孝行旅行:沖縄編(2)
翌日は北部観光である。
途中、読谷村(よみたんそん)を通る。読谷といえば、国旗を焼いたりする騒ぎを
思い出し、ラディカルな土地柄というのが私の印象であった。しかし、あちこちに
花壇がしつらえてあって、こじんまりとなんだかとてもきれいな村なのである。
こんな暮らしをしているのかとイメージ変わろうとしたその時、「わったー村に
パチンコ屋はいらない!」という看板が見えた。そう来たか。えらいぞ、読谷!!
そして、「ビオスの丘」。沖縄本島北部の自然を模して??作られたここでは、自然
状態に近い、着生させたランを見ることが出来る。と言ってもさすがは自然状態、
花が咲いてもナメクジなどが食べてしまうため、1週間ほどしかもたないらしい。
今は着生したランの花は少なかったが冬場は多くみられるとのことであった。
緑に色を添えるのは、だからランよりもノボタンである。
自然の川をせきとめた池では、カヌー体験も出来る。私達は解説つきの船に乗った
だけだったが、その私達の目の前を中年夫婦が操るカヌーが横切っていったかと
思ったら、曲がりそこねて中島に衝突していった。あの状態ではボートさえも漕いだ
経験があるのかどうか、しかし乗ってみようと思う心意気がすごい。
船を下りて歩く。違和感がない、作られた自然が続く。広場に出ると、子ヤギが
3頭、つながれているのが見えた。姪そっちのけで触ってみると、おとなしく触ら
せてくれる。思いの外毛が硬い。こいつが大きくなったら食われてしまうのかしら。
そろそろ、お昼であった。車を走らせながら、左側にある店を探す。
だが、北部方向に走れば必然的に左にあるのは海とリゾート・ホテルなのである。
いっそリゾート・ホテルで、と思ったところで、「御菓子御殿」という看板が見えた。
同じような名前の施設が石川県にもあったが、名前が珍妙なので入ったことがない。
が、レストランがあると書いてある。それで私達は、「御菓子御殿」に入ることにした。
御殿を模した外見ではあるが、ただの観光土産物屋に見えた。が、建物に入ると
最初に出会うのは、洋菓子のケースなのである。シュークリームがでかい!って、
こんなところで出会う感動ではないと思うのだが本当の話。2階にあるレストランに
入ると、そこは展望レストランになっていて海が見えるる。テラスに出てみると、あだんの
木の向こうには砂浜が開け、犬と遊ぶ人や横になって肌を焼いている人も見えた。
これだけの場所を確保したあげくに、「御菓子御殿」ってことはないだろうが?
目立てばなんでもいいのか。・・・いや、そう思うにはあたらなかった。私達こそが
入ってしまったのだから。そしてこのレストランの食事はといえば、タイ・カレー
みたいなエスニックなものもありながら、大体のところは沖縄家庭料理の定食。
煮付け(沖縄おでん、豚肉の塊入り)、ヘチマ、ゴーヤーなどなどのおかずに、
ゴハンと味噌汁がつく。
施設の名前はともかく、ここの食事こそは、きちんと美味しかった。煮付けの肉は
あくまで柔らかく、最近は肉を食べなくなっている母でさえも思いっきり食べている。
満喫して階下に下りていくと、そこは当然のことながらお菓子類を売っていた。
大抵のものは土産もののお菓だが、パック入りのゴマをまぶした紅芋の餅をふと
取り上げてみると、これが作りたてで熱い。これまたパック入りの「揚げ団子」なる
ものもあって、これもまた作りたてで熱い。車内ではこのお菓子で盛り上がった。
結局「御菓子御殿」に入ったのは、大成功だったのだ。
次は、本部半島今帰仁(なきじん)城跡を目指す。
これは北部にある城跡で、一族は13〜17世紀に栄えた。最初の権力者は、城砦に
相応しい場所を作るため、まず、山のてっぺんを平らにすべく造成し、硬い岩盤をも
削って、その上に城砦を築いた。城跡からは青磁の食器なども出て来たらしいから、
並ではない権勢を誇ったことになる。この一族が滅ぶのは、あまりに栄えたため、
琉球王にけむたがられたからといわれている。
硬い岩盤を削って作ったというだけあって、城跡に現在残っているのは瓦礫の山
にさえ見える城砦である。何故そう見えるのかといえば、石があまり平らかに細工
されてなく、ごつごつしていて、いかにも荒々しいからである。しかしそれがまた
いかにも外敵に備えるための城砦らしく、のんきな名所旧跡でなくしている。
しかし城跡はあくまで「跡」だった。切符切りの横には、ネコが寝ていた。
これがまたネコらしい横着モノで、「かわいいわねえ」と言えばしっぽの先を動かして
お礼を言ったつもりになっている。見物前はあちらを向いて寝ていたが、帰ってきたら
今度はこちらを向いて寝ていた。一度起き上がってのびをして、さてととばかりに
もう一度寝なおしたらしい。首の後ろをかいてやるが、かきやすいよう動きはしても、
目を開けるつもりはないネコだった。
次は。那覇に帰らねばならない。しかし那覇までは1時間半ほどなので、のんびり
売店めぐりをする。よりご当地風な掘り出し物を探すべく、地元の家族経営風、
冷房よりは扇風機といった風情の、半ば倒れかかった感じを目標に探す。
みかんやりんごならともかく、パッション・フルーツが袋詰めされて売られて
いるのを見れば、否応なしに「こんなところまでも来たのだなあ」という気分には
なれた。が、北部は値段的には翌日行った南部に比べ、それほど安くはなかった。
それもドラゴン・フルーツなどの販路を獲得したものは市場の方が粒ぞろいでなお、
安かった。ご当地な気分になれたのは、例えば南国そのものに対応がトロいことと、
そして品物が不ぞろいであるあたり。ということは、規格外やあまりモノがこういう
店に出されているものとみえる。
何故北部がその値段でやっていけるかといえば、多分、本島中部のリゾート地の
先にあるから、である。一方、南部はと言えば熾烈を極めた沖縄戦の戦跡の中にある。
リゾートのらりぱっぱな人と、厳粛な気持ちで戦跡を巡る人々の金離れの差を思えば
中々難しいものであった。
那覇に行く前に、安謝(あじゃ)の「Jimmy's」に寄る。ここはどういうところかと
言えば、ちょっとアメリカ色を強くしてある製菓会社経営の沖縄らしいスーパーで、
お惣菜とお菓子が良い。私達はここでちんすこうを買おうとする母を止めつつ(新垣
菓子店のでないといけない)気に入りの菓子ココナツ手提げを買いこむ。
夕飯はどうするか。土地カンのある松山に行こうということになる。「松山」とは
地元の人が集まる歓楽街である。国際通りから見ると、海側にある。それで食事が
出来るところに入ってみたのだが、とにかく遅い。あまりに遅い。しょーもなく遅い。
殆ど出て来ない。結局残りの注文はキャンセルして、ホテルで食事することにした。
ホテルで食べたのは、ステーキ定食や沖縄定食、みたいなやつであった。
が。なんせホテルなので、沖縄色が薄い。沖縄の食材を使っているのに、いまいち
パンチがない。ここで感心する程美味しかったのは、緑茶だった。沖縄の水は硬水が
多く、緑茶には適さない。(昼の、御菓子御殿の水なんぞは「塩が入っている」と
言われたほどのミネラル味だった)あまりに美味しかったので、お茶だけ飲んで
いたかったほどである。
にしても、何故最初に行った松山の店はあんなだったのか?もしかするとその店
だけでなく、松山全体が衰退してるのかもしれなかった。松山は言ってみれば銀座
みたいな場所であり、昔はちょっとした高級な場所だった。今と昔がどう違うかと
いえば、ゆいレール開通であり、ついでに再開発されて駐車場も十分に整備された
「おもろまち」あたりに人が流れたのかもしれなかった。
それではその「おもろまち」に何があるかと言えばこれがまた本土からのチェーン店
ばかり。マニュアルに従っているからには間違いは少ないかもしれないが、地元感を
楽しみたい観光客には意味がないのであった。しかし観光客がそのへんの住宅街
にある普通の居酒屋に子供連れで入る度胸は、多分、ないだろう。
それでは国際通りはどうなのかと言えば、デパートやブティックはあるけれど、
残りは殆どみやげ物屋しかないに等しい。(ちなみにステーキは沖縄特例で牛肉に
かかる関税が安かった時代から「自分の家で食べるもの」であって、レストランに入る
のは本土からの客を迎える時くらいである。)
翌日は、南部を観光することになっていた。海に面した窓のカーテンを開けて寝た。