「友花里、あんた、その人のこと好きでしょ」
ひととおり、黙って聞いていた久美子はあっさり言い切った。友花里はとっさに言葉が出ない。
滝沢と食事をした翌日。久しぶりに、友花里は久美子と会っていた。そもそも、あの日の約束を久美子が延期しなければ、友花里と滝沢が知り合うことはなかったのだ。だから、ずっと、彼女には滝沢の話を聞かせてやりたかった。その反応が、思わぬ角度から返ってきたわけである。
「え。なんで」
「なんでって。話を聞いてる限りじゃ、自覚がないのが不思議なんだけど」
「でも」
友花里が滝沢と出会ってからはひと月も経っていない。今のところ、二、三度電話で話をしただけで、面と向かってじっくり会話を交わしたのは、昨日が初めてなのだ。
「時間とか回数なんか関係ないって。それ言ったら、わたしと城之内さんなんかねえ」
「いや、それは百回聞いたから」
「け。だいたいね、あんたが男からの食事の誘いに乗ったってことが、まずおかしいじゃないの」
そう。まったく自覚がなかったはずがない。ただ、食事の誘いがあった時は、そこまで意識していなかったことも、事実ではある。世話になった手前、断るのがためらわれたところが大きいし、なんにせよ、その一回きりだと思っていた。
「それきりになるのが嫌だから、また誘ってもらおうと密かにアピールしたんでしょ」
「うん。まあ」
「結局、二軒目は自分から誘ったし」
「でも、好きとかそういう感じじゃなくて、なんとなく波長が合ったというか、話しやすい人だと思って」
「ほほう。じゃああれか。要するに、話し相手として便利な人か。その滝沢さんは」
「そんな」
さすがにかちんときた。反射的に久美子をにらみつけ、そのにやけ面と、彼女の意図に気づいて、友花里は押し黙る。
「そんな、ことは、ない。うん」
「ほれみなさい。いくら話しやすそうだからって、ただそれだけで、またふたりきりで食事したいなんて、ふつう思わんて。その気がなければ、相手が良く知ってる人だって抵抗あるぞ」
そうなのだ。ただなんとなく、知り合って間もないのに、子供の一目惚れみたいで、すぐには認めたくなかっただけだ。
「一目惚れで、なにが悪いのよ」
「だって、節操なさそうじゃない。よく知らないのに、好きだとか」
「付き合いが長けりゃ偉いってもんでもないでしょ。見方を変えれば、そんなの手近なところで妥協しただけとも言えるんだし」
ずいぶんひねくれたものの見方ができるやつだ。友花里は呆れながらも感心してしまう。
「ぬう。あ、滝沢さんの方が年下だから、気が大きくなってるだけかも」
「いちいち警戒心が先に立つ相手と恋愛できるのか、あんたは」
それはそうだけど。まったく、ああ言えばこう言う。
「じゃあ、もしかしたら、最近久美子に彼氏ができたから、うらやましくて、つい、とか」
「へえ。そうなの」
「う」
「そうなんだ」
「うう」
「つい、か。滝沢さんは」
「ううう。違う」
だめだ。完敗だ。久美子には、勝てっこない。勝ってどうなるものでもないのだけれど。
「言っちゃなんだけどね、友花里。相手がその滝沢さんじゃなかったら、あんた、カップなんて送ったかね。しかもエルメス。お礼状だけで十分じゃないの」
「ええと。それは、ほんとうに、あんまり深い意味は」
「それが向こうに届いてすぐに電話が来て、嬉しかったんでしょ」
「うん」
「食事の誘いだって、ちょっとあんたが渋ったら、あっさりあきらめそうだったから、慌てて割り勘なんて条件つけてオーケーしたわけで」
「え。なに」
「だいたい、気にもかけてない男のために、何時間もかけて、着て行く服を選んだりしますか」
「あの、久美子さん」
「しかも、いきなり手をつなごうとするし。しくじって落ち込むし」
「もしもし」
「おまけに別れ際に、また電話します、なんて言われて腰抜かすほど安心して」
「待て待て」
「これで好きじゃないなんてことがあるかい。あほらしい」
「ちょ、久美子、ちょっと待った」
「なによ」
「わたし、そんなことまで話したっけ」
「はあ。そりゃもう、目をきらんきらん輝かせてな。それこそ微に入り細に入り、隅から隅まで百倍濃縮でたっぷり聞かされたよ、こっちは。電車ですごい人に会ったって言うから、どんな偉人伝を聞かされるのかと思ったら、べったべたなのろけ話じゃないの。仰天するって」
言われて、記憶がよみがえる。文字通り、友花里は頭を抱えて突っ伏した。これは、自分でもどうかと思うほどの浮かれっぷりだ。
「まあ、本気みたいだね。応援するよ」
「ありがとう」
「うん。じゃあ、さっそく会わせてもらおうか」
「は」
「次の食事のとき、連れて行きなさい。その滝沢さんとやら、わたしが見定めてあげよう。ろくなやつじゃなかったら、とっととぶち壊して、傷が浅いうちに目を覚まさせてあげるから」
物騒なことを言わないで欲しいものだ。
「でも、次の約束、ないよ」
「また電話するって、昨日、向こうが言ったんでしょ。絶対に今晩かかってくるから、その時にとっとと決めなさい。向こうが言い出さなかったら、あんたから誘うの」
「わかった」
「あ、最初はわたしが行くって言わないように。予定が決まった次の日あたり、取り消しづらい状況で、言うのよ」
(楽しそうだなあ、おい)
その晩、久美子の予言どおり、滝沢から電話があった。友花里の小細工にも、一応、気づいてはいてくれたようだ。良く分からず、その場で言いそびれたというあたりが、いかにも彼らしい。日時は未定ながら、食事の約束を取りつける。
メールアドレスも交換し、その日から、毎晩の、メールのやり取りが始まった。そのやり取りの中でお願いしてみた、久美子の同伴の件も、快く了承してもらえた。
あっという間の一週間。そして、約束の日。
約束の時間に、友花里はまた遅刻してしまった。滝沢は特に気にしていない様子ではあったけれど、さすがに反省する。久美子の姿も見えない。
メールで確認したところ、久美子はもう少し遅れそうだったので、友花里と滝沢は先に店に移動することにした。今日は友花里が推薦する店だったので、滝沢の先に立って案内する。
この日は花粉症の薬を飲んでいて、少しぼうっとしていたのだと思う。店に向かう途中で、街灯にぶつかりそうになってしまった。滝沢がとっさに手を引いてくれなかったら、危なかった。
その時、友花里としては、そのまま手をつないで欲しかったけれど、やっぱり、滝沢はさっと離してしまう。少し残念。久美子に指摘されて以来、滝沢を意識せずにはいられない。それでも、自分の気持ちがはっきりしている分、前回よりも心に余裕がある。
「遅れてしまって、すみません」
店に着いて、滝沢と友花里がメニューを広げていたところに、ようやく久美子がやってきた。まずは、お互いに簡単な自己紹介を。
「お話は聞いています」
滝沢に向けて、不敵な笑いを浮かべる久美子。その笑いの意図するところはなんであったのか。案の定、申し訳ないことに、滝沢は久美子の質問攻めに合う羽目になった。
電車でのこと。カップのこと。なぜ友花里を食事に誘ったのか。前回の席ではどのような会話をし、どんなことを考えていたのか。久美子は、初対面だというのに容赦がない。
友花里も、ところどころでフォローを入れてはみたものの、なにしろ、自分自身が答えを聞いてみたい質問も多く、久美子が暴走しないことを祈りながら、聞き役に徹することにした。
それから、普通の話題。似ている芸能人。最近見た映画。それぞれの仕事のこと。などなど。
途中、滝沢がトイレで席を立った隙に、久美子が言う。
「なかなか、いい人じゃないの」
「よかった」
結構いじわるな質問が多かったような気がして、内心穏やかではなかったのだ。
「ルックスは、まあ、平凡だけど、真面目そうだし。わたしの好みとは違うけど」
「聞いてないって」
「ただ、やっぱり若いし、わりと天然入ってるっぽいから、少し頼りない感じがするね。その辺で苦労するかも。その分、あんたがしっかりしないと駄目だよ。ほら」
久美子の視線の先を追うと、トイレを探して店内をうろうろする滝沢がいた。ふたりで、笑う。
「まだちゃんと告白されたわけじゃないんでしょう」
「まあね。ちゃんと会うのだって、今日で二回目だもの」
「ここ毎晩メール交換してるくらいだし、向こうにその気があるのは間違いないから、上手にリードしてあげなさい」
「うん。でも」
「でもじゃないの。あんたが態度をはっきりさせないと、彼みたいなタイプは、絶対に言い出せないから」
「そんな気はする」
「あんたのが年上なんだし、少しくらい露骨でもいいと思うよ。でも、肝心の告白は、必ず彼に言わせること。仏心出して、そこで楽をさせちゃだめだからね」
冗談めかしてはいたけれど、その意見には、不思議な凄みがあった。
それから久美子は、ずっと真剣な、でも優しい顔で付け加えた。
「今度は、つまらない後悔しないように。自信を持って、頑張りなさい」
「はい」
本当に、かなわない。
二十一時を過ぎた頃。久美子は明日が早いからと先に帰ることになり、友花里たちも合わせてその店を出た。
「うまくやりなさいよ」
友花里にそう耳打ちして、久美子は、駅の方角へ去って行った。
嬉しいことに、二軒目には、滝沢のほうから誘ってくれた。話題は、また映画の話。そして、次に行く店の話。
次はどこに食事に行くか。
この話題を切り出す時、実は、友花里はそうとう緊張した。次があるという前提を否定されたら。あるいは少しでも疑問を持たれたら。何しろ、毎晩メールを交わしていると忘れそうになるのだけれど、こうして実際に顔をあわせたのは、事件の日も数えて、今日でまだ三回目なのだ。
(わたしは、またあなたと食事に行くつもりでいます)
(好きでなければ、そんなことを言ったりはしませんよ)
(安心して誘ってくださいね)
(わたしはあなたが好きです)
(分かってくれますか)
(伝わっていますか)
もはや祈りに近い想いだ。友花里の想いどこまで伝わったかは分からないけれど、滝沢も、次の予定のことは、当然のように応じてくれた。
安堵して、すぐ、無意味に冷静になってしまう自分がいる。
(別に、ただの友達同士でも食事にくらい行くよな)
落ち込みそうになったところを、別の自分が励ます。
(今は友達で結構。あの日までは、ひと月前は、まったく他人だったじゃないか)
あの日といえば。
前回も思ったことだけれど、初めて会った時と、今の滝沢とでは、ずいぶん雰囲気が違う。そんなことを考えながら、友花里は何気なく、ファッションについての話を振ってみる。すると、滝沢は、困ったように打ち明けた。
「全然詳しくないので、これから勉強しようかと」
見栄も虚勢もない、悪く言えば馬鹿正直な、いかにも滝沢らしい答えだった。友花里はもう一歩踏み込む。
「そう言えば、最初に会った時から、ずいぶん雰囲気が変わりましたよね」
「ええと」
口ごもる滝沢。
「初めて女性と食事をする事になったので、慌てて準備したんです」
「そうなんですか」
それは、言い換えれば、滝沢の変身は、自分のためということだ。あまり大げさに喜ぶのもはばかられたので、無難なリアクションになってしまったけれど、滝沢の言葉は、嬉しかった。嬉しくないはずがない。
そして、帰り道。駅まで歩く間、やはり、お互いの口数が減る。ただ前回と違うのは、ふたりで並んで歩きながら、友花里の胸は、ずっと前向きな想いで満たされていたこと。
(わたしはあなたが好きです)
(分かってくれますか)
(伝わっていますか)