庭から、そのまま尚敬高校の外へと出て行く二人を、田辺はハンガーの外階段の踊り場から眺めていた。その顔は、穏やかで明るい。
「気をつけて帰ってね」
 聞こえるはずもない小さな声でつぶやいてから、ハンガーの中へと再び戻る。もう一度、微調整の確認をしようとしてコックピットへ足を半分入れかけたとき、その前に原にリストを渡しておいたほうがいいと考え直した。
 今し方、1階へ降りたとき、原は不在だったのだ。ともかく、舞と来須をやり過ごすほうを先にしたほうがいいと思って、そのまま外階段へと向かったが、またコックピット内に納まってしまうと、数時間は夢中になってしまうことも考えられた。そこで、踵を返してハンガーの中を歩き出したとたん、隅に置かれている簡易机の端に田辺のひじが軽く当たった。
「あ……っ」
 声を上げてももう遅い。机の上に置かれていた予備の紙束は、音を立てて床へと崩れ落ちる。
「ど、どうして、いつもこうなのかな」
 言いながら、田辺は床に散乱した紙を集めるために手を伸ばした。
 真っ白な紙類を集めていると、先程見た舞の後姿が脳裏に浮かんで来る。月明かりを反射する白いハイソックスが、大きな身体の後を追いかけていた。
「料理好きなかわいい奥さん……。いつか、きっとなれるといいね」
 口元に柔らかい微笑が浮かぶ。
 舞なら、きっとそうなれるだろうと、田辺は思った――。








 尚敬高校の裏門からそのまま歩いて小さな公園の前まで来たとき、先を進んでいた来須は、黙ってその中へ足を踏み入れた。そこは、ブランコが1つあるだけの、広いとはとうてい言えないような場所だが、夜ともなれば訪れる人影はほとんどなく、静かなひとときを過ごすことができるところだった。
「3番機以外は……、明日には出発なのだな。無事を祈る」
 目の前にある広い背中へ向かって言ってから、ふと思いついて、舞は続けた。
「今回の作戦が終ったら、休暇を取らぬか?」
「休暇?」
 ゆっくりと振り返りながら聞いた来須へ、舞がうなずく。
「ああ。星が見たいと思って。阿蘇のほうへ行けばきっときれいな……。――っ」
 言いかけてから、息を飲んだ。これでは、二人で旅行に行こうと誘っているようなものだ。それでは、あまりにも恥ずかしい。そこで、あわてて付け加えた。
「い、いや、だから、その……。見たいのは、ほ、星だからな」
 が、来須は舞の動揺を無視したように言った。
「3番機が受けた命令は――、なんだ?」
 たずねるその声は、鋭い響きを持っていたから、思わず、舞の足が後ろに下がる。
「い、いきなり、なにを……。どうして、そんなことを聞く?」
 すると、来須は腕を伸ばして、舞の身体をそっと抱き寄せた。
「日ごろのおまえなら、自然休戦期でもないこの時期に、休暇を取るなんていう考えは持たないだろう。なのに、それを口にするからには、よほどの事態が起きていると、俺には思える。無事に終ると思っているのではなく、願っている……。違うか?」
「――っ。か、考え過ぎだっ」
 否定する舞の声には震えが混じっていた。こうも、ストレートに指摘されては、逃げるのは難しい。案の定、来須はさらに言う。
「風も騒いでいる。戦いの前には、いつものことだがな。それにしても、異常だ。それで、なぜ……、こんなにも騒がしいのかを考えてもいた」
 力強い腕に抱きしめられたせいと、自分自身でも納得のいかない命令そのものをたずねられたせいとで、舞の心臓は音が外に聞こえるのではないかと思えるほど、跳ね踊っていた。それを鎮めるために、返事をせずに唇を噛み締める。
「……」
 無言のままで応えない舞に向かって、来須は続けた。
「俺は、いっかいの兵士に過ぎない。だから、聞いても仕方がないとも思う。だが、どうしても気になる――」
 最初の問いかけとは違って、その声には、腕の中にいるものの身を気づかう優しさにあふれていた。だから、本来無口な人間にここまで言わせたことへの罪悪感を抱いてしまい、舞はそっと息を吐き出したあとで、小さくつぶやいた。
「……。どこにも属さぬ遊軍扱い……だ。5121小隊所属ですらない」
「無所属の遊軍?」
 聞き返す来須の顔を見上げながら、舞が応える。
「そうだ。ただし、指示は作戦本部の指揮官が、直接下す」
 それは、5121小隊全体への命令とは別に、3番機のみに伝えられたものだった。




*****




 一同に集めた隊員たちに、分隊の指示――それは、3番機のみ別配備というものだったわけだが――を伝え、みなに解散を命じた後で、舞だけを呼び止めた速水が言った。
「あ、あのね。通信が入ると思うんだ。軍令部から3番機のパイロットにってことで。そう言われてるから」
 なぜ3番機だけが別配備になるのか、その理由は伝えられていないから、首を傾げながら舞は聞いた。
「通信? 特別指示か?」
「そうだと思う」
「そうか。わかった」
 そのときには、それがまさかそのような異常な命令だとは、舞自身も想像外のことだった。


 ――5121小隊から独立して、単独行動せよ。指示は作戦指揮官が行う


 このような軍事的指示は、まともではない。速水が受けた分隊指示そのものも理解しがたいものだったが、それに輪をかけているようなものだった。
 戦争は、たった1台の人型戦車をどうにかしたところで、変わるようなものではないはずだ。小競り合いのようなものなら別だが、速水が伝えるところによれば、軍部は大きな作戦を予定しているということだったから、ますますおかしい――。そう考えて、準竜師に聞いてみたところ、どうやら負け戦になる可能性がとても高い、大規模な作戦行動だということがわかったのだ。そして、この決定を覆す意思が、一族にはないことも――。




*****




 今回行われる作戦の中で、複座型士魂号をどのように使うつもりなのかは、指揮官から直接聞いてみないことには知りようがないことだった。それは、明後日、作戦本部隊と合流後に3番機へ伝えられることになっている。
「おかしな命令だとは思う。が……、従うしかないだろう」
 話してしまえば、肩の荷が降りたような気にはなるものだった。中身がどういうものであるにせよ、命令の不服従などあり得ないのが、軍隊だ。結局、与えられた指示の中、全力を尽くすしかない。
 自らの危険はこの際仕方がないと、舞には思えた。芝村であるかぎり、逃げ出すという選択肢はなかったが、3番機は二人乗りだから、同乗者をも危険に晒すことになってしまう。それだけが、気がかりといえば気がかりなことだったのだ。





「ああ、それはそうだが」
 舞から話を聞いて、来須は不承不承うなずいた。
 確かに、軍隊に所属する以上、命令には逆らえない。そして、今、腕の中にいる線の細い身体が、傑出した力を示す戦士であるということも、十分に知っている。が、しかし、それでも――。
「暁作戦か……」
 低いつぶやきが、来須の口元から漏れた。すると、舞は、くっと軽く笑ってから応えた。
「この戦いが、人類の明るい未来を呼び寄せる夜明けとなるように……だそうだ。呼び名で結果が決まるなら、すでに大勝利確定だな」
 自ら言いながらも、その未来を信じてはいないようなささやきを漏らした顔に向かって、来須はそっと手を伸ばし、顎を捕らえた。それから、静かに告げる。
「せめて……、勝利のおまじないだ」
 そのままゆっくりと口づけた。





 それは、第3次防衛戦争史上、最大規模の人類側惨敗として、後の世に記録されることになる暁作戦の、決行数日前のことだった――。




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