金沢伝統野菜的再訪
3年ぶりとなるのか、金沢に行った。
行きたいとは思っていたのだが機会はなく、そうこうするうちに知人が伝統野菜の会を
やるついでに金沢旅行も企画してくれたのである。しかし、メンバーは知らない人
ばかり、一体私は参加者達とどんな話をすることになるのか。ま、下手すりゃ一人で
金沢について語ってりゃいーやというのが私の思いではあった。(どこが「思い」
というレベルなのやら)
というわけで集合時間は二時、金沢駅前というものだったが予定によればその日は
観光旅行が主だった。行き先は勝手知ったるものだったので、私一人湯涌温泉の宿で
合流することにして、自分用の感傷旅行に及ぶことにしてあった。しかし、飛行機
のチケットは不利な時間ほど割引率が高く、ゆえに私は朝5時15分にタクシーで家を
出て(まだバスがない)31分の電車に乗り、二つ隣の駅から出る羽田行きのバスに
5時45分に乗り込むしかなかった。
バスは50分ほどで羽田に到着、しかし飛行機の離陸が国内線にしては大幅に遅れた。
空港からのバスを近江市場の前で降りると10時前、デパートのロッカーに荷物を
預け、実家と妹の家にカニを送ってしまうにはちょうどいい時間となりはしたが、
何かヘン。7日にカニが解禁となった市場は賑わっていたが、その日は金曜日とあって
それほど混んでもいなかった。
近江市場でカニをどうやって買うか。値段はついているので、あとは相手の都合に
合わせて買う。お裾分けする相手がいるかどうか、も問題となる。実家は様々に
つきあいが多いので、多少小さくなっても数多い方がいい。加えていい年齢なので、
小さい香箱ガニをほじるのはいくら美味でも苦痛であろうと考え、ズワイが数多く
入っているのを選択。
妹の方は、お裾分けをする相手がいない。というわけで、大きいのをどかんと。
まあしかし、地モノと余所のモノの値段の差がすごい。カニで一番高いのは県内で
獲れたもので、それから遠くなるほど安くなり、ロシアのなんてげっというほど
安い。結局、鳥取あたりかなー?てな値段のカニに、北陸ならではのシマエビなぞを
加えて送ることとする。
ノルマが終われば、バスで昔通った道をあらために行く。
一番通ったのは、湯涌だった。駒帰に行く途中で横にそれて湯涌に入り、それから
隣の福光の方まで足を伸ばしたりした。が、一番魅力的なはずのその抜け道は残念
ながらバス路線になっていない。なので、その次によく通った駒帰まで行った。
駒帰は名前のとおりの山奥である。
バスも終点近くなって来ると乗客は数えるほどになり、そして二人となったところで
前の方に座っているおじいさんがくるりと振り向いた。ここまで来る人なら、見知った
人のはずで、誰だろうと思ったに違いない。しかしそのおじいさんも先に降りて、
バスに最後まで残ったのは私だけだった。
終点で降りながら、運転手に何分後にここを出るかと聞く。10分ほどだとのこと。
それで古い集落を少しばかり散策してみる。さすがに市内に比べて格段に寒い。
山の斜面の畑、その脇から出ている大量の涌き水など、少しも変わっていない。
ふと、畑に動くものを発見して、よく見ればそれはサルだった。金沢の山で、
サルを見たのは初めてだ。
犀川の峡谷に渡した橋から周囲を眺める。山奥だから、殊更朝晩の気温の差が激しい
のだろう。紅葉が美しい。だが紅葉より美しいのは黄色の葉で、どんよりと薄曇の
空の下、光で自分の姿を切り取っている。橋の名は「熊走橋」。ここまでで馬は帰るし
ここから先は、熊が走るのである。
やがて時間が来て、市内に帰るバスに乗ると、おじいさんが一人、先に乗っていた。
ふりむくおじいさんをやりすごし、一番前の席に座る。少しでも多く景色を見たい。
何故こんなに犀川沿いの道を愛したかと思い出せば、そこが峡谷となっていたからで
ある。川をはさんだ向こうの、昔ながらの建物が並ぶ集落が美しかったからである。
だから春も夏も秋も冬も、だから通えるだけ通って目にやきつけてきたのだ。
走り出したバスは、やがて一人乗り自動車を追い越したとたんに停車した。
小さな車に乗っていたのはおばあさんで、バスに向って、「そこの寺に、今この車を
置いてくるから悪いけど待っていてくれないか」と言う。一応バス停はあるのだが、
ここまで奥に来ると好きなところで乗り降りできるようになっている。運転手は承諾
して、私とおじいさんと、3人でおばあさんを待つ。
おばあさんはつるつると小さな車でお寺の中に入っていき、すぐにお寺の門から出て
来た。しかし足が丈夫な人がそんなのに乗っているわけもなく、ゆるゆると歩いてくる。
しかし、例えゆっくりでも歩いていればいずれは到着する。間に海でもない限りは。
そしてバスは発車出来たのであった。拍手。
途中バスは、馴染みだった中華屋の横を通る。入らない。見るだけだ。ただいま
準備中で、夕方から夜までが営業時間であると書いてある。ということは夜だけ営業
することになったのか。それは即ち、夜だけでやっていけるということではないのか。
店主のマジメさは見て来たが、それは今でも通じているようだった。
近江市場前でまたバスを降りて荷物を引き取り、湯涌行きのバスに乗り換える。
兼六園横を通り、小立野に入ると、バス通りは一昔前の商店街と、由緒ある名所
旧跡がごちゃまぜになっている。が、そこを抜ければナシやリンゴを良く作る畑や
たんぼが広がっていく。
湯涌あたりは今、ゆずを作っているそうである。伊豆のレモンのようなものなの
だろう。いずれも木にはトゲがあるが、イメージはよろしく使い道は広い。
私が金沢にいた頃には木を育てている最中だったが、今回は道路端にゆずを売る
無人売店があった。
バスが終点に着くと、私は馴染んではいても何も知らない場所に立った。
なにせ昔は車で総湯と往復していただけだったので、旅館の名前など全然覚えては
いないのである。しかし、目の前の看板の群れの中に、目的の名前を見つけることが
出来た。
宿に入ったのは約束の30分前だったが、他のメンバー達は既に到着していた。
5時から土地の伝統野菜を普及すべく活動している人の、金沢歳時記について聞く
ことになっているので、それまでにと、宿のお風呂に行く人々と別れ、これまた
私一人で、総湯に行く。
露天風呂は、昔より広く見えた。途中、篠着く雨が降ってきた。金沢はこうやって
降ったりやんだりするから、露天風呂といえど屋根があって、虫が入って来るのを
防ぐために網戸がしてあったりする。雨は強かったので、網戸のすきまから雨の飛沫が
飛び込んで来た。それでも、風呂を出る頃には雨はやんでいた。
総湯横の溝に、昔と同じツリフネソウが咲いているのを確認して宿に帰る。
講演の時間だった。演者はいわゆる「お坊ちゃま」なので、金沢の坊ちゃま生活を話す。
坊ちゃまは坊ちゃまのすべきお稽古事やお茶屋遊びもクリアしつつ種苗商を継ぎ、
後に手弁当で伝統野菜を残すべく力を尽くすことになるのだが、話は「歳時記」なので
どうしても坊ちゃま生活が前面に出て来て、面白かった。
その後、主計町(かぞえまち)から呼んで下さった篠笛の演奏会があった。
陰笛と言って、普通はついたての向こうで演奏されることになっている。今回は灯り
を消して聞く。しかし教養のない私が、目の前で演奏される篠笛に感じた新鮮さは、
「息継ぎの音」であった。生演奏でないかぎり普通は処理されてしまう類のものなので。
食事が始まった。企画した人より、「加賀野菜について興味を持った自分に、当時
金沢にいて色々教えてくれたのがこの人である。」といった紹介をされる。その通り。
しかしまさか、3年以上も経ってからここでこうなるとは思ってもいなかった。
で。ふと見ると、御本人様は浴衣であぐらをかいているので、毛脛どころか毛腿
まで丸見えである。「そのへん、もーすこし隠してくださいよ。」とお願いすると、
返事は「あーあー悪かったよ、格好いい脚じゃなくて。」というもの。
「そういう問題じゃありませんっ!」
・・そう、こともあろうに金沢は湯涌温泉まで来て、良くも悪くも話が通じた
記憶がないこの人の隣に座り、私は相変わらず通じない会話を交わしているのだった。
いやしかし、格好いい脚なら毛腿って許されるものなんでしょーかね。
毛脛までではないでしょうか、見せていいのは。