ミッションスクールという言葉がある。ミッション系とも言う。最近まで、良く分からないまま放っておいた言葉である。推察するに宗教絡みの学校を指すのであろう、と漠然としたイメージはあったが、別に知らなくて困るような事態が発生しなかった為、また特に関心もなかったのであえて追求する事はなかった。そんな私であるから、自分の出身高校が紛う方なきミッション系である事実に気付く事が出来たのは、ひとえに暇潰しに辞書を引く奇癖のお陰と言える。つい先程の事であった。
ミッションスクールとは、角川国語辞典新版によると、「キリスト教団体が布教宣伝のために設けた学校」とあった。成る程、仏教系などは含まれないのであるか。
さて、流石はミッション系である。我が母校には週に一度、キリスト教の授業があった。聖書やら讃美歌やら主の祈りやら、およそ実生活に於いては微塵たりとも役に立たない、徹頭徹尾無駄な知識を蓄積する時間である。
私が一年生の時の教科担当で有賀富士夫という男がいた。自分の初恋は三度ある、などと素っ頓狂な事を言い出す男であったが、伝え聞くところによれば一応ちゃんとした牧師さんであったらしい。この男が、確か夏休みの宿題だったか、街中を徘徊し勧誘活動を展開しているモルモン教徒からモルモン経、即ち彼らの聖典を簒奪せしめよ。さすれば授業態度に二点加算して遣わす、といった主旨の課題を出した。詰まる所、自ら勧誘に引っ掛かり、さも興味があるような素振りを見せつつ、彼らの善意に付け込んで神聖にして犯さざるべき聖典を詐取せよとの仰せであった。酷えな。
この課題の意図するところは今となっては忘却の彼方であるが、何しろあの有賀の事である。表向きはどうあれ、どうせろくでもない悪戯心が出たに違いない。全く、敵に回したくない男である。牧師なんだが。
御存じない方のために解説すると、モルモン教こと末日聖徒キリスト教会は、有名な所では斉藤由貴やケント・デリカットなどが信仰しているキリスト教異端派であり、アメリカ合衆国は現在のユタ州ソルトレイクシティを発祥の地とする、その歴史一五〇年程の比較的新しい宗派である。歴史的にはオウムなど比較にならない程血生臭く胡散臭い過去があるのだが、今ではどうにか世間に定着して単なる一宗教と化しており、いずれにしろ勧誘が少々鬱陶しい以上の害はない。
もし街中で自転車に搭乗する際に律義にヘルメットを着用している二人連れの外人を見たら、彼らは信者と見て間違いない。或いは、駅前などにて「チョトイイデスカー、アナタハカミヲシンジマスカー?」などと古典的なギャグをかましてくる変な外人も信者である。注意されたい。
その彼らを異端足らしめているのが問題の聖典モルモン経である。内容はイエス・キリストを無断借用した出来の悪い同人誌と考えれば適当であろう。信者は怒るだろうが、キリストがアメリカ大陸に現れるオチの下りは流石にちょっとどうか。
某日、作戦は実行に移された。仙台市営地下鉄南北線八乙女駅付近にてターゲットを捕捉する。例によってヘルメットを装備し、自転車に搭乗した二人連れの外人である。こちらから声をかける必要はない。向こうから見える所でボーっと突っ立ってればよい。後はちらちらと彼らへ視線を投げていれば完璧である。ほうら、寄ってきたぞ。
「コン・ニチワ」
妙なアクセントで外人の一人、スティーブ(仮名)が話し掛けてきた。笑顔だ。純粋ならざる企みがその仮面の裏に隠された禍々しき笑顔だ。こちらも負けじと笑顔を返す。すると一瞬、スティーブは「こいつ、カモだ」という表情を浮かべた。一瞬ではあったが、それはもう露骨に。悪意の伝達に人種間の壁はないのである。恐らくその時の彼の頭には、自ら信じるところの教義の素晴らしさを伝えようという考えよりは、頭打ちで伸び悩む勧誘ノルマの数字が大きなウェイトを占めていたであろう。
スティーブはやけに馴れ馴れしい態度で英会話サークルへの加入を勧めてきた。初めのうちは宗教だとは一言も言わない。やがてこちらの学校の事や普段の生活について色々と聞いてくる。後々付きまとわれても困るので適当に答えていると、漸く話がモルモン教へと移った。斉藤由貴を囲んで撮った写真などをさも自慢気に見せたりしてこちらの興味を引こうとするのだが、待ってくれスティーブ、生憎私は今も昔も芸人に興味がない。おまけに彼女は業界から干されて久しく、すっかり旬が過ぎているよ。ほらせっかくのチキンが焦げてしまった。HAHAHA。何の話だグラハム(こればっかりだな)。話も長くなり、いい加減飽きていた私はさっさと目的を果たす事にした。
成る程、大変興味深いお話です。集会には是非ともお邪魔したいのですが、残念ながら今日は予定があります。そうだ、何か資料のようなものはありませんか。例えば、聖書のような。読ませて頂ければ幸いに思います。
するとスティーブの後ろに控えていた相棒が、持っていた鞄からいそいそとブツを取り出した。表紙には確かにモルモン経と書いてある。どうぞ、差し上げますよ。スティーブは相棒からそれを受け取り私に渡した。サンクス、ブラザー。ウェルカム、二点。私は丁重に礼を述べ、予ねて用意しておいた偽住所と偽電話番号をスティーブの手帳に書き込んでその場を立ち去った。無論、偽名である。有賀のアドバイスだ。牧師なんだが。
ミッションコンプリート。今思うとかなり外道な事をしてしまったものだが、時効という事で勘弁してくれよ、スティーブ。だけどもしその番号に電話を掛けたなら吃驚しただろうね。何しろラッコの鳴き声なんて滅多に聞けるもんじゃないからね。それともその頃にはテープはコアラの鳴き声に変わっていたかな? HAHAHA。
モルモン教は比較的まともな部類に属するとはいえ、私は昔から勧誘熱心だったり信者が不自然に明るかったり子供を巻き込んだりしている宗教が大嫌いである。その為要らぬ熱意を以って課題に臨んだ結果、本来なら一冊でいいところを、ついつい調子に乗って実に四冊のモルモン経をゲットしてしまった。結局有賀に呆れられつつも交渉の末一冊につき二点の計八点を頂戴し、そのお陰で後期試験は赤点を免れることが出来た。有り難う、四人のスティーブとその相棒達よ。
戦利品であるモルモン経は、今も実家の押し入れにある。