Promise
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| ――2001年11月、熊本。 「あ、あの……、す、すぐ、呼んでまいりますから。それまで、こちらでお待ちいただけますか?」 この小隊に配属されてから一月たらずの少年は、目の前の客に向かって、ややうろたえながら言った。 あらかじめ聞かされていた予定では、到着が明朝となっていたその相手は、隊にとって、完全な客というわけではない。明日付けの辞令で、副官になる予定だった。そのように連絡を受けている。しかし、今日の段階では、まだ配属通知が下りていないはずだから、外部からの客ということになるのかもしれなかった。 その到着がありしだい、小隊内の施設をまず案内するように言いつけられてはいたが、それは明日のスケジュールとなっている。経験の浅い少年は、このような場合にどうしたらよいのかわからず、ともかく上司を呼んで来ることにした。 「司令は、ハンガーにいると思いますので」 付け加えるようにして言ってから、すぐさま後悔する。実際に居場所を確認したわけでもないのに、あやふやなことを言うべきではなかったかもしれない。 すると、相手はやや首を傾げながら言った。 「ハンガー?」 そのしぐさには、司令が夜分にハンガーで何をやっているのかという、問いかけが込められているような気になり、あわてて応える。 「あ、はい。今日みたいな日は、たいてい……。――っ」 言いかけて、少年は口をつぐんだ。 初対面の相手に向かって、自らの上官についての話題を持ち出すのは、よいことではない。たとえそれが、この小隊内では口止めされていることではなく、配属されて少したてば、誰でも気づくことであるにせよ。 「と、ともかく……、ここでお待ちください」 逃げ出すようにして告げながら、室内を出た。相手が何か言いかけたような気がしたが、結局、司令を呼んでくればそれで済むことなのだと思い、長い廊下を駆け抜ける。 建物の外へ出てみれば、頭上は満天の星空だった。 |
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「あの……っ、少し、いいですか?」 小隊に配属されてから2週間がたったある日、少年は意を決して、目の前を歩く女性に声をかけた。 「はい?」 青く長い髪をゆるやかに結んだその相手が、穏やかな笑顔を浮かべながら応える。眼鏡の奥にある瞳が優しい。それに勇気づけられるようにして、問いかけた。彼女――田辺真紀――なら、きっと答えを知っていると思いながら。 「夜、歌が聞こえることがあるんです。毎晩ということじゃないですけど……。歌っていらっしゃるのは――」 最後まで言う前に、田辺の瞳の趣が変わった。まずいことを口にしたのかと思い、身構えれば、相手は目線をわずかに反らしてからつぶやいた。 「敬語を使うということは、それが誰なのか、もう知っているというわけね」 「あ、あの……」 なんと返事をしたらよいのか戸惑っていると、田辺は表情をやわらげた。 「あなた……、ここに配属されてから、まだ間がない……でしょう?」 「は、はい」 「歌を口ずさみたいときは、誰にでもあることよね。他所の司令がどうかは知らないけど、ここではね、司令もその例外ではないってこと。それだけ」 にっこりと笑いかけながら、それでいて、それ以上その話題を拒否するような意思の強さがそこにあった。 「……」 少年が何も言えずに黙って見返すと、田辺は微笑みながら言う。 「司令のことが……、気になる?」 「は、はいっ」 少年にとって、司令は憧れそのものだったから、図星を指されて、つい飛び上がって返事をした。 「うちの司令は変わっているものね」 田辺が軽く笑いながらつぶやくと、少年は身体を硬直させた。 「はい、いいえ。そんなことはありませんっ。僕は光栄ですっ。配属先がここだとわかったときには、友人たちもみんな、羨ましがっていました」 それは事実だった。 16才の若さで、アルガナ勲章を手にしたエースパイロット。壮絶な経過をたどった、暁作戦への参加後、一個小隊の司令となり、そして――。 今、この小隊が他の追随を許さないような戦果を上げているのは、その司令の存在ゆえなのだということは、誰にでもわかることだった。たとえ、その指揮ぶりが、通常、司令と呼ばれる立場のものが採るやり方ではないにせよ、示された結果の前では、何も言えない。 「我に続け……ね」 田辺が口にしたその言葉こそ、他に類を見ない、独特の司令指示だった。 普通、司令ともなれば、指揮車に搭乗し、最前線に出ることなく、後方から指示を出す。が、この小隊の司令の場合は違った。絶対に、指揮車に乗ることはない。自ら人型戦車に乗り、戦いの最前線に立って、戦場を縦横無尽に駆け巡って闘う。 戦場で、実際に指揮車へ乗り込んでいるのは、田辺だった。その状況分析は的確で、隊員たちを見事に誘導して行く。その点では、司令と呼ぶべきは、田辺のほうだった。しかし、田辺が決して持ち得ないものを、この小隊の司令は持っているのだと、ともに戦ったものにはわかるのだ。 「あれは……、私には――、ううん、きっと他の誰にも言えない……わ」 それは、覇気と呼ぶべきものなのかもしれない。この人がいるなら、きっと負けることはないと、随伴するものに思わせるだけのものが、そこにあった。戦場での誘導だけではなく、普段の部隊運営すら、満足にやっているとは言えない司令ではあったが、部隊の戦績が落ちることがないのは、この鼓舞によるところが大きい。同時に、その風変わりな司令をフォローしている、田辺の部隊内での存在感もまた――。 「あ、あの……っ、司令とのお付き合いは――」 ――長いのですかと、少年が聞こうとすると、それを遮るかのように、田辺は静かに微笑んだ。 「もうお昼休みはおしまいね。仕事をしましょ」 「は、はい」 促されて、小柄な少年は踵を返して駆け出した。 そうして、その背中を見送りながらつぶやいた田辺の一言が、彼の耳に届くことはなかった。 「うちの司令は変わってる……か」 常に清んだ穏やかさを示している青い瞳に、翳が浮かぶ。 やがて、ゆっくりとまばたきをしてから、田辺は補給物質の陳情をするために通信室へと足を向けた。 |
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先日、田辺と会話したことを思い出しながら、少年はハンガーへ向かって走った。 田辺に話しかけたときに考えていたように、今日のような星がきれいに見える夜には、司令は必ずハンガーにいるはずだった。正確には、ハンガーそのものではなく、その脇の階段を上がりきった踊り場にだったが。 想像したとおり、ハンガーへ近づいたあたりで、その歌声が聞こえて来た。 ――はるかなる未来への階段を駆け上がる ――あなたの瞳を知っている それは、ガンパレードマーチの一節。軍隊に所属しているものなら、誰もが唄うことのできるものだった。小隊の司令が、それを口ずさんでいるからといって、あらためて驚くようなことではない。だから、ここへ配属されたばかりの頃には、あまり気にも止めていなかったが、ある日、突然気がついた。司令が唄うのは、星が見えている夜だけだということに。 田辺に聞きたかったのはそのことだったが、それについては、もう触れないようにという意思を、あの青い瞳は伝えていた。 「司令っ、そこにいらっしゃいますか? お客さまです。あ……、はい、いいえ、違います……、あ、あの――」 今、司令室に待たせている人間を、果たして客と呼んでよいのかどうか、再び迷いながら、少年は階段下から声をかけた。すると、澄んだ歌声がぴたりと止み、ややあってから、「なんだ? 客? そのような予定はなかったはずだ」と言いながら、降りて来る人影があった。 「それが、明日お見えになる予定の副官の方で――」 答える少年の目の前に立ち、相手が言う。 「副官? ああ、あの上層部が押しつけて来たやつか。まったく、人を何だと思っている!? そのようなものはいらんと言ったのに――。これだから、実戦経験のない輩は……」 不機嫌極まりないその瞳に、少年の身体が引き締まる。 年はいくつも違わず、身体の大きさも似たようなものであるのに、その存在感は比べ物にならない。 「名前を聞いたか?」 「――っ。はい、いいえ。ただ……、今度ここの副官になるから……とだけ」 問われて、客の名前も確認せずに司令室を飛び出して来たのだと、少年はあらためて思い出した。予想外の来訪にあわてたとはいえ、これでは不手際過ぎる。自然と、目線が下に落ちた。その姿を見つめ、司令の声がやや柔らかいものに変わった。 「そうか。まあ、いい。直接会って、聞いてみることにする。だいたい、一人送るからと、名前も聞かされずにいきなり言われただけだからな。辞令が出るより先に来るなんて、何を考えてるのか知れたものではない。どこで待ってると言った?」 歩きかけてから振り向き、司令がたずねる。 「司令室です」 少年の答えに、「わかった」とだけ返事をして、彼の憧れの存在が歩き出す。 その背が、一瞬だけひどく華奢なものに見え、少年は軽く頭を振った。司令が、普通の女性のようだと感じるとはどうかしている。最近、連戦が続いたから、少し疲れているのかもしれない。そう思い直して、急いで後を追いかけてたずねた。 「芝村司令っ。明日の予定だった、部隊内の施設のご案内はどうすればいいですか?」 少年の問いかけに、いまだ10代の若き司令は、唇の端をわずかにほころばせながら応える。そのとき、高めの位置に結い上げられたポニーテールが、少しだけ揺れた。 「そんなものは明日でいい。夜に案内したところで、どうせ、わからぬだろう」 そのまま歩き去って行く足取りはゆったりとしていて、先程感じたイメージがどこにもないと、少年は思った。 |
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