台北2008年4月 山峡古街
4月2日、私達はまた台北にいた。
ようよう進まぬ自宅建て直しのための業者の選定もなんとなく決まりそうになり、
ほっとしつつも疲れた夫が「気分直しに行きたい!」と言い出したのである。
「その日程なら私には他に予定はないから、まーいいのでは。」これが私の答えだった。
台湾に行くのは何度目か。新婚旅行以来、台湾に行くことが多い。台湾は近くて
気楽なのだ。私達はその日も昼頃家を出たにも関わらず、同日夜10時には台北の
ホテルに入っていたのである。
翌3日朝、私達は少しばかり困っていた。
ホテルのTVが、台湾のチャンネルに限って映らない。これではお天気がわからない。
CNNやNHKの衛星放送は映るが、これでどうやって台北の天気を知ればいいのか。
外を見れば、とりあえずは雨だ。だが、この雨はこれからどうなって行くのか。
途中で晴れるのか、それとも激しくなるのか。
ま、しかしとりあえずは雨なので、仕方なくカサを持って外に出た。
うすら寒い。日本で得た情報では、最高気温が25℃のはずだった。そのつもりで
支度して来たのに、15℃だ。上にはショールをはおるとして、内側に着るシャツを
買わねばならぬ。というわけで、近くの巨大スーパーに足を運ぶのである。
ホテルは淡水沿いにあって、交通の要所である。眼下には立体交差が見える。
その中には台北名物、オートバイ用のレーンもあった。(てことは、大気がとんでも
なく汚れているということでもある。大気汚染のせいなのか、滞在中私の花粉症的な
症状はあまり変化がなかった。夫は鼻が通った感じを得ていたというのに!)
そして、部屋から見る立体交差はオツなものだが、ホテルから外出する場合は、
立体交差の下とか、始まりの部分とか、薄暗い場所を通らねばならない。地味な
通り、ではある。それでも大きな火鍋屋がふたつ並んでいた。もちろん、支度中だ。
ホテルから、西門MRT駅を目指す。西門の街とはいかなる場所かといえば、渋谷と
原宿の竹下通りを足して2で割ったようなところである。食べ物のお店は日本式を
意味する、「日式」ばかり。トンカツとか、牛丼とか。中華料理と比べて作るのは簡単
かもしれないが、食べる方の気がしれない。安価なのかどうかもわからない。
西門駅まで来ると、これが整備されてきれいな広い通りになっている。20年以上前、
新婚旅行で訪れた時には、ここは歩道橋だらけだった。ハチ公前の交差点に歩道橋を
つければそっくりだったかもしれない。うちには大きな大きな映画の宣伝を前に歩く
私を撮った写真が残っている。
普通の台北の歩道は段差だらけである。アーケードという概念はない。
いずれの店舗にも屋根はあるが、お互いの屋根を接して歩きやすくしようという考えが
ない。店舗も歩道側に堂々と商品をはみだして売っているし、それに露店が加わる。
雨ともなれば、カサをさしたりたたんだり、足元に注意をしたりと忙しい。
そんなふうなのに、西門から先の通りは段差がなかった。うれしいが、今度は寒さが
身にしみた。風をさえぎるものがないからだ。途中、公園らしきものがあった。
廃墟みたいな建物が、そのまんま保存されている。戸の向こうは土間になっているのか
パパイヤが生えていて、そろそろ実をつけようという勢いだ。が、それもそのまま。
あれは未だになんなのかわからない。
アンダーシャツを買うべく、巨大スーパーに入る。24時間営業である。1階は
ちまちました商店があって、2階は生活用品で、3階は食料品で、4階は食堂街、
そのまた上は駐車場である。2階でまずアンダーシャツを買おうとしたが、下着類も
色々なりに安いものを発見。安いだけならともかく、中身がけっこー好み。お姉さんが
近くにいて、下着類は他所様に見られても困るだろうと親切にも簡単な紙袋に入れて
くれた。
その包みをカゴに入れて、食品売り場に上る。会計はこの階でないと出来ない。
それならとついでにお土産を探す。前回スーパーで買った、「五香豆乾」なる、ええと、
豆で作った干し肉みたいなのに香辛料を加え、甘辛く味付けしてあるものをいたく気に
入った人がいて、今度行ったら是非買ってきて!と言われていたのである。割と簡単に
それは見つかった。
だが、スーパーは楽しいのでどうしても色々と見て回ることになる。だからけっこう
時間を食ってしまった。そのまま食事に行く。日本占領時代に作られた中山堂の中の
カフェ。西洋式、でも中国式。薄暗い建物の中、ランチを食べる。シーザーサラダ、
にスープにガーリックトースト。夫はスライスした骨つき牛肉の旨煮。私の方は魚の
切り身に細かくした豆とネギを素揚げにしたソースをかけたもの。で、何故かゴハンが
どすんとついてきた。
外は相変わらず雨。風に翻る植え込みの緑をよそ目に薄暗い中で粛々と食事をして
いると、なんだか大手町あたりの、古くて伝統はあるが料理も古いレストランで上司と
食事をしているような気になってくる。高い天井に描かれている画は、お寺の天井画
に似ている。上司はぼそぼそと低い声で昔話をして、私は失礼にならない程度に相槌を
うちつつ、他のことを考えている。
本当のところ上司ならぬ夫は昔話どころかこの後のことを話していて、バスで三峡
と言うところに行ってみようなどと言っている。私もホテルに帰っても仕方がないので
覚悟を決める。ランチ・コースの値段は二人分で600元ほど。日本円にして2400円。
中山堂を出て、三峡行きのバス停を探した。本来どれほどの間隔があるものなのか、
しかし待つほどもなくバスは来た。運転手に「三峡」と書いた紙きれを見せて、バスは
高速道路も使って1時間10分で三峡に到着。田舎町ではあるが川向こうには巨大な
マンションが立ち並んでいて、これは近くにある工業都市、桃園の郊外だからか。
またカサをさして歩きだそうとすると、菅井きんそっくりなおばあさんが、
「日本人か。どこ行く。」と聞く。「遊びに来たの。」とヘンな答えを返してしまうが
「遊びか。それならここをまっすぐ行くとお寺も古い町もある。」と教えてくれる。
台湾の人といえば、いつもこんな風だ。これだからけろっと行ってしまうのだ。
たどりついた所は、レンガを積んだ古い街並みが保存されていて、「老街」と表示
されていた。300mほどの長さがあったか、これこそはアーケードで、その中は「老街」に
ふさわしいみやげ物などを商う店舗が並んでいる。雨にも関わらずカップルや家族連れ
でにぎわっていて、じいちゃんばあちゃんも孫と一緒にソフトクリームをなめていた。
台湾にも、ノスタルジーが存在するのか!と少し驚いた。が、台湾で日本が好まれる
のもノスタルジーではある。

老街の中にも廟があって、樂の音とお経らしきものが聞こえてきた。
廟は珍しくないが、樂は珍しい!しげしげとのぞき見ると、樂の担当者は10人くらい、
そしてその後ろに線香を捧げもつおっさんが人。してみるとこの2人が樂を主催して
いるらしい。しかし、日本の法事と違って親類縁者の顔はない。二人は鐘の音を合図に
礼をしたり反対がわを向いたりしているが、片方はどう見ても不真面目で、
えーからかげんなのが見てとれた。何がどうなっておるのだろうか。
名所の寺を見に行く。雨ともなればありがたいことに、すぐそこだ。
寺は、飲食物を商う店の前にあった。同じ門前市でも日本のものよりはるかにみやげ物
が少なく、今、現在口にするものを商う店が多い。投資が少なくて済むってことか?
そして寺はといえば、これでもかというほどの彫刻で飾られていた。柱にも彫刻
されているが、それが二重になっていて、内側の柱にも彫刻されている。床以外、
直線というものを忌み嫌っているとしか思えない。2階に上ると、今度は彫刻に名前が
ついていた。彫刻によるお寺への寄進というのがあるらしかった。なるほどこれなら
私も寄進したいと思ったりする。
雨の中、台北に帰るバス停を探す。10分ほど行ったところには陶器の街、鶯歌が
あるが今回は時間切れだ。愛想のいいバスに、今度は西門と書いた紙切れを見せた。
しかし、愛想がいい彼が高速に入ると飛ばすこと飛ばすこと。ベンツを路線バスが
抜くなんて!思わずシートベルトを手にとってしまったではないか。
そして、てっきりバスは西門まで行くと思ったら、我々は途中の地下鉄駅で
下ろされるのである。彼は地下鉄に乗って西門まで行けと身振りで示した。
なんだか納得できないまま午前中下見をしたスーパーに行って、今のうちに買い物。
迷ったのは、「老婆餅」で、しかし名前のインパクトと箱の美しさに負けた。なんで、
なんでこんな名前??どんな中身?
そんなにお腹も空いてなかったので、ガイドブックに載ってた西門のギョウザ屋で、
ギョウザと豆苗炒めの食事。ビールとつまみを買ってホテルに帰った。