胡桃をもらった

場所は種苗交換会、その机上に洗った胡桃が袋に入って置かれていたのである。
なんでも、暮れの30日に沼津の海岸で拾ったのだそうで、それにしては中々
いい量なのであった。多分、偶然胡桃を見つけ、改めて周囲を見回してみたら
あっちにもこっちにもある!わ〜い・・・というわけで集めてしまったのであろう。

 海岸で漁労という行動に出たら法に触れたりするらしいが、こういう採取は問題
ない。あるとしたら、「あまりに物好きではないのか」といったところか。もっとも、
私自身はそういうヘンなことやる人の方が好きだ。(そういう問題だろうか)

 胡桃の栽培品種もいくつかはあるようだが、これは一見、鬼胡桃のようである。
私はこれの美味さを知っている。これに比べたら、カリフォルニアのナッツなどは
材木のように感じるくらいである。ただ、いかんせんカラは小さく硬く、当然中身は
取り出しにくい。山栗みたいなものだ。美味いが食べにくく食べるところも少なく、
でも、美味い。

 こう書くと、「品種改良」は「改悪」であるという話に持ち込もうとしているように
見えるかもしれない。逆だ。ここまで来て、食べ物に不自由しなくなったからこそ、
山の、腹の足しにならないものを、改めて賛美できるのである。

 で?問題は、これが種苗交換会に提供されたものだ、ということである。
鬼胡桃は、残念ながら私の腹に入れるために寒い中拾って来てくれたものではない。
これはあくまで種苗としての胡桃である。蒔かねばならぬ。そして種苗としての
胡桃とは、胡桃は高木、モノの本によれば、「株間14〜5m」だそうである。

 幸い胡桃はたくさんあるので、蒔く分をさっぴいても十分食える。
が、こういう場合に適するのは、どちらも大きな果実なのである。ただ、本来の趣旨
を尊重するなれば、食べにくい小さなものを残して食べ、食べやすいものを鉢に
入れなければならないのだ。いや、ほんとーに。

 ところで、いただいた胡桃の果肉は完全に洗われている。何年前のものになるのか、
果皮が白くなっているものもある。塩水に洗われたものが発芽するかどうかも
さりながら、これが一体どんな味になっているのかも興味深い。

 これを入れて、ケーキとか焼いてみよーかしら。そうすると、持って行かなければ
ならないのかしら。その前に、食べてしまったらどうしよーかしら。
これを提供してくれた人の家の方向に向って拝んでおけばいいのだろーか。

                 xxxxxx

 ハンギング・バスケットを門扉にかけている。
冬は葉牡丹をメインにして作り、冬中、保たせている。冬のH.B.はお得だ。
・・・って、そんなことはどーでもよろしい!!

 古いだけでこれと言って趣があるというわけでもない家をごまかすべく、
または、園芸やる人として、新参者の名刺がわりに門扉にかけて来たH.B.であったが、
今、別の弊害が生じることとなった。なんのことか。つまり、通りがかった人から、
「いた!」という声がかかったのである。何それ一体。なんと失礼な。

 その気持ち、わからないでもない。
どんな人がこれを作っているのかなーと見る人がいても、なんら不思議ではない。
実際、覗き込まれることくらいなら、今までも日常茶飯事であった。
最悪は、粗大ゴミを収集に来たオッサンの、「なんだこりゃ、はははははは!」
というものでもあったが。(ゴミだけ見てろ、っつうの。)

 しかし、男と二人なんたらかんたらしゃべりながら来るやつがいるなーと思って
いたら、次の瞬間、「いた!」である。あたしゃ一体、ナンなのよー。ぷんすか。
表現をする以上は、他人の好奇心は必要悪(悪とまで言っていいのか?)とは思って
いても、うざい。

 いっそ夫を替え玉に・・・!!