仏語とはいってもべつに「涅槃」とか「解脱」とか「輪廻転生」とかそういう話ではない。
仏とはすなわち仏蘭栖でありおフランスである。いつぞやの晩飯のときには苦汁をなめさせられた私だが、このまま一矢報いることなくだまって引き下がったりはしないのであった。じつはひそかに復讐の機会をコシタンタンとねらっていたのである。リベンジ。シンナーとならんで電子機器清掃の用途を固く禁じられているリベンジである。電子機器清掃には中性洗剤をもちいなければならない。あれってなんでなんだろうね。
話がそれた。
復讐はよいとしてもこちらはあまりに敵を知らなさすぎる。ここはひとつ復讐は横に置いておくとして、まずは敵を知ることからはじめなければなるまい。しかるのちに行動しても決して遅くはない。孫子もいっているではないか。「敵を知り己を知れば百戦するも危うからず」と。
ちなみにいまのはボケてないのでいちいち悩まないように。
というわけで手始めに敵の文化を知るべく仏語について調査を開始したのであるが、残念ながら私は大学時代は独語すなわち独り言を選択したので、仏語についてはまったく知識がない。そこで特別講師として、本日わが家にお越しくださった友人の吉良君を頼ることにした。大学でフランス哲学を専攻する吉良君は私より年長でしかもいまだに大学生というたいへんな勉強家である。
「というわけでヨロシク」
「ええと、なにから教えればいいの」
「いやなんかテキトウに。まま、とりあえず」
「おっととと。うーん、そういうのがいちばん困るんだよなあ」
「じゃあ、このタコなんかは仏語でなんていうんだ」
「いきなりタコかい。あ、カラシとって」
「ほい。あとついでにこのゲソもなんていうかおしえてくれ」
「タコとイカねえ。ええと、『アシハポ〜ン、アシジュポ〜ン』だ」
「おいおい、うそくせえなあ」
「ホントホント。この、なんだ、口をすぼめてさ、ねっとりいうのがコツだな」
「『アシハポ〜ン、アシジュポ〜ン』」
「あはは。うまいうまい。フランス人の素質あるよ」
「あはは。どんな素質だよ」
「よし次だ。これ。大根」
「う〜ん、大根かあ。『デ・ヴゥノア・シ』てのはどうだ」
「どうだっていわれても。ていうかそれ嘘だろ明らかに」
「いやいやこれがなかなか。『ヴゥ』はとうぜん下唇をかむんだ」
「まあどうでもいいや。もう一本開けるか」
「おう。くれくれ」
「それじゃこれは『グァンムォドクィ』か」
「なんかベトナム料理みたいだな。ええと、この『チ・クワ』もらっていいか」
「それも無茶だろ」
「あはは」
「ささどんどん食べてくれ。一向に減らんではないか」
「しかしこれだけの量を二人で食うとなると太るな。きっと」
「いやはや。作りすぎたか。ところで太るってなんていうんだろ」
「そうだなぁ。そうだなぁ。……『ニクジュバ〜ン』」
「ぎゃはは」
「ぎゃはは。あ、ビールこぼれた」
「『ハヤクフケ〜ン』」
「日本語じゃねえか」
「ぎゃははは」
「ぎゃははは」