プラハ3日目
2005年10月24日月曜日の朝6時を私はプラハで迎えた。
(と書けばその日の気持ちがよみがえって来るかと思えたが。)
前夜は9時に寝たので、よく寝た、とは言える。旅行と言えばこんなもんである。
土地勘のない異国の地で地図を見て気を張りながら2万歩近く歩いて眠れないわけが
ない。
7時に食堂に行くと、勝手のわからない異国からの善男善女がおたおたしていた。
ここぞとばかりに階段を往復して多彩な朝食を調え、見本を示してやることになる。
結果、どこから来た人なのか、染めた金髪の白人女性が朝からうれしそうにカナッペを
つつくこととなった。めでたい。
9時にホテルを出、トラムに乗って中央駅に行き、電車でクトナー・ホラに向かう。
クトナー・ホラもプラハ同様、世界文化遺産である。同様に認定されている
チェスキー・クルムロフより、プラハから近い。クトナー・ホラは13〜14世紀に
銀鉱として発展、15世紀にはボヘミア王が滞在していたこともある。世界遺産に
なれたのは戦争による破壊が殆どなかったから、らしい(軍事拠点として意味が
なかったという意味か)。我々がクトナー・ホラに行くつもりになったのは、東京を
訪れた外国人観光客が京都は遠いので日光に行ってみた、という感じに近い、多分。
中央駅では駅のトイレのカギがかからなかったのはともかく、案内所に行けば
相手の英語がわからなかった。夫が。珍しく理解したのは私の方で、なんとなれば
敵さんの発音がよりカタカナに近かったからである。プラットフォームにたどりつくと
電車は両方にいた。「右だ。」と言い切る夫に確認させたら、正しいのは左だった。
これは夫が頼りないという意味ではなく、私が役に立つこともあるということだ。
ボケ防止には旅行が役立つというが、なんと危険なボケ防止だ!
10時20分発車。森の中を走っていくと、15分したあたりで小さな農園付きの別荘の
群れの前を通った。樹木は黄金色、たまに見える家屋は皆手入れが行き届いていない。
それがまた、旅情をそそる。約1時間でクトナー・ホラ駅に到着、しかし本当の?
クトナー・ホラにはそれからローカル線に乗り換えて2駅を経なければならない。
寂しい寂しいクトナー・ホラの駅舎には、いくつかプランターにペラルゴニウムを
挿し木したのが置いてあった。10月も終わるから、来年の楽しみのために赤い花を
とっておこうとしている。白でも青でもない、赤い花を。
歴史のある街は全て城壁の中である。クトナー・ホラもそうなので、駅から坂を
上る。その日は月曜で、ガイドブックにあったとおり観光場所は全て休みであった。
そんなら何のために行くのか。郊外の空気を吸いに。ガイドブックに載ってたそれは
同じ郊外でも世界遺産というブランド付きなのだが。
郊外の空気を吸いに行ってみただけ、というにはくやしいものもあった。
聖バルバラ大聖堂がお休みで公開してなかったことである。鉱山労働者のためのこの
教会はすすけまくった壮大なゴシック建築で、見るからに狂信とか宗教裁判とか
伝染病とか中世とかを思わせて、知性の代表のようなストラホフ修道院とは正反対の
建物だったからである。
それでも、秋の深まる聖堂の庭から見下ろすと、城壁とは反対側の丘が美しかった。
砦の外にあるあの丘は人々の暮らしにどう関わって来たのだろうか。ああいうところに
木の実やベリー、キノコの類が生えていたのかもしれない。そして今では砦の外にも
家は散見出来た。そちらの家々は砦の中のように石造りではなかった。
もはや砦に意味がないのであれば、それは悪いことではない。
大聖堂の庭から、そちらに続く小道が見えたので、今度は砦の外の暮らしを見に
行くことにするのだが、その前におきまりのトイレ・タイムとなる。それは大聖堂に
付随した案内所のトイレだったのが、なんとここもカギがかからないのである。
で、不安を抱えつつ仕方なく用を足していると外にザワザワと人の気配が。
それはロシア人の女子中学生の集団であった。結果、私は忘れられない思い出を
かみしめながら外に出ることになったのである。外には小さな子供を連れた女性が
道ばたに向かってしゃがみこんでいた。見たら「リス」だった。道々、木の実が落ちて
いるので「いるな」とは思っていたが。
城壁から出ると、そこは文化遺産ともなんとも関係ない、普通の田舎の村だった。
どこの家も手作りっぽく、庭ではしばしばニワトリを飼っている。ありふれた道の横の
草だらけの畑に、うち捨てられたリンゴの木が1本、それでもかなりの数の実を
実らせている。握り拳より小さい1コを失敬して、また城壁の中に戻る。お腹がすいた
のだ。砦の外は純然たる生活圏で、レストランも土産物屋もスーパーもない。
城壁の中には、中華料理屋もあった。その気になれば日本人観光客はここで
チャーハンだのギョーザだのが食べられる。レストランの値段はプラハの半額から
2/3だった。それでいて量も良い。私はサーモン、夫は鴨を食べたんだったか??
食事をしていたら、外で何やら音がする。見ると、広場前の建物の上階で真っ赤な
ブラジャーしか身につけていない若い女性が身を乗り出して思いっきり敷物を叩いて
いた。ここまで来ると、こんな彼女が「砂の女」に見えてきた。
プラハには、バスで戻ることにしていた。砦の中ではついぞ見かけなかったが、
町外れにあるバス・ターミナルの手前にはスーパー・マーケットがあった。ターミナル
の横にはまたリンゴの木があって、これもまたほったらかしである。目の前で
いくつものの実が自然に落ちていく。ニュートンはこういうのを見たのねーと納得。
それはいいのだが、ターミナル横のトイレを利用しようとしたら女性用だけが
閉まっていて、男性用のトイレには番人がいなかった。スーパーにもトイレはなかった
ので、仕方なく夫を番人に男性用トイレに入る。5コルナ。ほんっと、しなくても
いい経験をしているよなあ、私って!!思い出してもむかむかする!
プラハ行きのバスの停留所には列が出来ていた。列に割り込もうとしたオッサンが
オバサンに鋭い声で叱られている。座れるかどうか怪しかったが、夫とは別々で
あっても一応は座ることが出来た。バスは立っている人もいた。一定の距離以上近づく
はずのない人々の何がすごいかと言って、独特の体臭だった。
15:56分にバスはクトナー・ホラを出発、満員のままプラハまで行くのかと危ぶんだ
が、16:13にKolinという街で途中停車、ここでかなりの人数が降りる。バス停には
恋人だか奥さんだかが待ちうけていて、「おかえりなさあい!」ぶっちゅー、な場面も
展開された。家々はいずれも立派ではなく、おおむね貧しい。それでもなんだか
幸せそうに見える。1時間10分ほどでプラハ到着。
プラハに着く10分前くらいか、バスの窓からガーデン・センターらしきものを見て
しまった。棚がしつらえてあって、その上に苗を並べていて、あれはかなり見て
みたかった。
一度ホテルに帰ってから食事に行く。その日のレストランは??記憶にない。
随分安いと思ったら食べ物は少なかった、とメモ帳に書いてある。それじゃ仕方ない
だろうなあ。ビールが美味で、黒ビールなのに、ヴァイツェンみたいだったとのこと。
実のところ、ここに入る前に古文書みたいなメニューを張り出しているレストラン
を発見、夫はここに入りたがったが私はあまりのディープさに引いてしまったのである。
しかし、その日の食事があまりに良くなかったため、逆にこれ以上の目にあうことは
ないだろうというわけで翌日はそこに行く決心がついた。