その11:ミラノから家に
ミラノの朝食に、特筆すべきものはなかった。中国人がおかゆをふるまって
くれたわけでもなく、フルーツ山盛りだったわけでもなかった。ま、これが
普通なわけだ。今回の旅行はなんだか普通じゃなさすぎたのだな。
最終日のその日は、1日空けてあった。買い物&うろつき日、である。
「ミラノ詣で」という言葉があるらしい。科学博物館探して迷いながら、なるほど
あちこちにオシャレで面白そうな店があったものだっけ。買い物を楽しむには何も
ブランド物である必要はなく、逆に言えばブランド物にでも絞らなければ迷って
迷って、買い物など出来ないのかもしれない。
その日は効率的に買い物が出来た。外国で悔いなく買い物をするコツがあると
したら、下調べをする以上に、迷わない、あきらめることを知る、ということに
なる。私達はあきらめもしたが、満足もした。
荷造りをし、ホテル隣のスーパーで自家用土産物の買い出しをすると、また夕食の
時間がやってきた。夫、ガイドブックを開き、イタリア語におけるミラノ風
カツレツを、調べる。結局 「コットレット ア
ラ ミラネーゼ 」と言うのだと確認。
前日のレストランへまた行った。その日は前日より客が入っていた。
隣の席は、叔父と姪らしい二人連れだった。姪の方は大学生くらいの年齢で、
叔父さんの方はスーツではなくジャケット姿であった。多分彼は、小さな頃から
ひいきにしてきたであろう姪の、親では手に負えない相談事を、馴染みの店で食事
しながら聞いてやっているのだな。って、そんなふうに見えたんですけど。(^^;)
その日は、何を食べたか忘れた。たしか私は魚介類のグリルだったし、夫は
ミラノ風カツレツにありつけた。(夫は昨日、カツレツの一つ上の行を指差して
いたのであった。だ〜からイタリア語はイタリア語のまま読めとあれほど・・・
言ってない。)前菜はエビとアボカドのサラダ、スモークト・ハム、そしてパスタ
を1つ注文し、二人で分けて食べたっけな。こんだけ覚えていれば上等かも?
ミラノ風カツレツは、やはり美味しかった。心残りは、肉料理の中にあった
一つの料理名である。「ロベスピエール」という名前がついていた。肉料理の中に
あるからには内臓料理である可能性もあるわけで、さりとて聞くのも面倒くさい
し、ロベスピエールとくるからには首から上の料理かもしれず、もしかして
羊の脳味噌かと思ったりして。今にして思えば、絵でも描いて聞けばよかった。
その後、馴染みのフランス料理屋に聞いてみたが、彼の調べた限りでは、そんな
名前の料理はないのだそうである。やっぱりその店オリジナルなわけか。
やがて店にがやがやと予約客らしい一族連れ??が入ってきた。
おじいちゃんおばあちゃんから始まって、下は小さな3〜4つの孫までいる。
その上は、7つか8つくらいのお兄ちゃんである。なんせ一番下は小さいので、
すぐお腹一杯になるし、退屈してしまう。隣に座ったお兄ちゃんの方はそんな
次元を卒業してるので、弟に説教する。
ここは家じゃない、他のお客さんもいるんだし、迷惑になるから席から離れちゃ
駄目だ。・・・イタリア語がわからなくても、その子が言ってることは、わかる。
一方、おばあちゃんともなれば百戦錬磨なので、3つやそこらの子供が聞くわけも
ない説教はしない。ただ、その場だけうまいこと子供の機嫌をとり、泣いたり
よその席に行かせないようにしている。
・・・それでいておばあちゃん、自分の分はちゃんと食べているのであろう。
例の如く、清々しいお勘定をして、ホテルに帰った。
9/16 朝 6時には、タクシーに乗っていた。やっと帰れる。まだ街は薄暗い。
タクシー運転手、いきなり途中でシートベルトをしたので、ここから高速に入る
のだなと私達も習う。それはいいのだが、バスが追い越していくような高速道路で
「エリーゼのために」の着メロで携帯電話がかかってくることかかってくること。
そのたびに彼は電話をとり、どうこう話し、それだけならまだしも傍らの書類を
見ることまでするのであった。高速道路だっちゅーに。
そして、離陸 1時間前に到着したのは良かったのだが。惜しむらくは、
スキポールの天候不順のため、出発が遅れたことであった。元々スキポールから
乗り継ぐ時間は 50分といわれていたのだが、それではあまりに恐いので、前の便
に変更してあった。それで4時間空いたのだが、ミラノからスキポール行きの
この飛行機は、ちょうど3時間、遅れてくれたのであった。
朝食券が出たが、その中身は甘いデニッシュパン1個と、エスプレッソ1杯という
ものだった。
3時間後、やっと飛行機が出ることになった。私達は、ミラノからアムスまでの便
では一番後ろの席だった。席に座って自分達の荷物が飛行機に運び込まれるのを見て
いると、運んで来るときにどんな運転をしたのか、スーツケースが2つばかり向こう
の方にこぼれているのが見えた。が、やがて気がついた職員により、それさえも
積み込まれた。いやー、長かったわー、最後の最後が。
出発まぎわ、一人のおばさんが私達の反対側の開いている席に来た。席3つを一人
で独占し、寝てしまおうという寸法だ。おばさん、横になっていたらスチュワーデス
が来て、シートベルトを締めてくれと言われて一度はきちんと席に座り直した。
ところがこの人、何を考えたか、スッチーも座って離陸態勢になったところで
いきなり立ち上がり、通路を歩き始めたのである。
スッチーのあわてまいことか。「座って下さい!」と彼女は確かに言ったのだが、
私の耳には 「クソババア!死にたくなけりゃ、さっさと座りやがれ!」と聞こえた。
それくらいの迫力ある調子だったのである。おばさん、ふてくされて席に戻り、横に
なってしまった。
やがてベルト着用サインが消え、今度は通路前方から通常の日本女性の倍くらい
ある女性の二人連れがやってきた。だが、そこでいきなり機は大揺れに揺れだした
のである。問題おばさんの席を指し示し、とりあえずこちらに座れとスッチー指図。
たまらないのは問題おばさんで、何の為にその席に移動したのか、元の席に戻った
方がましだというわけで、飛行機大揺れの中敢然と立ち上がり、一人元の席に
ずんずん戻って行ってしまった。もうスチュワーデスは、とめなかった。残った2人
の女性は半ば泣きながら神に祈っている。なんでこうキョーレツな人々なのだ。
揺れが収まり、サービスが始まったと思ったら後の方から、がっしゃんという
音についで若いスッチーの悲鳴が聞こえ、「だいじょーぶー?」などと声をかける
チーフパーサーの目の前を、今度はハチが1匹飛んでいった。随分いろんなことが
あったが、その時ばかりは私達はお相伴に与っただけであった。
スキポールでの中継時間は結局2時間ほどになった。天候不順のため、離陸する
飛行機で押しているのである。ただ、マルペンサと違いスキポールは何でも完備
されている。何が笑えると言って、「Last Minutes
Shop」 というもので。
お土産を忘れた人はいないですか?本当にいいですか?忘れてコワイ人、本当に
いないんですね?というわけで、最後の最後までお手伝いしてくれるのであった。
札幌、名古屋行きの飛行機に乗り込む。私達の席はドアの目の前だった。
ドアが締まり、さてチューブがドアから離れていき、やれやれ今度こそ出発できる
わいと思いきや。「間違えたらしいわ。」「ははははは。」などという声が乗務員の
中から聞こえ、ついでアナウンスが入った。
「当機はこれまで出発すべく準備してまいりましたが、本来関西空港行きに乗る
べきお客様がお間違えになり当機に乗っていることが判明しましたため・・・」
信じられないが、本当にこうアナウンスしたのである。目の前に立った若い二人
が間違え組なのだろうが、私だったら恥ずかしくっていたたまれない。
チューブはやってきてドアは開かれ、彼らはバタバタと去って行った。
それにしても、機内に入る前に一応は機械でカウントしてるはずだし、私達も
それにチケットを通したのである。こんなことがあるということは、本当に機械的に
席数をチェックしてるだけなのか。行く先や便数はチェックしてないわけなのか?
これが最後のアクシデントで、後は何事もなく札幌、名古屋まで着いた。
夜の北極圏を飛んだため、久しぶりにオーロラが見えた。
おわり。