中国見聞録8 最終更新2001.12.9
1元≒15円です。
01.9.1 Y本さん到着
休日出勤中、Nさんは新しい赴任者Y本さんを迎えるためにホテルに戻った。そして二人一緒に会社に来た。Y本さんは学年で1年下、入社で2年後。Nさんも含めて同世代が3人揃うことになる。しかもYさんが間もなく帰るので総経理と工場長以外では私が一番無錫の先輩ということになる(^^;
01.9.2 テトリス
昼は八佰伴デパートで昼食を取った。1階の綺麗面亭は席が無く、6階の飲食街にした。麺と茶碗蒸のようなもの。どちらもまずまずだ。食後は7階のゲーム街でテトリスをしていたら、子供が横から指示を出してくる。「うるせえんだよ。」と言うと「シャンマ(何)?」とか言っていた。通訳が日本人だと教えると、子供は俺の顔を覗きこんでいた。無錫人と思ったという。
部屋に帰って4時間も昼寝。夕食は外に出る元気も無く、千年の穂でやきうどんを食べる。
01.9.3 カクさん来訪
私が初めて海外に出たのはもう10年近く前である。サンディエゴ工場への出張だった。そのときに空港で出迎えたのがカクさんで、今では別の事業部の事業部長である。カクさんの所属事業部が変わったので、会うのは久々だった。
夜は映画館そばの店で中国人スタッフも含めて接待。Nさんと私は遅れて行った。間もなくY本さんダウン。カクさんも「お前らこれはアカンぞ」などと中国式乾杯に怒りながら口が回っていない。へなへなになり中国式乾杯の犠牲者となってしまった。私は病気を理由に酒を飲めないのが幸い。
01.9.4 健康診断
私の帰国中、会社ぐるみで国際的な医療機関に加入していた。その健康診断の為に日本人5人で人民第二病院まで行った。この病院は6月に通訳と行ったがいい印象がない。今日は専門の日本人の先生と看護婦、スタッフ、それに中国人でも日本語のできるスタッフと看護婦に囲まれて安心できた。私の結果は珍しいくらいに完璧らしい。さすがに2ヶ月も酒を呑んでない成果である。
01.9.8 2軒でピアノ
珍しく、休日出勤の日本人は一人のみ。生産現場では梨を食っている奴を怒る。後で聞いたら私が注意したのは3回目で、結局解雇ということになる。
夕方はバス11路で相香味へ。銀座には19:00に行くと言っておきながら相香味そばの雅へ。ピアノ練習はこっちでもできる。ここで弾くのは久々である。1時間20分程弾いただろうか。席に付いたのは江南大生。日本語はほとんどできないのに筆談交えてかなりの会話量があったのが不思議だ。雅から月餅をもらった。22:30頃、歩いて銀座に移動。夜中、客がいなくなったのでピアノを弾く。奈々は思ったことをそのまま口に出すタイプで、「よくない」と言う。静が練習だと説明する。閉店と同時に帰宅。五木ひろし運転の車にママと静と乗りこんで帰った。
01.9.9 刀削麺、Georgeと再会
昼食は八佰伴6階。初めて刀削麺を作っているのを見た。小麦粉の塊にナイフを入れて麺を削り飛ばしている。刀削麺は料理漫画でしか見たことがなかった。もう一つ普通の麺を注文。刀削麺の方がまだマシだったが特別うまいわけではない。いずれにしても100円未満で食べられるのは魅力。
夜は銀座でピアノを練習してから竹屋から出前を取る。しばらくしてかつては会社で向かいの席だったGeorgeが日本人を連れてやって来た。日本留学については本当に失敗だったのか嘘だったのかは定かでない。今の仕事は通訳という肩書きではないにしろ、やはり日本人を相手にする仕事だそうである。問題児だった彼もまともに働いているようである。給料は同じでも残業手当てがつかないと言っていた。
01.9.11 アメリカのテロ
ニュースを見るとニューヨークでビルに飛行機が突っ込んだことをやっていた。事故かと思ったら...
01.9.12 広式料理
病気後、ほとんど日本人スタッフと一緒に夕食していない。酒が飲めないからである。しかし今日は帰国間近なYさんに誘われ、一度ホテルに戻ってから一緒に食事することになった。メンバーはYさん、洋子、Nさん、Y本さん。Y本さんとの食事はカクさん歓迎会を除き初めてである。歩きながら洋子は私の痩せた姿をいいと言った。店は中山路沿い、商業大厦の向かい辺りで、今まで気付かなかった店である。广式と書いてあるから広東料理なのだろう。食材を見て選ぶ。例によって動物は生きているものがいる。水槽に入った魚介類が多い。へびもいる。私は日式海鮮という魚介類の詰め合わせのようなものを選ぶ。また、青菜は欠かせない。茎の固そうな種類があったが洋子がおいしいというのでそれにする。全部で10品目以上。5人では頼み過ぎだ。意外に美味かったのはニラの餃子。
01.9.15
帰ってからいこいの写真が出ているHPを発見。写真には現在銀座の田原や静が写っていてびっくりである。
01.9.16 サパニー
朝食兼昼食に学前街のラーメン屋へ。Nさんに教えてもらったところ。醤油ベースで日本人に合うが麺のコシはやはりそうめん状。久々(今年初?)にすぐそばの楽器店、和声琴行で譜面を見るがいいのがない。向かいには新しい楽器店ができているが小さい。電子ピアノがパソコンにつながれてあった。売り物ではない。
夕方、百盛での買物。シャンプー売り場で日本人と気付かれずしばらく商品説明される。通訳が日本語で私に説明したことでやっと店員が日本人と気付き、他の店員に話して恥ずかしがっていた。「サパニー(無錫語で日本人)・・・」と言っていたので、怒り口調で日本語で「サパニーがなんや」と話す。以前、タクシーで工場長がサパニー・・・という会話を聞いて怒っていたのを思い出し、差別用語だと思ったのである。通訳に訊いたら別に差別ではないらしい。
このところ砂糖無しの烏龍茶が見当たらず、銀座に着いてから店員にスーパーでサントリー製を買ってきてもらった。銀座では歌のうまい中国人女性二人が来た。一人は少しピアノを弾いた。私の存在を気にしていたようだ。「エリーゼの為に」とクレイダーマン。簡単な曲ではあるが力強さは感じられた。
01.9.18 秋桜
会社の机の上に「無錫日本人向け飲食店」の印刷された紙が載っていた。このホームページ、ついに見つかったか、と思ってYさんに訊くと、Y本さんから渡されたらしい。慌ててY本さんに確認すると検索で見つけたと言う。
銀座で好きでない人が付いたので初めて秋桜へ。無錫で1,2を争う店と聞いていたので一度行って見たかったところ。純子さんは日本語を始めて1年ちょっとらしいがかなりのレベルだ。辺見えみりか小川範子を思わせる顔でいいキャラクタをしている。以前雅で歌の合間に「どんがらがった」とか「いやいや」を入れて歌っている人がいたが、ここでもやっている人がいた。訊けば純子さんが始めたというが本当か?
01.9.19 秋桜でピアノ
香港の営業所の日本人が工場見学に来たので案内した。この人、奥さんが香港人であり、本人も英語、広東語、北京語(普通話)ができるらしい。
夜は19:00に秋桜。早速ピアノを弾いてみたらまともに音が出ない。椅子に物が山積みされていた位だから誰も使わないのだろう。客が来る前の時間帯、日本語教育が為されていた。
01.9.20 日本人6人でYさん送別会、酒解禁
会社の日本人スタッフ全員でのYさん送別会である。日本人スタッフ全員のみで何かをするのは赴任以来初めて。揃ったとしても総経理だけがいない場合がほとんどである。場所はシェラトンホテル内の日本食レストラン。妙に高級な造りだが客がいない。私は3ヶ月ぶりに酒を解禁。不安な中、生物も数多く食べた。
01.9.21
夕食が終わった後、ライブカフェへ行く。ここで明日の話を決める。Yさんと洋子、SimonとRisaが蘇州に行くことになっていた。そして私とそのパートナー(?)だが、静香は乗り気でなく、洋子は薫を考えたようだ。私はこれに難色を示し(^^;、静香が行けば行くと言った。結果的に静香が行くことになった。
01.9.22 Yさん・Simonと蘇州
会社の車にRAMADAではYさんと洋子と静香、会社ではSimonとRisaが乗り込んで蘇州へ。観前街、留園、西園など。観前街での昼食では鶏肉の泥固め蒸し?が出てきた。蘇州独特らしい。楽器屋でYさんは胡弓?を購入。買う前に弾いてみるが音がまともに出ない。ピアノがあったので私は少し花好月圓や月亮代表我的心を弾いて見る。連れの5人の他、店員や客も周りを囲んでいた。留園から西園まで歩く途中、女性3人は例によって店員と値段交渉をしている。かなり長々としつこくやっている。洋子、静香のお馬鹿さん二人(失礼)はまあいいとして真面目そうなRisaも声を荒げて一緒に交渉している。傍で見ているとけんかのようで大笑いしてしまった。結局3人は買わなかった。30数元のものが20元まで下がったが18元を目標にしていたらしい。たった2元位、どうせ男が金を払うのだろうからどうでもいいと思うのだが、この辺が中国流なのだろう。
夜は最もRAMADAに近い健康路のバス停から211路のバスに乗車。夜は2元らしく「夜班2クァイ」と言われた。途中で降車する人がおらず、運河飯店でも降車扉が開かなかった。運転手に対して言葉にならない声を出す。「開けてくれ」と日本語で言うのははずかしいし、中国語もなんと言うべきかわからない。
相香味では、以前、店員だった雪子が一人で客で来ており少し話す。歩いて銀座へ。席に久々に泉がついたり、頼んだカラオケを別の席の小姐が大声で歌ったりするのでつまらなくなり帰る。桜前を通るとちょうどママとやよいが天外にいたが、席がない。秋桜行こうとするが結局便所だけ借りて帰る。このときに会った小姐の態度次第では寄って行ったのだが、日本語苦手らしく何も会話ができなかったので。
01.9.23 江陰
ワンタンで有名な店である王興記、中山路の本店へ行ったのは初めて。ここでの遅い朝食後、通訳とバスターミナルへ。バス時刻表を眺め、江陰へ行くことにする。どういうわけか高速利用のバスが使えず、一般道経由の便を利用。江陰までは真北に向かって1時間程度。到着後、街を歩き、やきいもを買う。これが美味い。街は落ち着いた感じで住みやすそうである。街の規模は日本の地方の大都市位か。タクシーで大橋そばの公園へ。長江にかかる大橋を見た。長江は対岸が見えない程川幅があるものと思っていたら、数百メートル程度だった。水の色は完全な泥色。バスで街まで戻り、ケンタッキーでの食事と買物。夕方に高速道経由のバスで40分程度で無錫へ。
夜は銀座でピアノ練習。早々20:30に店を出て櫻へ。やよいや瞳が付く。やよいは日本人からこのホームページについて話を聞かされたらしい。
01.9.25
会社で隣の席の通訳、Hunter。この男は清潔感が無い。机の上に食べない梨を並べ、底が腐っていることを怒った。
01.9.26 深夜まで仕事
工場の機械の1つがおかしくなり、購入元であるイギリスの系列会社に電話したりしながら1:30まで残業したが解決しなかった。こんなに遅くまでの残業は初。夕飯(22:20)でカップ麺を食べたのも初。
01.9.28 眼鏡ネジ落とす、日本語放送
タクシー内で眼鏡のネジを落としてしまった。RAMADA着後、工場長がホテルから懐中電灯を借りてくれて、Nさんが探し出してくれた。
夜、たまたまラジオを付けてAMにしてみたら日本語が流れてきた。北京放送の日本語放送である。あるとは聞いていたが初めてである。いつも雑音の多いAMは聞く気にならなかったので。
01.9.29 Yさん帰国
YさんはAM6:00に出発なので、早起きして見送った。これで第一期赴任者は全員姿を消した。
会社でコーヒーを3ヶ月以上ぶりに飲む。酒の解禁より遅れた(^^ゞ。
01.10.1 国慶節の上海
国慶節の7連休に突入である。7:30に通訳に電話し、8:30RAMADA待ち合わせとしたが、実際に来たのは9:00。私の淡い橙色のポロを子供の服だという。タクシーでバスターミナルへ行くとすごい数の人だ。上海行きのバスは11時近くのがやっと取れた。行くかどうか迷ったほどだが、俺は予定を変えたくなかった。朝食の為に駅に近い王興記へ。麺を食う。通訳は食べない。
時間前に改札を通ったが乗るのは私達だけ?。いやいや、もう一人、乗り場を間違えたおっさんを待って案内のおばさんに着いていくともうみんなバスに乗りこんでいるのであった。高速バスは無錫東のインターチェンジから高速に入る。通路を隔てた席のおばさんが通路につばを落とす。「アイヤー」という私に「中国人だから」と言って声を出すなという通訳。上海市内で渋滞にはまり、結局2時間程度かかった。今日はいつもの通訳ではないので、バス中ではいつもの通訳との日本語のレベル差を痛感。到着は滬太路の高速バスターミナル。ここは初めて。本数があまりなく帰りの便が早いので恒豊路のターミナルへ行って帰りの切符を買うことにする。通訳は歩きでも近いというがかなり距離があるのでタクシーの方がいいと思った。通訳は途中で自分の勘違いに気付く。さらに近回りしようとして裏道に入り、道を訊いたりしながら30分程かけてやっと到着。一番遅い19:25発の切符を購入。タクシーで豫園へ行くとこれまたすごい人出。一番の観光地に一番込む日に来てしまったのではないか?。俺は2回目。まずマクドで遅い昼食。あとはふらふら。カメラの調子が悪く(電池を買ったがフィルムが問題だったと後で判明)庭園内で写真を取れなかったのが残念。日本人グループも幾つか見られた。
タクシーで外文書店まで行こうとしたがなかなか乗れない。やっとつかまえたら、今日は車が近くまで入れないそうである。仕方なく歩いていく途中で名古屋?の日本料理の店を見つけた。行きすぎて一度外灘まで行ってぐるっと回った感じ。この辺の行動はコミュニケーションが完全でないことに起因する。外聞書店の週刊誌は全部売りきれ。歩いて味千ラーメンで食事した後、地下鉄に乗ろうとしたらなんと今日は18:00前に終了している。しかたなく南京路を歩き出すがすごい人なのでスムーズではない。疲れるばかりだ。時間の余裕がない。途中で味千ラーメンの別の店舗を通訳が発見。人民広場近くまで来てから北上し、とにかくタクシーの乗れる場所を探す。やっと見つけて一安心。通訳の喜ぶ声。今日は本当によく歩いたものだ。タクシーに乗ってからはスムーズ。19:00にはバスターミナルに到着。ここで蘇州、無錫行き乗り場の電光掲示板を見ると蘇州18:00と書いてある。無錫19:25などまったく出ない。乗り場を間違えた?。いや、ただこの便の表示がされないだけだった。車内でのVCD映画は先日通訳が上海に来たときに利用したバスと同じものだったという。便は違うという。
無錫着は21:30頃。ここで別れ、11路の小型バスに乗る。運賃箱はなく、車掌が乗りこんでいる客から1元を回収。ここでまたスムーズにいかないもので、どういうわけか走るルートが違いホテルそばで降りられなかった。国慶節で街中心部は通らない?。結局運河飯店まで行ってしまい、大飯店で買物をした後、銀座へ行った。疲れた1日だった。
01.10.2 靴2足
午前中は通訳と杭州旅行の検討。昼食に麺の店へ行ったら昼の営業時間は既に終了。八佰伴6階で焼きそばなどを食べる。安売りの靴を2足購入。通訳は私の好みと合わず「こっちの方がいい。」などとうるさいが無視。夜は崇安寺の街中で栗を買う。これまた通訳と意見が合わない。2ヶ所で購入。
01.10.3 路線バスでの通勤
写真屋へ行くと拡大写真を頼んだ人がいた。写真に写っている人物を見たら洋子で、頼んでいる人も当然洋子だった。
信林小火鍋で5元の麺。これは青菜や卵も入っていて、今までなんで食べなかったのか、と思うほど格安感がある。味もよい。
その後、初めての路線バス通勤。35路で終点一つ手前の太湖花園まで。街中を離れると、乗降客がいなそうな場合に通過してしまうことをやっと理解した。予想に反して大通りから少し入ったところのバス停に止まったので少し歩いて30路に乗り換え。35路は通常路線の他に支線と区間車があり、それらの方が長い距離を走るようである。区間車の方が余計に走るというのが感覚的に日本と違う。30路のバスに乗りこんで料金箱に金を入れようとしたら止められ、なぜか車掌?らしきおばさんに金を渡した。バス内は工事用の物を持ちこんでいる乗客が多い。場所柄か。30路はだんだんと工業団地へ入っていく。終点一つ手前の黄山路で下車。ここで32路に乗り換えて会社に近づく方法もあるが本数が少なそう。オートバイのおっさんが声をかけてくるが初めてなので歩いて所要時間を調べようとして無視。32路の会社に近いバス停(工業園2号門)まで5分位。さらに会社まで7分位。12時頃到着。工場内は一部電気が点いているだけ。生産していないので私一人である。帰宅は17:00。保安のおっさんが自転車に乗せてくれ、黄山路バス停まで乗せてくれた。30路は駅まで行く。経路を確認しながら終点まで。駅で乗り換えて帰った。
夜はバスで出かけ、新装後初めて峰へ。客は1組だけ。きれいになっていたが相変わらず料理の出るのが遅い。20:25に櫻に行くと客がいない。日本人は皆帰国してしまったか?。しかしその後は続々と客が入ってきた。秋桜へ移動。ママは日本に行っていていない。日本語皆無の新人が付く。
ホテルに戻ったら部屋の扉が開いていてチェックしてもらう。
01.10.4
昨日とほぼ同じ時間にバス通勤。今回は乗り換えのバス停を手前にした。
17:00に黄山路まで歩いて30路に乗り、東門で10路に乗り換えて崇安寺下車し帰宅。
18:30頃20路に乗りこむと銀座の店員と常連客も乗りこんできた。せっかく一番乗りしてピアノ練習しようとしたのに。竹屋で食事することにしたがカツ丼が出てこないので銀座へ移動。出前してもらう。銀座には以前来たピアノのおばさんが来ている。ママも合わせ3人共俺と同い年?。どうしてもショックを受けてしまう。カツ丼で食い過ぎ状態になり気分が悪く、早々と帰る。
01.10.5 杭州1日目
赴任後初の一泊旅行。6:40RAMADA発。崇安寺で麺を食べる。一人3元。一応有名な店らしい。朝のメニューは1種。油揚げやきのこが麺の上に乗っていて脂っこい。俺は麺主体に、通訳は具主体に食べる。タクシーでバスターミナルへ7:00着。バスは7:20発杭州行き。蘇州までは高速道で、その後一般道と有料道?で嘉興からまた高速道。下道で一度休憩があった。途中で友好飯店に携帯電話で宿泊予約。このホテルは街中で日本語対応もある。約4時間と聞いていたが実際は3時間20分程度で到着。杭州の東バスターミナルがまたすごい人の数。帰りの切符を購入。交通渋滞で空気が非常に悪い。タクシー16元で友好飯店へ。高架道も結構あった。
朝から脂っこいものを食べてバス酔いした通訳が友好飯店前の病院に入って吐いてくる。12時前だがチェックインできた。この場所にして部屋もこぎれいで450元はリーズナブル。予約無しだと480元なのだそうだ。16階の部屋から街も西湖も見えてよい眺めである。
早速西湖に向かって歩く。スターバックスを発見してびっくり。私は未だに日本のどの街の何処にあるか全く知らない。西湖は観光客で賑う。これだけ湖と街が隣接しているのも珍しいのでは?。自称管理人という人達が話しかけてくる。どこに行くのにどのバスに乗ればいいのか教えてくる。二人目の人(男)は、無錫は蘇州の一部だと思っている程知識がない。日本は戦艦を作っているのかなどという話しをしてきたようで頭にきたが、これについてはニュースを見ていない自分が悪い(^^;。バスK808路で六和塔へ。このときKの意味がわからなかったが翌日空調だとわかる。冗談で「観光のK」だとか「杭州のK」だとか通訳と話したがそれではとぢらも日本語だ(^^;。六和塔では臭い豆腐の油揚げをしている店がいくつもありとにかく臭い。動物の小便かと思ったくらいだ。きれいでない店で麺を食う。六和塔から見る景色は抜群。山の緑、川、西湖、街並みが見渡せる。
バスK808路で西湖南端まで戻り、公園を歩いて船に乗る。船の路線が地図や案内や説明と違う小島に付き、そのまま別の船に乗り換えて目的の三潭印月という島へ。島の中に池が3つもあって地図で見ると面白いが、実際はそれほど印象がない。船で街側へ。スターバックスで休憩してからデパート。部屋に戻り休憩。
夕食は大不同面館で鳥スープの麺を食べた。日本のインスタントラーメンを思い出させる風味で、中国のラーメンでは今までで一番自分に合っていると思った。その後、昊山路の夜市で土産物を見て楽しむ。
01.10.6 杭州2日目
街を散歩がてら朝食。私はまた麺だ。有名な店だと通訳が言った。でも昨日の店の方がうまい。繁華街を歩き、上海でも乗ったことのないトロリーバスに乗車。普通のバスより振動が少ないものと思ったが何も変わらない。ホテルに戻ってチェックアウトし、荷物は預ってもらってバスで昊山へ。西湖の船から一際目立った城隍閣からの眺めは抜群。うぐいすのいるらしき柳浪聞鶯へ行く時間はなくなり、昊山の出店で土産物を見る。バスK8路でホテルそばの井亭橋下車。昼食の為、私は九佰碗老湯面というまた麺の店。通訳は隣のケンタッキー。名物のお茶を買う。杭州でもやはり日本人をサパニと言っていた。ホテルで荷物を受け取って出発したのが14:30。東バスターミナルは大渋滞で、まともな停車位置でないところで下車。東ターミナルのバスターミナルはかつて見たことのない巨大さ。乗りこんだバスは運転席ガラスにひびが入っている。来たときと同じ「無錫快客」で15:30発。運転手は顔が険しくスピードを出したがる。前の車がどかないことに怒り、独り言をしている。下道では蘇州まで運河沿いに走り、特に十隻以上の船が連なる姿は壮観。運河にも道路と同じ距離数が表示されているのになぜか感動。車内はアクション映画でみんな笑っている。しかしどうも言葉が理解できないのと(吹き替えが普通話で字幕が広東語と英語)景色を見ようとすると周りで笑いが起こるというタイミングの悪さに腹がたった。香港ものかと思えば福建省という字幕が出ていた。一人、途中下車希望の客がいたが運転手が拒否。一人の要望にだけ答えるわけにはいかないらしい。
無錫着は18:45頃。写真屋で「明日」というのを無錫語で言われたらしくわからなかった。
部屋に帰るが、夜は銀座に呼び出される。なんでも俺をよく知る人が昨日から働いているという。まさか静香?。ちょうどNさんが銀座に顔を出したらしく、五木ひろしがNさんをRAMADAに送って私を銀座に乗せていった。銀座で働いていたのは静香でなく洋子。これは予想外だった。インスタントカメラで数名の写真を撮ったのが好評?。フィルムがなくなってしまった。
01.10.8 銀座一周年
朝食で牛乳を解禁。入院後は初だ。
夜は杭州土産を持って銀座へ。今日が一周年である。土産は黄金の招き猫。夜市で買ったもの。さすがに今日は客が多くカウンターとなった。
01.10.11 交通違反
日本人4人で帰宅。何を違反したのか車が公安に止められてしまった。運転手だけ連れて行かれ、しばらく待つ4人。ここでよくわからないのがおじさんとおばさんの二人組。警察、交通取り締りとどういう関係があるのか?。我々に話しかけてくる。しばらくして運転手解放。罰金100元位?。道路の右寄りから抜いてはいけない?
01.10.12 Lind結婚
暑い季節が過ぎて結婚が多いようである。今日は美麗都ホテルでQAのLindの結婚式。低身長で物静かで伊良部顔のLindにあまりにもきれいな嫁さん。今回、中国製の赤い金入れ袋が手に入らず、手持ちの日本製のお祝い袋で金を渡した。会では自分は酒が飲めないので沈んだまま。日本人3人含め、皆Lindoの家へ行ったが、行かず。
01.10.13 誕生日
8:00起き。BSのドラマの再放送を見始めてしまい、10:00頃やっと会社に向かう。35路のバスがなかなか来ない。反対方向(駅行き)の35路は4本位通って行った。10分以上すぎてやっと来たのは込んでいて、また10分位待つと35路と35路支線がたて続けに来た。どちらでもよい。乗り換えの為に下車して30路が来るまでに35路系が2本過ぎ去った。どうもダンゴ状態になってしまっているようだ。会社には11:20頃着。
帰りは16:30にY本さんと。途中で自転車をひきそうになり車が急ブレーキで停止した。こりゃ当たったな、と思ったら寸前で停止。これほど危なかったのは中国で初めて。
部屋の蒸水器の水漏れに悩み、台所へ移動。ここなら下がタイルなので平気だ。
ルームメイドが「Happy Birthday!」と言ってきたのは驚いた。知っているとは。
ホテル周辺数店で結婚式の金入れ袋を探すが無い。タクシーで無錫大飯店。この附近でも探すがない。スーパーではかばんを持ったまま入ったら案の定おっさんにとがめられた。全く店員に見えない服装。ちゃんと見ているものだ。店内で店員に話しかけられる。相手の言ってることがわからないが、私との会話はだいたい次の通りだろう。「わからない。」「普通話がわからないのか?」「俺は中国人ではない」「普通話話してるじゃないか」。といったところか。銀座には19:00。カラオケの合間、ケーキが出てきてハッピーバースデーを静などが歌った。ちょっと恥ずかしい。22:00に五木ひろしに送ってもらった。部屋にはホテルからケーキが届いている。その後タクシーで出直し、秋桜へ。ここでも同様にケーキとハッピーバースデー。来年は何店回ろうか?(^^ゞ。実はケーキは好きではなく、ほとんど食べない。
01.10.14 Betes結婚
会社内でかなり上の地位であるBetesの結婚式。RAMADAから歩いて行ける大地飯店という新しいホテルのダンスホールが会場。終了後はBetesの家へ。中国によくある集合住宅街。郊外で小奇麗な感じである。ここで見た結婚記念写真がすごい。いろいろな衣装を着てポーズをとったもの。のび太顔のBetesが萩原流行の様な顔で写っている。日本人(工場長、Nさん)と先に帰る。
通訳とカルフールへ行ってみた。日本では関西と幕張にある?。全く知らなかったがY本さんが教えてくれたもの。なぜ私には誰も教えず赴任後間もないY本さんが知っているのか?。ホームセンターとスーパーを一緒にしたようなもので、日本人にとっては非常に買い易い。封筒、サッカーボールなど購入。マーガリンがやっと手に入ったのは大きい。生鮮食料品売り場では一人暮しの時にジャスコに買物に行っていたことを思い出した。それにしても食料は日本と大きな価格差がある。大雑把にいって10分の1位か。やはり自炊すべきか?。でもやる気がない。
01.10.18 会ったことのある日本人に中国人と思われる
日本から3人出張で到着。そのうち二人は初対面でないが、私の印象はほとんど残っていないようだ。夕食で竹屋へ行ったときは「なぜ中国人が一人付いて来るのかと思った。」と私に対して言った(^^;。
01.10.20 通勤バスに乗る
今月の休日出勤はいつも路線バス利用。日本にいるときは土日ゆっくり寝ていることで体調を整えていた。無錫に来てから土曜日も会社の車で7:30に出発していたが、止めることにした。会社まであと5分位のところを歩いているとき、会社の通勤用大型バスが通った。11時頃、なんでこんな時間に?という時刻。なぜかLunaも乗っている。ドアに近づき乗せてもらうことにした。誰かが運転手に話してくれたのだろう。バスは停止した。中にはSimon、Risaなどもいて笑っている。あとはだいたい知らない社員ばかり。新区の運動会の開会式に行ってきたところとSimonが言ったがよくわからなかった。皆、上着だけ作業服を着ていた。
01.10.21 ピザハット
百盛内のピザハットへ。ここは初めて。スパゲティ、ピザと飲物で100元超。日本でも行ったことないが、日本以上に高くないか?。12:00頃には店の外に列までできていたが一体何がうまいのか?
1:00に銀座のママが来ることになっていた。が、なかなか現れなかった。銀座の静に電話で確認すると、ママは風邪をひいているらしく遅れるという。14:00近くに到着。RAMADAは初めてらしい。8月に見つかった私の病気、〇〇〇〇を治療できる機械のあるところへ行くはずだったが、日曜はやってないとのこと。ママの父親が医者で偉い地位らしい???。土日は休みらしいのだが、来週土曜日に行けるように話をつけてくれた。
部屋に戻り通訳を呼ぶが電話に出ない。1時間位たってかかってきた。夕方、一緒に散髪屋へ行ってもらう。ホテルのそばだが初めての店。歩道から店内が丸見えである。例によって10分以上の洗髪。途中で通訳は帰った。その後、カット担当者は切り方の確認の為に通訳を探したりした。私は金を払うまでほとんど会話無し。30元は今まで出一番安い。部屋に帰ってよく見てみると後が長い。
01.10.22 事業部長潰される
夜、日本の事業部長と経理部長の歓迎会だった。場所は今までよく使ったHOME
MART(好買得)横の万家灯火という中華料理。総経理が事業部長に酒を飲ませて潰す計画をたてており、我々は指示に従わざるをえなかった。事業部長は相当強い。中国式乾杯をいくらやっても平気で吐かない。しかし帰るときは一人で歩けず、両側から肩を抱かれながらホテルまで歩いた。10分程の距離がある。中国ではこのような酔っ払いは珍しいようである。確かに見たことがない。すれ違う通行人で笑っている人もいる。部屋に連れて行って寝かして退散しようとしたらこのときになって吐き出した。洗面所周り、その他汚れてしまった。吐く人の介抱というのは私は大嫌いな為、なるべく関わらないようにしたら、総経理から「冷たい奴」と言われた。このような原因を作ったのは総経理のくだらない魂胆であり、俺の知ったことではない。
01.10.23 最新タクシー
帰宅時、会社の車がなかったり運転手がいない場合はタクシー利用となる。今日のタクシーはパワーウィンドウやTVが付いていて乗り心地もよい。こういったタクシーは初めてだ。運転手も得意そうである。
八佰伴1階で見かけたのは千年の穂の元店員を見かけた。彼女は店員の中でルックス的にはNo.1だったのだがいつのまにか辞めてしまった。私に気付いた様で軽く挨拶。帰り道では元銀座店員の許さんを見かけた。無錫には珍しいグランドコートのような格好をしていた。知っている人に街中でよく出会う。100万都市ながら世界の狭さを物語る。
01.10.26 うまい昼食
会社の食事調達業者が替わり、使い捨て容器から初めての金属食器となった。ごはんが新米だそうでうまい。やればできるのである。今までの御飯が中国の一般的な飯と思っていた。
01.10.27 病院へ
銀座のママが車で迎えに来た。ママの父親を乗せてから病院へ。家は中国によくある中高層のマンションで、ここはマイカーを所有する人もかなりいるようである。夜は車の留め場に困ると言う。ママの父親という人は、既に定年だが衛生局局長?をしていたらしく、今回お世話になった。初診の人なら本来は時間がかかるだろうが、スムーズだった。病院は市中心部でなく銀座などがあるところから梅園方面へ行ったところにあった。病院は中国にしてはいいレベルに見えた。服からして誰が医者なのかわからない。まず症状を知らせると同時に日本の定期検診結果用紙を見せる。日本では腹部超音波で2ヶ所の病院で異状が確認された。しかしここでの検査はX線だった。中国人は痛みが出ないうちに病院などへ来ない、と言われた。X線の結果が出るまで15分位だっただろうか。その間、ママが近くにいる私と同じ病気の人に質問した。その人は既に治療済みで、経過観察の為に来たとのこと。治療時間は25分程度だと話した。私の結果は異状無し。これには拍子抜けした。ママは「よかったよかった」と喜んでいるが、果たして本当なのか私には信じられない。X線の検査レベルが超音波より劣り、小さな異状を検出できないものと想像する。診察・検査料も請求されなかった。総てママの父親の権力か?
夕方、通訳が、先週行った散髪屋に連れて行ってくれた。襟足が長すぎて切り直す為である。担当者は別の人のカットをしており、別のスタッフが担当した。通訳は、本来無料でもいいところ、別の人でもよくやってもらえるようにと10元を店に渡した。
01.10.28 日本人会のテニス
801路のバスで南方面へ行ってみた。目的はカルフールと体育公園。801路は体育公園のそばを通らなかったのでまずはカルフールへ。近くを通る事はわかっていたが前を通るとは。人民大会堂下車。人民大会堂は国際会議場もあり、無錫にこんなものがあったとは?と感じた立派な施設。映画の上映もしている様。カルフールでは歯間ブラシを見つけたが、レジに並んでいる人が多く買うのを辞めた。5路のバスに乗ると乗客に何か訊かれる。「中国人ではない」「サパニ(日本人)」など話したが何も通じずきょとんとしていた。おそらく無錫人ではないと思う。体育公園近くで下車し、テニスコートに行ってみると、予想通りNさんや日本人会のテニス同好会の人らしき人達がプレイしていた。やはり新硬派はテニスはどうもやる気が出ない。嫌いではないのだが...。待ち合わせもあるので数分見ただけで帰る。3路のバスに乗り三鳳橋まで。百盛に近く買物をするのにちょうどよかった。
通訳と食事の為、タクシーで汽車西駅へ。タクシーを降りると宜興行きバスのプラカードを持ったおばさんの勧誘がしつこい。なぜ関係ない自分が連れて行かされようとしているのか理解できず日本語で通すがお構いなしだ。離れるまで時間がかかった。通訳とは韓国焼肉で食事。銀座の田原と常連客が入ってきた。
01.10.29 たこやき
先週、昼食業者が替わって金属食器となったが、今日から発泡スチロールである。確か使用禁止だったと思うのだが...
夕食は日本人スタッフ4人で「故郷」へ。店長お勧めのたこやきはなかなかであった。中国でたこやきといえば福娘で一度食べただけだと思う。実は私の好物である。工場長とYさんで、たこやき屋を経営したらもうかるだろうという話をよくしていたものだ。
01.10.30 UNIXシステム復旧
会社の生産設備のUNIXシステムが故障して困っていた。メーカーの代理店(香港)では最大2000ドルという値段が出たが、無錫市内の業者により4000元弱で復旧できた。6万円弱、3分の1以下である。中国も捨てたものではない。無錫程の都市になれば探せばほとんどの物はあるのだ。ピアノスタジオは見つからないが...
01.10.31 ラーメン屋
帰りが遅くなり、NさんY本さんとホテルそばのラーメン屋へ行った。二人は何回か行っているらしい。行ってみたら、通訳と2回行って人が多く入らなかった店とわかった。食べてみると、中国ラーメンの中では日本人ウケする味のトップクラスだ。杭州のラーメンを思い出す。無錫にこんなラーメンがあったとは。空腹だったことも大きい。冷静に考えれば、日本のうまいラーメン屋よりうまいと断言できる店などないのではないか。中国風ということで単純比較できないところもあるが。
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