真珠湾など

 例の戦争については、いやもう、何から書いていいかわからない。
とりあえず私に関係あることとしては、叔父二人が戦死していることである。
おかげで、オマケに次ぐオマケの、末っ子の私の父が家を継ぐことになった。
自慢の息子達を失った祖父は、叔父二人の墓を家の墓の隣に別に建てた。おかげで
今でも墓参りのたびに、叔父達と戦争を意識させられている。

 夫の戦争関係にまつわる事情はと言えば、例えば年の離れた姉達は戦争当時
台湾に疎開していた。そして戦争が終わってからも、沖縄は長らくアメリカだった。
大学生になったところで、日本に返還された。それまでは通貨はドルで、日本車は
外車、国産車はアメ車だった。頭のいいやつはフルブライトを始め様々な方法で
アメリカに留学し、いずれは沖縄の将来を担うことをアメリカからも期待された。
そんなわけでか、夫が私淑する先生方の殆どは、初期のフルブライト留学組である。

 日本人にとって真珠湾といえば、奇襲攻撃の汚名につながる。
「チャーチルは知っていた」だの、「宣戦布告を指定時刻までに手渡せなかった
外務省の担当者達は後に外務次官にまでのぼりつめた」だの、色々あるらしいが
しかし、私にとっては戦争といえば上の通り、祖父の背中とその隠居部屋であった。

 そんな事情の端緒、パール・ハーバーに行く。
アラモアナから、バスで50分。パール・ハーバーで撃沈された戦艦アリゾナの
上に作られたのが、アリゾナ記念館。真珠湾は軍事基地であり、戦艦や
潜水艦などの一部が公開されている。

 アリゾナ記念館は当然のことながら海の上なので、ランチボートに乗っていかな
ければならない。無料のツアーが出ていて、その番号札をもらう。私がぼけっと
座ってツアーの時間を待っていると、夫は売店に行って真珠湾攻撃を報じた当時の
新聞のコピーを買ってきた。



 「この新聞の書き方では、当時ハワイは正式なアメリカの州ではなくて、領土
だったわけだ。TERRITORY OF HAWAII,U.S.A.ってある。」それでは沖縄は
何だったのか。「信託統治。」こんな話もする。

 ツアーの順番がやってきたもすぐ船にのるわけではなく、まずは映画を見せ
られる。スクリーンを前にボランティアの男の人が非常にきれいな英語で口上を
述べるが、あまり聞き取れない。映画が始まるが、やはり聞き取れない。しかし
聞きとりたくないような気もする。

 年表として系統立てて記憶してはいないものの、まあ大体中身は知っている。
スクリーン上の昭和天皇はさすがに若い。のんびりしたBGMと共に映し出される
ビーチに水着で横たわる白人や、フラダンスの女性たち。南海の楽園ハワイ。
そこでまた音楽変わって、いきなりやってきた日本の戦闘機。惨憺たるありさまの
真珠湾。そうと知って卑怯なジャップを許すまじと戦意高揚しちゃうアメリカ人達。
BGM聞いてるだけで十分にわかる。

 ところで、元々アメリカでもないハワイの真珠湾でそんなことが起こるに至った
のは、ハワイが軍事的に重要な場所に存在したからである。ハワイにあった王室を
とりつぶし、アメリカは軍事施設を作った。

 そして、奇襲攻撃は確かに良くないし、戦争を忘れてもいけない。が、わざわざ
映画を作り、感情をあおるBGMに載せて語りかけている相手はアメリカの
納税者なのである。つまりこれは、米軍が存続を図る為のお仕事の一環でもある。

 それはともかく。本当のところ日本軍は奇襲攻撃でうまいことアリゾナの弾薬庫に
当てることが出来たせいで、戦艦だけは沈めた。しかし、肝心の軍事施設なんぞは
そのまんまにして帰っちゃったし、サラトガなどの重要な空母は殆ど訓練で留守
だった。

 そして、真珠湾攻撃そのもので、日本軍はアメリカに航空機の時代であることを
示してしまった。アメリカは零戦の活躍を見てグラマンの開発に力を入れた。
グラマンは旋回性能はいまいちだったが、馬力があり、これが大事なところだが、
頑丈に作られた。

 それはアメリカ軍が、「飛行機はすぐ出来るが、パイロットは一人養成するに
あたり二億円のお金と2年の歳月がかかる、それだったら戦闘機よりパイロットを
保護しなければならない」と考えた為である。零戦はその反対で、旋回性能を高める
為に機体を軽く作ってあった。

 航空機を使って真珠湾で大勝したのに、日本軍は何故かいつまでも戦艦にこだわり
最後にはその戦闘機で最後の戦艦大和を撃沈された。・・・そんな愚かしい事情を
知るということが、夫をして映画を見ながら鼻をすすらせる理由だったが、隣に
座るアメリカ人の女の子はと言えば実に退屈そうにごそごそとし、挙句に大きな
あくびをしているのであった。

 映画が終わり、ぞろぞろとツアーのメンバーはランチボートに載せられて、
真珠湾上にある白く細長い建物、アリゾナ記念館に向かう。記念館の中には、
奇襲攻撃で死んだ人間、士官だけではなく船会社の人間も含め、全ての名前が
記された記念碑がある。

 ところで、奇しくも同じハワイに、戦争でもないのにえひめ丸は沈んだが、
アメリカ人にしてみれば、遺体の回収にこだわる日本人の気持ちがわからない。
アリゾナの上に記念館は作れども、1000人以上の人が乗っていたといわれるアリゾナ
の中からはただの一体も遺体は回収されていないそうである。

 次のツアーの人々を乗せたボートがやってきて、入れ替わりにボートに乗り、
陸に帰る。ツアーはここで終わり。で、これからどうするのかと夫に問えば、
公開されている戦艦を見にいくという。こちらの戦艦は、ミズーリ。

 戦艦を見るには、料金支払ってまず、トロリーに乗せてもらい、桟橋を渡って、
公開とはいえ軍事施設の中に入ることになる。小さくてきれいな島があり、そこには
こじんまりとしたきれいな建物が見えて、そこは大統領の別邸なのだそうだ。
なるほどこれも軍事施設。

 戦艦ミズーリ。湾岸戦争にも参戦したこれは用済みとなって公開されている。
夫、詳しい。「いいか、こっちが魚雷であっちが爆雷だ。魚雷は潜水艦が発射する
ものであり、爆雷はある程度の深さまで潜ったところで、水圧に反応して爆発する
ようになっている。つまり爆雷とは潜水艦めがけて船から落とすものだ。」

 船上には、講和条約時の7カ国の代表のサインも残されている。
カナダ代表がこの大事なときに何を考えていたのか書くところを1行間違えてしまい、
それがそのまま残っている。これは有名なものらしく、夫、感慨深く見ている。

 ミズーリだけではなく、周囲にはいくつかの航空母艦が停泊していた。
艦上にはおもちゃのように小さな戦闘機が搭載されている。航空母艦は大きいよう
でも戦闘機の離発着には、狭い。何かで見たのだが、それを助けるのは、大きな
パチンコのようなしかけだった。戦闘機は離陸するときはその力を利用して
弾き出し、着陸のときにはそれをめがけて降りて、受け止めてもらうのである。

 「垂直に飛び上がる戦闘機を作るのはアメリカの悲願だった。それが出来れば1機
づつ打ち出す時間的ロスが少なくなり、装置じしんを必要としないぶん、余計に
戦闘機を搭載できるからだ。しかし結局、海兵隊は英国から買うことになった。
それが、あのハリヤーなわけだ。」

 ハリヤーくらいは誰でも見分けがつくだろう。機首が鳥の嘴のように細長く、
しかも下を向いているやつである。他にはあんな形の戦闘機はない。

 結局パール・ハーバーにあったものは全て、アメリカ国民を守る為の装備であり、
技術であった。嫌な気分ではあったが、一応、あんなもんを活用する機会がアメリカ
の為にもないことを願いつつ、またバスに乗ってホテルに帰ったのだった。
ハワイの話は、これで終わる。
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 で、ハワイから帰宅したのは7日だったが、その後すぐ、アメリカのテロ事件が
起こるのである。犯人のやったのは、民間人を巻き添えにしたことをのぞけば、
殆ど「特攻」であった。狙われた場所がアメリカの象徴的場所であり、軍事工場では
ないことを考えれば、この戦いの目的は「名誉」というものであった。

 その後、一体、日本ならどこを狙われることになるのか、我々に対する重大な
侮辱であると、小学生でさえも感じる場所とはどこだろうかと考えた。
私の答えは、書けない。
                                取材協力:夫