花粉憎けりゃ・・・
今年も展示会の季節がやってきた。
制作のうち一番大変なのが花材集めで、それらしいものがそれなりの数集まるまで、
とにかくあちこちまわらねばならない。(ゆえに、春は私と家とが1年中で一番
汚くなる季節でもある。)
もっとも、年々花苗が出るのは早くなっている。
3年前は展示会1週間前にしか店に並ばなかったペチュニアも今年は雪が消え残らぬ
頃から入った。最近では春の展示会でペチュニアどころかマリーゴールドを見ても
違和感はなく、今や自分が種子を蒔く前から作品に使っている。(使いはするけど、
やはりいやなものです。)
関東での今年最初の展示会はトリトン・スクエア(晴海)で、4月24日から
5月5日の長きに渡って続く。去年のこの展示会ではどえらい風が吹いてラティスが
ぶっとんだ。知り合いがスタッフをやっていたこともあり、直しの手伝いに行った
ことを思い出す。
今年はといえば、アンデルセン生誕200年を記念して、「童話」というテーマで
出品することとなっている。アンデルセンでなくてもなんでも童話を植物で表現して
みなさい、とのことだ。
知人はそれで、御主人に「童話」がテーマでどんな色を想像するかと聞いてみたそう
である。答えはと言えば、「水色」。それで彼女は驚き、討論会になったと言っていた。
女が楽しむ童話はお姫様が出て来るものなのだろうが、男の童話は「ピーターパン」
であり、「宝島」ということになるからだろうか??「無垢」のイメージだそうである。
にしても、一応アンデルセンが出て来たからにはアンデルセンのことを
思い出さねばならない。「シンデレラは違うのよね。」「あれは、シャルル・ペロー。」
「親指姫とか?」「あれもそうだっけ?モグラをどうやって表現すんだ?」「後は人魚姫
とかもそうよね。」「そうそう、幸福の王子もそうだった。なんかさー、アンデルセン
って暗い!!」
別の知人にその話をしたら、アンデルセンの母親はアル中で、アンデルセンは
ろくにかまってもらえなかったらしい。「もしかして醜いアヒルの子は、自分だった
のかもね。」と彼女は言う。アル中の母親に醜いアヒルの子と来るか。いくらなんでも
酒瓶飾る人は出て来ないだろうとは思えるが。
夫とも話す。「大体、幸福の王子の結末なんて最低!ツバメも適当にきりをつけて
後はまた来年ということにして南に行けばいいんだよ。浜の真砂は尽きるとも、
世に貧乏のネタはつきないんだからさあ。」「まあまあ、正月のモチも買えなくて
年が越せない人々にモチ代を届けるわけなんだから仕方ないだろ。」
正月のモチを、どう表現するのか。なんでアンデルセンが「和」に転ぶのか。
冗談はともかくとして、他の人々がどんな作品をこさえるのか楽しみではある。
童話がテーマなんだから、なんとなく想像がつく。盛大な飾り付けを見ることになる
のは間違いない。(でも、外に出しておくハンギング・バスケットなので、例えば
布などの雨で形を失う飾りはNGのはずである。)
ここの展示会は、「タイトル」も必要である。なので、タイトルによって切り口を
替えて見せたり、言い訳をすることも出来る。が、審査には関係ないので、その
苦労はお客さんを喜ばせるにすぎない。(が、作品制作より私はこのタイトル考える
のが好き〜。)
この展示会は、同じような色調が集まりそうなところを除けば華やかで、他の
どこの展示会より見モノではないかと思える。それはいいのだがしかし、具体的に
私はどーしたらいいのか。ここしばらく、私も家も汚い。
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花粉症に苦しみつつ、花材集めをしている。
「顔が真っ赤だぞ。(皮膚用に処方した)薬を塗りなさい。」とは医者のセリフだ。
塗ってないわけではない。しかし、1日に2度を限度に、なんてもったいぶってる
くせに、ちっとも効かないだけのことなのだ。
できればもっとマシな薬を作りやがれと製薬会社に文句たれて欲しいところだが、
なんせ今年は花粉の量がケタ違いらしいから。仕方なく、「塗ってはいますが、
私は外に出てなんぼ、ということをしてるので。」と答える。
「そりゃ大変だなあ。目出し帽被るわけにはいかないからな。」当たり前だっ!!
でも、帽子被って烏天狗みたいなマスクすれば、実質は目出し帽かぶって
いるのと一緒。
帽子はカジュアル系ではあるものの、お花なんかついていて基本的にカワイく、
スプリング・コートもそうそうない派手色。しかし、ゆえにこそ花粉症用のマスクを
つけるとカワイイだの派手だのが痛い。自分ながら笑えるくらい。
命には別状ないが、名誉に別状があるのが花粉症だ。
が、医者は結局人体の技術屋、マスクは春先だけに必要になる松葉杖とか義眼とかで
あり、それで所定の仕事が可能ならば文句たれるのは患者のワガママでしかない。
(もちろんこれらは現代医学が完全に対応出来なかったという証拠でもある〜)
この時期、毎年門扉にかけるハンギング・バスケットは手がこんで行く。
それを見た人々は、「まあきれい!」と叫ぶ。叫ぶのは放っておくとしても、
「一体全体どんな人がこれを?」と覗き込む人も多い。だが、そこにいるのは帽子
被ってマスクしてるこの私なのだ。
今年はあまりに花粉がキツイので、畑の作業用の帽子のことを考えた。
農協や郊外のホームセンターで売っている、布製の庇のついた、首筋まですっぽり
被ってくれる農家の婦人用の例の帽子である。ゴルフ場のキャディーさんも使って
いるらしいアレだ。
「あと一ヶ月の辛抱だから。」と医者は言い、なんとか私もアレを使わないで
済んでいる。というか私はあれを被ってもいいのだが、ハンギング・バスケットの
コンセプト(オシャレ園芸だとさ!)を思えば、あれを使用したなら、私は
外から見えないところに行かねばならないではないか。(ああ、ばかくさい)
こんなことまでくだくだ考えなければならないなんて、やってらんねえやと
思い始めている私。花粉憎けりゃ・・・。