流されて
庭が、混迷を極めている。いつものことである。
元々庭は自分のためにあるので、仕方がない。広報用には門扉に飾った
ハンギング・バスケット、そして玄関へのアプローチがある。そちらさえきちんと
していれば、あとはこっちのもんとちがうか?
外から見える場所に植えるのは、何故蒔いたか自分でも忘れた一年草達である。
例えばノースポールとかルピナスとか市販の種子のパンジー、ビオラとかだ。
こいつらはどかどか花を咲かせ、通りかかる人を喜ばせる。植えた人は無関心だが。
で、外から見えない庭が、堂々ととんでもないことになっている。
ポリポットの植物が、あちこちに点在している。置き場としては正しいはずだが、
美観の点では大問題である。いや、大問題と考えないようにしたから混乱する
ことになったのだが。
そのうち、ごちゃごちゃに置いても割りと美しいのは庭木候補とH.B.の材料で、
庭を荒廃させているのが期待の植物の苗だ。輸入したポリアンの苗、オーリキュラ
の苗、そして交配してみたビオラ苗。しかし、このポットの中にあるものこそが
私の園芸らしい部分なのである。
もっとも、ポット栽培に対する「地植え」もラクなんだか何だか良くわからない。
名札はどっか行っちゃうし。昨日なんぞは、ユリを掘りあげようとしたら球根に
スコップが届かなかった。目印に茎を残しておいたのに枯れた茎は途中で折れて
球根は、ああ球根は〜。これじゃ次の冬まで植えっぱなしだ。
ユリは余所に植え替えて、今年はそのあたりにエダマメを蒔くつもりだった。
これではエダマメの間からカサブランカが咲くことになるではないか。
ユリの足元にはそれなりに草があって、地温が上がりすぎないのが調子がいい
らしいが、エダマメでそれをすることになるとは思わなかった。
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家庭訪問がある。
しかし、庭は草だらけだ。次の日曜日は先生をお迎えするためにおまえ、庭の
草むしりをしてもらえないか?と母親は娘に言ったそうである。
孝行娘はすぐさま承知した。
ところが、何がどうなったやら、その次の日曜日はクラスで海に行くことに
なってしまった。彼女だけが行けないというと、先生の顔が曇った。
わけを聞く。彼女は答える。
「お庭の草なんか先生は気にしないから、一緒に海に行こうよ。
先生は、あなたが一緒に来てくれる方がうれしいな。」中々良い先生である。
が、彼女は答えたのだ。
「ダメだよ先生。だって、お兄ちゃんの先生だって来るんだもの。」
先生が何と答えたか、そこまでは聞かなかった。
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その昔、いわゆる「ハーブ」を楽しむ人々が嫌いだった。コレクターならばきっと
面白くないヤツだろうと思い、使っていると聞けば、ミーハーな人だとあきれた。
が、特にイヤだったのは、仔羊の肉でも臭いといって食べないくせに、ローズマリー
だけは植えてるやつ。好きなのは、「ハーブ」を育てる優しくてオシャレなワタシ、
なのである。げー。
だというのに、私もローズマリーを植えることになった。
猪のバカタレのせいだ。あれを季節限定とはいえ、日常的に食べようとしたら、
否応でも食生活は欧風化の道を進まざるを得ない。で、ローズマリーを
代表とする肉の匂い消し用のハーブが必要になるのである。
相変わらず、ローズマリーは臭いと思っているし、あれを好きだという人とは話が
合わないと思っている。しかし、致し方ないではないか。この私なのだ。乾燥させた
市販品も、ましてパックされたものを買うこともありえない。
あれは生でこそひきたち、常緑であり、おまけにうちの周辺でも十分育ち、
たいした場所もいらず、使う機会が山ほどある。これでは、植えてない方が「嘘」
となる。植えなければ私は自分自身と話が合わなくなる。
ローズマリーのくせしやがって、最近は様々な品種が出ている。
ローズマリーなんてネギや大葉と一緒である。匍匐性のネギとか、花色が美しい
大葉とか、斑入りとかあったら嫌じゃん?だというのに、ローズマリーばかりが
鑑賞用としても進化をとげようとしている。
やっぱ、許せないような気がする。むかむか。