アジアの布を知る

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染織読書帖


 手ぬぐいを知る
大田区立郷土博物館
木綿 染められた遊び心」
特別講演 
豊田満夫
「木綿に
せられた半生」から
豊田満夫さんは、木綿問屋に長年勤めると同時に、膨大な数の手ぬぐい・風呂敷・半纏のコレクションを持ち、その一部が今回の展示となりました。
2月10日に開かれた講演会では、豊田さんと手ぬぐいの関わりあい、その面白さについてお話いただきました。(写真は札入れの形に畳んだ手ぬぐい)

○私が木綿問屋に入った頃

昭和27年に木綿問屋に入社しました。戦時中から戦後まで木綿は統制物資に挙げられていて、手ぬぐいは貴重品。どこの家でも、枕カバーや掛布団の襟、ほこり除けなど、重宝して使っていました。
また紙の広告では一度見たら捨てられてしまいますが、手ぬぐいは何度でも使われるので、広告としても効果があるものでした。ですからお年賀などにはよく使われ、毎年12月はとても忙しかったものです。
会社に入って始めの頃は、会社のある亀戸から、染工場のある小松川などに自転車で言付けを聞いて回る伝達員をしていました。当時は電話が少なく、あっても電話局止の電報くらい。色や反数の変更など、電報では間に合わないので、私が方々の工場を回りました。
もともと子年なのでじっとしていらない性分で、小さな体を生かして職人さんのお手伝いをしたりして、可愛がられました。

○手ぬぐいって面白い

そのうち自分でも注文を取りたいと思うようになりまして。当時、一番大きな取引先は白木屋(旧・日本橋東急百貨店)だったんですが、そこの番頭さんに懇意にしてもらうために、開店前の社内をお手伝いするなどして、番頭さんのカバン持ちのようなことができるようになりました。
番頭さんと一緒に花街に行き、芸者さんや車夫さんと話をして、好みの色や柄行きのことを聞いたのがとても勉強になりました。
白木屋さんによく顔を出すようになると、段々と新しいお客さんを紹介してもらえるようになり、注文がいただけるようになりました。
当時は注文するお客さんが自分で図案を考えていました。屋号をもじった図案を考えるなど、店ごとにその面白さを競っていたもので、手ぬぐいって面白いものだと思うようになりました。
でも手ぬぐいの納品は反物に検査印入りで納品するので、1本分外すわけにはいきません。納品の時に柄のことをうかがったりして興味を示して、逆にお年賀でいただくなどして、コレクションを増やしていきました。
昭和40年代の初め、タオルに取って替わられるようになるまでが手ぬぐいの全盛時代と言えるでしょう。

○たとえばこんな柄が

魚の名前を、「穴」に「子ども」で<アナゴ>というような判じ絵で表すなど、言葉遊びの面白さを取り入れた柄が多く見受けられます。
特に、歌舞伎役者さんの手ぬぐいは、横の一本縞、縦の六本縞、「ら」の字で「いちむら」と読ませる<市村格子>など、名前を入れずに屋号を図柄で判じています。また普通は絹に写す隈取を木綿の手ぬぐいに入れたものは、珍しいものの一つです。
その他、いわく付きの柄で言うと・・・
 太地喜和子さん   お酒好きな方だったので、ひょうたん柄
 吉永小百合さん   お家に押しかけて来るファンにお帰り願うために、
           サインと、小百合さんが描いたイラスト入り
 志ん朝師匠     日本一になりたいという思いをこめて富士山の柄
 馬生師匠(先代)  名前の通り、馬の絵と「生」の文字   などなど・・・

昔は銭湯に行きましたから、面白味のある柄の手ぬぐいを、何気なく使うのが江戸っ子の粋とされていました。湯治場に行って、温泉の成分で黄色く染まったものも、さり気なく温泉に行ってきたことをアピールするものでした。
また、昔の夜桜見物は、今のように照明が明るくありませんでしたから、仲間同士で同じ手ぬぐいを作って、肩にかけて、仲間分けの識別に使ったりしたものでした。

大田区郷土博物館についてはこちらをご覧ください
また、展示の様子については、
こちらをご覧ください。
 
Special thanks to Ms. Rumi Shibasaki

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