孝行旅行:沖縄編(4)

 旅行もやっと最終日、である。
帰り支度をしながら、「着替えが余ったなー」と、己の立場の変化を納得する。
今回の旅行目的は、自分の父親の「古希の祝い」であって、それもたんなる家族旅行、
現地で宴会をやったわけでもなく、ご当地の親類縁者への挨拶にも行かなかったのだ。

 その昔、沖縄に行くとなれば、目的は冠婚葬祭だった。だから様々な種類の洋服を
持っていかねばならなかった。目的以外にあちこちに顔を出すためのおよばれの服も
必要だったし、それから当然普通の服もだ。

 普通、と聞けば、くだけた服装を想像するかもしれないが、沖縄だとて年がら年中
リゾートしているわけではないし、どちらかといえばリゾートが存在しない人の方が
多いのではないか。。たとえば沖縄の普通の女性は外出するとなれば襟のあるブラウス
を着る。(Tシャツはくつろぎ着である。)ストッキングをはかないなどもっての
ほかだし、日傘は必需品で、夏場に外出するときは長袖を着るのを誇りにしている
人が多い。

 沖縄の家が私の実家のように野中の一軒家ならばまだのんきだったかもしれないが、
たとえて言えばそれは駅前のようなところにあった。暑さにかまけてだらけた格好
をしている人に対する視線は、沖縄でも同じ・・ようでいて、沖縄の方がキツいかも
しれない。暑いのに、沖縄女はオシャレなのである。その沖縄女達に準じた格好を
するとなると、私は結局普段よりきちんとすることになったのだ。

 が、今回はオムツの頃から知ってる同士(?)親と妹に姪・・・プラス婿2人。
最初っから自分の荷物の少なさに自分で驚いてもいたが、それでも着替えは余ったの
だ。リゾートで沖縄に来る人々が、こんなにラクをしていたとは知らなかった!

 そして、私達が泊まったホテルは、気合いを入れてリゾートの雰囲気を高めていた。
お仕事だから当然である。ロビーの横には南の魚が泳ぐ水槽もさりながら、温室を
しつらえてチョウチョまでも飼って見せているし、コンシェルジェのお姉さんは
ムームーとサリーを足して2で割ったような服を優雅な着てるし。

 チョウチョは当然オオゴマダラ(飼いやすく増やしやすく飛ぶのがトロく、さなぎは
金ぴかでまあ珍ら楽しいという、こういう施設のためにいるようなチョウチョ)で、
お姉さんにはガーデンセンターが広いホームセンターの場所を尋ねたりするのだが
まーこんなのは想定の範囲内だあ。

 お姉さんの服があまりにきれいなので、両親やチビ姪と共に写真に入ってもらった。
お姉さんはいかにも沖縄の人らしく、年寄りに親切で小さな子供とくればあやさずには
いられない。ただでさえ人見知りする姪は、あやしてくれる人が本土の人とは違って
あまりにノリが良いので、逆にびびっている始末。

 飛行機に乗る前に、波の上ビーチに行ってみる。
これがどういうところかと言えば、初詣となれば人が並ぶ「波の上宮」の足元にある
ビーチで、ちょっと歩けば銀座、みたいな場所でもある。地の利がいいせいか、
沖縄の海開きのニュースではここの映像が出ていた。

 何年か前まで、沖縄のビーチ(海水浴場という言い方になるのか??)はホテルなど
の持ち物になっていて、その代わりきちんと管理されていた。万座ビーチなどがその
いい例で、最初に訪れたときには宿泊客だけしか入れなかったのである。

 何年かしてプライベート・ビーチは開放されることとなり、荒れるのではないかと
懸念されたが、実際にどうなったかはわからない。ただ、沖縄には「ビーチ遊び」
と称して、家族や友人同士、山ほどの肉を用意して海を見ながら砂浜でバーベキュー
をする習慣がある。おじいちゃん、おばあちゃんは当然のこと、下手すると
ひいおばあちゃんまで混じって孫が走り回る大家族でのバーベキューなど見たら、
観光客にとってはかえって面白かったかもしれない。

 朝の波の上ビーチにはバーベキューしてる人こそいないが、既に沢山の人がいた。
そういえば沖縄の人の海水浴は強い日差しをさけて朝早くか、夕方行うのが普通
だっけ。とはいえ私達は、2歳に満たないチビ姪の写真を撮るためにそこにいた。

 前回海に連れて行ったのは10ヶ月とか、そんなものであったらしい。
赤いビキニ(意味なし。)まで用意して行ったのに、ざぱーんと押し寄せてくる
波にチビ姪は大パニック、ほげええええっ!!と大泣きしてしまい、ほうほうの体
で帰宅するしかなかったとのこと。その間、海に漬けて、ものの1分。

 波の上ビーチは結局沖縄の海なので、沖合いにはリーフが波消しブロックの役を
していた。波はないが風だけは強く吹いて、日差しを避けようと開げたパラソルを、
すかさずおちょこにしてしまう。それではと風に向けてもつと、日差しをもろに
浴びる。そういえば昔は日傘を嫌ってつばの広い帽子をかぶっていたが、あごには
必ずゴムひもをかけていたものだっけ。

 波打ち際に立たせた姪は、波が足元をすくっていくのが面白くて笑っていた。
そうかそうか、成長したのう。というわけで写真をとって、さて足元が巨大な砂場
であると気づかれないうちに車に戻る。砂場となれば姪は何時間でも遊びたがり、
ひきはがそうとすれば阿鼻叫喚の大騒ぎになるからである。

  そして私は、車に向かう途中で、いいものを見てしまう。すっごく痩せてて黒くて
足と尻尾が長い、ドーベルマンのようなネコ。それがゴミ箱を漁ろうとしていたのだ。
器用にゴミ箱を倒しもせず、自分も落ちもせず、食べ物がないかとあさっているので
ある。あまりの面白さに、足早に去るしかなかった。もし沖縄に赴任していたなら、
その夜夫は自分の家にドーベルマンなネコを発見したことであろう。

 お昼は空の上なので、空港内のコンビニでお弁当を買って、飛行機に乗り込んだ。
羽田に着いたらお別れとあって、両親は孫と同じ席に座る。私と夫は、きれいさっぱり
2階席である。また吐いたりしてないかと途中で見物に行ったら、思いのほか元気で
「ねえねえとあるく!」と宣言する。ここぞとばかりに「行ってきなさい。」というのは
妹で、母はといえば孫をとられて、あからさまにイヤな顔をしている。

 都合の良いときだけ出してくる手を握って機内後部に向かい、非常用脱出出口の
上に座らせ、窓を覗かせてあげた。眼下には青い中空と、そこに浮かぶ雲が見える。
チビはやがて生意気にも「そら。」と言った。我々は空をお尻の下にしいていた。

                 xxxxxx

 両親は新幹線で、妹夫婦は電車で、我々はバスとタクシーで帰宅。
記念になるようにと写真ばかり撮ったが、後で現像してみたら夫が撮影したデジカメ
の映像がブレていることが判明。このHPの表紙も夫の撮影なのである。しかし
私の持ってたデジカメはまともに撮れていたので助かった。惜しむらくは私がもっと
マメに親切に撮影していればという・・・。(^^;)

 写真の中には、母の20年ぶりのカチャーシーが写っていた。、母が踊ったとは
気がつかなかった。いやにキマっているなと思ったが、考えてみりゃ母はここ
5年ほど日舞を習っているのだからして、不思議でもなんでもなかったのだ。

 ブレた写真もブレてない写真も全て行動した順番にアルバムに貼って、ちゃんと
見出しをつけて、最初のページはもちろん沖縄本島の地図にして実家に送ると、
すぐさま電話がきた。「これなら間違いようも忘れようもないねえ。おまえが作ったん
じゃないと一目でわかったよ!」とは失礼な母親の喜びのセリフである。

 「もう、次はないだろうからね。」と母は言うが、3年あとには母の古希なのである。
あれから父は一番良いところをねらいすまし、誰よりも効果的に旅行の自慢を
しまくっているらしい。してみると、親孝行にはなったようだった。


                                 END