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 制作者について

中学生の頃、植村直己氏の一連の北極物を読んで、エスキモーの生活に憧れはじめた。自分はグリーンランドへ行ってエスキモーになるんだ、と思っていた。
常々「冒険とは生きて帰ってくることだ」と言っていた当の本人がマッキンリーから帰ってこなかったのは高校生のとき。それ以降しばらくはエスキモーや極地とはまったく無縁の生活。
大学時代はバイクにテントを積んで、インスタントラーメンを食いながらあちこち走り回っていた。そのころ海外には全く興味なし。

就職して2年目、世の中はバブルの後半くらい。就職先の弱小零細企業でもそれなりの給料が貰え、小金が貯まったので、とりあえず海外旅行へ行ってみようと思った。どうせ行くのなら僻地に行ってみたいと思い、何となく候補に挙がったのがチベットとアラスカ。迷ったあげく、英語は学校で習ったのだからどうにかなるだろう、ということで英語圏のアラスカへ行くことに(結局、学校英語は全く役に立たなかった)。

どうせアラスカに行くのなら、昔憧れたエスキモーの生活を見てみようと、1泊2日のツアーでバローに行ってみた。バスの中から見せられたエスキモーの町、集会所のような場所で見せられたエスキモーダンス。つまらなかった。自分が見たいのはこんなものではないと思った。
白夜の夜中、バローの海岸を一人で歩いた。ホッキョクグマの足跡を見つけたが、歩き続けた。今思えば無謀なことだが、当時は一晩中歩き続けることで、その場所に来た証になると思っていた。

あまりに不満だったバローへ行くツアー。自分の目でエスキモーの姿を見てみたいと翌年個人でチケットを買い、バローよりも小さいエスキモーの町、コツビューへ。1泊2日ホテルとガイド付きのツアーより高いチケット代に驚きつつ、相変わらず通じない英語に悩みつつ。

コツビューの海岸で、サケを捕るエスキモーの人たちのテントの脇にテントを張らせてもらい、数日を過ごした。本物のエスキモーの人たちの暮らしがそこにあった。ベルーガのマクターク(表皮と脂肪の部分)をご馳走してもらったり、子供たちと遊んだり。
自然とともに生きている人々、ゆっくりと沈んで行く真っ赤な夕日、また来よう、そう思ったのが運の付き、今に至るまでアラスカに通い続けている。

コツビューに通って数回目、他の小さな町も見てみたいと思い地図を見る。植村直己の本に出て来た町で、唯一覚えている町の名前があった。「ポイントホープ」
たまたま会ったおばちゃんに昼飯をごちそうになり、翌日、トンプソン岬まで連れて行ってもらい、ツンドラと海に感動し(そのおばちゃんは今でも親友。当時からは信じられないくらい太ってしまった)。
海岸に張っていたテントが子供たちの襲撃に遭い、眠れずに困っていたとき、うちに泊まりなさいと、部屋を貸してくれた家族。
彼らの「またおいで」その言葉を真に受けて、通い続けること10数年...
途中で会社が無くなったりぷーたろーをしたり。現在、日本にいる間は弱小零細企業で働いている。

部屋を貸してくれた家の主人は、その後クジラ猟のキャプテンとなり、自分も彼のチームの一員として、毎年、クジラの猟が行われている5月にポイントホープに向かうようになった。

写真は2005年5月、ポイントホープ沖の氷上でクジラの解体中。まだ解体は始まったばかりで、服もズボンもそれほど汚れていないが、解体が終わる頃は、全身血まみれ脂まみれ。

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このサイトの制作者

名前:高沢 進吾(たかざわ しんご)
エスキモー語の名前:Mikiaq(ミキアック)
出身地:群馬県。静岡県を経て現在は東京在住
血液型:B
資格:普通車、普通二輪車、小型船舶
趣味:献血(80回もすれば趣味でしょう。最近はあまりしていない)
食物:とりあえず何でも食べる
酒:「若すぎて飲めない」と言ったらエスキモーのおばちゃんにどつかれそうになった
健康:バカなので風邪はひきにくい。たまに風邪をひくと死ぬんじゃないかと思う
性格:ものぐさ、不真面目、ひねくれ者

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RXI01766@nifty.ne.jp

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