神奈川の米軍・自衛隊〔基地ガイドブック〕
2001年版
発行・日本平和大会神奈川県実行委員会/監修:鈴木和弘
この情報はご自由にお使い下さい。製本したものを実費で提供しています。
写真、図は未整備。
目 次
神奈川のおもな軍事施設(地図) ・未整備
は じ め に
米軍
鶴見貯油施設(海軍)
横浜ノース・ドック(陸軍)
深谷送信所(海軍・戸塚通信隊)
上瀬谷通信施設(海軍)
相模総合補給廠(陸軍)
相模原住宅地区(陸軍)
キャンプ座間(陸軍)
厚木海軍飛行場
空母キティホークの艦載機 ・未整備
池子住宅地区および海軍補助施設(海軍)
横須賀海軍施設
横須賀を母港にしている艦船 ・未整備
吾妻倉庫地区(海軍)
浦郷倉庫地区(海軍・弾薬庫)
横須賀軍港地図 ・未整備
富岡倉庫地区(海軍)
小柴貯油施設(海軍)
根岸住宅地区(海軍)
長坂小銃射撃場(自衛隊と共同使用)
長井通信施設(海軍)
自衛隊
海上自衛隊の組織・編成/未整備
海上自衛隊の航空機勢力
厚木基地のおもな自衛隊航空機
潜水艦隊・掃海隊群
機雷掃海部隊の編成
機雷の種類と用途
自衛隊武山駐屯地
海上自衛隊船越庁舎(自衛艦隊司令部)
海上自衛隊逸見庁舎(横須賀地方総監部)
陸上自衛隊久里浜駐屯地
陸上自衛隊横浜駐屯地
資料
艦艇番号一覧表・未整備
おもな自衛隊の艦船 ・未整備
自衛艦隊編成図・未整備
地方隊および直轄部隊の編成図 ・未整備
はじめに
神奈川県は、沖縄県に次ぐ「第2の基地県」といわれる。それは、公式には16カ所の米軍施設だが、横須賀基地の一部として数えている相模湾側の「長井通信施設」を含めると17カ所の米軍施設があるからである。しかし、基地の数よりも基地の性格や機能の点で紛れもない第2の基地県といえる。
神奈川県横須賀には、在日米海軍の司令部がおかれ、米海軍のなかで最大・最強の「第7艦隊」の司令部がおかれる旗艦ブルーリッジが母港にしている。また、キャンプ座間は在日米陸軍の司令部であり、全太平洋を作戦範囲とする第1軍団とその後方支援部隊である第9戦域陸軍地域コマンドが本拠地にしている。
横須賀を母港にしている米艦船は、前述の第7艦隊旗艦ブルーリッジのほか空母キティホークを中心にした空母戦闘群の10隻、合計11隻(2000年現在)であり、その多くは最新鋭の戦闘艦船である。
神奈川県内の自衛隊もまた、海上自衛隊の実戦部隊の本拠地・自衛艦隊司令部を横須賀におき、日米共同作戦の中枢となっている。護衛艦隊司令部や潜水艦隊司令部、掃海隊群司令部を横須賀におき、航空集団司令部は厚木基地を本拠地に日米が共同している。
すすむ原子力空母母港化の準備
現在横須賀を母港にしている航空母艦キティホークは、2003米会計年度中に現役を退くことになっていたが、大規模な艦齢延長工事を施して2008米会計年度まで現役にとどまることになっている。しかし、その時点で米海軍が所有する空母は、練習空母のジョン・F・ケネディを除いては通常推進力の空母はなくなり、すべてが原子力を動力とする航空母艦になる。つまり、横須賀の母港をつづける限りは原子力空母の母港化を迫られることになる。
米会計検査院(GAO)は、横須賀に原子力空母を配備した場合の通常動力空母との「費用対効果」を議会に報告し、原子力空母にした場合に必要な諸設備の整備や新設(原子力推進力の修理機能、バースの延長、維持施設など)についての必要性をのべ、それらの整備に7〜10年かかるとしている。また一方で同報告は、「原子力艦船が日本に寄港するのに、日本は神経質になっている」と世論を気にしている。また、第7艦隊司令官は、「グアムも原子力空母の母港としての選択肢」とものべ、米戦略上からは必ずしも横須賀が母港でなくとも可能との考えを示唆している。
横須賀市が「原子力軍艦事故災マニュアル」策定
横須賀市は、依然として減らない原子力潜水艦の横須賀入港や原子力空母の横須賀母港化問題などが浮上で、市民から要望の強かった放射能防災対策を横須賀市独自での策定をすすめていたが、東海村核燃料施設での「臨界」事故を契機にその策定に拍車がかけられ、2000年6月に「原子力軍艦事故防災マニュアル」が完成した。
横須賀市が、国や神奈川県に先がけて独自に防災マニュアルをつくったことは、市民の不安を削減する上で評価できるものである。しかし、このマニュアルは、「原子力軍艦の設計または技術上の情報は(国や米軍から)一切提供されないことから、原子力軍艦事故による量的な想定は困難」としており、やむを得ず原子力安全委員会がつくった「原子力発電所等の防災対策について」で提案されている重点防災対策範囲である8〜10`メートル範囲を対象とし、対策の範囲を横須賀市全域としている。
放射能災害は、もちろん市域を越えて広がるものであり神奈川県のイニシアが求められる。同時に、米軍からの原子炉についての情報や米軍の策定している事故対策が公開されないことについて、政府が強力な態度で米軍に迫ることも必要である。また、横須賀市が防災マニュアルを策定したことをもって、近い将来に計画されている原子力空母の母港化を容認するものではないことは当然である。
「米軍との友好関係の中断」
厚木基地での空母艦載機による訓練は、最近、とくに激しい爆音を広範囲にまき散らすものとなっている。
爆音被害はNLP(夜間離着陸訓練)だけではない。むしろ最近は、NLP以外の爆音に対する県民からの苦情が増加しているのが特徴である。1999年9月におこなわれた航空ショーでは、大和市内の小中学校の運動会行事が爆音のために中断したり、2000年7月の航空ショーでは、そのためのリハーサルが昼間に長時間にわたって実施され苦情が殺到した。
NLPのためとして「思いやり」予算で整備された硫黄島の訓練施設の活用率は年々低下している。2000年9月に実施されたNLPは、これまでのように硫黄島での並行した訓練をせず、しかも、1ヶ月の間に2回も実施された。これには、大和市をはじめ基地周辺の県民から苦情と抗議が殺到した。
大和市長は、NLPが通告されるたびに中止を米軍に求めてきたが「聞く耳を持たない」米軍にたいし、「堪忍袋の緒が切れた」と「米軍との友好関係を中断」すると宣言、市の行事に米軍を招待しないし、米軍からの招待も受けないことを発表した。この直後、米軍は訓練のために離陸した艦載機を着陸させ、それ以降の訓練を4日間も残して中止させることになった。市長は、原因になっている空母の「母港解消は市是である」、「2008年の空母退役を待たずに市民ぐるみの運動を模索したい」とものべている。
超低空飛行訓練の爆音や墜落事故の不安、住宅建設の要求、激しくなる爆音被害など、空母の母港に起因する被害はきわめて大きい。今、空母母港の解消にむけて大きな共同を広げることが大切になっているのではないだろうか。
在日米軍
鶴見貯油施設(米海軍)
【所在地】 横浜市鶴見区安善町
【面 積】 土地 民有 183,784u
建物 国有 2,869u
民有 2,773u
合計 5,642u
【現 況】
在日米海軍艦隊産業補給センター(FISC・横須賀)の管理下にあり、米軍が東日本に4カ所持っているオイル・ターミナルのセンター的存在で、神奈川県内にはその出先として、横浜市金沢区の「小柴貯油施設」と横須賀市の「吾妻倉庫地区」の貯油施設がある。この施設は、エリアT(海側)とエリアU(陸側)に分かれ、エリアTには7基。エリアUには13基、合計20基のオイルタンクがあり、その貯油量は125,000`gといわれる。
この施設に蓄えられている燃料は、主として航空機燃料のJP−5や軽油類で、横浜市金沢区の「小柴貯油施設」から小型タンカーで運ばれてきたものを貯蔵し、鉄道やタンクローリー車で東京の横田基地や厚木基地などに運ばれる。厚木基地への輸送は、1999年にこれまでの鉄道輸送からタンクローリーによる輸送に変えられた。また、三沢基地で使われる燃料は、近くの八戸貯油施設に船で運ばれる。
1979年 大火災の事故が発生
1979年7月27日、午後3時頃から降りだした雨は雷を伴う豪雨となった。午後5時35分、エリアUの306号タンクに落雷し大火災が発生した。このタンクにはジェット燃料のJP-4が約10,000`g貯蔵されており、約4時間半にわたって燃えつづけた。この火災による被害はこのタンク以外にはなかったものの、付近は、モービル石油、エッソ石油、昭和石油、シェル石油、日本石油、ゼネラル石油などのある「石油コンビナート等災害防止法」に指定された「特別防災区域」であり、一歩間違えば大災害につながる危険があった。現在でも当時のように石油会社や東京ガスなどもあり、隣接する寛政町には高等学校と中学校もある。防災関係者の自由な立ち入り調査を含め、安全対策が強く求められているところである。
現在の日本人労働者は、80人。
鶴見貯油施設の地図/未整備
横浜ノース・ドック(米海軍)
【所在地】 横浜市神奈川区瑞穂町、千若町、鈴繁町
【面 積】 土地 国有 437,872u
市有 34,545u
民有 77,509u
合計 549,927u
建物 国有 66,024u
民有 16,125u
水域 約110,000u
【現 況】
在日米陸軍第17地域支援群(キャンプ座間)の管理下にあり、同支援群工務局輸送部、陸軍第1316中型港湾施設司令部、米海軍極東軍事海上輸送軍団司令部などが使用している。
1925年(大正14年)に内務省の直接指導で首都圏の外国貿易埠頭として、横浜市が造成費の30%を負担して建設が開始されたが、完成したのは1945年(昭和20年)で、ほぼ完成と同時に米軍に接収されたために日本としてはほとんど使われなかった横浜港で最大の埠頭(現在は本牧埠頭が最大)を持っていた施設である。皮肉にも、この埠頭の名を「瑞穂埠頭」という。
この施設の埠頭地区は、全長1,460メートルもあり、大型船舶用バースが7つのほか4つの小型船舶用バースを備えている。また、埠頭地区とは離れた場所に「艦隊軍事郵便センター」を備えており、1992年には拳銃の密輸事件が頻発している。
この施設は、朝鮮戦争やベトナム戦争でフル稼働し、湾岸戦争でも後方支援で大きな役割を演じた。ベトナム戦争では、戦場で壊れた戦車などの戦闘車輌を陸揚げし、相模原の「相模総合補給廠」に運んで修理した後、再びこの施設からベトナムに向け積み出され、平和・民主勢力による戦車阻止闘争の舞台となったことで知られる。
ベトナム戦争後の一時期は遊休化したようにみえたが、1981年1月からは、静岡県の東富士演習場で演習する米海兵隊の上陸がおこなわれるようになり、沖縄県で県民の激しい抗議をうけながら強行していた県道104号線ごえの実弾砲撃演習の東富士と北富士演習場(山梨県)への移転にともない、この演習に使用する155_榴弾砲や軍用車輌の陸揚げも頻繁におこなわれるようになった。また、全国各地で増強される米軍基地の資材のほとんどがこの埠頭から陸揚げされるなど、ノース・ドックは本州で最大の兵站陸揚げ基地である。
こうした兵站の側面と同時に、海軍の潜水艦探索艦(T−AGOS)やミサイル追跡艦などの対潜水艦戦や海上核戦略の「裏方」ともいえる艦船の入港もあり、この基地が海軍にとっても重要さを増していることがうかがえる。最近入港する潜水艦探索艦は、米軍が新たな戦略にあわせて、沿岸用のディーゼル潜水艦などに対応する浅海型探索機器を備える新鋭の「双胴型」艦船に代わっている。
米軍は、この基地の近くにあった「横浜冷蔵倉庫」と「神奈川ミルク・プラント」をこの基地に集約することを求めていたが、「横浜冷蔵倉庫」の返還をもとめていた横浜市が、この基地の先端水域14ヘクタールを埋め立ててその一部の3ヘクタールを米軍に提供し、あわせて公共埠頭として運用することにした(図参照)。米軍への提供区域は先行して埋め立て工事がおこなわれ、1995年12月に工事が完了し、1997年秋には冷蔵倉庫等の建設を終え10月に米軍に引き渡された。
公共埠頭は、この基地がとりつけ部の「瑞穂橋」から米軍への提供区域になっているため、米軍基地を通らねば公共埠頭を使えないという前代未聞の事態がおこりかねない。市費400億円を投じて埋め立てた土地の一部を米軍に提供し、施設の移転費用の全額を横浜市が負担するということが、「思いやり予算」の地方自治体版として市民の批判をあびている。
湾岸戦争では、相模総合補給廠(相模原市)から中東に送られた医療用資材などのうち車輌などがこの基地から搬出された。また、キャンプ座間の陸軍が、旧ソ連の崩壊によって大規模な編成変えをしたのにともない、全太平洋地域を担当する第1軍団を全面的に支援することでの役割が強化されている。
1997年に、これまでグアムの基地からおこなっていたインド洋のディエゴガルシア補給基地(中東地域の有事に備えた備蓄基地)への定期輸送業務が移ってきたが、約1年ほどで中止になった。
この基地の日本人労働者は、290人。
この基地には、陸上自衛隊中央輸送業務隊(横浜市保土ヶ谷区岡沢町)の一部も常駐し、土地848.17u、建物延べ774.02uを共同使用している。
地図(全体と埋め立て)
深谷通信所(戸塚送信所・米海軍)
【所在地】 横浜市泉区和泉町、中田町
【面 積】 土地 国有 773,747u
建物 国有 5,155u
民有 329u
合計5,484u
【現 況】
在日米海軍極東コンピュータ通信本部(横須賀)の管理下にあり、米第7艦隊の艦船および航空機への送信業務をおこなっていた。
この基地は、事務所、発信室、宿舎、発電室、消防ステーションなどからなる全施設面積の5分の1程度の囲障区域と、アンテナが林立する非囲障区域とに区分されている。囲障区域以外は立ち入りが認められ、草野球や少年野球場のほか周辺住民の家庭菜園などに使われている。また、この基地の3分の2程度の場所を県道が横切る共同使用となっている。
基地の周辺では、米軍の発信する電波のためにテレビやラジオの受信障害がおきており、1967年に戸塚医療生協などが中心になっての運動の結果、共同アンテナ方式による受信施設が国の責任でつくられ受信組合が管理運営している。
湾岸戦争では、真っ先に厳重な警備態勢にはいり、県警までが入り口の警備にあたるなど通信基地の重要性を伺わせた。米ソの東西対決の構造がなくなってからいくつかのアンテナが撤去され、1995年から96年にかけて十数基のアンテナが撤去されるなどの動きがあり、1999年10月からは基地司令官も配置せず、基地の管理も厚木基地(綾瀬市、大和市)に移された。36人いた日本人労働者の大半も厚木基地や横須賀基地に配転され、警備の労働者が厚木基地から通勤している。
提供区域は、災害時広域避難場所に指定され耐震貯水槽も設置されたが、アンテナには「立ち止まると健康に影響する」とした看板が掲げられ、電磁波による近隣住民への健康被害が懸念されている。
日本人労働者は、15人。
上瀬谷通信施設(米海軍)
【所在地】 横浜市旭区上川井町、瀬谷区瀬谷町
【面 積】 土地 国有 1,095,100u
市有 226,801u
民有 1,100,496u
合計 2,422,397u
建物 国有 23,342u
【現 況】
米海軍極東コンピュータ通信本部(横須賀)の管理から厚木基地の管理に移った基地で、これまで海軍通信保安隊上瀬谷分遣隊、第7艦隊第1哨戒航空団司令部、西太平洋地区海洋調査情報所(FOSIF)、太平洋統合諜報センター(JICPAC)上瀬谷分遣隊、太平洋前進地域支援部隊上瀬谷分遣隊などが配置されていた。
この基地は、第7艦隊の艦艇や航空機などからの通信を受信する正面ゲート地区の施設と、P−3C対潜哨戒機などからよせられる他国の潜水艦情報や他国の艦船の無線を傍受・処理・暗号解読し、その情報を艦隊海洋監視情報センターや航空母艦内の戦術支援センターなどに提供する役割をもち第7艦隊の“耳”の役割を果たしている「第7艦隊第1哨戒偵察航空団」や「FOSIF」などのある基地裏側に位置する地下壕のオペレーション地区から構成されていた。
これらのオペレーション地区など「囲障区域」を除き、提供区域の大部分は近隣住民や地権者の耕作が認められているが、この基地が、すべての周波帯におよぶ電波の傍受をおこない相当微弱な電波まで受信していたことから、提供区域の外の地域にまで建築制限地域と制限基準を課した「電波障害防止制限区域」が設定されていた。そのために、土地所有者などには政府からの補償金が支払われ、基地に隣接する県営住宅の高層化もできなかった。
ソ連の崩壊後、この基地の囲障区域外にあった3種類11基のアンテナが撤去され、1994年4月には方向探知用のループ・アンテナも撤去された。1995年2月には、最後まで残っていた囲障区域外の2基のアンテナも撤去され、文字通り囲障区域外のアンテナはすべて撤去された。この基地の司令官は、「使っているアンテナはオペレーション地区の4基だけ」と認めており、この4基のアンテナは、すべてが衛星通信用のアンテナである。
アンテナの撤去とともに部隊の移動もおこなわれた。米太平洋軍の準機関紙「星条旗」によれば、「JICPAC」(約80人)は横田基地(東京)ヘ移動し、海軍通信保安隊は横須賀や三沢、グアム、ハワイなどに移動、基地の管理も厚木基地に移管、24時間体制でこの基地を警備していた海兵隊も横須賀にひきあげたという。あわせて、基地周辺に設定されていた「電波障害防止制限区域」も解除された。
跡地に米軍住宅建設の計画が浮上
この基地が240ヘクタール(横浜スタジアムの92カ所分に匹敵)におよぶ広大で平坦な土地を確保していたのは、撤去されたこれらのアンテナによる微弱な電波の傍受に障害となるものの設置をさせないためである。したがって、アンテナが撤去されたこの広大な土地は、必要なくなったのである。基地司令官も「使っているのは全体の18%だけ」と証言している。
「星条旗」紙は、この基地の部隊改編や移動を伝えた中で、「空き家となるこれらの土地は、隣接する厚木基地の要員にとっても、またこの施設に残る要員にとっても、屋外レクリェーション、住宅、倉庫に好適」として利用計画をほのめかしていた。米軍は、横須賀基地関係の米軍家族住宅の不足数について、池子の住宅建設が完了した今もなお4,500人が基地の外に居住しており、上瀬谷基地内の68戸の住宅も満員で3〜40%の要員がこの基地以外の場所に居住しているという。また、厚木基地の中に居住している米軍家族からの航空機騒音にたいする苦情もうけていることなどから、日本における家族住宅問題は深刻だとしている。
米軍が、この基地の「空き地」についての利用計画をもっていることは、1994年に米軍がつくった「跡地利用計画案」によって明らかになった。計画案によれば、前述の「星条旗」紙の報道の通り、約600戸の住宅建設と倉庫や艦隊産業補給センター、屋外レクリェーション施設などを建設し、住宅は深谷通信所やこの基地に残る要員、厚木基地の要員の家族住宅となっている。
この基地の約4割の土地は民有地だが、大部分が遊休化したにもかかわらず返還されないため、地権者の1人が再契約を拒否して「土地明け渡しを求める」裁判をたたかっている。沖縄県以外では唯一の基地返還訴訟であり、全国的な支援が求められている。
この基地で働く日本人労働者は、117人。
地図
相模総合補給廠(米陸軍)
【所在地】 相模原市矢部新田、上矢部、小山、御所入
【面 積】 土地 国有 2,146,443u
市有 100u
民有 90u
合計 2,146,633u
建物 国有 314,276u
【現 況】
在日米陸軍第17地域支援群(キャンプ座間)の管理下にある米軍としては東洋一の兵站基地である。
朝鮮戦争やベトナム戦争では、100万品目ともいわれる米軍の生活物資や武器、弾薬などの調達、保管、修理などをおこない、ベトナム戦争では、壊れた戦車の修理をおこなっていたことは多くに知られている。
米軍は、世界的規模で有事に備えた病院建設をすすめており、この基地の中にも有事病院の建設計画がある。これを裏づけるように1988年7月には、大量の赤十字マークの描かれた医療車輌が搬入されており、1990年には、医療用の大型冷蔵倉庫や低湿倉庫なども新たに建設され、また、一般倉庫として建設された倉庫が、有事には病室になるような構造になっているなど、陸軍環境保険施設局の存在とあわせ、この基地の目をみはる医療分野での強化ぶりが注目されている。
湾岸戦争では、この基地に蓄えられ保管されていた大量の医療物資や野戦病院用の資材、医療用車輌などが前線に送られた。一見、普通のコンテナのようでも、それぞれがレントゲン室や集中治療室、手術室などであったり、展開すれば病室や診察室、薬局になる資材をセットで収納しているコンテナである「展開可能医療システム」が、全部で4セット保管されている。その規模は、504人を収容できる野戦病院が2セットと476人が収容できる総合病院が2セットといわれるから、4セットで3,000をこえる病床数であり、横浜市立大学付属病院よりベッド数が多い規模といえる。
米軍は2000年夏、この「展開可能医療システム」を使った大規模な野戦病院演習「MEDEX2000」を実施した。この演習は、実動演習は1週間でも準備段階から撤収までをふくめると実に3ヶ月以上におよぶ大規模な演習であった。米軍は、「太平洋有事」を想定し「実際にそのような緊急事態が生じたときに、よりよい準備をさせるものとなる」といい、演習がきわめて深刻な事態を想定したものであるとしている。実際、訓練では、患者役や負傷兵役となった在韓米軍が横田基地や厚木基地から輸送ヘリで運ばれ、傷病兵を収容したり、防毒マスクや防護服に身を固めての「除洗」訓練をおこなうなど、NBC(核・生物・化学)戦を想定したものもおこなわれた。
医療コンテナだけではなく、繋ぎあわせれば巨大な貯油タンクになるパイプのセットを納めた「内陸部石油配給システム」とよばれるコンテナ600個も集積されている。
米軍が全国の基地で廃棄された有害物質PCB(ポリ塩化ビフェニール)を含んだ変圧器などの廃棄物をこの基地に集積していることも近隣住民に大きな不安を与えている。米軍や日本政府は、その保管状況について明らかにしようとしなかったが、2000年、市民にも知らされずにこっそりと横浜港から運び出し、処理のために受け入れる国がなかったために再び横浜港に逆戻りし、1ヶ月後に再び太平洋にある米領の島に向け搬出した。しかしこの基地には、いまだに150トンをこえるPCB含有の廃棄物が2棟の倉庫に保管されている。
相模原市は、この基地の北側部分や西側の「野積み場」部分については、とりわけ強く返還を求めている。しかし米軍は、この部分を使って今回の「MEDEX2000」をおこなったし、これまでも通信訓練や模擬地雷の埋設訓練なども実施している。また、建設された低湿倉庫が武器庫であることが判明したり、射撃場の建設計画の浮上、日米で軍事技術の研究をおこなう「極東科学技術工学センター」の横田基地からの移転など、返還どころか、この基地が単なる兵站補給基地にとどまらず強化されていることがうかがえる。
この基地を管理する「キャンプ座間」に、全大平洋を作戦範囲とする第1軍団を全面的に支援する第9戦域陸軍地域司令部が設置された(「キャンプ座間」の項参照)ことと、この軍団司令部が今回の「MEDEX2000」を統括したことを考えあわせるなら、この基地の後方支援で果たす役割の重要性が高まったことは明らかである。
地図
相模原住宅地区(米陸軍)
【所在地】 相模原市上鶴間
【面 積】 土地 国有 511,643u
市有 4,929u
民有 77,961u
合計594,534u
建物 国有 84,103u
【現 況】
在日米陸軍第17地域支援群(キャンプ座間)の管理下にある、米軍人、軍属およびその家族の住宅専用区域である。現在、約300棟の住宅に約600世帯が居住しており、日用品等即売所や学校、劇場まで備わっている。この区域の中には、横浜市の水道用地(水道道)があり、1992年10月から11月にかけて相模原市でおこなわれた「緑化フェア」のために、その会場に通ずる道路と結んでいるこの水道道をこの期間に限り一般の通行を許可した。その後、この道の返還を求める声があがっている
この住宅は、古くなったために「思いやり」予算での建て替えがすすめられている。(相模原住宅地区の地図はキャンプ座間の次に掲載)
キャンプ座間(陸軍)
【所在地】 相模原市磯部・新戸、座間市座間
【面 積】 土地 国有 2,336,758u
市有 1,133u
民有 8,520u
合計 2,346,411u
建物 国有 186,482u
【現 況】
在日米陸軍司令部、米陸軍第9戦域陸軍地域コマンド、米陸軍第1軍団前方連絡所、在日米陸軍第17地域支援群(旧本州駐屯部隊)司令部、およびその管下の部隊などがおかれ、在日米陸軍の中枢部として各種物資の補給・保管・修理など「兵站」業務を統括している。また、米本国のメリーランド州に司令部を置く米陸軍情報保安軍団の指揮下にある第500軍事情報旅団本部も置かれ、アジア・太平洋地域におけるスパイ謀略活動の拠点にもなっている。
これまで配置していた第9軍団は、米軍がアジア有事に備えた戦略予備部隊で、平時には司令部のみを置き実動部隊は常駐せず、司令官は在日米陸軍司令官が兼務であたり、有事の際には5個師団以上の部隊とその支援部隊が来援することになっていた。しかし米国防総省の部内報告で「論理的な必要性がない」部隊との勧告をうけ、1994年9月にこの第9軍団を廃止して、本国の第1軍団に統合する計画が発表され、1995年に第9軍団は解隊され第1軍団に統合された。第9戦域陸軍地域コマンドは、この第1軍団を支える部隊であり、2000年夏に相模総合補給廠でおこなわれた統合衛生訓練「MEDEX2000」はこの司令部が統括した。
米本国ワシントン州にある第1軍団は有事出動部隊で、米韓共同軍事演習(チーム・スピリット)へは常連として参加していることから、この改編が、朝鮮半島有事を想定して在日米陸軍の兵站機能を組み込むための態勢とする見方もある。
第17地域支援群は、1987年に「本州駐屯部隊」が名称変更したもので、横浜ノース・ドックや相模総合補給廠、さらには広島県の秋月弾薬庫まで、在日米軍のほとんどの兵站活動を統括している。
在日米陸軍司令部に隣接する102号ビルC棟に司令部を置く第500軍事情報旅団は、この基地内の8カ所の建物を使い、第181軍事情報分遣隊、アジア研究分遣隊、海外連絡分遣隊、さらには青森県の三沢基地にある「像のオリ」とよばれる巨大な電波傍受用のアンテナなどで構成されており、電波の傍受や暗号解析、軍事情報の収集、対諜報活動など、あらゆるスパイ情報収集活動をおこなっている。1976年、日本共産党の調査で明らかになり、国会でも問題になった自衛隊の秘密スパイ組織「陸幕二部別班」の事実上の指揮をとっているのもこの部隊といわれている。
この基地には、1983年から国防衛星通信システム(DSCS)の地上局が置かれ、ハワイの太平洋軍司令部や米本土、首都圏の米軍基地を衛星を介して結ばれ、さらに所沢通信基地や大和田通信基地をむすんで戦略爆撃機B-52を支える核攻撃システム=「ジャイアント・トーク・システム」を構成していたが、この地上局の巨大なアンテナは、1999年に撤去された。
基地内では、隔週木曜日に4時間のNBC(核・生物・化学)汚染除去訓練を実施しているが、特に1990年の湾岸危機以降は、除洗訓練の重要性を基地内新聞「Torii」で強調した。
この基地には、陸上自衛隊の東部方面隊第1施設団第3施設群の約300名が常駐している。
またこの基地では、日量6,000トンの能力をもつ地下水源を独占しており、毎日2,800トンの水を汲み上げて使っていた。専用水源の水量は1万5000人分に相当するが、この基地の米軍人および軍属は1,110人といわれ、家族や日本人従業員を含めても有り余る水量を独占していたことになる。米軍の独占によって不足する市民の水は、県営水道に頼らざるを得なかった。
しかし米軍は、地下水源の汲み上げ施設などの老朽化を理由に施設の改善を求めていたが、米軍も県営水道を使うことが合意され、2000年に地下水源の井戸が返還された。
第9軍団解隊式の写真
第9軍団の解隊式(1995年9月)
キャンプ座間地図
相模原住宅地区地図
厚木海軍飛行場(海軍)
【所在地】 綾瀬市深谷・蓼川・本蓼川、大和市上草柳・下草柳・福田、一部海老名市
【面 積】
土地 国有 5,064,594u
市有 20u
民有 4,503u
合計 5,064,594u
建物 国有 335,576u
【現 況】
航空母艦が母港にしている港から遠くない場所になくてはならない航空基地、それが厚木海軍飛行場である。
この基地には、西太平洋艦隊航空司令部をはじめ、空母キティホーク艦載機で構成する第5空母航空団厚木分遣隊、艦隊第1偵察飛行隊厚木分遣隊、第1ヘリコプター戦闘支援隊第2・第6分遣隊、空母への輸送を任務とするC−2A艦上輸送機グレイハンドで編成する艦隊後方支援隊、厚木航空施設司令部など様々な部隊がある。なかでも西太平洋艦隊航空司令部は、米本国サンディエゴにある太平洋艦隊航空司令部のもとで、グアムのアガナ航空基地やインド洋のディエゴガルシア支援施設など、西太平洋全体の海軍航空部隊を管理している。厚木海軍飛行場は、まさに西太平洋の米海軍航空部隊の本拠地といえる。また、上瀬谷通信施設や深谷送信所の管理もこの基地がおこなうようになった。
この基地の滑走路は1本のみで、その長さは約2,438メートルである。また滑走路は南北に延びていて、両端にそれぞれ300メートルのオーバーランが設けてある。
殺人的な艦載機によるNLPなどの爆音
空母キティホークが母港の横須賀に入港する1〜2日まえに、空母艦載機は次々と厚木海軍飛行場に飛来する。これは、空母が全速力で航行していなければヘリコプターを除いたすべての艦載機が空母からの離着艦ができないためと、空母入港中におけるパイロットの離着艦練度を維持するための訓練を飛行甲板にみたてた滑走路でおこなうためである。また、空母が修理などで航行不能であっても、この飛行場からの直接出撃が可能となるよう、飛行場には弾薬庫も備わっている。
空母艦載機は、100数十メートルという限られた飛行甲板で離着艦をおこなわねばならない。離艦は、30ノット以上の全速力で航行する空母の前方に向けて、蒸気の力による「カタパルト」によって飛び出すが、着艦はその逆に、全速力で航行する空母の後方から「アングルド・デッキ」(離艦に使うのとは別に、斜めに設置した飛行甲板)に降りるが、その際、甲板上に等間隔で張られた4本のワイヤー・ロープのいずれかに、艦載機後部から降ろされた「フック」を引っ掛けて停まることになる。そのためパイロットには高い技術が要求され、空母の入港中に練度維持のために厚木飛行場での離着陸をひんぱんにおこなわねばならない。
飛行場の滑走路を空母の飛行甲板に見立てての「タッチ・アンド・ゴー」は、離陸時のエンジン全開や飛行場に進入する際の超低高度などで、凄まじい爆音を発する。とくに、難しいとされる夜間の離着艦のための訓練はNLP(Night Landing Practice)と呼ばれる「夜間連続離着陸訓練」であり、日没から22時までの爆音は一家団欒を破壊することになる。
空母の艦載機が厚木海軍飛行場で爆音をまき散らし始めたのは、空母ミッドウェーが横須賀を母港にして初めて入港した1973年10月5日から一週間前の9月27日からのことであった。しかし米軍は、横須賀の母港化にあたって「厚木基地での離着陸訓練は実施しない」ことを約束していたので、当初は青森県の三沢飛行場(空軍)や山口県の岩国飛行場(海兵隊)で離着陸訓練を行っていたが、これらの飛行場が遠すぎて不便だとして、1982年から厚木飛行場での離着陸訓練を開始し、その爆音は年々激しさを増している。1986年11月、空母ミッドウェーの艦載機は、これまでのF−4ファントム戦闘機やA−7コルセア攻撃機から最新鋭のF/A−18ホーネット戦闘攻撃機に交代された。この艦載機は、これまでのファントム戦闘機などと比べて大型で、旋回範囲も小さいために飛行場の上空を旋回する時間も縮小され、タッチ・アンド・ゴーの回数もまた爆音もひどいものになった。
空母の交代で激しくなる爆音
1973年10月5日に横須賀を母港化し、当初「3年程度」といわれていたのに18年間も居座りつづけた空母ミッドウェーが、1991年8月10日、退役のために横須賀を離れていった。そして入れ代わるように空母インディペンデンスが9月11日、平和を願う人々の抗議の中で横須賀母港化を強行した。
日本政府は、厚木基地周辺住民の「NLPを中止せよ!」の世論に、あたかも応えるかのように三宅島へのNLP基地建設を強行しようとしたが、島をあげての反対運動のまえに計画どおりすすまないため、暫定施設としつつ硫黄島の訓練施設建設に着手した。しかし、硫黄島の訓練施設が完成するまえに空母ミッドウェーは退役するはめになった。
1993年3月末に完成した硫黄島の訓練施設は、厚木飛行場から約1,200`メートルと遠隔地であることを別にすれば、厚木飛行場では制約があってできなかった激しい訓練が可能な施設となった。しかもこの施設は、空母がインデペンデンスに代わったことによって増加した艦載機の機数に匹敵する規模のものであった。
空母インディペンデンスには、大型のために空母ミッドウェーには搭載できなかった最新鋭の艦載機・F−14トムキャット戦闘機が22機も搭載されていた。この戦闘機は、F/A−18ホーネット戦闘攻撃機よりも機体の重量が1.8倍も重く、パイロットも2人乗りで爆音問題をさらに深刻なものにした。
訓練飛行の無謀ぶりが目立つようになり、休日の飛行や飛行コースの逸脱、禁止されている編隊飛行などにより、厚木基地周辺住民はもとより、爆音被害は神奈川県全域や東京・三多磨、町田市などにも及んできている。また、全国各地で問題になっている山間部での超低空飛行訓練にもこれらの艦載機が参加し、住民を爆音と墜落事故の不安に陥れている。そうした中で1994年10月14日、この基地から超低空飛行訓練に参加したA−6イントルーダー攻撃機が、高知県の早明浦ダム上流に墜落しパイロット2名が即死する事故を起こした。
空母インディペンデンスは、アメリカの計画通り1998年7月7日に退役のために横須賀を離れ、空母キティホークと交代するためにハワイのパール・ハーバーへ向かった。そして後継の空母キティホークが8月11日、横須賀を母港とするために入港した。この空母は、インディペンデンスとほぼ同型で大きさも変わらないが、乗組員が約200人増えたという。
この空母も2008米会計年度(2007年10月〜2008年9月)中に退役を予定している。その時点で米軍は、原子力を動力とする航空母艦しか持っていないことになり、横須賀を空母の母港としつづけるなら、原子力空母の配備は避けられないことになる。
NLP以外の爆音が激増!
夜間連続離着陸訓練(NLP)は、米軍が実施日時を日本側に通告し、艦載機のパイロットとして乗務する資格をとるために米軍のマニュアルにしたがって実施されるものである。したがって無通告で実施しても住民には区別がつかない。
最近の爆音をめぐる状況は、日本側に通告したNLPの時には通常の訓練の時より静かになるのが特徴である。つまり、NLPを通告すると爆音の激しい機種の艦載機は硫黄島での訓練にまわし、残った爆音の比較的低い艦載機も、横田飛行場や三沢飛行場に分散して訓練をおこなうからである。「NLPになると静かでいい」と住民がいうのはこれが原因である。
ところが、大和市がおこなっている騒音測定回数(滑走路の北側で、70デシベル以上の騒音が5秒以上連続したもの)は、年間を通して減少していない。それは、NLP以外の飛行による爆音がこれまでより激しくなったことを意味する。それはまた、市役所などに寄せられる騒音にたいする苦情が、NLPにたいするものよりも他の飛行にたいするものの方が増えていることでもわかる。
爆音に追い打ち
自衛隊ジェット機の乗り入れ
厚木海軍飛行場は、海上自衛隊の航空集団司令部もおかれている日米共同の基地である。海上自衛隊は、1971年に下総基地(千葉県)から厚木基地に移駐してきたが、その際、日本政府は地元にたいしての通知文書で「ジェットエンジンを主たる動力とする飛行機は、緊急やむを得ない場合を除き、使用しません」と約束していた。
ところが政府・防衛施設庁は1994年4月、硫黄島での米軍のNLPを支援するためとして厚木飛行場へのジェット機乗り入れを大和、綾瀬両市に通告してきた。
乗り入れを始めたのは、航空自衛隊のC−1輸送機とU−125飛行点検機、それに海上自衛隊のU−36訓練支援機の3機種である。前者の2機種はNLP支援の資材や兵員の輸送と滑走路などの点検に使うが、後者の訓練支援機は、迎撃ミサイルをつかっての防空訓練で標的を曳航することが任務となっている。ところが防衛施設庁は、同機について「緊急の際、医師などを輸送するため」と取ってつけたようなことを理由としている。海上自衛隊の基地である厚木基地への航空自衛隊機乗り入れの問題とあわせ、この乗り入れが単にNLP支援だけが目的とは考えにくい。
C−1輸送機は、所属している航空自衛隊入間基地周辺での騒音測定でも最高値で99デシベルを記録している。自衛隊のジェット機の厚木基地乗り入れは、厚木飛行場周辺での爆音被害に追い打ちをかけることになった。(厚木基地配属や乗り入れの自衛隊航空機については「自衛隊航空集団」の項を参照)
実現不可能な全面移転や「直結方式」
厚木基地での爆音のすさまじさや住民生活に与える被害があまりにおも大きいだけに硫黄島への訓練の全面移転や「直結方式」を望む声や運動が広がるのは当然である。しかし、全面移転や「直結方式」が実現可能な方向であり爆音の削減や解消になりうるであろうか。
もともと航空母艦の母港化は、当時、日本政府が「母港化ではなく乗組員家族海外居住計画と称してくれ」と米側に申し入れたように、乗組員の家族を空母の本拠地に移住させる計画としてすすめられてきた。入港したら、乗組員が家族とのふれあいをもてることを保証することによって、乗組員の士気が向上することになるというのがねらいである。
ところで硫黄島は、自衛隊の分遣隊が常駐していただけで、生活用水は貯めておいた雨水が頼り。もちろん家族住宅はないし、ふつうの家族が生活するのに必要なものは何ひとつ無いので、ここに家族を移住させることなど「島流し」に等しいことになる。
つまり、「直結方式」では乗組員海外居住計画=母港化ではなくなる。米軍がこの方式を受け容れるとは決して思えないし、米軍自身もこの提案にたいし「ばかげた話」といっている。
では全面移転はどうであろうか。本拠地は厚木海軍飛行場でも訓練だけは全部、硫黄島で実施するという案である。
1993年3月に完成した現在の硫黄島訓練施設は、駐機場の規模からして艦載機24機分である。80〜85機の艦載機を硫黄島に移動させるには、施設の大幅な拡充をしなければならない。訓練の時にだけ必要な機数が移動するなら、訓練を終了した艦載機が深夜に厚木飛行場に戻ってくることになる。1994年には、これまでで最大の規模で、駐機場の能力を超える機数の訓練が硫黄島で実施されたが、交代する艦載機の厚木基地との往復による爆音被害も新たに発生している。また、硫黄島までの距離は1,200`メートル以上もあり、往復の時間や燃料の増加も無視できない。米軍は、1,200`メートルの途中には何もなく、もしも艦載機に不都合がおきても緊急着陸する場所もないといっている。政府は、硫黄島での訓練でコストが高くつく分、日米地位協定の特別協定で「訓練移転費」として燃料の負担や物資の輸送を自衛隊機で支援している。
硫黄島ですべての訓練をこなすことが無理なことは、米軍自身が太平洋軍準機関紙「星条旗」で、「日本側がそれをどんなに強く望んでも決してない」と述べていることでもわかる。やはり爆音の解消には、原因である空母の母港をやめさせるしかない。
2000年9月に米軍は、2回にわたるNLPを強行して爆音をまき散らした。このNLPでは、従来のように硫黄島での訓練を並行しておこなうことをせず、爆音の激しい機種で厚木基地をはじめ三沢飛行場などでの訓練をおこなった。大和市の市長は、何度となく中止を求めてきたのに聞く耳を持たない米軍に「堪忍袋の緒が切れた」と、米軍との友好関係の中断を宣告した。綾瀬の市長もまた、「このままでは友好関係を中断せざるを得ない」と警告し、神奈川県知事は、初めて、直接、在日米海軍司令官に面接して抗議した。大和市の市長は、「空母の母港解消は市是である」「空母キティホークの退役を待たずに母港解消の市民的運動を模索したい」と述べている。
空母キティホークの艦載機−第5空母航空団(NF)/図・未整備
[F-14A トムキャット戦闘機]
F−4ファントム戦闘機の後継機として1970年に初飛行。可変翼の採用で低速時の操縦性や安定性に優れている。この機種は、もともと対艦巡航ミサイルから航空母艦を守る艦隊防空戦闘機としての役割を主眼に設計されたが、可変翼の特性を活用して対戦闘機戦闘の能力も抜群。
1981年にリビア空軍のSu-22とMig-23各2機と戦い、4発のサイドワインダー・ミサイルで4機とも撃墜した実績をもつ。最大探知距離213`メートル、167`メートル離れた24の目標を同時に捜索しつつ追尾するレーダーと、最大射程115`メートル、24の目標中最大で6目標を同時に攻撃が可能な空対空ミサイル・フェニックスを搭載している。
ほかに20oのM61Aサイドワインダーなどの空対空ミサイルを装備する、世界最強といわれる迎撃戦闘機。機体重量は18,191sと、F/A-18ホーネット戦闘機の約1.8倍あり、乗員は2名。最大速度M=2.34
[F/A-18C ホーネット戦闘攻撃機]
F-4ファントム戦闘機とA-7コルセア攻撃機の後継機として、1986年に配備が開始された戦闘および攻撃の両任務を兼ね備えた万能戦術機。AIM-7スパロー4発やAIM-9L/Mサイドワインダー2発などの空対空ミサイルを装備するほか20oバルカン砲を備えて格闘能力が高い。爆弾類は7,710s搭載でき、B−57およびB−61核爆弾の搭載が可能。
機体重量は10,455sで乗員は1名。最大速度M=1.8
[E-2C ホークアイ早期警戒機]
胴体上にある円形ロート・ドーム・アンテナを毎分6回転させながら、約460`メートルの範囲を探知し、敵味方合計650の目標を自動処理機構によって管理・追跡するなど、艦隊防空に欠かせない存在。1992年から大平洋艦隊に配備が開始された性能向上型のE−2Cは、探知識別距離が40%増加し、アナログからデジタル化されたレーダー信号処理装置の採用で目標追尾能力が400%増となった。
空母の戦術データシステムとデータリンクで結ばれるほか、リンク4A機能をもつF-14戦闘機にも自動的に要撃目標の情報を送ることができ、E−2CとF−14とのコンビによる要撃網を突破できる航空機は皆無といわれている。
機体重量は17,963sで、乗員2名とレーダー要員3名。最大速力=324kt
[S-3B バイキング対潜哨戒機]
1972年に初飛行したS−3Aを1987年から92年にかけて改造したもの。音響処理装置や電子支援計測装置が改善され、対艦ミサイル・ハープーン2発も搭載するようになった。
MK44/46魚雷4発、B−57核爆雷2発、227s機雷4基、AGM-84ハープーン2発、907s機雷2基、227s爆弾6発、70oロケット弾を最大42発などを搭載。
機体重量は約20,000sで乗員は4名。最大速力=447kt
[EA-6B プラウラー電子戦用機]
米海軍のすべての航空母艦に配備され、攻撃機の行動には必ず同行する艦上電子妨害機。敵のレーダーなどの電波妨害だけではなく、ハーム対電波源空対地ミサイルを搭載して敵の防空兵器の破壊能力をもっている。
機体重量は12,132sで乗員4名。最大速力=566kt
[C-2A グレイハンド(艦上輸送機)]
E−2ホークアイをベースに開発された艦上輸送機で、航空母艦と陸上基地との連絡や輸送の任務をもっており、1994年に厚木基地に配備された。
主翼や動力装置はE−2ホークアイとおなじだが、胴体は新たに設計され、E−2ホークアイよりも太く、後尾にディングランプ方式の扉をつけている。人員輸送では28人分の席が設置できるが、兵員用のキャンバスシートを使うと39人の収容が可能である。
機体重量は16,486kgで乗員2名、最大速度=310kt
[SH-60F シーホーク対潜ヘリ]
SH−3Hシーキングの後継対潜ヘリで、空母搭載用の対潜ヘリは他の艦載機とは異なり、ソノブイ(潜水艦探知のための聴音浮標)やレーダー、各種センサーなどをはずし、代わりにディッピング・ソナー(沈降音響探知機)などを装備。Mk-46魚雷2発を搭載し潜水艦を探し駆逐する。また、救難や軽輸送など多目的の任務にもつく。
厚木の地図
池子住宅地区および海軍補助施設(海軍)
【所在地】 逗子市池子・久木、横浜市金沢区六浦町
【面 積】 土地 国有 2,879,243u
民有 5,065u
合計2,884,308u
建物 国有 67,708u
【現 況】
在日米海軍横須賀基地司令部の管理下にあり、1945年9月に米軍が接収していらい弾薬庫として使用してきたが、1978年に米軍人と日本人従業員が引き上げたあと遊休化していた。
1982年米軍は、この区域内に米軍と軍属およびその家族のための住宅を約1000戸程度建設したいと要求してきた。1985年、「池子弾薬庫」を「池子住宅地区および海軍補助施設」に用途変更することを日米合同委員会で合意し、全面返還を求める市民の声を無視して米軍家族住宅の建設計画を強行した。
この地域は、丘陵と谷戸(やと)、草地と沼地からなる約288ヘクタールの自然と緑の宝庫であった。ここの森には、約740種類の植物が生育しており、全国に4カ所しかないといわれるまとまった形での「照葉樹林帯」が約100ヘクタールにわたって広がっている。また、食物連鎖網の頂点に位置する猛禽類のノスリ、ハイタカ、チョーゲンボウ、フクロウなどの小動物も生息が確認されており、フクロウについては、常識では1つがいしか生息できないといわれる面積に4つがいの生息が確認されるなど、ひとたび人間の手が入れば生態系の均衡が壊される危険が指摘されていた。猛禽類のほかにも兎やタヌキ、昆虫類など役80種類の生息が確認されていた。これは、1937年に旧帝国海軍が銃剣で住民を追い出して弾薬庫をつくって以来、55年間も一般の立ち入りが許されなかったことが、皮肉にも豊かな自然と小動物のオアシスを形成したものと思われる。
米海軍は、1973年に航空母艦ミッドウェーの横須賀母港化を強行し、そのほかの随伴艦船などをふくめた乗組員とその家族を横須賀市内をはじめ周辺に民間の貸家を借りて居住させていた。それでもなお約1200戸の住宅が不足していたことや、各地に散らばって居住していることにより有事即応の体制に支障が生じるなどの理由から、横須賀基地の至近にあり交通の便も良い池子の遊休基地に住宅建設予定地としての「白羽の矢」をたてたのである。
しかし逗子市民は、市民・市議会・行政の「米軍住宅反対、跡地を自然公園に」という一致した要求を裏切って、米軍住宅建設受け容れに態度を変質させた市長をリコール運動で退陣に追い込み、住宅建設に反対して立候補した富野市長を誕生させたのをはじめ、市議会選挙や市長選挙など7度にわたって「米軍住宅はいらない」という意思を示し、住宅建設を事実上ストップさせてきた。逗子市民は、富野市長引退後の市長選挙でも米軍住宅建設反対の富野市政を継承する澤光代候補を選び、全国初の女性市長を誕生させて米軍住宅反対の8度目の審判を下した。
建設工事に向けたこの間の事前の文化財調査では、貴重な遺跡なども発見されて考古学の専門家からもその保存と本格的調査の必要性が強く求められた。また、深海のプレートが潜り込み火山性のガスが発生するような場所に生息するするという「シロウリガイ」という二枚貝の化石も大量に発見され、1億年まえには池子の森が海底であった可能性もあり、地質学の専門家からも保存と研究の必要性が指摘された。しかし、神奈川県の教育庁は、現状保存ではなく「記録保存」という結論をだし、事実上、工事着手に道を開いた。
逗子市民のねばり強いたたかいと運動の反映で防衛施設庁は、建設計画戸数を854戸(2階建て85棟434戸、9階建て6棟420戸)にまで減らしてきたが、空母ミッドウェーよりも乗組員が500人近く多い空母インディペンデンスへの交代や、より大型の空母随伴艦の配備によって米軍住宅問題はさらに深刻なものになっていた。空母ミッドウェーが18年間も横須賀に居座りつづけながら退役する最後まで住宅問題は解決をせず、日本政府がくり返し強調してきた「母港化ではなく乗組員家族海外居住計画」とする家族住宅が実現しなかったのである。代わって乗組員の多い空母インディペンデンスが横須賀を母港にしても、移住してくる家族数がミッドウェーの時とほとんど同数なのは、受け皿の家族住宅が実現できなかったからである。
政府・防衛施設庁は、なんとしても住宅本体の建設工事に着手して市民を諦めさせようと、1993年5月13日、下水道の終末処理など住宅に必要前提条件の揃わないまま、市民の激しい抗議のなかを住宅本体工事の着手を強行した。
逗子の市民は、防衛施設庁の強引な工事着手にもひるまず、1994年春の市議会議員選挙でも住宅建設反対の議員を過半数にして9度目の審判を下した。ところが澤市長は、前年の秋から秘かに神奈川県と相談し、854戸すべての建設を容認する内容での国との「和解」なるものを準備していたことが市議会議員選挙の後になって明らかになった。長洲神奈川県知事は、逗子市議会がおこなっていた住宅建設反対の意見書を「建設容認」の意見書に変えることを迫り、逗子市議会は、市民の意向を無視して「容認決議」を採択した。
この経過のなかで米軍は、この時点(1994年末)で不足している家族住宅が1,720戸であることを明らかにしており、その後の空母や随伴艦船の交代によって現在でも約4,500人が基地の外に居住しているといい、池子の森の残る部分も決して安泰とはいえない。
日米安保条約第6条に基づく合衆国軍隊の日本における地位に関する協定第3条には、「合衆国は施設および区域内において、それらの設定、運営、警護および管理のため必要なすべての措置をとることができる」とされている。横須賀基地の「泊浦湾」が、国内法を無視して米軍によって埋め立てられ、この土地の「土地確認申請」を求めてきた国に対し異論をとなえたら、政府は、この行為(埋め立て)は、地位協定第3条に基づく「管理権の行使」であると回答してきた。管理権の行使なら提供区域内で何でもできるというのである。一方、地位協定第2条では「合衆国軍隊が使用する施設および区域は、この協定の目的のために必要でなくなったときは、いつでも、日本国に返還しなければならない」とも規定している。住宅建設問題とは別に、住宅地以外の約200ヘクタールは、いつでも返還するのが当然であり、その運動を高める必要がある。
なお、住宅建設を受け容れた澤市長が辞任しておこなわれた出直し選挙では、住宅建設反対を貫く梅川候補が立候補してたたかったが、澤市長が落選し住宅建設容認の他の候補者が当選、梅川候補が善戦した。
1998年3月31日、計画された住宅854戸すべてが完成した。これらの住宅は、高層住宅が1戸あたり137uで低層2階建て住宅が145uで、海上自衛隊の官舎(厚木基地・65u)の倍以上である。また価格も、1戸あたり平均で5,200万円かかっており、県営住宅の1,700万円と比べるならば、その贅沢さが想定できる。
米軍は、横須賀基地内の小学校に米兵の子どもが通うのに時間がかかりすぎることを理由に、当初の計画にはなかった小学校建設を求め、日本政府はこれに合意して建設計画をすすめている。このようななし崩し的な追加要求を許さないためにも、残る200ヘクタールの返還を求める運動が急がれている。
池子の地図
横須賀海軍施設
【所在地】 横須賀市本町・稲岡町・楠ヶ浦町・泊町
【面 積】 土地 国有 2,355,430u
民有 3,240u
合計2,358,670u
建物 国有 673,811u
民有 1,793u
合計639,640u
水域 約8,200,000u
【現 況】
この基地は、在日米海軍の本拠地であり、在日米海軍司令部、横須賀基地司令部、第7艦隊司令部(旗艦・ブルーリッジ艦内)、第15駆逐戦隊司令部、第70任務部隊(第7艦隊機動部隊)司令部、第74任務部隊(第7艦隊潜水艦群)司令部、第54任務部隊(第5艦隊潜水艦群)司令部などのほか、艦船修理廠(SRF)、海軍施設本部、米本国以外でもっとも大きい艦隊産業補給センター(FISC)、極東区海軍コンピュータ通信本部、西太平洋艦隊訓練群、海洋業務群など54の部隊や、168のベッドをもつ海軍病院、放送局、家族住宅と独身寮、24人学級の小学校から中・高校、大学校と乳児保育園、ナイター設備の整った野球場やサッカー競技場、陸上競技場、劇場と二つの映画館、教会、銀行、郵便局、保育園、スーパーマーケット、米海軍で一番の売り上げを誇る5つのクラブ、フィットネスジムやボーリング場、etc. など、生活に必要なすべてが揃っており、基地内の路線バスやタクシーも運行されている。まさにこの基地は、人口2万3000人(日本人労働者を含む)の「街」である。
この基地は、第7艦隊旗艦ブルーリッジのほか航空母艦キティホークなど全部で11隻の艦船が母港化して出入港している。(別表・母港艦船参照)
横須賀海軍施設は、「米海軍の海外基地のなかで、最大で最良の基地のひとつ」「人々、施設、場所、すべてにおいてすばらしい基地」(横須賀基地司令部)といわれるだけに、洋上艦船や潜水艦の修理や補給については、原子炉以外のことなら何でも対応でき、その能力はきわめて高い水準である。また、原子力潜水艦を修理する能力をもつ潜水艦母艦フランクケイブルが、1996年夏から母港をグアムにしたまま横須賀配属となり、原子力推進力についての修理能力も加わったと見る専門家もいる。
在日塀海軍司令部など司令部機構が集中する横須賀基地には、第7艦隊旗艦の司令部が置かれているブルーリッジに不測の事態が発生しても、それに代わって指揮がとれるように「コマンドケイブ」と呼ばれる洞窟司令部がある。この司令部には、ブルーリッジ艦内と全く変わらない司令部機構が完備されていて、米軍関係者でも限られたものだけが立ち入りが許されているという。
米第7艦隊の本拠地
横須賀基地を本拠地として旗艦を配備している第7艦隊は、ハワイにある太平洋艦隊の指揮下にあり、東はハワイから西はアフリカ・喜望峰まで、西太平洋、オホーツク海、日本海、インド洋にわたり、地球の5分の1を作戦範囲とする米艦隊で最大の海域を担当する艦隊である。また、空母キティホークをはじめ2隻の航空母艦、約60隻の洋上艦艇と210機の作戦機、海兵隊員を含め約46,000人の兵員で構成されている世界最強の艦隊といわれる。
横須賀基地は、こうした艦隊を指揮する旗艦ブルーリッジが母港にしており、空母キティホークを含め10隻で構成する空母機動部隊が母港にしている基地で、アメリカの「世界の憲兵」戦略の中枢の役割を負っている「太平洋の要石(かなめいし・キーストーン)」となっている。
攻撃型原子力潜水艦の作戦拠点
横須賀基地には、第7艦隊の任務部隊(TF:タスク・フォース)としての第74任務部隊が置かれ、第7艦隊潜水艦群の作戦拠点になっている。攻撃型原子力潜水艦の接岸する10号、11号バースに近い2階建てのビルに第7艦隊潜水艦群の司令部が置かれていたが、1996年7月に横須賀基地司令部の近くに新たな司令部施設を建設し移動した。地下1階、地上1階のこの建物の屋上には、艦隊衛星通信のアンテナを含む数種類のアンテナが設置され、中枢部の地下には電子機器や通信機械がぎっしりとつまり、指揮下の原子力潜水艦の展開状況が一目でわかるスクリーンもあるという。横須賀基地の任務は、米軍が原子力潜水艦の寄港のたびに寄港理由としている単なる休養や補給ではなく、第7艦隊の作戦範囲に展開している原子力潜水艦のすべての作戦行動を調整・管理する指揮連絡中枢といえる。
1966年5月30日、国民の大きな反対の声と抗議の船団の取り巻くなかを米海軍の原子力潜水艦スヌークが横須賀基地への入港を強行した。横須賀への原子力潜水艦の初入港である。以来、横須賀への原子力潜水艦の入港は年ごとに増加の一途をたどる。
1991年の湾岸戦争があった年の年間入港回数は、過去最多の35回を数えた。その後、ソ連崩壊後の1992年は21回で、1993年は15回と激減したが、沖縄県のホワイト・ビーチ軍港や長崎県の佐世保基地への入港は増えていた。1994年の後半からは横須賀入港が再び増え始め、1995年には31回も入港して年間30回のペースを回復した。
近年では、入港するすべての原子力潜水艦が核・非核両用の巡航ミサイル・トマホークを搭載する能力をもつロサンゼルス級の原子力潜水艦である。なかでも1988年から入港し始めた改良型ロサンゼルス級の原子力潜水艦は、トマホークの垂直発射装置(VLS)を備えているのが特徴である。このことは、1994年9月に発表したクリントン米政権の新たな核政策が示す攻撃型原子力潜水艦用トマホークの前進配備能力の強化方針や、核ミサイルの運搬や原子力潜水艦への補給能力をもつ潜水艦母艦フランク・ケイブルの横須賀配備決定(母港はグアムのまま)を1996年におこなったこととあわせ、横須賀の核基地としての強化につながるものとして重大である。それは、2000年に日本共産党が調査して国会で明らかにした日米間の「核密約」の存在でますます疑惑が増してきたといえる。
中東海域担当の第5艦隊潜水艦群の基地にも
横須賀基地に配置されている潜水艦部隊の司令部は、前述の第74任務部隊(第7艦隊潜水艦群)だけではない。1995年7月1日、アメリカが新たに常設の艦隊として創設した第5艦隊の潜水艦群である「第54任務部隊」を、第7艦潜水艦群の建物に併設した。
第5艦隊は、湾岸戦争で中東地域の信任を得たとするアメリカが、これまでの有事融通艦隊(平時には存在しないが、有事に他の艦隊からの艦船を集めて編成する艦隊)を常設の艦隊として創設しバーレーンに司令部を設置したもので、ペルシャ湾、アラビヤ海、インド洋を作戦海域としている艦隊である。この艦隊の潜水艦群を横須賀に配置することは、日米安保条約の「極東条項」に反するとともに、アメリカの世界戦略に日本を深く組み入れ地球規模の米戦略の足場になることを意味し、1996年の「日米安保共同宣言」を先取りしていたことになる。
また、1996年11月11日から毎年のように入港し始めた原子力潜水艦カメハメハは、米海軍の特殊部隊「シールズ」を相手国に秘かに潜入させる役割をもった特殊原潜であり、横須賀の役割の質的変化として注目される。このカメハメハは、2001年に現役を離れるが後継艦は定かではない。
原子力航空母艦配備へ
1998年8月11日、退役した空母インディペンデンスに代わって空母キティホークが横須賀を母港化した。
キティホークは、米海軍に残る数少ない通常推進の空母だが、この空母も米国防報告によれば2008米会計年度中(2007年10月〜2008年9月)に退役する予定とされている。米軍が保有している現役の航空母艦は、その時点で通常推進の空母は1隻も存在せず、すべてが原子力を推進力とする空母のみとなる。横須賀を航空母艦の母港として許しつづけるかぎり、遅かれ早かれ原子力空母の母港化を迫られることになる。
横須賀基地では、航空母艦を接岸する12号バースの延伸・拡幅工事が進行中である。これまでの岸壁の長さが短いので空母の接岸に支障をきたしているというのが理由だが、これまでの277メートルの岸壁を414メートルに延ばし、幅も5メートル海側に広げるという工事である。また、これまで使ってきた大型クレーン2基も、老朽化を理由に新たなものに取り替える。
この工事が、近い将来にもっと大型で長い原子力の空母を配備するための準備であることは間違いない。414メートルの岸壁は、米本国で原子力空母の母港になっているサンディエゴ軍港の岸壁と同じ長さである。また、1998年8月に米会計検査院(GAO)が米議会に提出した報告書「海軍航空母艦‐通常型と原子力空母の費用対効果」には、航空母艦の横須賀配備とそれを継続することの重要性を強調した上で、原子力空母配備の前段階として「埠頭の延長、核推進力の修理・維持施設などの関連施設の整備が求められている」と書かれている。
| 航空母艦キティホークの諸元 | |||
| 艦 番 号 | CV63 | 乗 組 員 | 5,630人 |
| 満 載 排 水 量 | 81,985トン | 蒸気タービン軸馬力 | 4基 280,000馬力 |
| 全長×全幅×吃水 | 318.8×39.6×11.3m | 速 度 | 33ノット |
| 飛行甲板距離 | 80.9m | カ タ パ ル ト | 4基 |
| 就 役 年 月 日 | 1961年4月29日 | 艦載機エレベーター | 4基 |
| 兵 装 | ミサイル 対空ミサイル・シースパロー | 8連装×3基 | 機 銃 近接防御システム(CIWS) 20mmファランクス砲×3基 |
| 主な艦載機 | F-14D 戦闘機 14機 F/A-18C 戦闘攻撃機 36機 EA-6B 電子戦用機 4機 S-3B対潜哨戒機 8機 E-2C 早期警戒機 4機 ES-3A 電子偵察機 2機 SH-60F対潜ヘリ 4機 | ||
空母キティホークの航跡 (米太平洋軍準機関紙「星条旗」より)
◆生まれ・・・・・・・・・・この航空母艦は1961年に4億ドルをかけて建造され、「キティホーク」の 名を冠した艦船としては合衆国で2番目のものとなった。この名前は、ライト兄弟が最初に有 人飛行に成功した町の名前である。
◆ベトナム・・・・・・・・・キティホークは、長期にわたる配備期間中、常に第11空母航空団ととも にサンディエゴからベトナム沿岸に6回、出動した。
◆乱闘事件・・・・・・・・1972年10月、ベトナムに向け航行中に人種問題で乗組員が乱闘、46 名が重軽傷、24名が起訴された。
◆火災事故・・・・・・・・1973年、フィリピンのスービック沖700マイルを航行中、第1主機関から 出火、6名が死亡、38名が重軽傷。
◆人質事件で急派・・武装グループによるテヘランの米大使館員人質事件で、キティホークと5 隻の随伴艦をインド洋のテヘラン近海に急派。
◆艦載機衝突事故・・1981年9月、発艦しようとしたA−7Eコルセア攻撃機が、飛行甲板を移 動中のF−14トムキャット戦闘機に衝突。甲板上の乗組員が死亡し、1,700万ドルのトムキ ャットが海中に没した。
◆潜水艦と衝突・・・・1984年3月、韓国を出発して日本海を航行中、演習を偵察していたと思 われるソ連の原子力潜水艦と軽微な衝突。
◆ソマリア・・・・・・・・・1992年11月、「希望回復作戦」での海兵隊支援のためにソマリア沿岸 に派遣され、9日間そこにとどまった。
◆イラク攻撃・・・・・・・1993年1月、湾岸戦争後に設けられた飛行禁止区域をイラクが侵攻し たため、ソマリアから直接ペルシャ湾に向かい、イラク領内の攻撃目標に対する空爆作戦で 統合部隊の指揮をとった。
◆緊迫した駐留・・・・・核疑惑を口実にして北朝鮮との外交上での緊張が高まったとき、南北朝 鮮周辺海域に展開して威圧した。
◆インディと交代・・・・1998年7月、ハワイで空母インディペンデンスの1,000名の乗組員と 第5空母航空団の2,200名がキティホークに乗り移り横須賀に向かった。
◆横須賀母港化・・・・・1998年8月11日、横須賀に入港、母港化。
横須賀を母港にしている米艦船
| 艦番号 | 艦 種 | 艦 名 | 満載排水 | 配備 |
| LCC 19 | 揚 陸 指 揮 艦 | ブルーリッジ(BlueRidge) | 18,390トン | 1979. 7.17 |
| CV 63 | 航 空 母 艦 | キティホーク(Kitty Hawk) | 81,985トン | 1998. 8.11 |
| CG 63 | ミ サ イ ル 巡洋艦 | カウペンス(Cawpens) | 9,466トン | 2000. 6.30 |
| CG 49 | ミ サ イ ル 巡洋艦 | ヴィンセンス(Vincens) | 9,407トン | 1997. 8.25 |
| CG 62 | ミ サ イ ル 巡洋艦 | チャンセラーズ・ビル(Chancellorsvill) | 9,466トン | 1998. 8.11 |
| DDG 54 | ミ サ イ ル 駆逐艦 | カーチス・ウィルバー(Curtis Wilber) | 8,373トン | 1997. 9.30 |
| DDG 56 | ミ サ イ ル 駆逐艦 | ジョン・S・マッケイン(John.S.McCain) | 8,373トン | 1997. 6.27 |
| DD 975 | 駆 逐 艦 | オブライエン(O' Brien) | 8,280トン | 1992.10.10 |
| DD 985 | 駆 逐 艦 | カッシング(Cushing) | 8,280トン | 1998. 3.28 |
| FFG 51 | ミサイル・フリゲイト | ゲアリー(Gary) | 4,100トン | 1999. 8.31 |
| FFG 48 | ミサイル・フリゲイト | ヴァンデグリフト(Vandegrift) | 4,100トン | 1998. 3.23 |
母港がグアムのまま横須賀に配備された艦船
| AS 40 | 潜 水 艦 母 艦 | フランク・ケイブル(Frank Cable) | 22,650トン | 1996. 8.19 |
湾岸戦争で出撃の拠点に
1990年8月2日のイラクによるクウェートがおきて、いち早くペルシャ湾海域に入って米海軍中東部隊(旗艦ラサールをはじめ8隻で編成)に加わったのは、その後、横須賀を母港にした空母インディペンデンスをはじめとする空母戦闘群9隻であった。
横須賀を母港にしている第7艦隊の旗艦ブルーリッジは、他の巡洋艦2隻とともに旧ソ連のウラジオストクを親善訪問する予定を中止して、8月14日、横須賀を出港して中東海域へ向かった。これに先立ち第7艦隊司令官モーズ中将は、横須賀を発ち空路現地へ向かった。そしてブルーリッジは、中東派遣の米海軍部隊全体の旗艦になり、モーズ中将が米中央統合軍海軍部隊司令官に任命された。(司令官は9月、スタンリー・アーサー中将と交代)
こうして横須賀は、湾岸戦争の当初から中東に向けた米海軍の出撃の拠点になった。
横須賀を母港にしていた空母ミッドウェーは10月2日、イージス・システムを装備し巡航ミサイル・トマホークを発射できる垂直発射装置(VLS)を備えた巡洋艦モービルベイと同バンカーヒル、そして同じようにVLSを備えた駆逐艦ファイフ、それにミサイル・フリゲイト艦カーツの4隻(いずれも横須賀が母港)を伴って横須賀を出港し、前日に出港した駆逐艦カッシング(横須賀が母港)と同フレッチャーに合流して日米合同演習に参加した。9日に北海道沖での演習を終えフィリピンのスービック基地に向かっている途中で北アラビア海への出動が命ぜられたという。しかし、横須賀に残った米兵や家族の間では、10月2日に出港したらそのまま中東海域へ派遣されることが噂になっていた。出航前のかつてない異常なまでの激しい艦載機の訓練がそれを物語っていた。
空母ミッドウェーの艦載機は、出動をまえに厚木、横田、岩国、三沢の各基地で傍若無人の激しい訓練をおこなった。8月中の訓練はこれらの基地で分散して同時におこない、9月には厚木基地と岩国基地で日米の合意に反して無通告の訓練もおこなった。この訓練のすさまじさは、年間を通じて過去最高の騒音測定回数(70デシベル以上が5秒以上連続したもの)を記録した1987年の40,778回を上回り、40,872回という新記録をつくったことでも容易に想像できる。ちなみに、大和市に寄せられた住民からの苦情は1987年の1,336件を上回り、これも過去最高の1,603件となった。
こうして出港していった空母ミッドウェー戦闘群は、スービック基地に立ち寄った後の11月1日にペルシャ湾に入って空母インディペンデンスと交代した。そして、後継艦の配備の遅れから横須賀に配備されたままの駆逐艦オルデンドーフや、スービックから出港した給兵艦キスカと横須賀を出港した給油艦ウォルター・ディールを含め合計8隻で「アルファ戦闘群」を編成し作戦行動にはいった。これで横須賀母港の艦船の参加は7隻である。
横須賀基地への攻撃型原子力潜水艦の入港回数は年を追うごとに増加してきたが、湾岸危機が発生した1990年の入港回数は過去最高の33回を記録した。そのうちの22回が湾岸危機発生後の入港で、しかも、わずか数時間で出港したりバースに接岸しないで出港するなど、その慌ただしさも異常であった。米軍が湾岸海域に6隻(最終的には12隻)の原潜を配備したことから、その分、通常の任務につく原潜が多忙になったという見方もある。
アメリカが武力行使を急ぎ湾岸戦争が始まった1月17日、横須賀を母港にしているイージス巡洋艦バンカーヒルや駆逐艦ファイフなどを含めた艦船から、一斉に対地攻撃用巡航ミサイル・トマホークが発射された。午前1時から2時までの1時間に100発以上のトマホークが発射されたという。この作戦全体では288発のトマホークが合計18隻の艦船から発射されたそうだが、そのうち横須賀母港の駆逐艦ファイフのVLSからは60発が発射され、1艦からの発射としては最多記録をつくり後に表彰された。また、イージス巡洋艦バンカーヒルからも28発が発射されている。
こうしたトマホークの先行攻撃の後、空母ミッドウェーの艦載機が激しい空爆をおこない大きな効果をあげたという。攻撃型原潜からの最初のトマホーク発射は、横須賀基地への入港をくり返しているロサンゼルス級の原潜ルイビルのVLSからだったといわれている。そしてこの年、横須賀基地への原潜の入港は、最高を更新し35回という記録をつくった。
吾妻倉庫地区(海軍)
【所在地】 横須賀市箱崎町・田浦港町
【面 積】 土地 国有 814,810u
建物 国有 8,293u
水域 横須賀海軍施設に含まれる
【現 況】
在日米海軍艦隊産業補給センターの管理下で、同センター鶴見支所(貯油施設)の出先として航空機燃料および艦船の燃料などの貯蔵、補給をおこなう貯油施設である。
この施設は、新井堀割水路によって隔てられ島になった吾妻島地区と、陸側の箱崎オイル・ターミナル地区とからなっており、吾妻島には37基の貯油タンクがあり約397,000`リットルの貯油能力があるといわれている。タンカーによって運ばれてきた燃料は、これらのタンクに貯蔵された後、米軍艦船への補給のほか航空機燃料は箱崎オイル・ターミナルにパイプで送ってJRのタンク車で横須賀線田浦駅を経由して厚木基地や鶴見貯油施設などに送られていた。
1999年、米軍は、この施設からの鉄道による燃料搬出を中止し、田浦駅からの引き込み線は封鎖された。現在はタンクローリーによって厚木基地に運ばれ、小型タンカーを使って鶴見貯油施設などに搬出している。
吾妻島は、海上自衛隊との共同使用になっていて、6基のタンクに20,000`リットルの能力のある貯油所、誘導弾整備所、水雷整備所、信号所および気象観測所などとして使っており、その面積は島全体の約3割に及んでいる。誘導弾整備所や水雷整備所では、火薬の詰め込みや信管のはめ込み作業などがおこなわれている。
この施設は、このように航空機燃料や弾薬類などの危険物の集積地になっており、小柴貯油
施設や鶴見貯油施設などとは比べられない危険性をもっている。
浦郷倉庫地区(海軍弾薬庫)
【所在地】 横須賀市浦郷町
【面 積】 土地 国有 194,304u
建物 国有 4,614u
水域 横須賀海軍施設に含まれる
【現 況】
在日米海軍横須賀基地司令部の管理下で、横須賀基地兵器部本部と高性能水中兵器部などがあり、背後の山をくりぬいたトンネル式の弾薬庫が無数にある。
池子弾薬庫が使用されていた当時は、池子へ輸送する弾薬の中継基地として艦船や弾薬輸送艦などから陸揚げする基地になっていた。現在は、横須賀基地の艦船修理廠でドック入りする艦船の弾薬類を一時保管する施設といわれているが、弾薬船からの陸揚げが頻繁におこなわれており、単なる一時保管弾薬庫ではないことは明らかである。
この基地では、これまでに何度か対潜水艦用ロケット魚雷アスロックのコンテナが搬入されているのが確認され、核・非核両用の巡航ミサイル・トマホークのキャニスターが搬出され艦船に搭載されるのも確認されるなど、核兵器持ち込み疑惑のきわめて濃い弾薬庫である。
米大統領の提案で米軍の海洋および航空機搭載の核兵器が撤去されたといわれるが、その一部は廃棄されても一部は有事の際に再搭載するといい、「内外の基地で一部貯蔵される」とも明言していることや、「攻撃型原潜を前方配備し核兵器を搭載する能力は維持する」と述べていることでも、有事に即応できる場所に貯蔵することが自然ではないだろうか。
ベトナム戦争の一時期、毒ガスに過敏な反応を示すといわれている山羊が放し飼いにされていたのも確認されたことがある。またこの基地には、米国防総省の「弾薬・爆発物類安全基準」で大爆発の危険を示す「1」の番号の看板や、暴動鎮圧用ガスの貯蔵を示す防護服のイラスト看板が設置されるなど、米軍基地のなかでも警備と秘密はAクラスといってよい。
赤い八角形のなかに「1」の番号(写真右)や×印に「2」の番号、オレンジ色の逆三角形のなかに「3」の番号などの看板があり、青い丸に黄色の防護服や防毒マスクが描かれた看板、「火がでても水はかけるな」という意味にとれる看板(写真左)もある。
| 米国防総省の「弾薬・爆発物類安全基準」より 「1」…大爆発の危険 「2」…破片飛散の危険を伴う爆発の危険 「3」…大火災の危険 「防護服」…暴動鎮圧用のガス |
横須賀軍港地図(見開き)
富岡倉庫地区(海軍)
【所在地】 横浜市金沢区富岡東
【面 積】 土地 国有 28,988u
建物 なし
【現 況】
米海軍厚木航空施設司令部の管理下で、物揚場、ヘリポート、物資の一時保管場所ということになっているが、ベトナム戦争中は修理の必要な航空機を陸揚げし、隣接する日本飛行機鰍ナ修理していた。しかしベトナム戦争以降は殆ど利用されずに空き地同様になっていた。
1992年3月、突然、この地区に大量の材木と骨材が搬入された。その後、フィリピンのスービック米海軍基地からの物資も搬入され、この地区がスービック基地の肩代わりの役割も担うことになった。同時に、材木などの資材の搬入も頻繁になり、資材の中継基地的な役割ももってきたようだ。しかし、これらの資材も現在は全く存在せず、雑草の生える遊休地となっている。
この地区について外務省は、「米軍が、何かの時のために確保しておくといっている」といい、日米地位協定の返還条項に反して返還を求めようとしていない。
1999年からは、この区域の近くにある横浜市南部市場の「市場まつり」のための臨時駐車場として一時使用が許されている。
この区域には、国道357号線を挟んで海側に岸壁を備えた地区がある。この部分は、ベトナム戦争以降は一度も使っていないので直ちに返還されてしかるべきである。この岸壁部分結ぶ道路は、なぜか横浜市の港湾局が管理している。
富岡地図
小柴貯油施設 (海軍)
【所在地】 横浜市金沢区柴町・長浜町
【面 積】
土地 国有 511,859u
市有 4,746u
民有 9,600u
合計 526,205u
建物 国有 727u
【現 況】
在日米海軍艦隊産業補給センター鶴見支所(鶴見貯油施設)の出先のひとつで、航空機燃料、軽油類の貯油施設となっている。
貯油タンクは26基あり、390,000`リットルの貯油能力がある。燃料は、この施設の沖合708メートルにあるAバースに係留する大型タンカーによって搬入され、138メートル沖合にあるBバースから小型タンカーで鶴見貯油施設に送られる。
1981年10月13日正午すぎ、この施設の6号タンクが爆発炎上し、貯蔵されていた24,000`リットルのJP−4ジェット燃料が4時間以上も燃えつづけ、一時は炎が上空500メートルに達したという。この施設の三方は住宅地になっているため、他のタンクへの誘爆の危険があったために、付近住民700世帯に避難命令がだされた。大惨事にはいたらなかったものの周辺住民7人がけがをし、物的損害は463件にのぼった。鎮火に4時間以上もかかったのは、米軍側の消防設備の不備があげられる。消火栓の接続口は、駆けつけた横浜市の化学消防車と規格が異なったために合わず、基地に常設の消防車3台は、すべてが通常の火災に対応する消防車でタンク火災には役立たなかったという。この施設に隣接する並木団地の住民は、この事故の後に埋め立てられた土地に造成された団地に転居してきたため、事故のことについては殆ど知られていないことが最近の基地返還運動でのアンケートで明らかになった。
この施設で働く日本人労働者は、42人。
小柴写真
根岸住宅地区 (海軍)
【所在地】 横浜市中区寺久保・越塚・大平町・簑沢・山元町・大芝台・根岸台
南区山谷・平楽
磯子区上町・下町・馬場町・坂下町
【面 積】 土地 国有 270,736u
市有 273u
民有 156,971u
合計 427,980u
建物 国有 74,098u
【現 況】
在日米海軍横須賀基地司令部横浜分遣隊(横浜支所)の管理下にある、米軍人、軍属、その家族の住宅388戸があり、各基地を結ぶマイクロ通信のアンテナ塔がある。住宅地の真ん中にあるこの施設のために、中区など繁華街への買い物や横浜市立大学浦舟病院への通院などは迂回しなければならず、この住宅地区内を通り抜けできるようにとの近隣住民の要望がある。
この住宅地区には、教会、売店、ボーリング場、図書館、銀行、郵便局、診療所なども備わっている。
この地区で働く日本人労働者は、165人。
根岸住宅地区写真
長坂小銃射撃場 (陸上自衛隊)
【所在地】 横須賀市長坂
【面 積】 土地 国有 100,970u
建物 国有 106u
【現 況】
陸上自衛隊武山駐屯基地業務隊の管理下にあり、米軍が共同使用(日米地位協定第2条4項bにもとづき)している射撃場である。米軍の使用は、年間で160日以内とされているが、殆ど使っていないようである。
長井通信施設 (海軍)
【所在地】 横須賀市長井町
【面 積】 土地 国有 4,368u
民有 224u
【現 況】
周辺の長井住宅地区とともに全面返還が合意されていたが、米海軍横須賀基地艦船修理廠管理下のこの通信施設だけは、代替地がないことを理由に返還計画から除かれた。神奈川県の発行する「神奈川の米軍基地」では、長井住宅地区返還の時点からこの施設も姿を消していたが、最近では、横須賀海軍施設の一部として掲載している。これは、日米合同委員会でとり決めたもので防衛施設庁もこの施設を数えていない。
この施設は、横須賀基地の艦船修理廠で修理した艦船が相模湾で試運転する際、計器やレーダーなどが正常に機能するかどうかをチェックする施設といわれるが、射撃の照準を合わせる「射撃統制システム」を調整する施設でもある。
この施設には米兵は常駐せず、艦船の試運転の時に横須賀基地から出向いてくる。
長坂小銃射撃場地図
長井通信施設地図
自衛隊
自衛隊とは、防衛庁長官および防衛政務次官並びに防衛庁の事務次官および参事官並びに防衛庁本庁の内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、統合幕僚会議、技術研究本部その他の機関並びに陸上自衛隊、海上自衛隊および航空自衛隊並びに防衛施設庁を含むもの(自衛隊法第2条1項)であり、海上自衛隊とは、海上幕僚幹部並びに海上幕僚長の監督を受ける部隊および機関を含むもの(同3項)である。
防衛庁と自衛隊とは同じものであって、防衛庁設置法から見れば総理府の外局としての国の行政機関としての「防衛庁」となり、自衛隊法から見れば実戦部隊の「自衛隊」となる。
海上自衛隊
海上自衛隊は、1952年に創設された「海上警備隊」を前身に、1954年の防衛庁設置とともに海上自衛隊に改称された。当初は、1953年に米国から貸与を受けた18隻のPF(パトロール・フリゲイト)を中心とする約3万トンの勢力により、「機雷掃海」と「対潜」を主な任務としていた。とくに掃海隊は、第2次世界大戦中に米国が敷設した日本沿岸の機雷を処理する必要から戦後も解散することなく、海上保安庁の「航路啓発隊」として掃海作業をつづけ、現在の第1、第2掃海隊群に引き継がれているため、その掃海能力は、世界的にも高く評価されている。
こうして、「機雷掃海」と「対潜」作戦を任務としてきた海上自衛隊は、航路帯(シーレーン)防衛、すなわち、航路帯内の潜水艦を制圧し撃滅するための質の高い「海軍」となり、現在では艦艇425隻・約380,2000トン、主要航空機335機、隊員約45,800人の大部隊になった。
海上自衛隊の部隊は、自衛艦隊、地方隊、教育航空集団、練習艦隊その他の長官直轄部隊で構成される。
《自衛艦隊》 司令部を横須賀市船越町におき、第1〜第4護衛隊群からなる護衛艦隊、7航 空群からなる航空集団(司令部:厚木基地内)、2潜水隊群からなる潜水艦隊、第1掃海隊 群(呉市)、第2掃海隊群(横須賀市)、開発指導隊群、第1輸送隊などで編成される。
《地方隊》 自衛艦隊とは別に、全国を5つの警備区に分け、それぞれ横須賀地方隊、大湊 地方隊、舞鶴地方隊、佐世保地方隊、呉地方隊としている(巻末、海上自衛隊の警備区を 参照)。地方隊は、地方総監部および2護衛隊、1〜2掃海隊、基地隊、航空隊、通信隊、 警備隊、基地業務隊、調査隊、衛生隊、音楽隊、水雷整備所、補給所、造修所、直轄艦 艇などからなる。
《教育航空集団》 司令部を千葉県下総基地におき、下総教育航空群のほか徳島教育航 空群、小月教育航空群の3教育航空群と第211教育航空隊(鹿屋)からなる。
《練習艦隊》 司令部を広島県呉市におき、直轄艦「かしま」および第1練習隊の3隻からな る。
《海洋業務群》 司令部を横須賀におき、海上自衛隊の作戦に欠かせない海洋情報の収集 を海洋観測艦でおこなう。他国の潜水艦の「音紋」を収集する潜水艦探索艦「ひびき」や 「はりま」もこの部隊に配属され、広島県の呉港を定係港としている。対潜資料隊、気象資 料管理隊、沖縄海洋観測所、下北海洋観測所などがある。
海上幕僚監部
海上幕僚監部は、海上幕僚長(海将)を長とし、防衛庁長官の指揮監督を受け次の事務をつかさどる。
1.防衛および警備に関する計画の立案
2.教育訓練、行動、編成、装備、配置、情報、経理、調達、補給および保健衛生並びに職員の人事および補充の計画の立案
3.隊務の能率的運営の調査および研究
4.部隊等の管理および運営の調整
5.長官の定めた方針または計画の執行
6.その他長官の命じた事項
海上自衛隊の組織・編成/未整備
海上幕僚幹部組織図/未整備
自衛艦隊
自衛艦隊は、自衛艦隊司令部および護衛艦隊1、航空集団1、潜水艦隊1、掃海隊群2、開発指導隊群1、その他長官の定める部隊をもって編成されており、定められた5つの地域を担当する地方隊(地方総監部)とは異なって、「シーレーン(海上交通路)防衛」を中心的な任務として機動的に作戦を展開する。
そもそも「シーレーン防衛」とは、中東、朝鮮半島など米軍の世界戦略にもとづいたアジア・太平洋地域での有事の際、前線に展開している米軍に対し軍事力を投入するための補給路を確保する軍事行動をさしたものである。海上自衛隊は、米軍有事に際して日本周辺1000海里で、対潜水艦作戦や空母などの第7艦隊の護衛、輸送船団の護衛、米軍への直接支援などをおこない、その中心的役割を果たすのが自衛艦隊である。
自衛艦隊司令部には司令官および幕僚長をおき、それぞれ海将がその任にあたっており、司令部は横須賀市船越町におかれている。
護衛艦隊
自衛艦隊のなかの戦闘艦船で構成された護衛艦隊は、護衛艦隊司令部(横須賀市船越町)と旗艦DDG「たちかぜ」および四つの護衛隊群からなり、それぞれの護衛隊群は三つの護衛隊で編成されている。第1護衛隊群は横須賀に、第2護衛隊群は佐世保に、第3護衛隊群は舞鶴に、第4護衛隊群は呉にそれぞれ司令部をおいている。
護衛艦隊の司令官は海将があたり、司令部に海将補の幕僚長1人をおく。また、護衛隊群の司令官は海将補があたり、護衛隊司令官は1等海佐があたる。
護衛艦内の基本編成/未整備
写真護衛艦/未整備
航空集団
航空集団は、集団司令部(神奈川県綾瀬市・米海軍厚木飛行場内)と10の航空群および第1航空修理隊(鹿屋市)、第2航空修理隊(八戸市)、航空管制隊(綾瀬市・厚木基地内)、航空施設隊(八戸市)などで編成され、航空集団の長は航空集団司令官で、海将の階級にあるものが任命されており、司令官は、自衛艦隊司令官の指揮・監督をうけて航空集団の任務を統括する。
1973年12月、それまで千葉県の下総基地におかれていた海上自衛隊航空集団司令部が、米軍の厚木海軍飛行場に移駐してきた。1981年には第51航空隊も移駐し、P−3C対潜哨戒機3機を配備、1983年には6機のP−3Cによる第6航空隊が発足した。
これまでのP−2J対戦哨戒機(すべて退役)による第3航空隊の対潜水艦哨戒作戦より、音響探知能力や情報処理能力の優れたP−3Cの配備によって、海上自衛隊航空集団の対潜能力は飛躍的に向上した。防衛庁では、P−3Cを常に100機の体制におくことを方針としており、この集団がプログラム業務隊や音響業務支援隊、そして、米海軍横須賀基地内に建設して米軍とも共同で運用しているASW(対潜作戦)センターなどと連携して、シーレーン防衛はもとより米軍支援で果たす役割は大きい。
航空群
航空集団のもとに10おかれている航空群は、航空群司令部と二つの航空隊(第21航空群および第31航空群の場合は三つの航空隊)、一つの支援整備隊、一つの航空基地隊(第4航空群は硫黄島航空基地分遣隊を含む)、その他長官が定めた部隊をもって編成され、航空群司令官は海将補があたる。10の航空群は、それぞれ、第1航空群が鹿屋市、第2航空群が八戸市、第4航空群が綾瀬市(厚木基地)、第5航空群が那覇市、第21航空群が館山市、第22航空群が大村市、第31航空群が岩国市、第51航空群が綾瀬市、第61航空群が綾瀬市、第111航空群が岩国市に配備されている。
教育航空集団
教育航空集団は、集団司令部を下総基地(千葉県東葛飾群沼南町)におき、三つの教育航空群および一つの教育航空隊で編成される。三つの教育航空群は、それぞれ、下総教育航空群をはじめ、徳島教育航空群、小月教育航空群(下関市)であり、直轄の第211教育航空隊は鹿屋基地におかれている。教育航空群には、通常、二つの教育航空隊と一つの支援整備隊および航空基地隊がおかれている。
海上自衛隊の航空機勢力(2000年3月現在)/未整備
厚木基地のおもな自衛隊航空機 (乗り入れを含む)/未整備
《P−3C対潜哨戒機 オライオン》
第4航空群などに配備されている対潜哨戒機で、旧ソ連の潜水艦の静粛化と深深度化、高速化など複雑化した対潜水艦作戦を迅速かつ的確におこなうことを目的に、1981年に米国からの完成機3機を輸入したのを手始めに、以降、国産化(機体は川崎重工、発動機は石川島播磨重工)して、100機を10の飛行隊に配備することを計画しソ連の崩壊後も調達しつづけた。事故や退役などがあっても補充しつづけ、100機体制を維持している。
98番機からは衛星通信装置を搭載したので、両翼中央部の機体上部にドームを装備している。(写真)
機体重量は27,890sで、全装備を整えると56トンになる。最大速度=395kt、乗員=11名、兵装=Mk44/46魚雷4本と対艦ミサイル・ハープーン4本、各種爆雷と機雷を搭載可能。ソノブイ・ランチャーは52本。価格=137億7,300万円
《US−1A救難飛行艇 おおとり》
純国産の対潜哨戒飛行艇PS−1を母体にして発展させた大型水陸両用機で厚木基地に配備されている。高揚力装置や波消し装置を備えて高波3mまでの荒天に耐えることから、海上自衛隊では、海難救助用に採用しUS−1と呼んでいる。PS−1の対潜探知システムを完全に撤去して、救難装備として投下式救命キット4個と投下装置、ラジオブイ付き救命いかだ一式、船外エンジン付きゴムボート1隻、照明弾、ダイマーカー、発煙筒などの投下装置を機体後部に装備して、機体中央部は救難者収容室となっている。
機体重量は41,000kgで乗員=8〜12名。最大速度=270kt、価格=70億4,600万円(1991年調達分)、新明和工業製
《U−36A訓練支援機》
米国でビジネス用ジェット機として使用されているリアジェット36を購入し、改造を施して訓練支援機として運用している。標的曳航装置、ミサイルシーカ・シュミレータ、訓練用電波妨害装置、チャフ散布装置、訓練評価用テレビカメラを備え、対艦攻撃機の役割ももつ多用機であり、海上自衛隊で唯一のジェット機種。艦対空ミサイル射撃の訓練のために標的を曳航する危険な飛行のために、目立つように派手なオレンジ色と白色のツートーンカラーが施されている。1号機は1987年に調達が開始され岩国基地の第81航空隊に配属。硫黄島での米軍のNLP支援を口実に1994年から厚木基地への乗り入れが始まった機種である。
機体重量(完全装備の場合)は8,900kgで乗員は4名。最大速力=0.78マッハ、価格=25億5,200万円。岩国基地所属
《EP−3電子戦データ収集機・多用機》
国産(石川島播磨重工)のターボプロップ・エンジンを搭載し、UP−2Jの後継機。P−3C対潜哨戒機の機体をベースにコンピュータを活用した電子戦データ収集装置を搭載し、艦船から出る種々の電波を探知・収集することを任務としている。この航空機の仕様はP−3Cと殆ど変わらないが、機体上部に2基と下部に1基の電子偵察用のアンテナを収めたレドームを備えていることと、機尾のマッド・ドームがないことにより全長がやや短くなっている。現在、4機が岩国基地の第81飛行隊に所属して電波情報収集に従事している。
機体重量は完全装備で56,000kg、乗員は15名。最大出力は370kt。機体は川崎重工。
《C−1輸送機(航空自衛隊)》
硫黄島での米軍のNLP(夜間連続離着陸訓練)を支援するとして厚木基地に乗り入れを開始したジェット推進の航空自衛隊主力戦術中型輸送機。川崎重工を主契約者として三菱重工、石川島播磨重工、富士重工、日本飛行機、住友精密、新明和工業などが、胴体、尾翼、動翼、主翼、脚などをそれぞれ分担して、各社の技術を総結集して製作されたといわれる。機体は直径3.8bもある胴体の上に主翼があり、尾翼下の後部扉が開いて荷物を入れるが、貨物室にはいっさいの障害物もないため2.5トントラックを自走で搭載でき、パレットに載せれば105_b榴弾砲と牽引車輌、ジープを積載して空中からの投下も可能。床に金属ロッドを立てれば担架の取り付けが可能で36人の患者の空輸もできる。人員は60名、完全武装の空挺隊員なら45名が収容でき、片肺でも1,200bの滑走路から離陸ができる揚力をもっている。
機体重量は完全装備で39,000kg、運航自重が24,200kg。乗員は5名。兵員60名/空挺隊員45名/担架36が可能。価格=41億7,500万円(1977年)。所属=航空自衛隊入間基地。製作=川崎重工ほか
《U−125飛行点検機(航空自衛隊)》
英国の双発ビジネスジェット機のBAe125−800を母機として発展改良をくり返したもので、商用機のほか軍用機としても連絡、輸送、訓練等に使用している。航空自衛隊としては、飛行点検機材を搭載して飛行点検機として使用しているが、硫黄島の滑走路の点検などをおこなうとして厚木基地への乗り入れを開始した。本来、飛行点検とは、航空保安無線施設(電波により航空機の航行を支援する施設)の機能を点検するものである。
機体重量は6,860kg、超過禁止速度=0.87マッハ、水平巡航速度=456kt、乗員=7名。価格=32億9,800万円(1991年度)。所属は入間基地と小牧基地
潜水艦隊
潜水艦隊は、潜水艦隊司令部と二つの潜水隊群、潜水艦教育訓練隊(呉基地)、第1練習潜水隊(呉基地)、その他長官の定める部隊をもって編成し、司令部は横須賀市船越の自衛艦隊司令部におかれている。司令官は海将があたり、そのもとに海将補の幕僚長をおいている。
潜水隊群は、広島県の呉基地に第1潜水隊群、横須賀基地に第2潜水隊群の司令部をそれぞれおき、横須賀の第2潜水隊群司令部は、米海軍横須賀基地内におかれている。潜水隊群の編成は、三つの潜水隊と潜水艦基地隊、その他長官の定める部隊で編成されている。潜水隊群の司令官は1等海佐があたっている。
潜水隊は、潜水艦2隻以上をもって編成され、現在、第1潜水隊から第6潜水隊までの6個潜水隊で16隻で約3万9,000トンである。
潜水艦隊直轄として潜水艦教育訓練隊が呉基地におかれ、第1練習潜水隊が2隻の練習艦をもっているほか、潜水艦救難艦など3隻の洋上艦をもっている。
掃海隊群(機雷戦部隊)
海上自衛隊の掃海部隊は、横須賀市船越の自衛艦隊のもとにに掃海隊群司令部をおいている。これまでは、広島県の呉基地に第1掃海隊群をおき、横須賀には第2掃海隊群を配備、両掃海隊群を統括する司令部はなく、必要がある場合には第2潜水隊群司令がその役割をもっていた。2000年度になって、両掃海隊群を統括する司令部として正式に掃海隊群司令部を横須賀におくことになった。呉基地の掃海隊群には、掃海母艦「はやせ」のもとに四つの掃海隊がおかれ、横須賀の掃海隊群には、掃海母艦「うらが」のもとに三つの掃海隊がおかれている。また、このほかに五つの地方隊に2〜3掃海隊がおかれている。これとは別に、山口県の岩国基地には、第111航空隊のMH−53E掃海ヘリコプター10機が控えている。
海上自衛隊の掃海部隊の掃海能力が世界的に高く評価されているのは、戦後、帝国海軍が武装解除されたのにたいし、掃海隊はそのまま海軍省から第2復員省、海上保安庁、海上警備隊、海上自衛隊へと所属は変わっても存続しつづけ、戦争中に米軍や日本軍が敷設した約7,000個にのぼる機雷を除去(掃海)してきた実績があるからである。
湾岸戦争後にペルシャ湾に機雷掃海のために派遣された当時の掃海艇は、「うわじま」型の490トンがもっとも大きかったが、1991年のペルシャ湾派遣の教訓やPKO(国連平和維持活動)協力法の成立、新ガイドライン(日米防衛協力指針)による周辺事態での機雷掃海活動の可能性などから、防衛庁は、海外にも容易に行ける大型の掃海艦艇3隻を建造し、横須賀に第51掃海隊を編成した。この1,000トンの掃海艦は、「やえやま」「つしま」「はちじょう」と命名され、いずれも神奈川県内の造船所で建造された木造船で、外洋での航海に備えた衛星を利用して艦位測定をする精密航法・指揮支援装置も搭載した。掃海艦艇は磁気を嫌うために木造の艦体だが、軍用の木造船で1,000トン級は世界一といえる。
機雷掃海部隊の編成/未整備
機雷の種類と用途
掃海隊とは、機雷戦部隊ともいわれるように、敷設された機雷を取り除いて味方の艦船の航行の安全を確保することがおもな任務である。また逆に、機雷を敷設することもおこなう。
機雷は、味方の犠牲をはらわずに敵を破壊できる利点があり、海峡封鎖や上陸阻止、港湾および沿岸防備などで効力を発するものである。
近年、機雷の種類も多種多様になってきているが、種類と用途は次のようなものである。
◇敷設時の運搬具による分類…艦艇用機雷(艦艇から敷設)、航空機用機雷(航空機から敷 設)、潜水艦用機雷(潜水艦から敷設)
◇敷設方式による分類…………自走機雷、非自走機雷
◇敷設状態による分類…………沈底機雷(海底に沈めたもの)、係維機雷(海底に係留して 中層に敷設したもの)、浮遊機雷(海上に浮かべたもの)
◇敷設深度による分類…………浅深度機雷、中深度機雷、深深度機雷、水際機雷(地雷)
◇攻撃運動による分類…………上昇機雷、追尾機雷、固定機雷
◇爆発様式による分類………… 触発機雷(触角やアンテナに触れて爆発)、感応機雷(磁
気・音響・水圧振動およびこれらの複合に感応して爆発)
これらに分類したものを順次組み合わせると、どのような機雷かがよくわかる。たとえば「艦艇により敷設する中深度の音響機雷」とか「潜水艦により敷設する深深度の上昇機雷」などというわけである。
掃海艦写真
自衛隊武山駐屯地(陸・海・空)
【所在地】 横須賀市御幸浜、長井町
【面 積】 約519,000u
【人 数】 約1,200人
【現 況】
旧日本軍武山海兵団跡地で、海上自衛隊横須賀教育隊と横須賀音楽隊、航空自衛隊第1高射群第2高射隊、陸上自衛隊少年工科学校などが駐屯している。
陸上自衛隊少年工科学校では、陸上自衛隊の生徒としての必修課程三期のうちの前期部分の教育をおこない、精神教育、服務、戦闘および戦技訓練、一般基礎学、体育などの科目を内容としている。約3年間の期間を終えると中期課程として特科、機甲科、航空科、施設科、通信科、武器科などで7〜9ヶ月、後期は、部隊で3〜5ヶ月の教育を受け陸曹候補としての教育を終える。
航空自衛隊第1高射群第2高射隊は神奈川県内唯一の航空自衛隊で、約100人が駐屯して地対空ミサイル・ナイキJを配備し、ミサイルの統制施設を長井町に設置していた。このナイキJは1991年度に、長距離での誘導精度や同時多目標対処能力などで優れたシステムをもち、湾岸戦争でも有名になった地対空ミサイル「パトリオット」に換装された。
海上自衛隊船越庁舎
【所在地】 横須賀市船越町
【面 積】 約102,000u
【人 数】 約 6,600人(艦船乗組員を含む)
【現 況】
海上自衛隊の実戦部隊の中枢である自衛艦隊司令部がおかれている。また、シーレーン防衛作戦の先頭に立つ第1護衛隊群が配備されている最大の拠点である。
この基地には、自衛艦隊司令部のもとに潜水艦隊司令部、電子業務支援隊、プログラム業務隊本部、海洋業務群司令部、船越基地業務分遣隊、護衛艦隊司令部、第1護衛隊群司令部、掃海隊群司令部など、重要な司令部や部隊がおかれている。また、1995年3月には、自衛艦隊の直轄部隊として新たに「情報業務群」を編成した。この部隊は、隷下に電子情報支援隊(横須賀)、基礎情報支援隊(東京)、作戦情報支援隊(横須賀)などをおき、連携して収集した情報を作戦情報処理システムによって分析し、戦術情報として各部隊に提供する部隊で、一等海佐以下60名で編成されている。
護衛艦隊は、旗艦「たちかぜ」」を先頭に「しらね」を旗艦とする第1護衛隊群8隻を配備している。掃海隊は、旗艦の掃海母艦「うらが」を先頭に8隻で第2掃海隊群を構成している。2000年、第1掃海隊群と呉基地に配備されている第1掃海隊群を含め、両群を統括するものとして「掃海隊群司令部が新たに発足し、この基地におかれている。
このほかに、第2潜水隊群の7隻が自衛艦隊のもとに横須賀に配備されているが、この司令部は、米海軍横須賀基地内におかれている。
海上自衛隊逸見庁舎(横須賀地方総監部)
【所在地】 横須賀市西逸見町、吉倉
【面 積】 約380,000u
【人 数】 約4,000人(艦船乗組員を含む)
【現 況】
全国を5区域に分けた警備区(巻末参照)のうち、青森県と岩手県の境界が海岸線と交わる点から90度に引いた線と、三重県と和歌山県の境界が交わる点から170度に引いた線の間の太平洋側(沖の鳥島を除く)を責任区域とする横須賀警備区を担当する横須賀地方隊が配備されている。
この基地には、第33護衛隊と第21護衛隊に所属する4隻の護衛艦と、第41掃海隊に所属する3隻の掃海艇などの艦艇のほか、横須賀警備隊に2隻、父島分遣隊に1隻の特務艇を配備している。
横須賀地方総監部には、このほかに通信隊、衛生隊、基地業務隊、調査隊などがあり、米海軍横須賀基地内や逸見庁舎の外に横須賀補給所、水雷整備所、誘導弾整備所、造修所などがある。砕氷艦「しらせ」も横須賀地方隊に所属している。
陸上自衛隊久里浜駐屯地
【所在地】 横須賀市長瀬
【面 積】 約409,000u
【人 数】 約1,600人
【現 況】
防衛庁長官直轄の陸上自衛隊通信学校、中央野外通信群第101搬送通信大隊が駐屯している。
自衛隊の指揮通信システムは、防衛庁長官を中心とする指揮中枢と、各自衛隊の主要司令部を結ぶ「中央指揮通信システム」、陸上自衛隊の「野外通信システム」、海上自衛隊の「自衛艦隊指揮支援システム」(SFシステム)、航空自衛隊の「自動警戒管制組織」(バッジ・システム)などがあるが、これら多数の指揮通信システムの共通伝送として防衛マイクロ回線がある。このマイクロ回線は、現在は太平洋側に沿った単一ルートしかなく、きわめて不安定となっているため、防衛庁は1987年から、@日本海側に新たな回線を建設して複数ルート化をはかる、A通信衛星の利用で立体化をはかる、B電子交換システムの導入、C回線のデジタル化による伝送の高速化、などをおこなう「防衛統合デジタル通信網」(IDDN)の整備をおこなっているが、すでにその中継局として秦野市蓑毛にある浅間山にアンテナの建設を強行した。また、横須賀市の武山山頂にある中継アンテナも稼働しており、自衛艦隊司令部と横須賀地方総監部にも巨大なアンテナ鉄塔が建設され稼働している。しかし防衛庁は、中継局建設をめぐって各地で環境保護団体や平和委員会などの反対運動で計画がはかどらないことと、民間の光ファイバー通信などの活用を考慮して、この計画を中止する動きも見せている。
衛星通信を活用した地球局としては、すでに久里浜駐屯地の第101搬送通信大隊の可搬局班に配置が完了している。
陸上自衛隊横浜駐屯地
【所在地】 横浜市保土ヶ谷区岡沢町
【面 積】 約22,000u
【人 数】 約100人
【現 況】
この基地に駐屯している「中央輸送業務隊」は、防衛庁長官の直轄部隊であり、陸上自衛隊幕僚監部の装備部輸送課が指揮をとっている。米陸軍の横浜ノース・ドック内にも分遣隊として京浜地区隊(旧京浜港湾処理隊)を配置している。
この部隊の任務は、自衛隊員や装備、武器などの輸送であるが、直接の輸送ではなく輸送の段取りや部隊の移動などの手配をおこなう。その際、海上自衛隊の輸送艦はもちろん民間の貨物船やフェリーなども有事に徴用できるように、輸送能力や乗組員の思想調査までおこなっていたとして国会で問題になったことがある。新ガイドライン法の成立により、周辺事態に物資の輸送や補給で米軍を支援することで活躍しそうである。
1993年5月から1995年1月までのモザンビークでのPKO(平和維持活動)には、この基地から5〜6人が参加した。
資料
海上自衛隊の艦船の分類と艦名のつけ方
海上自衛隊の艦船の分類は、大別して護衛艦(DD)、潜水艦(SS)、掃海艦艇(MS)などを中心とする警備艦艇と、補給艦(AO)、特務艦艇(AS)などの補助艦艇とに分けられる。DDは駆逐艦(Destroyer)の艦種記号で、海上自衛隊では護衛艦と呼ぶ艦種をDDあるいはDEとしており、DDは護衛隊向けでDEは地方隊向けのやや小型の護衛艦として区別している。
また、DDのうちヘリコプター搭載護衛艦をDDH、対空ミサイル護衛艦をDDGと呼称し、多目的護衛艦をDDA、対潜護衛艦をDDKなどと呼んでいるが、いずれも正式な艦種記号ではない。
艦艇番号一覧表
┌────┬──────┬──── ┬──────┬────┬──────┐
│ASU 83│ 83号特務艇│DDH144│ くらま │DE 231│ おおよど │
│ASU 84│ 84号特務艇│DDH151│ あさぎり │DE 232│ せんだい │
│ASU 85│ 85号特務艇│DDH152│ やまぎり │DE 233│ ちくま │
│ASY 92│ │DDH153│ ゆうぎり │DE 234│ とね │
│DDH101│ むらさめ │DDH154│ あまぎり │MSO301│ やえやま │
│DDH102│ はるさめ │DDH155│ はまぎり │MSO302│ つしま │
│DDH103│ ゆうだち │DDH156│ せとぎり │MSO303│ はちじょう│
│DDH104│ 建 造 中 │DDH157│ さわぎり │ASR402│ ふしみ │
│DDH105│ 建 造 中 │DDH158│ うみぎり │AS 405│ ちよだ │
│DDH106│ 建 造 中 │DDA164│ たかつき │AOE421│ さがみ │
│DDH107│ 建 造 中 │DDA165│ きくづき │AOE422│ とわだ │
│DDH108│ 建 造 中 │DDG168│ たちかぜ │AOE423│ ときわ │
│DDH109│ 計 画 中 │DDG169│ あさかぜ │AOE424│ はまな │
│DDH110│ 計 画 中 │DDG170│ さわかぜ │MST463│ うらが │
│DDH111│ 計 画 中 │DDG171│ はたかぜ │MST464│ ぶんご │
│DDK119│ あおくも │DDG172│ しまかぜ │ARC482│ むろと │
│DDK120│ あきぐも │DDG173│ こんごう │SS 575│ せとしお │
│DDK121│ ゆうぐも │DDG174│ きりしま │SS 576│ おきしお │
│DDH122│ はつゆき │DDG175│ みょうこう│SS 577│ なだしお │
│DDH123│ しらゆき │DDG176│ ちょうかい│SS 578│ はましお │
│DDH124│ みねゆき │DE 218│ とかち │SS 579│ あきしお │
│DDH125│ さわゆき │DE 219│ いわせ │SS 580│ たけしお │
│DDH126│ はまゆき │DE 220│ ちとせ │SS 581│ ゆきしお │
│DDH127│ いそゆき │DE 221│ によど │SS 582│ さちしお │
│DDH128│ はるゆき │DE 222│ てしお │SS 583│ はるしお │
│DDH129│ やまゆき │DE 223│ よしの │SS 584│ なつしお │
│DDH130│ まつゆき │DE 224│ くまの │SS 585│ はやしお │
│DDH131│ せとゆき │DE 225│ のしろ │SS 586│ あらしお │
│DDH132│ あさゆき │DE 226│ いしかり │SS 587│ わかしお │
│DDH133│ しまゆき │DE 227│ ゆうばり │SS 588│ ふゆしお │
│DDH141│ はるな │DE 228│ ゆうべつ │SS 589│ あさしお │
│DDH142│ ひえい │DE 229│ あぶくま │SS 590│ おやしお │
│DDH143│ しらね │DE 230│ じんつう │SS 591│ みちしお │
│ │ │ │ │ │ │
│ │ │ │ │ │ │
└────┴──────┴────┴──────┴────┴──────┘
┌────┬──────┬────┬──────┬────┬──────┐
│SS 592│ 建 造 中│MSC678│ とびしま │LST4151│ みうら │
│SS 593│ 建 造 中│MSC679│ ゆげしま │LST4152│ おじか │
│SS 594│ 建 造 中│MSC680│ ながしま │LST4153│ さつま │
│SS 595│ 建 造 中│MSC681│ すがしま │LSU4171│ ゆら │
│MSC656│ やくしま │MSC682│ のとじま │LSU4172│ のと │
│MSC657│ なるしま │MSC683│ 建 造 中│ATS4201│ あづま │
│MSC658│ ちちじま │MSC684│ 建 造 中│ATS4202│ くろべ │
│MSC659│ とりしま │MSC685│ 建 造 中│ATS4203│ 建 造 中│
│MSC660│ ははじま │MCL721│ ふくえ │AGB5002│ しらせ │
│MSC661│ たかしま │MCL722│ にいじま │AGS5101│ あかし │
│MSC662│ ぬわじま │PG 821│ ミサイル艇1号│AGS5102│ ふたみ │
│MSC663│ えたじま │PG 822│ ミサイル艇2号│AGS5103│ すま │
│MSC664│ かみしま │PG 823│ ミサイル艇3号│AGS5104│ わかさ │
│MSC665│ ひめしま │PB 926│ 哨戒艇26号│AGS5105│ 建 造 中│
│MSC667│ もろしま │PB 927│ 哨戒艇27号│AOS5201│ ひびき │
│MSC668│ ゆりしま │LCU2001│ 輸送艇1号│AOS5202│ はりま │
│MSC669│ ひこしま │LCU2002│ 輸送艇2号│ASE6101│ くりはま │
│MSC670│ あわしま │TV 3508│ かしま │ASE6102│ あすか │
│MSC671│ さくしま │TV 3509│ みねぐも │ASU7019│ もちづき │
│MSC672│ うわじま │TV 3510│ なつぐも │ASU7029│ はやせ │
│MSC673│ いえしま │TV 3511│ むらくも │ATSS 8006│ ゆうしお │
│MSC674│ つきしま │LST4001│ おおすみ │ATSS 8007│ もちしお │
│MSC675│ まえじま │LST4002│ 建 造 中│ │ │
│MSC676│ くめじま │LST4102│ もとぶ │ │ │
│MSC677│ まきしま │LST4103│ ねむろ │ │ │
│ │ │ │ │ │ │
│ │ │ │ │ │ │
└────┴──────┴────┴──────┴────┴──────┘
主な自衛隊艦艇
自衛艦隊編成図/未整備
地方隊および直轄部隊の編成と諸機関