一番星


 萌にクッキーを渡してから数日後の昼下がり――。
 中村は、校舎裏へと足を向けた。
 今日は土曜日で、もう授業はない。午後からは仕事時間となっているが、その開始時刻までには、まだ少し間があった。その前に裏マーケットを覗いてみようかと考えて、歩き出したその先に――、萌がいた。
 しかし、一人ではない。原と森がいっしょに立っている。そのままゆっくり近づくと、遠目に見たときには、軽い立ち話でもしているのかと思えたその三人が、どうやら和気あいあいとした雰囲気とはほど遠いものをかもし出していることに、中村は気づいた。
「どうして、何も言わないのよ!?」
「言いたいことがあったら、はっきり言ったらどう?」
「……」
 詰め寄る原と森に対して、萌は何も答えず、ただ黙ってうつむいている。
 ふいに、原が中村のほうへと顔を向けた。
「あ、あら……」
 そのまま通り過ぎることもできたが、それはせずに足を止めて、中村は聞いた。
「どぎゃんしたん?」
 どう眺めても、二対一のやり取りである。そのいきさつは、中村には知りようもないことではあったが、このように数を頼んで何かをするということは、好きではない。文句があるのなら、正々堂々と一対一で話をつけるべきであると思えた。
 そうして、たずねる中村に向かって、原が言った。
「な、なんでもないわ」
 それから、森へと視線を向けて続ける。
「行きましょう」
「あ……、はい」
 促された森は、歩き出した原の後を追いかけるようにして立ち去った。
 二人の背を見てから、視線を戻した中村が声をかけようとしてさらに一歩近づくと、萌は下を向いたまま後ずさる。降ろした前髪のせいで、その瞳は見えない。
 脅えさせたような居心地の悪いものを感じ、なんと言ったらよいのか、中村は迷った。そこで、片手で頭をかきつつ、なんとか口を開く。
「あのな……」
 その声を聞くなり、萌は身体をびくりとさせて、わずかに首を振った後、いきなり中村の脇を駆けぬけた。
「おいっ」
 その瞬間、揺れた前髪の下に見えた瞳の端には、午後の日差しを浴びて光るものが浮かんでいた――。






 ――翌日、朝。
 昨日の夜半から降り続いた篠突くような雨は、明け方になってようやく止んだ。しかし、空はどんよりと曇っていて、今にも再び泣き出しそうなありさまである。
 日曜日である今日は、仕事も授業もない。どこかへ遊びに出かけるものもいれば、訓練や仕事に向かうものもいるが、この日、とくに予定を持っていなかった中村は、尚敬高校へ行くことにした。
 昨日の午後に見た萌の瞳は、その後ずっと脳裏に焼きついている。それは、以前夜中に見かけた穏やかな横顔とも、また、先日クッキーを手渡したときに見た、優しい笑顔ともまったく異なるものだった。
 どうして、こんなにも萌のことが気になるのか、よくわからない。その都度出くわす表情が、あまりにも違うせいなのかもしれなかった。昨日は、そのことに戸惑い、萌を追いかけることもできず、呆然と見送ってしまった中村である。走り去って行く背中が深い哀しみを伝えているような気がして、なおさら、むやみに声をかけられなくなっていた。
 結局、当初の予定通りに裏マーケットに行き、特別に買うものもなく学校へと戻ってみれば、萌の姿はどこにもなかったのだが――。




 中村がプレハブ校舎の前を通り過ぎようとしたとき、ちょうどその軒下に本田と芳野がいた。
「あれ? 雨漏りしてらぁ」
「雨漏りじゃないですよ。もう止んでます」
 頭上を見ながら言う本田を、芳野が軽くたしなめる。
「そっか。それじゃ、雨が染み出して来たんだな。安普請だからな、ここは」
「何年も前に、生徒たちが作ったものだそうですから……。仕方がないですよ」
「そうだな。だけど、これで子どもたちの生活環境が悪くなるぜ……」
 芳野の言葉に、つぶやくようにして応えた後で、本田は目の前を歩く中村に気づいた。
「あっ、中村。ちょうどいいや。おまえ……、今日は何か予定があるのか?」
 突然、教師から声をかけられて、中村は足を止めて応える。
「別に……、ないばってんな」
 すると、本田は明るく破顔しながら言った。
「そうか? そりゃ、よかった。おまえ、家事は得意だろ!? 少し、衛生官の仕事を手伝ってやれよ。昨日の雨のせいで、ここは具合が悪くなってるからさ。石津一人じゃ、大変だよ」
 唐突に萌の名を出されて、一瞬どきりとはしたが、それをなんとか堪えながら、中村はうなずいた。
「しょうがなかねぇ」
 しぶしぶといった感じで応えたのは、精一杯の虚勢であったかもしれない。
「なんだ、なんだ。その言い方は!? 衛生官というのは、みんなの健康にもかかわる大事な仕事だぞ?」
 いさめるように言う本田に対して、「そぎゃんこつは、わかってるから」とだけ応え、中村は早々に整備員詰め所へと足を向けた。




 室内に萌はいるだろうかと思いながら、中へ入って見回せば、そこは無人だった。そのことにホッとしたようなものを感じながらも、どこかに残念だという気持ちもある。
「まあ、んね。始めよう」
 しかし、何から手をつけてよいのか、中村にはよくわからない。とりあえず、掃除からやるかと考えて、部屋の隅にある用具入れに近づいて手をかけたとき、カタリと小さな音がした。振り向けば、萌が入り口に立っているのが見えた。
「……」
「あ、いや、そん……。ちーっと、本田先生に言われてな。仕事ば手伝ってやるから」
 本田に命じられたことは嘘ではなかったが、そのことで萌の手伝いが大手を振ってできると思ってしまったことは、なぜか口にはしたくなかったから、中村はできるだけ無表情を装ったつもりで言った。
 すると、じっと見つめた来た後で、萌は口元をわずかにほころばせた。
「そ……う……。あ……りが……と」
 か細い声ながら、中村の心にはやけに大きく、その返事が響く。
「――っ。あ、ああ。え、えっと……、そうだな。何からやってよかのか、わからんばってん。そ、掃除からでよかのか?」
 額に汗が浮かぶのを感じながら中村が言うと、萌はこっくりとうなずいた。
「今日は……、曇……りだから――。洗……濯は、やめた……ほうが……いい……し……」
「わかった」
 中村にとって、家事はお手の物である。掃除にしろ、洗濯にしろ、萌の足手まといになるようなことはない。萌が特に指示を出さなくても、簡単にこなすことができる。そのことに心が弾んで来るのを感じ、中村は必死に身体を動かした。





 一心不乱に励んで数時間後――。
 仕事をしているときに、萌との間には会話らしい会話はほとんどなかったが、そのことに対する不満を、中村はまったく感じなかった。
 室内が暗がりを見せつつあるのに気づいて、時計を見る。
「もう、こぎゃん時間たいね。そろそろ終りにしようか?」
 声をかけると、「そ……うね」と、萌が応えた。それから、中村を見上げて続ける。
「手伝……ってくれて……、う……れし……か……っ」
 必死に振り絞るようにして告げる姿に、中村はあわてて言った。
「さ、さて……、帰ろうばい。一緒に……、か、帰らん?」
 最後は、恐る恐るというような物言いになってしまったことに、内心舌打ちをすると、萌は黙ったまま、そっと静かに近づいて来る。
 そうして、整備員詰め所を出た二人の目の前に、真っ赤な夕焼けが広がっていた。
「明日は、晴れるとよかなぁ」
 思わず、中村は言った。
「洗……濯が……、たく……さん……でき……そう」
 空を見上げならつぶやいた萌の横顔が、茜色に輝いている。それにまぶしいものを感じて、中村は無理矢理に視線を空へと向けた。その視界に、大きな星が映る。
「一番星だね」
「あ……」
 それは、宵の明星とも呼ばれる金星――。星々が群れとなって輝き出す前に、仲間から外れてたった一人ぽつんと光っているその姿は、どこか寂しげなものを感じさせた。
「今日……は、あ……り……がと」
 空を見上げながらあらためて言う萌の声を聞いて、後で洗濯洗剤を買いに行こうと、中村は決めた。たった一人で、部隊全員の衛生環境を担っている萌が、少しでも楽になるように――。


 オレンジ色の空の中、白い星が大きく煌めいた――。




(了)

 二人の仲は、少しは進展した……でしょうか。書いている人間のほうの熊本弁技能は少しも上昇してませんので(^^;)、今回も、中村のセリフ部分は、すべて、変換プログラムのお世話になっています。
 冒頭の、原先輩と森さんのいじめっぽい場面ですが。これ、どうしようかとずいぶん考えたのです。やっぱり、いじめって、よくないしね。その、よくないことをやっているという情景を描写することに、ためらいが……。あるキャラを描くために、別のキャラに悪役を割り振る、、、なんてことは、したくないので……。でも、「二人が萌をいじめてることを、中村は知っている」っていうのは、ゲーム中に出て来ることで、そのことが、私自身の中で、中村×萌が産まれるきっかけでもあったので、あえて書きました。意味もなく、悪役がストーリー上に欲しいだけで書いたわけではないということ、ご理解いただければ、うれしいです。

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