連続してオープンなんちゃらの話である。オープンプライスは、オープンソースよりは一般になじみのあることばではなかろうか。で、私はこのオープンプライスというやつにはとても迷惑しているのである。みんなもそのはずだ。
オープンプライスというのは、実際に店におもむかねば実際の値段がわからないという、ひじょうにやっかいな価格表示である。ていうか価格表示欄に価格を表示しないことなのだ。目隠しされたようなものである。ばっちりブラインドプライスじゃないか。これのどこがオープンだこのやろう。
なんでメーカーがこんな迷惑なことをやらかすのかというと、たしか導入されたきっかけというのは以下のようなものであったと記憶している。
某氏いわく、某氏というのはたぶん通産省あたりのお役人か、どこかの消費者団体のえらいオヤジと思われるが(こやつは絶対に男で、さらにこやつ自身は買い物をしたことがないか、少なくともものの値段を気にして買い物をする必要のないような経済的に裕福な人間であると断言しよう。複数人かもしれない)、とにかくこの某氏がいうには、メーカー希望小売価格は不当に高く設定されており、実売価格との差分の大きさによって、不正に消費者の購買意欲を刺激するからけしからん、ということである。
ばかかこいつは。
反射的にそう思った。私がこの意見をはじめて聞いたのは、オープンプライスなどというけったいなものが導入される前であったが、それでもいま現在の状況をほぼ的確に予測できた。いや、予測できないほうがどうにかしているのだ。たとえば雑誌を見て、欲しい商品の広告があったとして、そこに値段が書かれていなかったら困るに決まっているのだ。メーカー希望小売価格は、それがその商品を購入する際の価格の上限であるという重要な意味があるというのに、その効用をかんぺきに無視している。だいいち、あまりにも消費者をばかにした意見である。この某氏は要するに次のような事態を想定して発言しているのだろう。
「どれどれ、この商品は五十万円か。やっぱり高いな」
「そうだな。いまは特に必要ないし」
「あっ、おい見ろよ、メーカー希望小売価格は百万円だぞ」
「ええっなんだって。それじゃあ半額じゃないか」
「うっひゃあ、そうだよ半額だよすげえよ買うしかねえよ」
「いやっほう、あたりまえだよお買い得だよ買っちゃうよ俺はもう」
「げっ、やべえよ金たりねえよ千円しかねえよどうするよ買えねえよ」
「しょうがねえ、ちょっとそこで金借りてこようぜ」
「おうよ、レッツ借金だぜーうらうらー」
こんなやついるか。もしいたとしても放っておいてかまわぬ。借金の形に肉十ポンドを要求されたのはきっとこいつらに違いない。ごく一般的な消費者であれば最初の二行でその商品を購入対象外と判断するのだ。メーカー希望小売価格と実売価格の差額を、購入時の判断材料にするようないかれポンチなど知ったことではない。商品購入時においてもっとも必要な情報は「この商品がいまこの場でいくらであるか」、ただそれだけである。その際にメーカー希望小売価格になんの意味があるというのか。販売価格と比較されるのはメーカー希望小売価格ではなく、財布の中身とその商品の必要性である。
……うへぇ、われながらとてつもなく当たり前のことを書いているな。本来ならばわざわざ口にする必要もないことではないか。やっぱりふだん買い物しないよ某氏は。
ともかく、メーカー希望小売価格が重要な意味を持つのは、購入のずっと手前なのである。すなわち、「この商品を購入する際に用意しなければならない金額は最高でいくらで、またその額はいま現在の所持金と近い将来の範囲で予想される収入と支出を考慮した上で、購入対象となりうるかどうか」という判断をくだすときだ。
このときに、メーカー希望小売価格から実売価格を正しく推測できるかどうかは各消費者の消費者スキルの問題であり、スキルの低い消費者を保護するために外野が口をはさむなどおおきなお世話以外のなにものでもない。だいたいにして、メーカー希望小売価格と実売価格の差額に目がくらんで、その他の条件を無視して即購入してしまうようなスットコドッコイには、そもそも正常な判断力は期待できないのだから、なにをやっても無駄のような気がする。
そういうわけで、通常消費者がメーカー希望小売価格というものから判断するのは上記のようなことであり、これはこれでかなり重要なのだが、広告の価格欄に書かれているのは、やはり数字ではないのだ。
「オープンプライス」
ぬがあっ、ふざけるな。わざわざ、いちいち、あっちこっち歩き回ってまで実売価格を確認せねばならんのか。
しかも実際にそうしたとして、たとえばある商品がA店で五千円であることを確認したとしてだ、その場で手持ちがあるとは限らないから、ひとまず購入をみおくって、給料日後にふたたびA店をおとずれたとする。だが、残念ながらその日はたまたま品切れで、A店では売ってなかった。仕方なくB店におもむくと、なんとこちらでは七千円もするのだ。残念ながら予算オーバーである。もし、メーカー希望小売価格が一万円と明示されていれば、どの店で購入するとしても、あらかじめ一万円さえ用意していれば、品切れでもないかぎり購入可能だというのに。
そんなわけで、最近はすっかり買い物をしなくなってしまった自分に気付いた。
むかしは用もないのに電気店めぐりをしたものだが、そのときにはやはりメーカー希望小売価格と比較して、どのくらい値下げしているかを確認することも楽しみのひとつであったように思う。欲しかった商品が広告よりも全然安かったりすると、その時点ではまだ手の届かない価格であっても、なんとなく希望が湧いてくるのだ。いまからお金を貯めれば、いついつ頃には購入できるだろうと計画を立てたりして。
もしかすると、オープンプライスは、一部の民間消費を抑制する要因として小さくないのではなかろうか。そしてその一部の市場で動く金額はけっして少なくないのではないか。ひらたくいうと、長引く不況の一因になってはいないか。いや、まじで買う気失せるってばオープンプライス。広告でその文字みつけた時点で購入対象から外しちゃうし。「シェアウェア」を無条件でダウンロード対象から外しちゃうみたいにね。なにしろ、うける印象としては「時価」ってのとかわらんもんなあ。別途確認しなければならないという点ではまったくいっしょか。
さすがに最近では、過ちに気づいたお上(まさかなあ)からの押しつけがゆるくなったのか、広告にメーカー希望小売価格を明記するメーカーもすこしずつ増えてきたように思う。このまま勢いにのって、オープンプライスをこの世から駆逐してくれることを願うばかりである。
(追記1)とりあえず、オープンプライス導入を思いついた無能役人どもは腹を切っておけ。
(追記2)もちろん、私が買い物をしなくなった最大の理由は、いうまでもなくお金がないからである。