§ asagi box §

とつぜんだが、私はヴェニスの商人という話がきらいだ。いや、きらいとは少しいいすぎた。しかしどうにも納得できないのである。もうかれこれ十年以上もこのみのうちでくすぶる思いを、ひとつこの場でうち明けてみたい。そんなおおげさな。

あらすじをあらためて紹介する必要もないほどに有名な話ではあるが、要するに、ユダヤ人の商人シャイロックが借金を踏み倒されてしまう話である。ああ、ミもフタもない。でも事実だ。

それで、なにが納得できないかというと、借金を踏み倒されてしまうシャイロックの方が悪役という不条理もそうだが、むしろ、いわば見せ場ともいえる、最後の問答のくだりである。こまかいことはほとんど忘れてしまったが、だいたい次のようなやりとりである。

「ほれ、借金が返せないなら、契約通り肉十ポンドをよこせ」
「そんな殺生な。勘弁してけろ」
「いまさらごちゃごちゃ抜かすな」
「まてまて、肉十ポンドはかまわんが、血は一滴も流すなよ」
「ぎゃふん」

なんと、これで借金はチャラになってしまうのだ。あんまりではないのか。

肉十ポンドが無理とはいえ、それで借金までもが帳消しになるのは無茶である。だいたい、肉十ポンドを切り出すのは、シャイロックではなく借金した本人が行うべきなのだ。借金の形であるはずの肉の摘出にかかるコストを、貸した側であるシャイロックが負担せねばならぬというのは不自然きわまりないではないか。まるで、借金を返すために移動する際の交通費を返済金からさっ引くような話である。そんなばかな話があってたまるか。

もしここで本人によって肉が切り出されるならば、その際に血が何ガロン流れようともシャイロックの側としては知ったことではないし、なんの責もない。なにしろ肉を切った本人が勝手に流しているのだ。血は対象外というなら、完全に血抜きした上で計量した重量が十ポンドになるように調整しなければならないが、もちろん、それをおこなうのも借金した側だ。それですべてが丸くおさまる。お互いが契約をまっとうして万々歳である。それなのに。ああ、それなのに。

なぜそれをシャイロックにやらせるのだ裁判官。しかもそれは不可能だから借金はチャラだと。きさまそれでも法の番人か。ふざけるな、そんな無法がまかりとおってよいのか。私は借金はおろかローンすら組んだことがないのであまりえらそうなことはいえないのだが、そもそも借金したおまえ、借金を返せなければおのが身の肉を提供するという無謀な契約下で借金する方がどうかしているのだ。ちょっとかんがえたら分かりそうなものではないか。それがいやなら最初から契約などするんじゃない。

どうせたかをくくって、借りたら借りたでなんとかなるだろう、などと甘い考えで契約書にサインしたのだな。返済に困ったら自己破産すればいいやと思っていたに違いない。甘い。甘すぎる。こんなやつに同情の余地はない。そもそも返すあてもないのに借金などするなばかもの。貸す方だって生活がかかっているんだぞ。たぶん。ああ、こんなやつに金を貸しちまって、災難だったなあシャイロック。気の毒なシャイロック。

ええい、このままですむと思うなよヴェネツィア市民ども。ユダヤ人だからってばかにしやがって。

さあ、立てシャイロック。まちに火を放て。復讐だ。人種差別のはびこるくさった社会を粛正するのだ。契約を軽視する愚民どもをけちらし、律法にしたがうまことの神の国を実現せよ。キリストはいわれた。神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返せ。返すのかカエサザルのかいまひとつはっきりしないが、たぶん、これは借金はちゃんとかえそうという格言だ。なにか違うような気もするが、いや、かんぺきに間違ってはいるのだが、とにかく、これは聖なる戦いだ。正義は我にあり。ハレルヤ。文句があるならヴェルサイユにきやがれ。リメンバー、パールハーバー。

興奮のあまり、なにがなにやら分からなくなってきたが、以上から導かれる結論はただひとつである。すなわち。

ご利用は計画的に。

おい、これでオチるのか。

[2000.09.19]
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