私はしばしば漫画を立ち読みする。いや、しばしばなどと生易しいものではない。ばしばし立ち読みをする。外出時に書店やコンビニエンス・ストアに立ち入る事があれば、十中八九立ち読む。最早趣味といっても差し支えない。下手をすれば中毒の域に達しているやも知れぬ。立ち読み中毒。ちょっと、格好悪いな。
しかし、立ち読んでしまうのだ。そこにカバーによるプロテクトのなされていない漫画がある限り、立ち読んでしまうのだ。買って読めとの指摘は御尤もであるが、金銭的状況に起因する諸事情により購入を断念せざるをえない事態が多発している現状はもとより、困った事に既に所有している漫画であっても私は立ち読んでしまうのである。
三度縛り、というルールを自分に定めている。同じ本を三度立ち読みし、それでも尚読みたくなる場合は購入するのである。一度目は読んでみなければ購入に値するか否かが判断できない為。二度目はそれが一度だけ面白い漫画か、二度目も面白い漫画かを判定する必要から。その結果、マイクは女だったりする。何の話だ。三度目はこれで終わり、という意味合いを込める。それ以上は買うのである。ここまで来れば買っても損をしない。最終的に買うのだから、作者も損をしない。みんな幸せになれる。残されるのは読み逃げされた書店であるが、私は三度縛りによる購入の際は、立ち読みした店のいずれかを利用する。決してカバー付きの店から購入したりはしない。中途半端に律義者である。
さて、前振りが長くなったが、「うしおととら」(以下「うしとら」)という漫画がある。作者は藤田和日郎。一九九〇年から一九九六年にかけて小学館週刊少年サンデーにて連載された伝奇漫画である。コミックスは全三十三巻に外伝一巻。コミックス一巻の発売以来、友人から幾度とない貸し出しを受け、何十回読み返したか知れないこの漫画も、先日某書店にて私に無防備なその姿を曝したが為に、例に漏れず立ち読みの犠牲となってしまった。全巻を読破するだけの時間がなかったため、一巻のみの閲覧と定め、何気なく第三十三巻を選択。即ち感動の最終巻である。軽率であった。この不注意が後の紛争の引き金となる。
私がその過ちに気付くには、さしてページ数を要しなかった。
そもそもの原因は私の涙腺がとてつもなく緩い事にある。それはもう松方弘樹や卓球小娘並みに緩いのである。要するに、涙脆いのである。お涙頂戴ものの下衆ドラマや下衆ドキュメンタリーへの耐性は極めて高いのだが、芯の通った名作に対しては無防備である。「うしとら」は、只でさえ年中パッキンの交換を必要とされている私の涙腺のバルブを、容易く全開にしてしまう類の名作漫画であった。「うしとら」が名作である事については論を俟たないであろう。反論する奴は死なす。
私は名作に感動し涙すること自体は別に恥とも思わないのだが、人前となると話は別である。それが立ち読みの上ならなおの事。これが自宅であれば、例え配偶者が目の前にいる状況であっても憚ることなく感涙に咽ぶであろう。しかし、書店である。事もあろうに立ち読みである。
まずい。私は背筋に寒いものを感じ、目頭には早くも熱いものを感じていた。ページ数は二桁に達していない。だが、私の頭の中にはその先の展開は余すところなく記憶されていた。主人公蒼月潮少年と相棒の妖怪とらがその場面に至るまでの数々の苦難も記憶されていた。のみならずサブキャラたちとの心温まるエピソードも全て記憶されていた。スタンバイ・オッケー。コンディション・オールグリーン。いや、状況的にかなりノッケーである。
ぎぎぎ、とバルブの軋む音が聞こえた。実際は歯を食いしばる音だが。とにかく、戦いの火蓋は切って落とされた。バルブを開かんとする「うしとら」と、開かせまいとする私の熾烈な争いである。さっさとその本を棚に戻せと言うもう一人の自分の的確な忠告をあっさりと黙殺する。そんな事が出来るのであれば、そもそも手に取ったりはしないのである。そんな事も分からないのか、私よ。一体何年私をやっているのだ。そんな私は間もなく二十代も折り返し。
じわり。じわじわ〜。
十ページ、二十ページと進むにつれ、戦況は刻一刻と悪化していった。涙が鼻へと抜ける為の涙管はすでにフルスロットル、全開稼動を強いられていたが、それでも溢れつつある涙はさながら押し寄せる婢妖(敵のザコ)の如く、やむなく防戦一方となった。大丈夫だ、まだこぼれてはいない。だけどちょっとだけ上を向け。そうだ、いいぞ。良く堪えた。さあ、次だ。そんな風に自分を励ますにも限界が来ていた。歯を食いしばる、下唇を噛む、深呼吸をする。これらの戦略はいずれも捗々しい戦果を上げることは出来なかった。ストーリーはまさにクライマックスを迎えようとしていた。敵の攻撃は一段と苛烈さを増してくる。最早これまでなのか。
その時。
比喩ではなく、店内に一陣の風が吹いた。たまたま同時に開いた店の入り口と裏の従業員通用口を風が吹き抜けたのである。突然の風に吹き付けられ、一瞬気が逸れた。どば。背筋が凍った。万事休すか。
ぐしゅっ。
最初のくしゃみは棚の向こうから聞こえた。次に背後から。隣にいた小僧(平積みの本に肘を付くな寄りかかるな立って読め馬鹿野郎)がハンカチを取り出し、目を押さえた。鼻をぐずぐず言わせている。
あっ。
店内のあちこちから次々にくしゃみと鼻をぐずらせる音が響く。
あっあっこれは。
花粉か。花粉なのか。今吹いた風は店内の花粉症患者を一斉に発症させるほどの花粉をもたらしたと言うのか。私は花粉症を罹患していない為、この状況が真に花粉によるものであるかどうかは判断できなかったが、しかし十分だった。私は素早く花粉症患者に成りすますと、鼻を巧みにぐずぐず言わせつつハンカチを取り出した。目を押さえる。さも忌々しげに舌打ちする小細工も忘れない。間一髪である。最終防衛ラインを突破した涙は、人目に付くことなく汎用殲滅兵器ハンケチーフによって一掃された。助かった。本当に危なかった。敵国調伏。神風が吹いたのだ。
その後も若干の小競り合いはあったものの、公然とハンカチを使用できる状況では大した脅威にはなり得なかった。かくして物語は大団円を迎え、紛争は終結したのであった。
なお、「うしとら」はこの件にて立ち読み第三段階に到達、購入予定リストに記入される運びとなった。巻数が多いので我が家の経済事情及び夫婦間領土問題を鑑みて愛蔵版待ちとなるが、優先順位は文句無しのトップである。もう眉間にしわ寄せ、苦悶の表情で立ち読む事もあるまい。こんな悲しい戦いはもう沢山だ。ノーモアウォー。ラブアンドピース。世界に愛とピンフを。
しかし歴史は繰り返すのである。その三日後、「笑う大天使」(川原泉/白泉社)第三巻にて同様の戦いが繰り広げられようとは、この時の私はまだ知る由もなかった。南無。