去年の夏の話なんだけど、会社の慰安旅行みたいな形で近場の温泉旅館に泊りにいったのです。めし食って風呂はいって酒飲んで騒いで翌日帰りというなんだかナゲヤリなスケジュールでしたが、それはいつものことです。
移動は金曜日の会議終了後に行われ、宿に着くと部屋割り、着替えののち(なにしろ会社帰りですから男衆はスーツを着てます)、宴会に突入しました。どんちゃんどんちゃん(古い表現)。
お決まりのパターンですが、宴会がひとまずお開きになったあとでも体力によゆうのある若手連中はどこかの部屋に集まって自販機で買ってきたビールやらワンカップやらをぐびぐびちびちびやりながら麻雀などをやっていたりしたわけです。
そのとき大まかにふたつのグループができていました。麻雀チームとその他。その他ってのもまたあんまりな物言いですが、なにしろ私は麻雀チームにいたので外の状況が分からんのです。すくなくとも最終的には残った全員がべつの部屋に集っていたのは確認済みです。私もあとからそこへいったので間違いありません。
古川君というひとがいました。ええと、いまもいます。
古川君は私のひとつ後輩でして、そのとき彼もまた麻雀チームで、たしか私の対面に座っていたと記憶しています。麻雀チームはちょうど四人で、最初のうちはなごやかに打っておりました。二局ほどまわして小休止というところで一人が風呂に入るために席を立ちました。
ひとり欠けては卓が囲めませんので、残された三人は彼が戻るのを待ちながらだらだらと雑談に興じておりました。
そうしてしばらくした頃、突如ノックもなしにドアが開き、一人の闖入者がわれわれの前に姿をあらわしたのであります。その者は開口一番、ぬけぬけとこういい放ちました。
「おいおいなんだよぉ。麻雀やるなら呼んでくれよぉ」
招きもしないのに嬉々として部屋に踏み込んできたその男はわれわれのボスでありました。彼のそのあくの強い性格とジャイアンっぷりはいつもほかの者を悩ませるのです。機嫌がよかろうが悪かろうが彼の相手をするのはとても忍耐のいることなので、ジェネレーションギャップを意識せずにはいられないわれわれ若手はとくに彼とは距離を置くようにしていました。
しかしながら彼は仕事の面では非常に有能な男ですが、困ったことにいささか察しの悪いところがあったのです。
「やだよ俺をわすれちゃ」
だれも忘れてません。ていうかむしろ忘れていないからこそ麻雀のことを隠していたんじゃないか。内緒にされていた時点でちょっとは察してくれんもんかな。言葉として出てこない相手の要求を汲み取るのがSEだといったのはあんただろう。内心うんざりしながらも、なにしろ相手は自分たちの首を握っている男ですから、表向き喜んで迎え入れました。私もサラリーマンです。じゃらじゃら。
「おいなにやってんだよ。ちゃんと並べろよ。こう、こう」
ああさっそく始まりました。人の捨て牌の並べかたに文句をつけてきます。
「そんなんじゃリーチと間違うだろ。これなら大丈夫だ」
得意満面です。だれも間違わないってばそんなの。
「だからさ、二五八はスジっていってな」
いまさら説明されんでも知ってます。しかもいまスジとか関係ないし。
「おいはやく捨てろよほらほらほら」
とかいいながら自分はもうツモっちゃってるし。すこし待ちなさいってば。
そうこうしながら一局終わってボスがトップで御満悦。あたりまえです。べつにあなたが弱いというつもりはありませんが、すくなくともこちらに打つ気がない。いいけどね。これでようやく解放されるのです。
「じゃ次いくぞ」
げ。こともあろうにこの男まだ続けるつもりです。こっちはほとんど休みなしで疲れたといっても聞く耳もちません。しかも自分がトップとったもんだから勝手にレートつり上げてます。決めつけてます。すっかり仕切っちゃってます。部下と家来を勘違いしてます。ああもういやだ。たすけてパーマン。
そのときドアが開き、風呂にいっていた先のひとりが帰ってきました。私にはその姿に後光が差して見えました。
「あっすいません。俺風呂入ってきます」
私はすばやく立ち上がり、「じゃ、代わりよろしく」とパーマンに告げ部屋を飛び出すと、冒頭で述べたもうひとつのグループが陣取る部屋に逃げ込みました。私はのちにこの身勝手な行為によって周囲からそのとっさの判断力と行動力ならびに危機回避能力について賞賛の拍手を受けることになるのですがそれはまたべつの話。あっ、しかもこの部屋は女性陣が集合しているじゃないか。ありがとうパーマン。君の犠牲は忘れない。
などと思ったのもつかの間。
なんとパーマンまでもが部屋に入ってくるではありませんか。さらにもうひとり。なんだ、全員逃げてきたのか。ところが古川君はいっこうにあらわれません。おいおいちょっとまて。おまえら古川君を見捨ててきたのか。なにをいうか。逃げ遅れたやつにかまっていたら部隊が全滅してしまう。だいたい最初に見捨てたのは貴様ではないか。なるほどそれもそうだ。わかればよろしい。さらば古川君。ああ古川君。君の犠牲は忘れない。君は英雄だ。今ごろ彼はボスと二人きりでくるはずもない新たな面子を待っているのだ。彼の勇気に拍手。ぱちぱち。折りを見て救出にいってやるからここはひとつ耐えるのだぞ。
さてさて。そんなできごとがあったことなど「きれいサッパリ」忘れて小一時間。
突然ばあんと開かれたドアから、床を踏み鳴らして部屋へ入ってきたその男は腹の底から吠えたのでありました。
「て、てめえらぶっ殺ーす!」
すまん、古川君。災難だったな。
今年の旅行は冬。カレンダーを見ればまさに今週末。古川君、こんどはうまく逃げてくれ。
ところでまさか読んでないだろうな関係者。