その7:コモの街にてー午前中

コモ湖の朝、だった。霧が少し出ていた。
それはそれで、やっぱりきれいだと思ってしまう。イタリア有数どころか、国の
内外に知られた保養地。コモじたいは、絹織物でも有名な街である。あとは、
「舞踏会の手帳」の舞台。映画が作られたのは1930年代で、原作は・・いつの話だ?
高坂知英「ひとり旅の設計:講談社現代新書」にもそれについて書かれていて、彼が
持つエピソードが、すこぶる良い。

朝食に行く。リゾートとしての雰囲気を高めるべく、フルーツが山盛りだった。
フルーツ・カクテルはもちろん缶詰のシロップ漬けではなくて、本物。他に、南ら
しいものとして甘いデニッシュペストリーが山盛り。これがもっと南に行くと、
ドーナツになる。フルーツ・カクテルの中から普段あまり口に入らないベリーの類
ばかりをさりげなく選んでよそってしまう。ま、お行儀悪くはある。

9時すぎに、ホテルでバスのチケットを買うのだが、ホテルのフロントの
おばさんは、実に親切だった。私のバスの時刻表を持って行ったらいいわ、
明日返せばいいから、とか、帰りは船に乗るなら、TORNO の地図をあげましょう、
とか。あちこちから色々と引っ張り出してくれた。

バスに乗る。ただでさえ狭くてカーブだらけの道で、乗用車2台がすれ違う分しか
道幅がない。バスは、カーブでは必ずクラクションを鳴らす。延び過ぎた民家の
生け垣は、バスで剪定されているように思える。眼下にプールつきの大きなホテル
が見えた。あちらならあちらで楽しめたとは思う。が、羊や家庭菜園が見えるホテル
と、どちらを選ぶかと言われたら・・・。ははははは。

来る時は、タクシーだった。同じ道でも、バスは高みから色々なものを見せてくれ
る。20分ほどで、コモの街に到着。さてどこに行くかと言えば、これがなんと、
ボルタ記念館。ボルタとは何者か。電圧の単位であるところの1ボルト、このボルト
はボルタから来ている。彼は世界で初めて連続的に電気を発生させる(現在の電池の
原形を作る)のに成功した。この人が、コモの出身なわけで。

コモ湖沿岸の道を歩くのが、記念館への近道だった。沿岸の道は船着き場にも
になっていて、大小様々の船が繋がれている。地元の人も乗る連絡船から、観光船、
このコモの街から、人という形をした湖のてっぺんまで、船で5時間かかるのである。
そのためかあらぬか、食事つき観光クルーズ船、なども繋がれているのだった。

ただ椅子に座って湖を眺めている人々もいて、その横には犬が座り込んでいる。
元々が田舎街、そしてバカンスからは少しだけ外れているから、のんびりと広い。
ここまで来ると、日本人は珍しい。なんたって、泣いていた赤ん坊が、私達の顔を
見て泣き止むってくらいで。ふーん。どーれ、改めて泣かせてやろうかい・・。

ボルタ記念館は、小さな円形の大理石づくりの建物だった。
美しい建物の中に展示されているのは、小汚くも感動的な歴史的実験道具である。
ボルタはカエルを使い、電気を起こしてカエルの筋肉が動くのを確かめもした。
このへんに関しては、「電気の歴史:関英男 NHKブックス」 に詳しい。

それは別にいいのだが、ひからびたカエルを一緒に展示するというリアリズムには
驚き、このような場所で展示されるに至ったカエルの気持ちはうれしいのか、情け
ないのか、など考えた。ひいては「人」だとして、一体、展示されたいものなのか?

ボルタは幸い生きてる間に認められたらしい。電気を起こして感電する奴はいても
白血病になる奴はいないから、選んだテーマからしても、ラッキーな奴だな。
・・このような考えが出てくるほど、私は退屈していた。

驚いたことに、チケット売り場ではボルタの実験道具を絵葉書にしたものが
売られていた。これを送られて、うらやましくて地団太踏む奴もいるのだろう。
だが、私には送ったら嫌がるだろう人々の顔が浮かんだ。顰蹙かっておいて、
「感動の幅って、教養の幅に左右されるものかもね。」などとスカすことまで考え
ついた。ここまで私を退屈させて、いいものだろうか。

夫が、何だか黄色い印刷された紙を買っている。
1927年9月に開催された世界物理学会議のときのもので、それに参加した世界中の
名だたる科学者による、サインの寄せ書きを印刷したものだそうである。
日本からは、仁科芳雄 ともう一人 が参加したことになっている。夫は自分のこと
を、学問ミーハーであるというが、この行為に関して言うなれば、全然嘘ではない。

「展示物で見る限り、この時代、実験道具として必要なレンズやガラス器の類は、
皆ベネチアに注文していたことが、わかる。これは当時、ボルタの注文に答えられる
技術、つまり熟練した職人は、ベネチアに集まってたってことなんだよね。職人の
技術は今は必要なくなり、機械がとってかわったかのように言われているけれど、
実際には今もそれは変わっていない。例えば・・。」

お説ごもっともだが、私は、「レンズ豆ってレンズからつけられたのね!」と言って
しまう女である。その時夫は苦渋に満ちた表情で、「・・・いいかお前、豆はレンズ
より昔からある。つまり、レンズ豆に似た形だから、この加工されたガラスの塊が、
レンズと呼ばれるようになったのだ。」と説明したのであったが。

が、そのままうなづくにはちょっとくやしいのものがあるので、「そうか、植物の
方が科学より先なのよね。あら、そしたらやっぱ電気より植物の方が偉いんじゃない
の?結局、電気でお腹はふくれないわけよ。」と、このように話をスリ替えようと
言うのもなにぶん無茶な話ではあったが。

だが、文明は分業化、専門化というものを人間に促すのである。専門職として
電気を扱い稼いで来る夫のおかげで、結果的に私は電気で要りもしないところまで
ふくれているのだった。普通、自分で言えるものだろうか、「猫に小判」とは。
だが、大概の人間は、猫なのに小判たくさん集めて喜んでいるわけで。ま、いっか。

夫、いつの間にやら、ホテルのチラシやら観光ガイドやらを調べたらしい。
「水上飛行機を、見に行こう!すぐそこだよ!」 えっ・・・
同じ道を少し行くと、右にはコモ・ヨット クラブがあり、優雅だなあと思って
いたら、その反対側奥にあるのが、もっと優雅な Aero Club Como であった。
小型の水上飛行機が何機か置いてあったが・・あれに乗るのーー!?

まるでどっかのお父さんが日曜大工で作ったかのような小ささに、私はびびった。
飛行機は大きいもの、という先入観が湖上空を飛ぶ飛行機を大きく見せていたらし
い。機嫌の良い夫が言うには、その昔アメリカの通販には本当に小型飛行機のキット
が売られていたが、エンジンだけはついてなかった。どうするのかと言えば、中古の
V.W.のエンジンをどこからか入手して使うことになっていたのだそうで。何故なら
ワーゲンのエンジンは空冷式で、なおかつ信頼度が高かったから。ってことは、
アメリカには、本当に日曜大工で小型飛行機を組み立てちゃう人がいるわけか。

一方、湖畔には、同じ「飛ぶもの」でも、季節を間違えた子鴨と子家鴨がいた。
うまいこと子鴨にくぎづけになった妻を置き去りにして、夫は「ちょっと行って来る」
そして数分後に「おーーーいっ、わかったぞーー!」って。うう、わかっちゃったの。

「1 pilot,2 person だって。今日は練習日だけど、明日の 11時なら乗れるって!」
「この小ささでは揺れるし、殆どジェットコースターのようなもんじゃない?」
「馬鹿だなあ、お前。ジェットコースターはものの 3分ではないか。考えてもみろ、
それが 20分も続くんだぞ?素晴らしいじゃないか〜。そうそうない機会だとお前も
思うだろうが。」 夫が言っていることは、少なくとも嘘ではなかった。

やがて降りてきて繋留された水上飛行機からは、母親とおぼしき女性と、中学生
くらいの息子が出て来た。桟橋を息子がスカートに中ヒールの靴をはいた女性の手
をひいて渡っていく。息子、水上飛行機の練習してんのか?それならなんで母親が
スカートで一緒に乗る?もしかしてこれ、パパの飛行機で、息子のおねだりに
負けたママ、街までちょっとしたお買い物に行くの図?ううむ、なんと優雅な。
ようし、アタシも乗っちゃうぞー!!←何かを完全に間違えている・・

結局どうなったのかと言えば、翌日はミラノへの移動日だったのである。
様々な条件を鑑みて、あきらめるにいたったのであった。
いやあ、残念だったなあ。

それから街に戻る途中、駅に寄って明日の電車の時間を調べる。改札口なんてもの
はないから、ついでに駅の中にあるトイレも借りる。そろそろ、シェスタの時間に
なる。広くもないコモの街でウィンドウ・ショッピングして、サラダとビールで
食事をする。さてこの後、どうしようか。

結局、イタリア庭園があるという Villa Olmo を見に行くことにした。同じ道を
戻ることになったが、湖沿いの道から見える、美しい建物や巨木で調えられた庭が
非常に良い。湖を見渡せる道には、ベンチがいくつも置いてある。しかし、そこでは
カップルがべっとりとからみついていて、それだけならまだしも、男の方は女の
肩ごしにこちらを上から下まで眺めやがる。はっきり言って、気持ち悪い。

意志の疎通も出来ない人間に興味はない・・わけでもないか。(^^;)
しかし、あの状態では、「気持ちが悪い」以外に言葉が考えつかない。イタリアで、
女であるとは何と情けないものか!!と、そこまで思ってしまったとき。

「こっちの女の子は見られ慣れてるからかなあ、じろじろ見ても別になんてこと
ないみたい。非常に楽だね。」と夫が言った。栗の木の下で100リラ拾ったときとは、
また別の意味で、快挙であった。(T^T)