プラハ2日目
旅行記を再開するのはあまりに最初の方で終わっているのがこのうえなくみっとも
ないからである。とはいえこれだけ間があくと、メモ以上のことは忘れてしまって
いる。これから先の旅行記は、かなり簡単なものとなるかもしれないが、ご勘弁を。
プラハに着いて翌日。朝6時半に目覚め、7時に食事に赴く。
このホテルは部屋も変わっているが食堂も変わっていた。何故か二つに別れている。
片方は5つほどテーブルがある小さな部屋、もう片方はそこから上がった大きな部屋、
食べ物は両方に置かれている。
各々の部屋の食事だけで終わらせようとすると、広い方の部屋では、飲み物と
他種類のパン、だけになってしまう。階段を下りた小さな部屋の方には、カナッペを
始めチーズやらなにやら、ちょっと豪勢になるが飲み物が置いてない。
小部屋の方はいわゆる「良い部屋」用の食堂かといえばそうでもないようで、
そちらに食事をとりに行ってもおとがめはなかった。(それを見た他の客達は
次々に降りていって、うれしそうに朝からカナッペをつまんでいたものである・・)
こんなんなら最初からちゃんと不公平なく配置したらいいと思うのだが。
ちなみに飲み物は緑茶のティーバッグまで用意してあった。が、コーヒーはネスカフェ
だった。
不思議朝食だったが9時半にホテルを出発、徒歩でカレル橋を目指す。
立ち並ぶ聖人の像で有名なカレル橋はカレル4世によって1357年に建設を開始。
完成したのはヴァーツラフ4世統治の1402年。聖人の像は最初からあったのではなく
17世紀から20世紀前半にかけて取り付けられた。その中の日本人になじみの深い
聖人としては、フランシスコ・ザビエルがある。
それはいいのだがやはり観光地なので、橋のたもとでは大音響でロックが流れて
いた。そしてトイレに入ると10コルナもとる。さすがは名所のトイレである??
この橋を、世界各国から来た観光客が渡り、写真をとっていた。
旧市街から橋を渡って、要塞に囲まれたプラハ城を目指す。
旧王宮は現在は大統領の執務室や迎賓館として利用されているらしい。橋を渡ると
道の両側は土産物屋で、それを抜けるとバロック建築の傑作(バロック建築の駄作
ってどんなんだろうか)と言われる聖ミクラーシュ教会。その横をすり抜けて階段状の
坂道を上ると城にたどり着くはずなのだが、不思議にこの道には人間がいない。
坂道の脇には小さな家があって、レースのカーテンの向こうには普通の暮らしがある
ようだった。
あまりに人がいないので道に迷ったかと思われたが、紅葉するツタを横目に坂道を
上がりきると、やはりそこは名所の固まりたるプラハ城だった。カレル橋にいた
大量の観光客はどの道を通ったのか、しかしここへ来さえすれば巡り会うのである。
プラハ城の他にミュシャのステンドグラスで有名な聖ヴィート大聖堂とか、その他
とにかく(?)色々あるのである。
で、私達が何を見たのかと言えばそのへんをぐるぐるしてみた、だけであった。
聖ヴィート大聖堂はおつとめの最中だとかで見られず、黄金の小道はカフカが住んで
いた家があるなどと面白そうだったが入場料をとられるとなればアホくさくなり、
無料のトイレを発見したことには歓喜したが、だからと言って3日分くらいの用を
一度で足せるわけでもない。
衛兵交代の時間だというのできびすを返し、プラハ城に戻る。
が。人間が多すぎて見えない。それでも見たが、これがまた、ああ交代してますねえ
としか思えない、例の如くカチカチと歩いて交代するという儀式なのだった。
我らが?皇居で同じことをやっているとしたら、問題ではないかと思う。
皇宮警察、なんてのじゃなくて、その昔の検非違使とか、そんなコスプレぐらいして
もらわないといかん。でないと、見に来る人間のメンツに関わる。
そんなテキトーなことをしゃべっていたら、城前の広場にいきなり人混みが現れた。
野次馬に行って見ると、中国系のウェディング・ドレス姿の女性である。手に手に
ビデオを持った取り巻きがはやし立て、それをまた観光客達が取り巻いている。
市役所のようなところで誓いをたてるというのは割とポピュラーな話らしいので、
こういうところでそれをするのも有り、なのだろう。
そんなわけで周囲の観光客も私も夫も彼らにつきあい、わーわーにこにこ
拍手なんかして祝ったりしたのだが。やがて飽きたのか、あからさまに面倒くさそうな
顔し始めた白人のオババの顔が印象的だった。気持ちはわかるが、ここまで来たんだ
からこらえろよと言いたい。私を含め、観光地で一番邪魔なのは観光客だ。
次はストラホフ修道院に向かう。道端には、観光客目当てのレストランが立ち
並んでいて、それぞれ前菜がコレコレ、メインがコレにデザートでいくら、と各々
看板に書いて誘っている。どこでも同じだが城は小高い丘のそのまた城壁の上に
あるので、必然的に眺望が良い。「民の竈はいかがかな?」と眺められるよう、広い
バルコニーを作って外で食事をさせているレストランもあった。
で、道案内の通りに進み、くるりと角を曲がるといきなり広大な斜面に広がる
ブドウ畑がひらけ、その脇の坂を上がったところに修道院があった。小道の右側には
いくつかの家があって、庭にはリンゴや洋ナシなど実っているのが見える。
左がブドウ畑で、収穫は終わっているものの目をこらせば取り忘れたらしい
ブドウが見つかり、ちゃんと甘かった。
ついよろよろと、修道院手前の眺望の良いイタリアン・レストランでパスタでも
食べるか、ということになった。ブドウ園の向こうには、小さく民家も見えて、その
向こうには紅葉の丘が視界を遮っている。やがてお腹も落ち着いてきたころ。
コケコッコー!と今度はニワトリの声がする。場所が場所なので、どこかでニワトリを
飼っているのかと周囲を見回したら、それは隣の席の観光客の携帯電話の着メロ、
なのであった。
ストラホフ修道院とはいかなるところかと言えば、1140年ボヘミア王により建設、
13世紀半ばに大火災によって貴重な書物を消失したものの、今日なおチェコに
おける最も貴重な修道院、なのだそうである。圧巻は図書館で、高さ14mの2階建て
壁面には5万冊の書物が詰まっている。古い天球儀や地球儀も必見、とガイドブック
にはあった。
料金を支払い階段を上がるとそこにはカニやらエビやら様々な標本を納めたケースが
いくつも飾ってあった。そーいえば修道院というのは研究機関でもあったのである。
海のない地方で、エビやらカニやらの珍奇な姿を見た僧たちは何を思い、その意味を
神にどう問うたのか。先に進むと、古い本がいくつか展示されていて、右側が
図書室になっていた。
いいなあ〜〜、こんなに巨大な本棚があって。
この修道院における書物、私の書物の意味の落差を思えばこの感想は図々しいにも
程があるというか、その場で雷の一発でも落ちなきゃヘン、というか。にしても、
図書室の入り口にはロープがしてあって、図書室は入り口から見るだけであり、古い
天球儀や地球儀もその図書室の中にあって、一体どれが天球儀なのか地球儀なのか
わからない程遠くに置いてあるのだった。
何階かをぶちぬいた図書室ならどこかの国のお城やら大学の図書室のものを映画や
写真で見ることがある。建築様式ではなく、当時の書物の意味にこそ感動すべきなの
であろう。巨大なカニやエビの標本もそうで、まかり間違えてもお味やら、刺身
何人分にあたるかなど考えてはいけない。多分。(でも本当に大きかったんです〜)
納得したのかそうでもないような気分で修道院を出、近くのサヴォイ・ホテルの前
から一日乗車券を使ってトラムに乗り、国立美術館へ。この1日乗車券は全き
1日乗車券で、これ1枚で24時間乗車出来る。最初に乗った時刻から夜をはさんで
翌日の同じ時刻まで使えるのである。こうやってプラハを思いっきり楽しみ、
ついでに思いっきり外貨を落として行きなさい、と言われた気分。しかしこういうのを
こそ、「フェア」というのではないか。
国立美術館はかつてプラハ城にあるシュテルンベルク宮殿にあった19〜20世紀の
絵画を現代アートと共に展示している。実のところ私は国立美術館だから全てここに
あるのだと思っていたのだが、もっと古いのはシュテルンベルク宮殿に置いたまんま
なのであった。
街角にはゴシック、バロックにルネサンスとなんでもありなのに、何故美術品だけが
ないのかと思い、18世紀にプラハを統治したマリア・テレジアのお気に入りだった
頃までには何でもあったが、ハプスブルクご一行様がウィーンに移り住んでしまったら
全て一緒に引っ越ししてしまったのかと想像していた。本当のところマリア・
テレジア以前の美術品がどれくらい残っているのかは、このシュテルンベルク城の
コレクションを見ないとわからないのであった。
こちらの国立美術館は見本市会場として使われていただけあって近代的なビルで、
1階ごとにテーマが違い、客は自分の見たい分野だけのチケットを買うというシステム
になっていた。1フロアにつき、150チェココルナ。
一人の画家の絵が何枚もあったがこれが見物で、初期は写実的な油絵を描いている
のだが、年月が経つほどに段々簡略化していって、絵は最後には線と面と色、でしか
なくなっていく。つきつめればこういうことになるんだろうなあ、はっはっは〜、
と私はたんに納得するのだが、夫はこれを「痛ましくて見ていられない」と言った。
ホテルにいったん帰り、ガイドブックにあった市民会館地下のアールヌーボー様式の
レストランに行く。スープ、農民風サラダ、ビールにワインにローストダックで
1200コルナ。量も味もそこそこ。木のテーブルはクロスがかかってなくて、椅子も
堅い木で、アールヌーボーったって、タイルに覆われた壁面の中食事していると、
なんだか風呂屋でゴハン食べてるみたいな気がしてくるのであった。
早々に帰って寝た。