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久美子と城之内

大型連休を利用しての旅行を終えて、友花里と久美子は、五日ぶりに日本の地を踏んだ。成田から、都内まで移動したところで、ふたりは、久美子の彼氏、城之内と合流する。家までは、彼の車で送ってもらうことになっていた。

「ふたりとも、お疲れ様。楽しんできたかい」
「おかげさまで。遠いとこ、わざわざ、ごめんねえ」

城之内の前に立った途端、つい先ほどまで、旅行疲れと時差ぼけで、だるい、しんどいを連呼していた久美子に、鮮やかに生気が戻る。流石だ。常々、恋愛は活力だと、力説しているだけのことはある。

「どうも、お久しぶりです」

友花里は、前に二度ほど、久美子の付き添いで、城之内と顔を合わせている。

「やあ、友花里ちゃん。クミの引率、ご苦労様でした」
「なんだよ、それ。ていうか、わたしの友花里を、ちゃん付けで呼ぶな」
「痛。痛。こらこら、落ち着きなさい」

目の前で、微笑ましくも、羨ましいやり取りが展開される。

面白いのは、久美子は城之内のことを、友花里の前では、一貫して、苗字にさん付けで呼んでいること。本人曰く、のぼせて馬鹿になってしまうから、ふたりきりの時じゃないと、名前では呼べないのだそうだ。それから、呼び慣れるのがもったいないとか。

のぼせて馬鹿になる。

(昇。昇。昇)

ああ、なるほど。分かる分かる。

城之内は、細身ながら筋肉質な体格で、滝沢よりも背が高い。歳は、三十代前半と聞いている。会話も快活で小気味良く、何につけても、そつがない。周囲への気配りも利く。友花里の印象としては、頼りがいのある、大人の男性だ。

遠慮する暇も与えず、友花里たちの手から素早く荷物を受け取って、トランクに放り込む手際など、実に、見事なものだった。しっかりしているようで、その実、甘えたがりの久美子にとって、城之内は、申し分のない相手と言える。

しかしながら、ちょっと図々しい仮定ではあるけれど、自分の相手として見た場合、城之内は、友花里にとっては、あまり心を惹かれる存在ではなかった。と言っても、別に、城之内自身に問題があるわけではない。

過去の自分を振り返ってみれば、恋愛に限らず、他者との交流において、自発的に相手を求めるよりも、求められ、応えることにこそ、喜びを見出していたように、友花里は思う。

そんな友花里にとって、おそらくは、自分の助けなど必要としないであろう、城之内のような男性は、本質的に相似であり、喩えるなら、磁石の同極だった。ある程度の距離を置いている限りは問題ないけれど、どちらかが深く踏み込んだ時、反発が起こることは、容易に想像できた。そういう意味で、城之内は、最初から、恋愛の対象とはなり得ないのである。

ならば、滝沢はどうか。彼が友花里に対して好意を寄せてくれていることは、いまさら、疑う余地はない。そして、若く、未熟で、不器用な青年は、友花里の母性と保護欲を刺激し、精神的な居場所を与えてくれた。だから、友花里は滝沢に惹かれたのだと思う。

しかし。

相手の好意に応えたいという気持ち。自分が必要とされることへの喜び。

これらは、博愛の精神ではあったけれど、見方を変えれば、変質した自己愛に他ならない。誰かに必要とされることで、自分の存在価値を、確かめてきただけなのかもしれない。事実、友花里自身に、相手から必要とされている実感が失われた時、その関係は、たちまち収束してしまう。例えば、五年前の、あの時のように。

もし、そうだとしたら。

滝沢への感情の根底にあるものが、自己愛の投影に過ぎないのだとしたら。彼への想いは、錯覚に過ぎないのではないか。結局、自分は、依存されている状態に依存しているだけで、心から、誰かを好きになることなど、できないのではないか。

メールさえも届かない、五日間の空白は、ここに来て唐突に、友花里に、その胸の奥に押し沈めたはずの古傷の、自覚していた以上の大きさと、深さと、痛みを再認識させた。あの失敗は、単なる失恋として片付けられる問題ではなく、友花里の人間的資質に対する、重大な指摘を含んでいたのだ。

「それじゃあ、そろそろ、行きますか。ふたりとも、後ろかな」

明るい声で、城之内が、久美子とのじゃれ合いを打ち切って、言った。友花里は、現実に引き戻される。

「ううん、久美子は助手席に乗りなよ。久しぶりなんだし、ゆっくり話もしたいでしょう」
「そう。えへへ。気を遣わせちゃって、悪いね」
「なんの、なんの」

友花里の言葉は、まったくの方便でもなかったけれど、なにより、友花里自身、滝沢と連絡を取る前に、ひとりで考える時間が欲しかった。

友花里たちを乗せ、城之内の車が発進する。

メール

一時間ほど走ったところで、時間とともに増大する不安に耐え切れず、友花里は、考えることをやめた。旅行の疲れもあったのだろうけれど、頭がうまく働かなくて、どんどん悪いほうへと、考えが流れてしまって。

前の席では、久美子と城之内は、いかにも恋人同士らしく、盛り上がっていた。とても自分が割り込める雰囲気ではないと思い、友花里が、手持ち無沙汰に、携帯を取り出していじっていると、信号待ちで、久美子が振り向いて、言った。

「あ、また読んでる」

そのとおり。旅行中も、しょっちゅう読み返していた、滝沢からのメールだ。受け取ってから今日まで、十日ほどの間に、それこそ、何十回となく。

『友花里に彼氏がいないのは、周りの男に見る目がないから』
『友花里は、自分にとって、とても魅力的な女性だ』
『今度、直接会って、言いたいことがある』

ほとんど、友花里の誘導尋問だった点で、若干の不安は残るものの、必要な言葉は引き出したつもり。後は、直接会って、お互いの気持ちを確認するだけだった。

「お。なんの話」
「城之内さんには内緒。わたし、後ろに行く。ちゃんと信号見てろよ」
「了解」

城之内は、特に気を悪くした様子もなく、前に向き直る。シートベルトを外すと、久美子は、素早く車を出て、後部座席に移った。久美子がドアを閉めると、カーステレオの音量が上がる。城之内が、気を遣ってくれたらしい。

うまいと思った。些細なことではあったけれど、素直に、感心する。久美子と目が合うと、友花里の考えていることが分かったのか、運転席の城之内をちらりと見て、それから、どうだ、とばかりに笑みを浮かべた。さすがに、十年も付き合っていると、以心伝心も熟年夫婦の域だ。うんうん。いい人見つけたな。

「それで、次会うの、今週末だっけ」
「今のところ、そのつもり」
「いよいよだね。やっぱり緊張するか」
「ううん」

緊張は、あまりない。滝沢の気持ちは、既にメールではっきりと分かっていたから。当座の問題は、その先の、別のところにあるのだけれど、今はそれを、久美子に相談する気分にはなれなかった。自分の中で、整理がついていない。

「しかし、いまどき、本当に奥手だね、滝沢さん」
「そこが可愛いんだから、いいの」
「今はそう言ってられるかもだけど。これから先も苦労するぞ、きっと」
「うん。それは、なんかね。でも、しょうがない」
「先に惚れた弱みってやつですか」
「そういうこと、かな。どうだろう」

そんな、軽口を叩いていたら、久美子が急に黙り込んでしまった。どうしたんだろうと思って、そちらを見ると、久美子は、難しい顔をして、友花里の目をまっすぐ覗き込んで来た。

「あのね、友花里。わたし、あの時、自信を持てって、言ったよね」

友花里は、黙ってうなずく。滝沢との、二回目の食事の時の話だと、すぐに分かった。

「もし、今から言うことが、全然見当違いだったら、謝るけど」

口調が、すこし、厳しい。

「あれはね、滝沢さんの気持ちのことを、言ったんじゃ、ないからね」

その張り詰めた様子に、友花里は、息を呑む。嫌な、予感がした。聞きたくなかった。久美子が何を言おうとしているか、多分、友花里にも、分かっていたから。

「蒸し返されるのも嫌だろうと思って、ずっと、そりゃもう、ずうっと、言うの我慢してきたけどさ」

前を向いて

「あんたは、すごくいい子だけど、時々、お人よしが過ぎるの」

久美子は、友花里の手を取って、しっかり握りしめると、静かに、話し始めた。言葉のひとつひとつを、確かめるように、ゆっくりと。

「あんなやつの言うことなんか、真に受けて。全部ひとりで背負い込んで。恨み言も言わないで。もう、何年も経つのに、まだ引きずってる。愚痴のひとつだって、聞かせてもらってないよ」

友花里は、答えない。

「いい、友花里。普通はね、常識で考えたら、どんな言い訳をならべたって、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。浮気したやつが悪いに決まってるの。あんたが、就職活動で忙しいのをいいことに、他に女作っておいて、それを、ぬけぬけと、あんたのせいにするような、あの馬鹿がおかしいの」

友花里は、何も、答えることが、できない。

「あんたは、なにも悪くない。なんにも間違ってない。一生懸命だったよ。本当に、一生懸命、恋してた。わたしは、ちゃんと、見てたもの。すごく、キラキラして。羨ましかった」

少しだけ、懐かしむように、久美子は、目を細める。けれど、その表情は、すぐに、曇って。

「あいつと別れてすぐの頃のあんたは、笑っていても、空っぽで、見ていて辛かった。突然、一方的に関係を切られて、心が壊れそうになるくらい、本気だったんでしょう。それなのに、自分の気持ちを、無理やり押さえ込んで。平気なふりをして」

そう言って、目を伏せた久美子の声には、次第に、苛立ちの色がにじむ。

「あの頃、あんたが、いい加減な気持ちで付き合ってたなんて、ありえない。あいつに、そんなことを言う資格なんて、ない。絶対に、ない。わたしが、認めない」

肩を震わせながら、そう吐き出した久美子は、泣いていた。泣きながら、怒っていた。

「告白してきたのは、向こうだったかもしれないよ。でも、あんただって、真剣に、その気持ちに応えようとしたじゃない。ちゃんと、本気で、好きになれたって、一緒に喜んだじゃない。思い出してよ。負い目に感じることなんて、なんにも、ないんだよ」

久美子が、その手を伸ばして、両の頬を伝う涙を拭ってくれるまで、友花里は、自分が泣いていることに、気づいていなかった。なぜ泣いているのか、何が悲しいのか。分かっているはずなのに、分からない。

「もう、終わりにしようよ。ちゃんと、顔を上げて、前を向こうよ。わたし、友花里には、本当に、幸せになって欲しいんだよ。幸せに、なろうよ」

こんなふうに泣く久美子を、友花里は、見たことがなかった。

(なんだか、愛の告白みたいだね)

久美子に、強く抱きしめられて、堪えきれず、ぼろぼろと涙をこぼしながら、友花里は、そんなことを考えていた。感情と思考が、噛み合っていない感覚。

きっと、長い間、目を背けてきたことだから。自分に嘘をついて、納得したふりをしてきたことだから。きちんと、すべてを受け止めるには、もう少し、時間がかかるのかもしれない。本当は、もっと早く、こうやって、泣いておくべきだったのだろう。

喧嘩別れじゃない。嫌われたわけじゃない。嫌いになんて、なれるはずがない。

もしかしたら、いつかまた、元に戻れるんじゃないかと、そう思ったら、彼を前にして、泣くことも、怒ることもできなくて。わがままを言って、彼を困らせて、嫌われたくはなかったから。

それから、一年が過ぎ、二年が過ぎ。時間だけは、どんどん過ぎ去って。

もう、とうに終わったことなんだと、頭では分かっていたのに、心のどこかで、あきらめきれないでいた。ずっと、来るはずのない迎えを、待っていたような気がする。

(馬鹿みたい)

そう思った途端、友花里の心の奥で、何かが、大きく、崩れた。

「わたし、本当に、馬鹿みたい」

それ以上、言葉にならない。ただ、涙があふれて、とまらなかった。それから、しばらくの間、久美子は、子供みたいに泣きじゃくる友花里を、優しく、抱きしめていてくれた。

「だけどね、友花里」

やがて、久美子は、言った。

「それでも、あんたは、滝沢さんを好きになったんだよ。重い、重い、荷物を抱えて、ずっと、身動きがとれずにいたあんたを、滝沢さんは、振り向かせてくれたんだよ。わたしの言いたいこと、分かるよね」

しゃくりあげながら、友花里は、うなずく。何度も、何度も、何度も。

「じゃあ、もう一度、言うよ。その気持ちは、本物だから。もう、迷わなくていいから。だから、今度こそ、自信を持って。自分の気持ちを信じて、精一杯、頑張りなさい。でないと、滝沢さんにも失礼だ」

その言葉に、また、涙があふれる。

「ありがとう、久美子。ごめんなさい。本当に、本当に、ありがとう」

最後は、ふたりで、声を上げて、わんわん泣いて。

どれくらい、そうしていたのだろう。気がつくと、車は路肩に停められていて、運転席に、城之内の姿はなかった。目の奥と、のどが、痛い。軽い酸欠気味で、状況が、よく飲み込めない。ただ、気分はずっと楽になっていた。

「ここ、どこだろう。城之内さんは」
「あそこだ。もう。禁煙するって言ってたくせに」

久美子の視線の先。フロントグラスの向こう。車から、少し離れたところで、煙草をくわえた城之内が、ガードレールに寄りかかって、退屈そうに、空を眺めている。いつからそうしているのか、分からなかったけれど、あと少しだけ、化粧を直す間くらいは、待っていてくれるだろう。それくらい大人じゃないと、普段の久美子は、きっと、手に負えない。

そう思ったら、なんだか、城之内のすごさが分かったような気がした。

「城之内さんって、格好いいね」
「ん。あったりまえでしょ。わたしが選んだ男だぞ」

そう言って、久美子は胸を張った。

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