Die Plauderei von Auftakt.

 いつもいろんなこと考えてるんですけど、時に書き留めておきたいな、と思うことがあって、思いついた時にここに書くことにしました。ご意見・ご感想・ご批判・反論など、ぜひ掲示板にお寄せください。

「領収証」ってなに??
 前回の更新から約3年経って、ずいぶん久しぶりの更新になります。 書く場所がたくさんあってどこに書いていいか迷う、というか、 書くところがどんどん閉鎖になっちゃって書くところを探すのに困る、というか。 でも、今日のデキゴトはここに書くしかないな、と思ったので久しぶりに更新することにしました。
 コトの起こりは年末に県から来た一つの文書。 11月に古い車を廃車処分にしたのですが、 業者さんから「あとで税金還付の連絡が来ると思いますから」とは聞いていました。 それが来ただけのことなんだけど。 県からの公文書で、「県からお支払いがあります」ってな感じの文書。 税金の返納であることはかろうじてわかる程度。まあそれはいいけど。 で、用紙があって、そこには宛先兼用の私の住所氏名等が書かれている。 そして最下部に領収欄があり、そこにも住所・氏名・印鑑・領収日付を 自筆するようになってるのね。で、そこに記入・押印して指定金融機関で 支払いを受けろと書いてあるの。
 でも、領収と書いてあるので、金ももらってないのに領収を書くバカはいないと思って そのままの何も書いてない状態で今日駅前の某地方銀行本店の窓口に持ち込みました。 窓口はそんなに混んでなくて、すぐに番号を呼ばれた私は窓口のおねえさんに 「これをお願いします」と出したのね。 すると案の定「この欄に今日の日付と住所・氏名をご記入いただき、押印してください」と言うわけ。 で、一緒に送られてきた注意書きみたいのには「身分を証明する書類(運転免許証・健康保険証等) をご持参ください」なんて書いてあったのでどちらも用意していたけど、それを見せろとは言わない。 どうやら彼らの手続きの手順としては、まず領収の欄に本人が(上の宛名欄に書いてあるのと 全く同じの住所や氏名を)記入しており、押印してある書類を上に回して現金を出してのちに 本人を窓口に呼び、そこで初めて本人確認書類等を出させて確認して現金を渡す、ということに なっていたらしい。
 最初からそれは拒否するつもりで行ってた私は「現金を受け取っていないのに領収書を 発行するバカがいますか? もしかしてこの銀行では客が『金払うから受取を先に出せ』と 言ったら出すの?」などと言ってみた。すると(以下会話にしてみた)

窓口のねーさん「先にここに記入していただいて、上の欄と住所・氏名が 同じかどうかを確認してから現金をお出しすることになっていますので」
「上の欄を見てそのまま書けるんだからそんなこと意味ないでしょう?」
ねーさん「…。上の者に聞いてまいりますのでしばらくお待ちください」
(待つこと5分くらいかな)
上の者(課長級かなあ、私とそんなに歳の変わらないくらいの男性) 「お客様、この欄に先に記入いただいてから出金するように県からの指導がございまして」
「でも、現金を受け取っていないのに領収は出せませんよ。おかしくないですか?」
上の者「確かにおっしゃる意味はわかるんですが、県の指導でして」
「今ここでこの領収欄に記入・捺印して渡したとして、それをあなた方に持っていかれて、 しばらくして『お客様、この用紙の支払いはこれこのようにすでに領収証が発行されております。 二重にお支払いすることはできません』って言われないという保証はどこにあるの?」
上の者「…」
「どうしてもダメですか?」
上の者「はあ…。県の指導でして…」
「(どうしても他人のせいにするか)それなら県にネジ込んでやるのでその用紙を返してください」
上の者「…。よろしかったら今私どもから県の担当に連絡して確認してみましょうか」
「じゃ、そうしてください」
(5分くらい)
上の者「お客様。今県に連絡して確認しましたところ、そのような指導は県としてはしていない、 という回答でした。どうやら私どもの銀行の方でそのような慣例といいますか、 手続きの決まりということでそのようにしていたようです。申し訳ございません。 ご本人確認をさせていただきましたら出金しますので、 その後で領収欄にご記入いただきたいと思いますが、それでよろしいでしょうか」
「そうでしょ? じゃそうしてくださいね(保険証を見せる)」
(5分くらい)
窓口のねーさん「お客様。ではお支払いの現金でございます。 こちらにご記入・ご捺印をお願いします」
「はいはい」(サラサラ)
「住所は県から書くの?(上の欄にそう書いてある)」
ねーさん「いえ、市からでけっこうです」
「(住所・氏名を書いて)えーっと」
ねーさん「受領の日付をお願いします。えー、17年…」
「(無視して2005年と書く)」
ねーさん「(めげずに)1月5日でございます」
「(ココロの中で)バカ。知ってるよ」(そして捺印)
ねーさん「はい。けっこうです。ありがとうございました。 お手間をおかけして申し訳ありませんでした」
「はいはい。(習慣・慣例でおかしなことしてたのを指摘してもらってよかったね(笑))」
これで今日の顛末はおしまいですが、でもねー、こういうの (現金受け取る前に領収にサインしろっていうの) 他のところでもたくさんあるんだよねー(笑)。
余分な時間がかかっちゃっよ(-_-メ)。
【2005/01/05】


敬語の乱れは病院から
 日本語の敬語の精神の神髄(?)は謙譲語だと常々思っているのですが、以前からどうしても納得できないのが医療関係者のコトバ遣い。あとは学校。政治の世界だとまだまだしっかりしてますね、この点のみに関しては(^_^; 。やはり「お客様(有権者)は神様です」という考え方なんでしょうけど。
 患者が医師のことを「先生」と呼ぶのはよい。呼びたければそれは自由。看護婦が医師のことを「先生」と呼ぶのも医師どうしで「先生」と呼び合うのも自由。だけどさ、看護婦が患者に医師のことを言う時に「先生にお聞きしてみましょう」というのはこれはおかしいでしょ。どう考えても日本語の敬語感覚からは外れてませんか。あんたが医師に忠誠を誓うのは勝手だけどさ。顧客たる患者(あえてそう言おう)にまでそれを強制(あえてそう言おう)するのは間違ってるよ。せいぜい「主治医の意見を聞いてみてください」が普通でしょ。
 病院・医院で金払って必ず帰ってくるコトバが「お大事に」。「ありがとうございます」あるいは「ありがとうございました」というのは聞いたことがない。ゴーマンである。
 小学校の教師と話してて、教諭が保護者に校長のことを「校長先生」と称するのも許しがたい。「校長」自体が職責名なんだから「先生」は不要。という論議以前の問題だと思うんだけど、そういうヤツらが教育やってていいのかね。電話で、「校長先生は今日は出張にでておられていらっしゃいません」と言われた(ほんとに言われた)日にゃ、「こいつ今すぐクビじゃ」と思ったものであります。
 「先生と 呼ばれるほどの バカじゃなし」という川柳は相変わらずわたしの座右の銘であり続けるわけです。トホホ。
 やはり、顧客(医療関係者にとっての患者、学校関係者にとっての保護者)の直接選挙制で職業を続けられるかどうか決まるくらいにならないとダメなんだろかね。
【2002/02/15】


駐車場のスペース
 最近JAROあたりが「ジコチュー」などといってTV−CFを作って流しているのを目にしますが、確かに「世の中で自分さえよければ多少のことは」と思ってるとしか見えない自己中心的な人が多いというのは気になるところです。
 JAROのCFはヘンだけどね(^_^; 。
 その一つとして、今回はスーパーや店舗等の駐車場の使い方。
 よく行く近所の農協系スーパーは、駐車場がかなり広くて、けっこう客は多いのですが駐車場が満杯というのを一度も見たことがありません。それだけに一番店舗から遠い駐車スペースだと店舗までかなり歩くことになります。
 駐車場には駐車スペースを示す白線がきちんと引いてあるのですが、これを無視する人の多いことと言ったら…。すぐそこに白線の枠がたくさん空いているのに枠外の通路に平気で駐車して買い物に入っていく老若男女の群れ。広いだけあってかなりゆったりと余裕をとってあるので、そのせいで出られなくなったりということは確かにないのですが、わざわざ迂回したりバックしなくてもいいはずがしなければ出られなかったりすることはままあります。腹が立つ。「あんたは店の入口に近くていいかも知れんが、きちんと線が書いてあるんだからその中に駐めろよなボケ」といつも思います。
 もう一例。これは郊外の某大手家電量販店の駐車場。店舗全体が二階にあり、一階部分が全部駐車場になっています。店舗入口にいちばん近いところはかなり広く二台分の障害者専用スペースになっていて、ちゃんと車椅子マークが書いてあります。そこに平気で駐車して買い物に入る老若男女(*^_^*) 。今までそこに障害者の方の車が駐めてあるのを見たのは一度しかありません。「あんたら、障害者の車が入ってきて置けなかったらどういう気持ちになんの?」と思います。アホタレどもめ。
 なんとかしようよ、ホントに。
【2001/08/12】


用語の統一?
 私は幼稚園教諭という立場なのですが、案内文書やら指導案(^_^; やら指導要録なんぞを書く時に、用語を統一しなければならない、という強迫観念を持っている人が多いのに驚き、かつ辟易しています。そのほとんどは枝葉末節。そんなこと気にするよりも内容だろう、と思ってしまう私がおかしいの?
 そもそも、一人の人間が書いた一つの文章中にだって、違う表記が入っていていけないということはないでしょう。それを、名詞はひらがなで動詞は漢字で統一するだのなんだのというのは全く意味を感じません。「うたをうたう」と書きたい時に「うたを歌う」と書いても「歌をうたう」と書いても、もちろん「歌を歌う」と書いても「うたをうたう」と書いてもいいじゃないか。どう書くかの基準は書く人の感覚でしょう。「うた」と「歌」が同じものを指すと感じるのも人間だし、微妙にニュアンスが違うとして断固として書き分けるのも人間。副詞は漢字で書くと読みにくいと思うのも人間だし、わざと漢字で書きたいのもいいじゃないですか。
 専門的になりますが、「こどもたち」と「子どもたち」と「子供たち」と「子ども達」と「子供達」と「こども達」と、どれが正解でどれが間違いって、言えますか? そもそも「こども」の「ども」が「たち」と同じ意味だってのは別にして。
 っとに、ばっかじゃねーの(^_^; 。
 この話、いずれ具体例をたっぷり挙げてもっと書きたいところです(*^_^*) 。
【2001/05/22】


すいませ〜ん
 食べ物屋さん(ファミリーレストランでも料亭でもなんでもいいんですが)に行きました。注文をしようと思うんだけど店員さんは来ない。そんな時、あなたは何と言って店員さんを呼びますか? いっしょに言った友人・知人や、たまたま言った店での他のお客さんの様子を見ていると「すいませ〜ん」と言う人が圧倒的に多い。
 確か有名な落語家(名前は忘れました)のマクラに、ご隠居が座敷に座ってると表で八つぁんが「すいませ〜ん。すいませ〜ん」と案内を乞うのにご隠居が「誰でっか? 表で謝ってんのは?」というのがあって、ことあるごとに思いだすことであります。店員に注文する時に謝るやつがあるか(^_^; 。
 そんなに下手に出ることはないんです。かといって妙に高圧的に接する必要もない。では何と言って注意を喚起すればいいのでしょうか。私は「お願いします」というのを現在のところ採用しています。まだまだへりくだりすぎのような気がするし、ベストチョイスではないと思うのですが、なかなかいい言葉が思い浮かびません。
 アメリカ合州国の映画なんかで「Boy!」と呼んだり、台湾のレストランで「小姐」と呼んだりするのに合わせると「おにいさん」とか「おねえさん」とか、そういう呼び方も思い浮かびますが、明らかに「おばあさん」であるような店員さんにも「おねえさん」と呼びかけるには場違いに感じられる雰囲気の店もありますよね。みなさん、どうしてらっしゃいます?
【2001/02/10】


コンビニのレジ
 ここ、山陰は鳥取市内にもコンビニエンス・ストアが林立する時代になりました。特にローソンとセイコーマートとポプラが覇権を争っている状況です。
 先日自宅にいちばん近いポプラに寄って買い物をした時のことです。たまたま二つあるレジのうち一つは閉まっていて、ちょうど私が並ぼうとした時にすぐに私の後ろにも人が並びました。私の前にはレジを打ってもらってる人が一人と待ってる人がもう一人。つまり私は三番目でした。私の後ろにもう一人並んでいた人が四番目。
店員(アルバイトのようでした)が、レジがいっぱいになったのを見て、もう一つのレジを開けようと思ったらしいのですが、よくあることだと思いますが、レジを開けて「こちらへどうぞ」と声をかけるわけですね。そうすると、ちょうど私の後ろに並んでいた人(つまり、その時点で四番目にレジに並んだ人)が、その新しく開いたレジに一番近いために、すっとその新しく開いたレジに向かったのです。微妙です。
私のすぐ前の人は一人の支払いが済めばすぐに自分の番になるわけです。私の後ろにいた人は、私が新しいレジでやってもらえばすぐ次ということになるわけですが、近いからと言ってすっと自分が先になって知らん顔なのですね。また、レジを開いたバイト君も、先に並んでた人が先に処理される権利を持つということを無視して目の前に来た人に対応してるんです。理不尽やなあ。
さらにあろうことか、しょうがないからその「順番抜かし」の四番目の人の後ろに並んだ(つもりの)私の横に、新しい客が並ぶのです。そしてその「順番抜かし」の人が終わろうとする時に自分の買おうとする商品をレジの横の台の上に乗せるのです。これはもう「こりゃ、ええ加減にせーよ」状態と判断した私は、そこらにいた客にともなく店員にともなく言いました。「先に並んでた者が先に支払いをするのは当たり前と違うんかい。知らん顔して横はいりすんなよ(-_-メ 」その新しい客(おばはん)はすぐに身を引きました。要するに文句を言われんかったら自分が先になったら楽やからそのままでええか、という感覚なのでしょうか。
だいたい、店のもんが、誰が先に並んでいたかを判断して「そちらの先に並んでおられたお客様、お先にこちらへどうぞ」とかやるのが普通とちゃうんかい(-_-メ 。
【2000/09/29】


文庫本の解説を先に読む人
 特に文庫本に限るというわけではないのですが、特に文庫本には(*^_^*) 、巻末に「解説」というものがついていることが多い。これを否定するわけではないのです。面白いものも少なくない。ハードカバーの単行本で解説も帯の惹句も背表紙のあらすじもなにもない本の場合、なかなか購入しようという意欲はわかないものです。
 しかしながら。文庫本の巻末の「解説」を先に読む人が思いの外多いという事実は私にはショックでありました。こんな話があります。
 高校1年生の春。現代国語の教師は古田某というその名の通りけっこう古びたオジサマでした。「因伯俚言」とかいう、鳥取県の方言を解説した本を出していた人です。この方が確か最初の授業だったと思いますが、自作の小説(?)を朗読しました。まずここが自意識過剰。それはまあいいとして、その後、自分の本の読み方を披露したのです。曰く、「本を買う。巻末の解説を読んでからあとは積ん読」とのことでした。巻末の「解説」を先に読む人がいることを知った、これが最初の経験でした。今どうしてるのかな、あのお方。
 その後、この巻末の「解説」はどんどん幅を利かせ始めます。「まだ本文を読んでいない方のために謎解きはしませんが」などという断りを書くばかな(本文よりも自分の「解説」を先に読むのが読者の正しいタイドだといわんばかりの)「解説」者が次第に増えてきたのです。これはもう、ばかな(「解説」がなければ本を読めないような)「読者」が増えているという証左でありましょう。ヒドい話であります。
 あなた、文庫本買った時、どうします? 巻末の「解説」、読みます? 先に?

【2000/04/19】


フォグランプ点灯禁止
 夕刻から夜にかけてクルマで走っていて、対向車のフォグランプの眩しさに閉口した経験をお持ちの方は多いことと思います。ヘッドライトの光軸調整が無茶苦茶で、ロービームに落としているにもかかわらず妙に眩しいというのもありますがこれはまた別の話。今日はフォグランプの話です。

 フォグランプとはそもそも何を目的としているか。その名の通り主に霧が深くて見通しが効かない時に視界を確保するために装備されるものですね。霧以外に前方視界が確保できないほどの大雨などの場合も有効です。つまり、平常の天候では必要ないものであるばかりか、対向車の視界を奪ってしまう危険性を持つものであることを知らなければなりません。格好のためにフォグランプを装着するのは勝手。ただし必要のない時に点灯するな、ばか。
【2000/04/02】


雪を道路に捨てるのは悪いことか
 今回よく降り、よく積もりました。ほとんど70センチに達する積雪量。鳥取市内ではここ何年もこんなに積もったことはありません。私が子どものころはもっと多かったけどね。
 ところで、積もった雪をどこによけるか。これは土地の使い方がせせこましい日本の中でも比較的ゆったりして余裕があるのではないかとたぶんよその人からは思われているかも知れない鳥取の地でも深刻な問題である。

 ◆方法その1…軽トラの荷台に雪かきをした雪を積んで近所の川に行き、せっせと捨てる。これはまあかなり有効な手段である。うまく車が近くに停められて雪の捨てやすい小さな川が市内にあるのだ。その名を山白川(やましろがわ)という。ほとんどが暗渠になっているが、私の職場近くで無防備な姿を晒しているからだ。

 ◆方法その2…なんとなく邪魔になりにくいあたりに、自然に溶けるまで積んでおく。これもまあ有効な手段と言えなくもない。が、問題はやっぱり邪魔になっちゃうこと。それから、いつまでも溶けないこと。積み上げた雪の内部というのは冷凍庫に保存してあるのと同じなのだ。江戸時代の殿様が夏に氷を食えたのもこのおかげだ。(ちょっと違うかな)

 ◆方法その3…多少天気がよくなり気温も少し上がり雨なんぞ降ってきた時分に、積み上げた雪をスコップでガサガサとかき回して空気を入れる。これはまあ、有効というよりは方法その2にちょっとだけ手を入れてやる程度の効果しかない。

 ◆方法その4…今回の議論の主部である。すぐ前の道路にブチまける。である。これは雪を早く消すには最高に有効な手段である。しかも方法その1に比べて労力は半分だ。(軽トラに積む時と川に捨てる時と2回同じ雪をスコップで運ぶ必要がない)

ただし。この方法は一般的には「悪事」ととらえる人が多いような気がする。で、今回はこれがほんとうに「悪事」であるのかどうか考察したい。(つづく(^_^; )
【2000/02/20】

 で、続きなんですが、「道路に雪を捨てることはいけない」とする人の意見を聞いてみましょう。

 ■道の雪がせっかく全部あけてあるのに、そこ(捨てたところ)だけ雪が溜まっていて、クルマで通ると危険である。特に圧雪の固まりがそのまま出してあると事故を誘発しかねない。
 ■歩行者・自転車・二輪車が通行するのに支障がある。
 ■クルマが勢いよく通りすぎるとシャーベット状の雪が大きく撥ねとなって歩行者その他にかかり迷惑である。
 ■夜間・早朝に路面の凍結を招くおそれがある。
 ■道路に雪を捨てる奴は自分のことしか考えていない。

 私の意見はこうです。

 ★降雪が一段落し、気温も上がった午前中、交通量が比較的ある道路しかも日光がじゅうぶんあたっていたり、雨が降っていたりする道路に雪を捨てることは、積み上げた雪を早く消すには最も有効な手段である。1回捨てた雪は約10〜20分でほとんど消えてしまう。
 ★除雪された圧雪の固まりは砕いてから捨てている。基本的にはさらさらの雪あるいは水分を含んだシャーベット状の雪を捨てる。
 ★すぐに轍ができるので歩行者・自転車・二輪車の走行にもほとんど危険はない。轍の部分は路面が露出する程度の量しか捨てない。また、道路脇の部分は空けている。
 ★私の家は狭いバス通りと小さな路地との角にあり、路地の出口に除雪された雪の山ができている。これは路地から出てくるクルマがバス通りの交通を視認するのに大きく妨げになっている。このせいで事故が誘発される可能性も看過できない。決して「自分のことしか考えていない」わけではない。
 ★そもそも大雪の直後であり、通行するクルマはすべて冬タイヤ装着、中には奥地から出てくるチェーン装着車もある。雪が路面にちょっと出してあったからって見えないわけじゃないんだから大きな危険はないと考える。
 ★水たまりを走行する時に近くに歩行者があれば徐行して撥ねをかけないようにするのは運転者の義務である。それが守れない運転者からは免許証を取り上げてしまえ(-_-メ 。
 ★要するに捨てる側も捨て方は考える必要がある。捨てられる側(通行する側)も、単に「こいつ、わしが通るのに雪捨てやがって」と舌打ちするのではなく、雪国の互助精神を発揮し、「あのへんまだ溶けてないから踏んで通ってやるか」くらいの気概が欲しいと思うのである。実際私は通行者となった時はそうしている(これホント)。
 ★おかげで昨日の日曜日はかなりの雪を水にして溝に流すことができた。路地から出てくるクルマの見通しもよくなったし、歩行者の歩くスペースも増えた。万歳。
とりあえず以上。
【2000/02/21】


のらネコか飼い猫かはっきりしてほしい
 うちの向かいの家の老夫婦。野良猫に餌を与えて放置している。その猫は近所を我が物顔に彷徨。うちの駐車場は特にお気に入りのようで、車の屋根に登ったり駐車場に置いてあるいろんなものの上でくつろいだりしています。バイクのシートの上におしっこしてくれたことも(>_<) 。飼い猫ならもっと強く言えるんだけど、いちおう野良猫らしい。困る。猫はどこでも入っていく。追いかけても絶対つかまらない。悔しい。ペットボトルに水を入れて置いておく、というのはそもそも眉唾だからしないけど、ホームセンターで売ってる「猫よらず」の類の薬剤を撒いたり、「買ってもいい」で読んだ「木酢液」を撒いたりしたけど効果がない。撒いた真上に来ないだけだくそー。真剣に「ネコイラズ」を欲している自分を発見する。
だけど自分ちで猫を飼いたいという気持ちがないわけではない。ひょっとして猫がいれば他の近所の猫を牽制する役に立つのではないかという気もする。そのために飼いたいというわけではないのだが。
猫には猫の都合があるんだろうとは思う。でも腹が立つ。なんとかしたい。名案求む。
【2000/01/29】


高校生は「学生」じゃない
 みなさんよくご存じのことだとは思うんですが、正式には(何が正式なのかはとりあえず措いといて)「学生」というのは大学生・短大生・専門学校生・その他各種学校生だろうと思うんですね。ところが昨今高校生や、場合によっては中学生まで「学生」と呼ぶ場合がけっこうあるのが気になっています。正式には(学校教育法とかなんとか…調査してないんですが)中学生・高校生は「生徒」、小学生は「児童」、そして「学生」は前記の通りですね。大学に「学生会館」があって中学校・高等学校には「生徒会室」があって、そして小学校には「児童会」というのがあるわけです。

 「学割」というのは学生割引の略だと思うんですが、もちろん大学生だけじゃなくて高校生や中学生にも効くのが普通ですね。これは便宜的に小学生や中学生から大学生に至るまで全てを包括する言葉がないもんだからとりあえず「学生」で代用していると考えればいいのでしょうか。

 とりあえず高校生は「学生さんですか?」と尋ねられたら「いえ、高校生です」と答えてもらいたいと思ってるんですけど(*^_^*) 。
【2000/01】


プロ野球の理不尽
 もともと野球やサッカーをはじめとする集団球技しかも屋外のゲームを観戦して楽しむということに全く興味を覚えないのですが、プロ野球だの甲子園だのJリーグだのによって、たとえばTV番組の放映時間の変更などで影響を被ることがあったり、特定のチームの勝ち負けによって飲み屋の大将のタイドが違ってみたり、初対面の人に「野球はどこですか?」などという省略されまくった質問をされて辟易したりしているうちにあるときふと思ったことが積年の疑問として蓄積されているのであります。

 まずはプロ野球のチーム名についてのギモン。

 世に「巨人ファン」なるものは少なからず存在するようですが、この「巨人」というのはある人曰く「愛称」なんだとか。ファンがそう呼びたいのはまあ理解しましょう。しかし、報道関係もすべてこの「愛称」を「このチームにのみ」限定して使用して報道するのは何故なのでしょう? チーム名というのは正式名称が統一規格で決められているものではないのでしょうか?
 ほんとに詳しくないのですでに存在しないチーム名が出てきたりするかも知れませんがそこはお許しいただくとして、A「東京」B「読売(新聞社)」C「ジャイアンツ」というふうに、A「地域(ホームグラウンドの場所?)」B「オーナー企業名」C「チーム名」となっているのだと理解してきました。同様にA「大阪」B「阪神(電鉄)」C「タイガース」とか、A「名古屋」B「中日(新聞社)」C「ドラゴンズ」とか、A「広島」B「東洋(工業)」C「カープ」とか、A「福岡」B「ダイエー」C「ホークス」とか、A「横浜」B「大洋(漁業)」C「ホエールズ」(これは今はないのかな)とか、そういうものではないのでしょうか。だとすると新聞報道で対戦チーム名を表記するのに「中日vs阪神」も「ダイエーvs西武」もB「オーナー企業名」をチーム名の代表としていて、それがチーム名として適当かどうかは別として少なくとも統一はされていますね。「ヤクルトvs広島」となるとB「オーナー企業名」対A「地域名」となって統一されていないことになります。そして「巨人vs横浜」となるとD「Cのチーム名を拡大解釈した<愛称>」対A「地域名」という許しがたい不統一が発生します。
 今、チーム名がよくわからないので新聞(地方紙)のスポーツ欄の勝敗表を見てみたところ、パ・リーグは「ダイエー」「西武」「オリックス」「ロッテ」「日本ハム」「近鉄」とすべてB「オーナー企業名」で統一されているのに対して、セ・リーグの場合は「中日」「ヤクルト」「阪神」がB「オーナー企業名」、「横浜」「広島」がA「地域」、そして「巨人」がD「ルール違反」(笑)であります。この不統一を許せる人たちが私には信じられないのですな。

 もう一つ、ジャイアンツを「巨人」と称する場合のイントネーションは、「巨人」という一般名詞を発音するときとは違うんですよね。一般名詞としての「巨人」は「じ」に一番高いところが来て、筒井康隆さんの「虚人たち」の「虚人」と同じイントネーションになると思うのですが、チーム名の「愛称」となると「個人」と同じように最初に一番高いところが来るんですね。これもキモチ悪い。「巨人軍」というときは一般名詞と同じイントネーションになっているようですが。
 新聞記事では他のチームも「愛称」(らしきもの)で表現されているのを見ることがあります。曰く「猛虎」(タイガース)「タカ」(ホークス)てな感じでしょうか。読売ファンがどうしても「巨人」という表記を新聞にさせたいのならこの際全部の休団に似たような「愛称」をつけてそれで表記しちゃどうでしょうかねぇ。「オーナー企業が名前を売るための」プロスポーツてのは健全じゃないと思うなあ。たとえばこんなふうに。

 東京・読売・ジャイアンツ (巨人)きょじんぐん
 名古屋・中日・ドラゴンズ (昇龍)しょうりゅうぐん
 大阪・阪神・タイガース  (猛虎)もうこぐん
 広島・東洋・カープ    (錦鯉)きんりぐん
 ??・ヤクルト・スワローズ(飛燕)ひえんぐん←ヤクルトのホームグラウンドってどこだっけ?
 横浜・??・?????←知らない(^_^; 。新聞には書いてなかった。

「巨人」ファンのみなさん、プロ野球報道関係者のみなさん、これ、どういうこと? 【1999.09.13】



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