孝行旅行:沖縄編(1)
沖縄に行ってきた。
家族旅行である。父が古希を迎えるとは聞いていたし、夫は古希の祝いが盛んな
沖縄人として、祝いを計画しなければならないとは言っていたのだが、
まさか本当に行くことになるとは思わなかった。
しかし予定されるメンバーが、例えば育児疲れで気晴らしをしたい妹であり、沖縄
に行ったことのない義弟、選択権のない1歳8ヶ月の姪、沖縄ならいつでも行きたい
夫、私、孫にならいつでも会いたい母、そして自慢話のネタならいくらでもウェルカム
な父、とくれば本当に行くことになるのは当然だった。なんなら父の古希を祝って父
以外の人間で出かけても良かったのだが。
ちなみに沖縄で古希を迎えようという場合、親類縁者を2〜300人も呼んで祝うのが
普通である。が、近年は余興の段取りだのなんだので大変な手間となるため、
家族だけで旅行して済ませる家も多いらしい。が、私の両親は沖縄の人間ではない。
というわけで皆が楽しめる孝行旅行は、中々お得な話だったのである。
で、2日の朝、我々は羽田に立っていたのである。こういう場合、機嫌良さげに
働いているのは誰かといえば、それはなさぬ仲の人間(夫と義弟)に決まっている。
血のつながりがある人々はと言えば、「堂々としていた」。父はここぞとばかりに
ふんぞりかえっているし、私はだからと言ってとりあわず、母だって父そっちのけで
孫の機嫌をとっていた。やっぱり普通の家族旅行だったのだ。
大人は食事を済ませ、姪には家で作って来たニンニク入りクリームチーズをぬった
クロワッサンを渡す。幸いその味は気に入ったようで、美味しくいただく姪の姿に、
妹や母からおほめの言葉をいただくこととなったのだが、これが思わぬ結果を招く
こととなった。
飛行機では、妹夫婦と姪だけが1階席に座った。皆で2階に席をとろうとしたのだが
小さな子供を連れた人々は1階席という決まりがあるのだ。で、どうなったかと
いえば、飛行機が梅雨前線の影響を受けて揺れたのである。2階にいた私達はなんとも
なかったが、1階ではあちこちでチビ達が吐いたり、耳が痛いと大泣きし、大騒ぎだったとのこと。
ニンニク入りクリームチーズをぬったクロワッサンを食べた姪も、例外ではなかった。
寝ていたのが急にむっくり起きてむずかったので、妹はこれはヤバイと用意しよう
として義弟に姪を渡したそのとたんに吐き、あわわと妹が抱きとったらまた吐いたとの
こと。結局姪は、バスタオルを巻き肩を出した姿で飛行機から降りることとなった。
(羽田ならともかく、那覇空港なので、違和感がなかったのは幸いだった??か??)
なんとなく匂う3人を含む7人はワゴン車で、ホテルに行く。運転は義弟、夫は
ナビゲーターである。ホテルは少々奮発して、市内のロワジール。部屋は海側、前は港
なので目の前を船が行き来する。妹夫婦の部屋には、子供用歯ブラシまで用意されて
いた。
朝11時半に羽田を発って、午後4時。先に首里城に行っておきたいところだがと
調べてみれば、閉館時刻は6時半であった。5時じゃなくて6時、それも30分まで?
しかも南なので、城から出て来てもまだ十分に陽は高かった。夕方のラッシュ・アワー
で混む国際通りをゆっくり進むと、オレンジ色のワンピースできれいに着飾った
上腕の筋肉もたくましいオカマが歩いているのが見えた。那覇は都会である。
その日は、国際通りの「百甕」(ももがーみ)の3Fで食事。沖縄料理と地ビールと民謡が
楽しめる店である。チビ連れでも大丈夫。私達は地ビールを満喫、両親や妹夫婦は
ここでニガウリも島豆腐もイカスミも紅芋もご当地の魚(ヒチュマチュ)のお刺身も
シークワーサーも、まず大体のところはつつがなくクリアできた。
それは良かったのだが、最後にはカチャーシーで〆ると民謡歌手が言う。
カチャーシーとは沖縄のお祝いの終わりに必ずやる踊りで、招ばれた人全員が参加
する。これが私は下手で。よその人にはわからないが、土地の人には一発でわかる
下手さなのだ。姑が生きていて沖縄通いしてた頃は、この下手さでどれほどウケを
とり、親しみを感じてもらったことか。(私達が教えてあげなければ、と思ったか?)
民謡歌手につきあって仕方なく満面の笑顔で踊ると、事情を知らない、本土から来た
らしいほかのお客はただ、「踊っている」ということで驚く。彼らにとっては、「記念
すべき沖縄の夜」である。地元の人間が一人もいなければ、こんな光景は見られない。
しかし、夫はともかく私の踊りは堂々たる「なんちゃってモノ」なのであった。