アニメの語源というのは、ラテン語ではanima/animusに相当するもので、もともと気、電気という意味だそうです。それがちょっと変形してアニミスム(あらゆる現象、事物に霊魂の存在を認める考え方)ってことになるんですけど、そういったことを考えるとアニメっていうのはセル画より人形とか粘土をコマ撮りして生命をもたせる方法のほうが語源には適ってるかなあと思います。

具体的に言うと、セル画とかCGとかも、映写などによって生命を与えられる、と言えるわけですが、ヤン・シュワンクマイエル(チェコの映像作家)に言わせるとアニメ−ションっていうのは魔術であり、生命を吹き込む対象である無生物というのは、彼が日々触れているもの、現実にあるものなんです。シュワンクマイエルにとっては物というのはいつも生き生きとしていて、表現力も豊かで、潜在的内容と記憶の点で、ずっと刺激的なんだそうです。その記憶は人間の記憶よりはるかにすぐれていて、物は立ち会ってきた出来事をみずからのうちに隠しているそうです。それで彼は、自分のまわりに物を置いて、この隠れた出来事や経験を暴き出そうとしているのだそうです。物は触られれば触られるほど、内容が豊かになります。コンピューターアニメのほうというのは物が人工的に生み出されていて、新しい物と同様に、内容や魂を持たない、と彼は言っています。
たぶんパペットアニメが魅力を持つ1つの要因に、「ひとコマ撮り」というのがあって、それは現実の空間、一瞬の大気を撮っていくので、映写する際には大変密度の濃い、人形だけが呼吸をしているような、異界の空間に変わっている感じがするからだと思います。それで、魔術的なものと、無気味なものを関連して考えるとするなら、フロイトの『無気味なもの』から引用して、無気味を感じるためには物質的現実性が問題、と指摘している箇所があって、そういったことも通ずるかなあと思います。また、フロイトは、「無気味」を感じるとき、「生きているもののさりげない形象の背後に隠されていそうな、自動的な、機械的な過程をにおわせる」と言っているんですけど、私がパペットアニメに魅了される1番の理由というのはたぶんそれで、コマ撮りっていうのはセル画や実写と比べてまさに背景にオートマティックな、機械的なものをより感じることが出来るものだと思います。
私もセル画とかデジタルアニメとか好きですけどパペットアニメとかクレイアニメのほうがよっぽど好きなんです。↑の本から引用すると、「コンピューター・アニメの発展はめざましいが、あまりに当たり前になった結果、見る者がどんな幻想も不思議と思わなくなってしまった。ファンタジーは、ひとコマ撮りという手法によってこそ加えられる」
シュワンクマイエルは自分のことをアニメーション作家ではなくシュルレアリストって言ってます。彼は「現実のものを使い」、日常の連続するところを表現しているのだそうです。
アニマリズム 在来の道徳観にとらわれずに刹那的な生命の充足感を求めて人間の欲望、本能を積極的に肯定する考え
アニマション 有情化。感情や感覚を持たせること。
無機質なものに、或いは人間でも、相手の主観性を奪い取ってまでも自分の主観性を入れ込んでしまう
ピグマリオン 彫刻が巧みなキプロス島の王。自作の象牙像に恋をしたのでアフロディテがこれに生命を与えて妻にした