バックアップ





 四月に入り、三週間が過ぎた。先月の末頃には優勢だった人類側は、十日ほど前に大量発生した幻獣たちの勢いに飲まれ、じりじりと後退を強いられている。穏やかな春の光に包まれる熊本の大地は、その気配とは裏腹に、肌寒い未来を露呈しつつあった。
「……い。舞っ」
 肩を軽く揺すられて、舞はうっすらと目を開けた。
「――っ。な、なんだ!?」
 問い返すと、視界に入った人影が低い声で言う。
「そろそろ日が落ちる」
「いつの間に……」
 見回せば、確かにあたりは茜色の風景となっていた。
 プレハブ校舎の屋上で、ほんのいっときと思い、腰を降ろしたのは昼休みの最中だったから、かれこれ四時間近くのあいだ、うたた寝をしていたことになる。
 傾きかけた夕日が導く逆光の中、帽子を目深にかぶっているためもあって、相手の表情は見えない。
「風邪をひく」
「あ、ああ。そうだな」
 静かな響きに促されるようにして、舞は立ち上がった。同時に、わずかなめまいが身体を襲う。
「――っ」
 よろめきかけるのを、大きな腕がすぐさま支えた。見上げると、蒼い瞳と視線がまっすぐに合う。
 先に目をそらしたのは、舞のほうだった。居眠りをしていたのを見つけられてしまったせいもあり、また、その理由を一向に来須が問いかけないせいでもある。
 ため息を一つついてから、舞は言った。
「だ、大丈夫だ。少しふらついただけだからな」
「……」
 このところ、一日と間をおかずに続けられた出撃は、確実に隊員たちの身体を苛んでいた。舞とても、もちろん例外ではない。疲労は蓄積し、翌日へと持ち越される。
 要請とは聞こえがいいが、実質断ることができないそれは、命令に等しいものだった。
 否応なく、戦場へと駆り出されて行く学兵たち――。
 それでも、彼らは必死に戦い、幻獣を撃破していった。が、未だに、戦争の終りは見えてこない。
 自然休戦期まであとわずかというこの時期――。
 すでに、宮崎も鹿児島も福岡も陥落している。五月の中ごろまでに、熊本から幻獣を駆逐できない限り、おそらく政府は九州の放棄を決定するだろうと思われた。





 相手が黙っているので、「士魂号の調整に行く」とだけ言い、舞は歩き出そうとした。その腕を来須が捉える。
「今日は、もう帰って休め」
 とがめるようなつぶやきに、すぐさま言い返す。
「何を言う!? もう少し調整しておかなければ、三番機はまともな出撃ができない」
 昨日の戦闘で、三番機はかなり消耗が激しかった。
 戦況が悪化し、部品の調達もままならない現在では、以前のような、修理するぐらいなら新品を搬入したほうがいいというような考え方は通用しなくなっていた。人類側が優勢であった頃ならば、それでもよかったが、今は違う。
 失われたものが次にいつ配備されるか、誰にも予測できないようなありさまである。つまり、予備機など、どこにも存在しない。それほど、自衛軍は切羽つまっていると言えた。
 戦闘後に格納された士魂号の調整をしているパイロットや整備士たちの働くハンガーも、夜明け近くまで明りが消えることはない。しかし、そうやっていても、人型戦車を最良の状態に持って行くことは無理だった。そこまでするだけの、時間的なゆとりがないのだ。
 一日でいいから、戦闘のない日が欲しい――、それは学兵たちの誰もが抱く願いとなっていた。
「中途半端な調整で出撃しては、いい結果は出せないだろう。出撃できないなら無理はしないというのも、次なる戦いのためだと思うが」
「そ、それは、そうかもしれぬが――」
 来須の言い分はもっともだったが、だからと言って、それに従う気は舞にはなかった。たとえ、ぎりぎりの状態であっても、そのときできることなら、全力をつくすのが当然である。戦いを他人任せにし、自身は高みの見物をするという選択肢などあり得ない。
「休むのは、後でもできる。だから――」
 来須の腕を振り切って、舞が走り出そうとしたとき――。


 ――201V1、201V1。


 左手の多目的結晶が、坂上からの指示を伝えるために輝きを増した。


 ――全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限り速やかに教室に集合せよ。



「ち――っ」
 来須の舌打ちが、舞の耳に小さく響いた。
「整備どころではなくなったな」
 言葉とともに舞が駆け出すと、その背中越しに落ち着いた声がかかった。
「無理は、するな……」
「そなたもな」
 言いながら、わずかばかりの不安が舞の身体を吹き抜ける。
 三番機の照準装置の精度はかなり下がっていて、意図した通りにミサイルが軌跡を描くかどうか、保証はできなかった。それを、なんとかうなずける程度には調整しようと思っていたにもかかわらず、連日の出撃の疲れのせいで、屋上でうたた寝をしてしまったのだ。
 無駄にした時間を取り戻すことはもうできない。この数時間の消費が、大きな矢となって突き刺さることのないよう、今となっては祈るしかなかった。







 5121小隊がこの日駆り出された戦場は、人吉地区だった。どちらかと言えば、住宅の密集している地域である。敵側にはスキュラも混じっていたが、それはすでに戦場では見慣れた風景となっている。
「速水っ、できる限り前方へ出てくれ」
 前部座席に納まっている速水に向かい、舞は言った。
「うん、わかった。でも、大丈夫かな」
 うなずきながらも、やや不安げなつぶやきを速水が漏らした。
「一発目で、あのスキュラを落とすことができれば、撤退するであろう」
 今の三番機の状態では、二発目のミサイルを予定通りに発射することは難しい。どうしても照準精度が下がるから、その隙をつかれる前に戦況を有利に持ち込みたいと考えてのことだった。
「そう……だね」
 緊張感から、速水が込み上がるものをごくりと飲み干して、うなずく。
 そのまま、複座型士魂号は、ビルの谷間をぬって動き出した。舞の方は、素早く演算処理を開始する。
 ややあって、速水が言った。
「このあたりでいい?」
「そうだな」
 言いつつ、すぐさま舞はミサイル発射の指示を士魂号に伝えた。
 計算上は、スキュラだけではなく、その周囲にお供のように付随している、ミノタウロスやナーガも射程に入っている。それらすべてを撃沈することができれば、即座に敵は撤退を開始するはずだった。
 そうして、放たれたミサイルは、きれいな弧を描いて宙を飛んだ。


 ――速水機、ミノタウロスを撃破
 ――速水機、ナーガを撃破
 ――北風ゾンビを撃破


 オペレーターである瀬戸口のナビゲートが聞こえる。ミサイルを撃ち込まれ、次々に消滅して行く幻獣たち。
 ところが――。



「だ、だめだよ、舞っ。スキュラだけがっ」
 無気味な形の浮遊要塞をかなり傷つけることはできていたし、それは、連日の戦闘で消耗している三番機からすれば御の字とも言える戦果ではあった。とは言っても、結局のところ、消し去ることができなくては、意味がない。
 望んだのは、一発目のミサイルでスキュラとそのお供を可能な限り撃沈し、残りの幻獣が襲って来る前に弾倉交換をして、二発目を発射することだったが、その思惑は消し飛んだ。
「くっ。やはり、無理……か」
 万全の状況ならば、それは可能な作戦だった。しかし、操り手の身体の具合が、そのまま戦闘結果として反映されるのが士魂号である。
 蓄積された疲労によって、速水にしろ舞にしろ、体力も戦闘能力も想像以上に落ちていた。
 緊張が走るコックピット内部のことをまるであざけり笑うがごとく、前方に浮遊している真っ赤な瞳が揺らめいた。
「舞っ。降車したほうがっ」
「いや――。降りても、逃げ切れるとは思えない」
 冷静につぶやいたつもりでも、その声には震えが混じっていた。
 戦いをあきらめるのは愚か者のすることだという持論を、舞は常に持っていたが、それでも、スキュラのレーザー射程内にいる今の状況が、最悪のものだという自覚はある。
 自ずと、右手に汗を握るはめになった。
 眼前のスキュラがその身体を揺らめかせ、標的に士魂号を選ぶ。連日の戦闘のために薄くなっている装甲が、浴びせられるレーザーを受けて、持ちこたえられるかどうか――。
 それは、賭けだった。
 耐えることができれば、二発目のミサイルを発射する間はある。そのように計算し、狙いを定めるための演算処理は怠らない。
 そして――。
 青い光が流れた。









「――っ」
 息を飲みつつ前方を見つめれば、スキュラの輪郭がぼやけていくのが視界に入る。
「ど、どこから 」
 速水の問いかけに応えるようにして、瀬戸口から報告が上がった。


 ――来須機、スキュラを撃破


 敵陣営の奥深くへ切り込んでいる三番機が位置しているところよりも、遙かに後方――。
 ビルのすき間に立つウォードレスが抱えるレーザーライフルが、空飛ぶ要塞を打ち落としていた。もちろん、その光線そのものは、人間の目では捉えることができない。先程の青い光は、視認用に直前発射された可視光線のものである。
 そうして、親玉のようなスキュラを撃破されたのを機に、幻獣側は次々と撤退を開始した。


 ――これより掃討戦に入る


 司令車からの命令が届き、数日ぶりの人類側勝利を目前にして、戦場を駆け巡る隊員たちの士気も上がって行く。
 そうして、逃げる幻獣を次々に容赦なく仕留め、小一時間後に戦闘は終った。









 ――同日、夜半。
 戦闘後の微調整を済ませた舞は、士魂号が格納されたハンガーから裏庭へ出た。
 頭上の夜空には、星がまたたいている。視線を右手に向けると、グランドにはまだ明りが灯っていた。それに吸い寄せられるようにして進む。
 グランドの外れにたどり着くと、来須と若宮が向かい合って立っているのが目に入る。
 舞から見て正面側に位置している若宮の顔はわかるが、来須の方は背を向けていたから、その表情を伺い知ることができなかった。若宮は、一生懸命話をしているようだった。どうしたものかと、ふと立ち止まって舞が考えたとき、若宮が来須の後方へと目線を飛ばした。
「あっ……っと。じゃあな」
 気をきかせたらしく、舞に対しても手を振ってから、若宮は正面玄関の方へ去って行く。そのしぐさにいざなわれ、舞はゆっくりと来須へ近づいた。
「……」
「その……、なんだ。今日は――」
 ――感謝すると舞が言い終る前に、来須はくるりと向きを変えた。
「行くぞ」
「え!? あ、ああ」
 取り敢えず、後ろへ付き従うようにして歩く舞に対して、幅広の背中が無言の圧力を与える。
 戦闘後には、パイロットとスカウトは別々のトレーラーで引き上げるわけであるし、尚敬高校へたどり着いてからは、士魂号の調整に手を取られていたから、舞が来須と話をするのは、屋上で揺り起こされて以来のことだった。
 今日の戦いで、三番機の窮地を救ってくれたのは、間違いなく来須である。
 しかし、眼前の大きな身体は、舞からの礼を拒絶していた。
「――っ。く、来須っ」
 グランド外れへ戻り、さらに裏庭から校門を抜けて通りへ出たところで、無言のまま歩く相手の背に向かって、舞は呼びかけた。
「……」
 立ち止まり、振り返りはしたが、来須は何も言わない。
「怒っているのか?」
 夕方、無理をするなという話をしたばかりである。その直後の戦闘で、舞はあきらかに無茶をした。それを来須が怒っているとしても、無理はないと思える。
 が、舞にしてみれば、それは、ここのところ押され気味の自衛軍勢力を盛り返すためには、必要なことだったのだ。助けてくれた礼を言う隙も与えないような態度を取られては、不愉快にもなる。自然と、まゆ根が寄った。
 ところが、来須の返事は簡潔だった。
「いや」
 一言である。帽子の下から見える、その蒼いまなざしは穏やかに澄んでいた。
「それなら、どうして――。そのような態度を取る!? 」
 感謝の言葉を告げるどころではない。そのような気持ちは宙に浮いてしまい、舞は来須に詰め寄った。
「怒っても、無駄だろう」
 軽くつぶやかれ、むっとして言い返した。
「無駄とはなんだ、無駄とはっ」
 これでは怒れと言っているようなものだったが、それに思い馳せる余裕がなくなっている。すると、来須は淡々と言う。
「無理をするなと言っても、どうせ、戦場でのおまえは聞く耳を持たん。だから、それを怒っても無駄だと言っている。そんなことに腹を立てるよりも――」
 そこまでで、来須は口を閉じた。
 そのように、話を途中で止められては、続きが気になる。当然のことながら、舞は先を促した。
「腹を立てるよりも――、なんだ?」
 来須は、軽く微笑んでから応える。
「ふ……っ。俺が自分で守ればいい。それだけだ」
「なっ!? わ、私は守ってもらわなければならないような、か弱い人間では――」
 ――ないという言葉は、来須によって勝手に引き取られた。
「――ないだろうが、間違いなく、率先して危険に飛び込む人間だろう。違うか?」
「うっ。そ、それは……」
 問い返されて、言葉に詰まる舞の肩を、来須がそっと抱き寄せる。そのまま、低く静かな声で言った。
「今日の戦いで、幻獣側を撤退に追い込めたから、おそらく明日の出撃はない。それが、目的だろう……な」
 明日は、久しぶりに来須と二人で出かけることになっている。その約束をしたのは、ずいぶん前のことだったが、それこそ、舞が無茶を承知で、スキュラが率いる幻獣の群れに向かって三番機を飛び込ませるように、速水に頼んだ理由だった。
 それを実現するために、連戦の合間でも、疲れた身体で士魂号の調整をして来ている。
 しかし、あまりにも続いた戦闘の中、一向に幻獣側を退けることは出来ず、常に自衛軍側が撤退を強いられていた。今日が、その最後のチャンスだった。
 一日でいい、出撃のない日が、舞には欲しかったのだ。
「――っ。気づいていたのか?」
 驚いて、顔を上げる舞の瞳に、穏やかな微笑が映る。
「ああ」
 うなずいてから、来須はさらに告げた。
「明日は、きっと晴れるだろう」



 その言葉を裏づけるように、夜空には静かに星が煌めいていた。






(了)
――初出:2001年秋発行の合同誌

RETURN